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年齢不詳な若人が唄の話を中心にアレコレと・・・


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追悼・森繁久彌 「日曜名作座」のパートナー・加藤道子について

ここで少しばかり、加藤道子について記してみます。
あまり情報を入手できませんでしたが、とりあえずまとめてみました。
間違いや「これは無いのか」ということございましたらコメント頂きたく…。

追悼・森繁久彌 「日曜名作座」のパートナー・加藤道子について_e0134486_11435242.jpg


加藤道子(1919~2004)
大正8年10月31日、東京・麹町に生まれる。
両親は共に新劇俳優で父は坪内逍遥門下(文芸協会)の新劇俳優・加藤精一(清一)。
東京府立第五高等女学校(現・東京都立富士高等学校)卒業後、父を尋ねてNHKへ遊びにいったとき、人手が足りずにエキストラとして『助けて』と3回即興で叫んだのが初の芝居。
やがて血が騒ぎ、昭和16年NHK東京放送劇団養成所1期生として入所。
昭和18年5月にNHK東京放送劇団が活動をスタートさせ、放送界入り。翌19年「神明」で本格的な役を得る。戦後、昭和23年にNHKラジオの金看板枠とされた通称"金ドラ"で放送された「魚紋」で芸術祭賞受賞。芸術祭初の個人賞であった。なおドラマのストーリーは生後すぐ別れた母娘が17年ぶりに再会しながら一言も交わさずに別れるというもので、加藤は別れた母娘の2役を演じた。
そして内村直也・作「道子の存在理由」では1人5役というワンマンドラマに挑戦し、成功を収めるなど、活動的な演技派として放送劇団のトップの座を欲しいままにしている。
昭和26年に放送された第1回NHK紅白歌合戦では紅組司会を務め、昭和32年4月からは森繁久彌とのコンビで「日曜名作座」をスタート。生涯続け、そして最期の仕事となった。
"七色の声"、"声優の草分け"と呼ばれ、そのイメージがあまりに強いが映像作品にも多数出演しており、主な出演作品に朝の連続テレビ小説「娘と私」「たまゆら」「信子とおばあちゃん」や「花王・愛の劇場/愛と死と」などがある。
また、"声優(の草分け)"という紹介には「声だけが強調されているのは心外」と反発している。
ライフワークのひとつに遭難死した大学生の母の手記をもとにした合唱組曲「山に祈る」での母親の台詞の朗読がある。昭和49年に「日曜名作座」が評価され、番組として菊池寛賞受賞。
昭和56年からは朝日カルチャーセンターで朗読教室の講師を務め、数多くの受講生に講義を行った。昭和58年には紫綬褒章を授章。
平成元年に言語障害(脳血栓)で倒れたが、半年後に復帰。その後もう一度倒れるが無事に復帰している。平成4年に勲四等宝冠章授章。
平成10年に「日曜名作座」2000回突破を機にギネスブック申請がなされ、登録に至った。
「私はスローテンポだから200歳まで生きる」が口癖であったが、平成12年に膵臓癌であることが発覚。入退院を繰り返すようになり、番組録音には病室から通うという形になる。
しかし女優魂は最期まで持ち続け、平成14年放送の「長崎ぶらぶら節」の収録に先立ち、長崎弁を研究するなどしている。
同年12月31に森繁久彌が沖縄で心筋梗塞で倒れ、翌年秋まで療養にあたったことなどがあり、最期の仕事は同年11月13日録音(放送:15年1月19日)、藤沢周平・原作「夜の雷雨」となった。
平成16年1月31日、すい臓がんのため没。84歳。
病室のベッド脇には名作座の次回作(予定)の杉本苑子「鳥影の関」の台本が置かれていたという。
生涯独身。「両親の面倒を看るため」「戦死した弟のことがあったから」など諸説あるが、70年来の付き合いがあった脚本家の西沢実は「釣り合う男がいなかっただけ」と語っている。
本人は「芝居でいっぱい恋愛しているから」とあっけらかんとしていたという。
加藤の死後も過去作品の再放送形式で「日曜名作座」は継続し、平成20年3月まで51年間放送された。趣味は俳句・短歌。
by hakodate-no-sito | 2009-11-26 00:25 | 古今俳優ばなし