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年齢不詳な若人が唄の話を中心にアレコレと・・・


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追悼・森繁久彌 「日曜名作座」が気になる(その4)

半世紀続いた「日曜名作座」はさまざまなエピソードが遺っています。
ちょっと箇条書き形式でご紹介致します。

追悼・森繁久彌 「日曜名作座」が気になる(その4)_e0134486_236478.jpg

・放送開始前後は声色番組と批判されたが人気を得るに従いその声も収まった。
・原則、企画を出したディレクターが演出を担当。
・かつては森繁のスケジュールの都合等から「日曜名作座」と「ラジオ喫煙室」(日本のラジオにおけるDJのさきがけと言われた森繁の番組、こちらも軽く10年以上は続いた長寿番組)は続けて収録されており、どちらのスタッフも録音現場に立ち会わせていた。その中には「ラジオ~」の作家であった向田邦子もいた。
・元NHKアナの中西龍(なかにし・りょう)はかつて森繁に弟子入りを懇願し断られた経歴があり、中西が東京勤務の時代は、時間が許す限りいつも番組収録を見学していたという。
・向田邦子も1回だけ脚色を担当したことがある(昭和40年:井上靖「城砦」)
・脚本は事前に出演者へ届く。
・二人で1度台本を読み合わせし、2回目の読み合わせ=本番という形式が最後まで取られた。
・2000回突破のあたりまでは1回目の読み合わせが約30分前後で終らせ、本番だった。
・番組最終盤では主に森繁の老衰のため、1回目の読み合わせは20分用台本に対し、2~3時間掛けて収録という形になっている。
・読み合わせは傍目からはボソボソとした呟きに見えたが、この時下手に話掛けようものなら二人から雷が富ぶ。この際森繁は台本に何か書き込みをするが、これは声の調子などを記す演出プランだった。
・森繁は多忙もあって遅刻常習犯、加藤は誰よりも早くスタジオ入りすると対称的であった。スタッフが加藤に気遣って声を掛けると「いいのよ、慣れているから」といつも同じ返事だったといわれている。
・NGは殆ど出なかった。事前に加藤が仕上げてスタジオ入りすることを知っている森繁が全神経を集中させ、この場に臨んでいたからとされている。
・森繁は皆勤だが、加藤は病のために3回ほど欠席している(その回の詳細は不明、おそらく森繁の一人語りで作品を仕立てたのではないかと思われる)
・音楽は開始以来古関裕而が担当してきたが、体調を崩し入院生活を余儀なくされたことなどから昭和61年3月を以って降板し、池辺晋一郎へとバトンタッチした。テーマ音楽は引き続き使用され、「新・日曜名作座」へとリニューアルされた現在もアレンジを変えながら使用されている。
・最後の作品は平成14年11月13日録音(放送:15年1月19日)、藤沢周平・原作「夜の雷雨」となった。全2137本。
・平成14年大晦日に森繁が滞在先の沖縄で心筋梗塞で倒れ入院、約半年間静養を余儀なくされた。既に加藤も平成12年ごろから膵臓癌のため入退院を繰り返し、病室からスタジオへ来る状態であったことから、しばらく再放送でつないで森繁回復と加藤が小康を得るまで待とうという結論に至ったが、願い空しく平成16年1月31日に加藤が亡くなり、番組は事実上終了した。
・加藤が亡くなったとき、ベッド脇には次回用の台本(杉本苑子「鳥影の関」)が置いてあった。
・番組の人気は根強く、また再放送用のストックも膨大であることや後番組の準備やライフワークと
まで語っていた森繁久彌の気持ちを省みた結果、当面続投ということになり、加藤の死後も約4年間放送され続けた。50周年を機に番組をリニューアルしようと声が上がり、平成19年夏に森繁久彌へ関係者が伺いを立てたところ、事務所関係者から構いませんと返答があり、正式決定し、翌20年3月に51年の歴史に幕を下ろした。
by hakodate-no-sito | 2009-11-29 00:06 | 古今俳優ばなし