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年齢不詳な若人が唄の話を中心にアレコレと・・・


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お別れ・にっぽんの名司会者

大司会者にして名司会者の玉置宏が2010年2月11日に亡くなった。76歳。

私は昭和末期の生まれで北海道の生まれ育ち。
ラジオも電波状態が悪い場所で育ったので、玉置宏というと、テレビ東京の隠れた人気長寿番組「昭和歌謡大全集」の司会が頭に浮かぶ。

あの番組における玉置宏はキャリアを存分に生かした、ベテランならではの仕事だった。
水前寺清子をサブとして自由自在に動かし、ご意見番/コロムビア・トップほか大正生まれのベテランの暴走も適度なところでコントロール。
それでいて、出しゃばりと感じさせるようなことは一切なく、名調子でどんどん名曲の紹介をしていく。名人芸、匠、至芸。最高級品の歌の包装紙だった。

それは「夏祭りにっぽんの歌」や「年忘れにっぽんの歌」などの方がより顕著に感じられ、まさに玉置宏アワーといった趣であり、局アナやタレントの司会とは一味もふた味も違う熟練の巧みな技に私は酔いしれた。

ただ「玉置宏の笑顔でこんにちは」終了後は喋りの切れは一寸落ちた感があったし、21世紀を過ぎて数年経ったあたりから、90年代から悪くしていた歯がとうとう入れ歯となったことが一因kじあ滑舌が急激に悪くなり、往年のキレ/冴えが失われていく姿に淋しい気持ちになったのも事実である。

それと前後するように玉置も客分だった青空一門の総帥/コロムビアトップが入退院を繰り返すようになり、20世紀の終わりで両名は「年忘れにっぽんの歌」も降板。
「夏祭りにっぽんの歌」では健在であったものの、トップが病欠やがて逝去。
玉置も総合司会とようなポジションで一歩退いた形になり、やがて降板。

「昭和歌謡大全集」もやはりトップが入退院が繰り返すようになったあたりからクオリティが下がり、玉置は半ばお飾りと化し始めた。
それでも光るものはあったが、私の眼にはもうやる気をなくしているようにも写った。そして、あの事件で番組終了と相成った。

あれだけの人であっただけに晩年のあの騒動は残念である。
勿論、玉置に非があるのは言うまでも無い。放送史に遺る大汚点だ。
だがあれだけの功労者。もう少し「大人の解決方法」というのがあったはずだし、そう取り計らって構わない人ではなかったか。局側からトカゲの尻尾切りされるというのは、罪は罪・功は功としてもいかがなものであろうか。その点、設立計画から立ち会ってきた横浜にぎわい座関係者と対称的である。まあ事件が事件、そしてジャンルがジャンルであっただけにさすがに館長職は退くべきだったと思う。だが玉置あってこその黒字運営で余人を以って替えがたい存在であったことも考えると名誉館長/最高顧問という役職に退きつつ院政采配が妥当なところだろう。
人の噂は75日、ほとぼろりがさめたところで復帰でも良かったはずだ。

そしれにしても、騒動は、暗黙の了解が何らかの派閥闘争というかクーデターで破壊されたと言おうか、ともかく、告発者/司会者/製作側/熱狂的支持リスナー・・・どの側の味方もし兼ねる、何か釈然としない黒い影のある後味の悪い事件に感じられてならない。


今回の訃報で私の昭和史がまた一つ消えた。
しかし、懐メロ好きで往年の歌謡番組ファンである私にとって玉置宏は永遠に不滅である。
手許に残るビデオ(DVD)やレコード(CD)などで、たとえ10年、15年経っても玉置節に酔いしれることだろう。

今頃、コロムビア・トップや三橋美智也、春日八郎あたりが「玉ちゃん、玉ちゃん」と迎えているところだろう。
あの名調子が聴けるならば、あの世とやらの方が楽しいのかもしれない。

いや、案外夢であった寄席芸人になっているのかもしれない。
玉置への想いは尽きない。
改めて故人への感謝と哀悼の意を表する。
合掌。
by hakodate-no-sito | 2010-02-11 21:09 | つぶやき