年齢不詳な若人が唄の話を中心にアレコレと・・・
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ボニージャックスのアッチャン、死す
(右から西脇さん、大町さん、鹿島さん、玉田さん)
国民的コーラスグループ、ボニージャックスのOBである大町正人さんの訃報。
今年1月のダークダックスのパクさんこと高見澤宏さんに続き、大町さんが亡くなったことで、三大コーラスの全グループが往年のメンバーを1人づつ欠くことになってしまったことになる。
約半世紀に渡って、素晴らしい歌を届けてくれた名グループの名歌手が鬼籍に入ってしまったことの寂しさ・・・。
ただ、ニュースを見ていても、大町さんの扱いがあまりに小さい。
ネット上でも、ネットユーザーとファン層が被らないのだろう、「訃報です」というだけで、ボニーについて、大町さんについて、どうこう言う人は見当たらない・・・。
ボニージャックスを退いていたからなのか、それともボニージャックス自体が軽視されているのか。
ボニーと大町さんは切っても切れない関係、あのボニージャックストーンと呼ばれた美しい声は大町の存在無しには成り立たない。
(今のボニーの歌声は、往年のそれとやはり別物である。第2期とでも言うべきだろう)
でも、憤慨する一方、私もボニージャックスについてどれだけ知っているのかと聞かれたら、心もとない。
一応、以前図書館で調べたこともあるのだが、調べ方が悪かったのか、あまり情報を仕入れられなかった。音源はCDやレコード合わせて30枚ほどは持っているが・・・。
ボニーは謙遜して「自分たちは知られていない」「ヒット曲が無い」などと言っているが、耳なじみの歌はいっぱい歌ってきている。
「この程度しか知らないのに、文句言うのか、お前は」
とお叱りの声があるかもしれない。だが、これは私の精一杯。
ボニーのあゆみについて、大町さんのあゆみや人柄について、御存知の方はぜひとも教えて頂きたい。ネットに載っていない、素晴らしい歌い手(コーラスグループ)のことをネットに載せて、もっと情報流通をさせたい。私自身も知りたい。
心からお願いする次第。
--------------------------------------------
大町 正人(おおまち・まさと)
昭和12年7月20日、旧満洲国・大連に生まれる。
父・大町正武はガス会社の重役(南満洲鉄道の一部門)。
小学2年まで奉天(現在の瀋陽)で育つ。
そこで見たソ連軍の合唱行進や、一部接収された自宅で毎晩行われる酒盛りで歌われるロシア民謡を耳にし、不思議な感動を覚えたのが歌に対する生涯の想いへと結実していく。
日本へ帰国後は東京に住まい、早稲田大学法学部へ入学し、学生合唱団:早稲田グリークラブへ入部。なお、父はグリークラブの前進である声楽部のメンバーであり、親子2代で部員。
持ち前の歌への熱心さと実力からたちまち頭角を現し、パート・リーダーを任せられるようになった。やがて、在学中からクラブの先輩メンバーである鹿島武臣、玉田元康、西脇久夫とカルテットを結成し、アマチュアで歌い始めた。
グループ名であるボニージャックス(愉快な仲間たちという意味だという)の命名者は当時早稲田グリークラブ指揮者であった磯部俶。
当時流行だった、素人のど自慢番組のひとつ「青春ジャズ大学」出演した際、聴取者からの反響があり、異例の再出演を果たし、一部からはダークダックスを越える存在の出現と話題を呼ぶ。
その後、司会の笈田敏夫が名門人気ジャズバンド・ブルーコーツのバンドマスター小島正雄を紹介。
さらに磯部俶による半年間の合宿訓練の末にプロデビューとなった。
ボニージャックスとしてのキャリアのスタートは、昭和33年11月25日、ラジオ関東開局特番にて無伴奏で歌った「懐かしのヴァージニア」とされている。
メンバーの愛称は
・西脇:六さん
(当時、小型タクシーの料金が60円であったことから。でも性能はいい、という意味もあるという)
・大町:アッちゃん
(当時の人気漫画(岡部冬彦「アッちゃん」)に似ているから)
・鹿島:トラさん
(体格の良さから、大型トラックとかけて)
・玉田:のぼさん
(のんびりの"の"、ぼんやりの"ぼ"、と本人の性格から引っ掛けての命名)
である。
以後、今日までのレパートリーは5000曲を越えるという。
ジャンルも幅広く、CMソング、ジャズ、黒人霊歌、ロシア民謡、童謡、唱歌、ホームソング、叙情歌、歌謡曲、コミックソング、テレビ主題歌、フォークソング、JPOPまで古今東西・多岐多彩。
ハーモニーの見事さには特に定評があり、主に叙情歌など歌う際の美しく繊細な声色を評して、ボニージャックス・トーンと呼ばれている。
先輩格のコーラスグループ、ダークダックス、デュークエイセスと並び、日本三大コーラスと称され、2000年代には3グループによる合同ツアー公演が毎年行われていた。
デビューの年に、新しい子供の歌を作る会であるロバの会製作の「カバさん」で芸術祭文部大臣賞、「子供音楽物語・チュウちゃんが動物園へいったお話」が、第13回芸術祭賞(レコード部門)を受賞するなど、以後「ちいさい秋みつけた」でレコード大賞童謡賞(昭和37年)、サトウハチロー追悼リサイタルによって芸術祭優秀賞(昭和49年)など、数多くの賞を受賞。
近年では、平成21年に第30回松尾芸能賞優秀賞を受賞している。
海外公演も多く、旧ソ連へも昭和44年、46年、51年、55年と4度公演旅行を行い、いずれも大好評を博している。55年の公演では、当初モスクワ五輪及び日ソ交流活性化のための企画として国際交流基金から助成金が支払われる予定であったが、ソ連軍のアフガン侵攻によって見送られ、自粛ムードが漂う中「こういうときだからこそ、世界でひとつの共通語である音楽で交流を果たそう」と演奏旅行へ踏み切っている。
同55年、旧チェコスロバキアにおいて、日本人初のポピュラー音楽公演を果たした。
デビュー当初から、老人ホームや障害者施設の慰問を継続して行っており、後に障害者を持った子供が書いた詩にメンバーが曲をつけて歌うという試みを行いはじめ、昭和56年にLPアルバム「車椅子のおしゃべり」を自主制作。静かに評価が広まり、のちにビクターレコードから一般発売されている。平成に入ってから続編のCDアルバムも発売された。
平成15年、45周年リサイタルを目前に結成以来のメンバーであった大町はかねてから患っていた肝炎を悪化させ、肝硬変で倒れ、ボニージャックスを離脱し、吉田秀行と交代する。
「歳を取って歌えなくなってもこどもに感動を与える仕事をしたい」と大町はボニーの活動とは別に、横浜でイベント企画会社ジャパンプログラムを経営。帆船日本丸名誉船長。
ボニーを脱退後も「そう長くない命だが、歌えるうちはあらゆるチャンスを掴んで歌って生きたい」と、入退院を繰り返しながらも、平成6年から行っている帆船日本丸男声合唱団の指揮・指導や、妻の大町ますみ(クラシック歌手、二期会会員)との年1度のジョイントリサイタルを行うなど、音楽活動を生涯続けた。
平成17年には「長年、1度一緒に歌ってみたかった」とダークダックスの遠山一(ゾウさん/テノール)とのジョイントコンサートを開催している。
2011年7月8日日午前2時13分、肝臓癌のため、横浜市内の自宅で死去。73歳。
by hakodate-no-sito
| 2011-07-12 02:18
| 歌・唄・うた