年齢不詳な若人が唄の話を中心にアレコレと・・・


by hakodate-no-sito

プロフィールを見る

S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

最新のコメント

あらさん さま コメン..
by hakodate-no-sito at 21:52
函館のシト さま ..
by あらさん at 01:56
とんかつ女将さま コメ..
by hakodate-no-sito at 15:22
こんばんは。初めてコメン..
by とんかつ女将 at 23:16
if194552さま ..
by hakodate-no-sito at 20:30
if194552さま ..
by hakodate-no-sito at 21:54
てんてこ舞いさま お返..
by hakodate-no-sito at 21:35
こんにちは、てんてこ舞い..
by てんてこ舞い at 08:28
はじめまして 私はシャ..
by ゆう at 17:04
てんてこ舞いさま 御無..
by hakodate-no-sito at 20:04

最新の記事

低音の魅力を映像でもどうぞ
at 2016-02-24 12:52
わたしのデュークエイセス
at 2015-09-07 11:17
「父・川内康範を語る」飯沼春樹
at 2015-06-08 23:58
川内康範は函館生まれ
at 2015-06-08 23:56
徹子の部屋 京塚昌子さんをし..
at 2015-05-04 00:34

記事ランキング

フォロー中のブログ

ないしょばなし
ブック・ダイバー(探求者...

リンク

検索

カテゴリ

全体
つぶやき
歌・唄・うた
テレビ
菊池章子
デュークエイセス
古今俳優ばなし
読書感想
CD視聴感想
未分類

タグ

以前の記事

2016年 02月
2015年 09月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 03月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 05月
2008年 08月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月

ブログパーツ

最新のトラックバック

venusgood.com
from venusgood.com
www.whilelim..
from www.whilelimit..
http://while..
from http://whileli..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
http://en.wi..
from http://en.wiki..
boom beach c..
from boom beach che..
石井好子 (20) 文藝..
from CORRESPONDANCES
NHKドラマにもなった「..
from 劇団新芸座ブログ

題名のない音楽会 高英男わが青春の歌

思いがけず、貴重映像を観る機会に恵まれて、未だ興奮冷めやらぬ状態にある。

私が、好きで好きで仕方ない歌い手・高英男の映像だ。
観たくて、聴きたくて、数年来の渇望していた歌を披露する高さんがそこにいた。
円熟時代の歌声と、私が実際に知っている晩年の歌声、様々なことが脳裏に浮かぶ。
あのときは見えなかったことが。今わかることが見えて来る。

以前、1995年に高英男が出演した回の「題名のない音楽会」についてブログ記事にしている。
今回、1982年放送の回を視聴する機会に恵まれたので、備忘録代わりにここに記しておきたい。

---------------------------------------
「題名のない音楽会 高英男わが青春の歌」(1982年1月17日放送)
---------------------------------------

司会の黛敏郎によるピアノ伴奏で、高英男が唄う「蘇州夜曲」から番組は始まる。
黛は、若かりし頃、名門ビッグバンド・ブルーコーツのピアニストでもあった。
1コーラス目は日本語(オリジナル通り、「鳥の唄」の歌詞で歌唱)、2コーラス目はフランス語で披露。

右手にマイク、左手に扇子。
紫の着物、ラメがちりばめられ、背には三日月。
西洋人が印象する日本人のイメージを体現したような姿の高英男である。

「マツケンサンバII」を唄う松平健じゃないか、とお思いの方がおいでだろう。
言うまでもなく、高が先である。それも数十年も前にやってのけている。

「暴れん坊将軍」以前、松平健はレビューの殿堂・日本劇場と縁がある。
松平の歌のステージの振付師の真島茂樹は、日劇ダンシングチームでトップダンサー。
高英男は、日劇の歴史に欠くことの出来ない大スター。

松平の扮装ひいてはステージは、高英男ら日本の華やかなレビューを作り上げた先人たちへのオマージュでもあるのだ。

---------------------------------------

黛)
高英男さんの唄う「蘇州夜曲」でした。この曲には私、個人的な思い出があるんです。
今からちょうどもう30年前になりますが、昭和26年、パリで留学しておりました私のところに、同じパリに住んでいりました高英男さんから、ある日電話がありました。
実は、そのモンマルトルのクラブだったか劇場だったかで、そのオーディションを受けなくちゃならないんで、ピアノの伴奏をしろというわけです。
で、私は仕方なしに出掛けていきましたところ、何と唄う曲が「蘇州夜曲」なんだそうです。
で、ただいまのような次第で伴奏をさせられました。
そのときもね、高さんは、まあ、今ご覧になるようなキンキラキンの着物を着られて。

高)
これはね、おふくろがね・・・。
もうね、終戦間もないでしょう、まだ、あの当時。
無い一張羅のね、羽二重でもって作って、至急送って来て・・・縫ってくれたんですよね。

---------------------------------------

今回、黛の要望でこの衣装を着てきた高。
あの頃はほっそりしていていたが、熟年の今は太って、着るのに大変だったという。
黛も絶賛していたが、30年前の衣装をきちんと残していることにも驚く。

衣装のキラキラとした部分は、一緒にパリ留学していた中原淳一のアイデアで、チョコレートや何かの銀紙を張ったものだという。

衣装替えの後に歌ったのは「巴里の屋根の下」「詩人の魂」。

---------------------------------------

黛)
もともと高さんという人は武蔵野音楽学校を出られて、クラシックの声楽の素養をつけられたバリトン歌手でありました。
ところが30年ほど前、私と同じ頃にパリへ行かれて、そこでフランスの空気に触れてから、主としてシャンソンを唄われるポピュラー歌手に転向されることになったわけなんですが、御本人に直接伺ったところによりますと、なぜそんな転向が起こったか、やはりパリへ行ったということがひとつの大きな転回点になっているのだそうで。

---------------------------------------

黛の話によると、高がパリになぜ行きたくなったかという、若かりし頃に見たルネ・クレールの名画の数々が胸に深く残っていて、それがパリ留学という選択に繋がったなのだそうだ。

「巴里の屋根の下」はそんな青春時代の思い出の1曲。
西條八十の詩もお気に入りで、ステージでも良く歌っており、レコード吹き込みも行っている。
(中原淳一の詩によるレコードも存在し、こちらは昨年発売されたCD「Romance」に収録されている)


クラシックからの転向は、戦後中原淳一のプロデュースによるリサイタルを行い、NHKなどにも出演するなどしているうちに「クラシックよりライト・ミュージックの方が良いな」と思うようになっていったのだという。

黛の紹介によると、高英男は「詩人の魂」という歌は、レコードではなく、街中のアコーディオン弾きの歌声で初めて耳にしたのだという。

別のインタビューによると、「枯葉」は、借りていた部屋に居る時、外から歌声が聞こえて来て、窓を開けてみてみると、物乞いの老婆が歌っていたのだという。
古い街並みのなかに響くしわがれた歌声が、実に良くあっていて、まさにルネクレールの映画そのもののような情景で、忘れ難い思い出になっているという話を披露している。

それらの経験から、街の歌であるシャンソンを歌いたいと思うようになり、また留学先のソルボンヌ大学で習うことは、既に武蔵野音楽学校や日本大学で習っていたことと変わらなかったこと、日本から「今、日本ではジャズブームが起きている。次は欧州の音楽が流行になるなどから、3年間の留学期間を繰り上げて帰国することにしたのだそうだ。

「徹子の部屋」への出演時、「街の歌は習うものではありません」と語った高。
50年代の巴里でたまたま遭遇した光景が、シャンソン歌手、歌い手という生業の芸人・高英男を誕生させるきっかけのひとつになっているのは間違いない。

文化とは何か、街の色とは何か、感性とは何か。
この話には、様々なものが詰まっているように思う。

ここで着用している茶のジャケットは、「ビッグショー」(NHK)でも着用しており、NHKで高が取り上げられる際には、この衣装で「雪の降る街を」を歌う映像が流れることが多い。

私も一度、この衣装を着た高を三越劇場で見たことがあり、楽屋で至近距離で目に入ったときには「この衣装は」と興奮したことを思い出す。

現在、これらの舞台衣装や資料等はシャンソン歌手の清水康子女史が保管しておられるという。
散逸の可能性を間逃れることが出来たのは本当に有難い。

---------------------------------------

(黛)
先程もちょっと触れましたけれども、高さんにとって事実上の青春のはじまりはクラシック歌手への想いであったわけですし、夢はオペレッタに出演することであったといいます。

昭和25年といいますと、高さんが最初にフランスへ出掛ける1年前の年ですけれども、東京で上演された和製オペレッタに「ファニー」というものがありました。
このなかでの男性の主役を演じたのが、ほかならぬ高英男さんであったわけです。
で、巴里へ行きましてからも、シャンソンをいろいろ唄うようになっても、やはりオペレッタへの夢というものを高さんは捨てたわけではなくて、8年間の長いパリ滞在の間に、何回もオペレッタに、向こうで出演された経験も持っています。
そういう高さんが一番好きなオペレッタは何かという問いに答えて、それはほほ笑みの国だということでありました。

フランツ・レハール、あのメリーウィドウを作りました、有名なウィーンのオペラ作家の、もうひとつの傑作である「ほほ笑みの国」というのは、ウィーンと北京を舞台にした甘美な恋物語でありますが、この中から高さんがもっとも好きだと言われる「君こそ我が心のすべて Dein ist mein ganzes Herz」、これを歌って頂くことにします。

---------------------------------------

1960年代、高はパリに居を構え、フランスを中心にヨーロッパで歌手活動を行っている。
日本へも年に数ヶ月間滞在し、その間に日本劇場などへの出演を行っている。
国際派としての顔が完全に確立された時期になる。

黛の指摘した、高のオペレッタ出演とは、いつ・どのようなものであったか、現段階では私にはわからない。
高英男を知る、研究していくには、このフランス滞在時代のことは欠くことが出来ないように思う。
また、歌い手としては絶頂期ではなかったか。

イギリスのBBCへ出演したという話もある。毎回歌を披露する短時間のラジオ番組を担当していたという。この時代の高の映像は日本ではいくつかの(劇場・テレビ)映画や不鮮明なキネコ映像でしか残されていないが、海外にはもしかしたら素晴らしい高の名ステージの映像や歌声が人知れず、ひっそりと眠っているのかもしれない。

それにしても、このオペレッタを歌う高英男の魅力的なこと。
私はクラシックにまったく門外漢だが、こんな歌い手を知ったらクラシックファンになってしまうかもしれない。高英男のまた違った面を見ることが出来て、本当に有難いし、嬉しい。

---------------------------------------

「君こそ我が心のすべて Dein ist mein ganzes Herz」を
フォーマルなタキシード姿で歌いきる。乱れ髪が艶っぽい。
タイミングを見計らって、黛が舞台中央に現れる。

「オペレッタはオペレッタの雰囲気を持つ人が演らないとオペレッタにならない」
「そういった意味で、オペレッタ的雰囲気を持つ数少ない歌い手」
と讃える黛。
はにかんだ表情で高「そうですか、まだ演れますか」
黛「勿論」。会場拍手。

続いては「雪の降る街を」。
日本帰国後の活動の大きな記念碑的なもの、と紹介する黛敏郎。
中田喜直とのつながりについて訊く。

高)
「あれはちょうど帰りましたときに『詩人の魂』とか『枯葉』とか『ロマンス』をね、しょっちゅう歌っておりましてね。
そのときに放送で、中田喜直先生が聴いていて、『この歌はあいつに歌わせて下さい』というお名指しで、歌わせて頂きました」
「楽譜見ましたら、あまりにも見事な綺麗なメロディなんで。歌い手の隙間が無いんですね、要するに。
『うわー、難しくて困ったなあ』と思いまして。…もうあれも30年、この方、歌っております。」

黛)
「確かあれはNHKのラジオの『えり子とともに』ですか。内村直也さんの連続劇の…」
高)
「そうです、詩が内村直也さんのあれです」
「10回レコード吹き込みいたしました。いつも印税がわずかながら、今でも入ってまいります」
黛)
「いやいや、わずかどころか、莫大なものでしょう」
高)
「いやいや、もう…(とテレ笑い)」

---------------------------------------------

「雪の降る街を」は、高英男とは切っても切れない作品。
訃報の見出しも、『"雪の降る街を"高英男さん死去』というものがあったぐらい。

ただ、中田喜直本人は高の歌唱よりも男声合唱のダークダックスやボニージャックスが
歌うそれの方がお気に入りであったという噂もある。
中田の志向を考えると、それはデマとは思えない。

確かにあのメロディの魅力を十二分に引き立たせるのは、譜面どおりきっちり歌う合唱団の方が良いだろう。
しかし、あの完璧な譜面からは見出せない情感を引き出している高英男の力量は素晴らしいものだと思う。
歌の妙味を教えてくれるのが高英男の歌唱だ。

「雪の降る街を」と、"高英男の「雪の降る街を」"は、=(イコール)にあらず。
それは作曲家である中田にとっては、快いものではなかったとしても不思議ではない。

「雪の降る街を」のレコーディング回数は、ここでは10回と語っているが後に11回と称している。
私が確認した限りでは
・ラジオ放送盤
・初吹き込みSP盤
・ダークダックスとの共唱版
・中田喜直のピアノ伴奏版
・フランス語歌唱版
・鹿児島清志編曲版
・ライブ版
以上の7テイク。
以前、長年高英男のマネージャーを務められ最期まで看られた佐々木孝子女史に伺ったところ、
「レコーディングではなく、舞台用の譜面も含めての数ではないのか」という説を頂戴した。

果たして、真相はどこにあるのか。
キングレコードには、人知れず秘蔵された高の「雪の降る街を」がまだ眠っているのか。
それとも、海外でレコード吹き込みを行って、そのなかに「雪の降る街を」が含まれているのか。

ぜひとも知りたい。

---------------------------------------------

(黛)
高英男という人にとって青春とは、それは過ぎ去ってしまった回想の中にあるのではなくて、現在も生々しく息づいているに違いないという気が私にはします。
年齢のことは言いたくありませんけれども、高さんという方は田中角栄さんと同じ歳です。
ということは、60をもういくつか越えているということになりますが、それであの若々しさを失わないでいるということ、これは私、素晴らしいことだと思う。

それから、また、芸人魂といいますか、30年前に、あの紫色のキンキラキンの着物を着て、「蘇州夜曲」をうたった、その見上げた芸人魂というものをいつまでも失わないでいる。

私はこれもまた、皮肉でなしに素晴らしいことだと思うのです。
かつてミスタンゲットとかモーリス・シュバリエとかジョセフィン・ベーカーとかいう歌い手たちがいました。この人たちは皆ファンテジストと呼ばれて、ただ歌をうたうだけではなくて、ステージの上で歌を生きていると、歌を魅せた、歌を演じることのできる人たちでした。
そういう歌手たちが、いま日本にどれだけいるか。歌のうまいへたということは別として、そうした雰囲気を身につけている人ということで、私はやはり高英男という人の存在を無視するわけにはいかないと思うのです。

そして、先程も申し上げましたけれども、日本における、本当に不遇なオペレッタ的な雰囲気を身につけている、ま、稀有のひとりとして、高さんの存在はやはり貴重であると言わなくてはならない。

しかし、残念なことに日本ではオペレッタは今や死に絶えようとしています。レビューも駄目になりそうになりました。現に日劇は既に取り壊されてしまいました。

そういう逆境のなかにあって、やはり高さんは自分の音楽を本当にたくましく怖めず臆せず唄っておられる。これを私どもは声援したい気持ちでいっぱいになります。

最後は、そうした"青年・高英男"を満喫する演目をもって閉じたいと思いますし、それは日本から消え去ろうとしているオペレッタ、レビュー的雰囲気への挽歌となるかもしれないけれども、不死鳥のように羽ばたこうという祈りも含めてみたい気持ちが、そのなかにはあります。

日劇ダンシングチームの参加を得まして、高さんが最後に唄い演じて下さるのは、「サ・セ・パリ」です。

---------------------------------------

両袖から日劇ダンシングチームが3名づつ、計6名が登場。
そして、舞台中央階段から、オーストリッチの羽を付けた銀色のジャケットに純白のカンカン帽、スラックス、厚底のブーツという、サヨナラ日劇のステージと同じ姿の高が颯爽と降りて来る。
ダンサーたちとともに、舞台狭しとばかりに唄い踊り、華やかなフィナーレ。

かつて、スランプに陥った高が相談した古川ロッパが「高君ね、そんな羽つけて、歌い踊って、大劇場満員に出来るパーソナリティなんて、他の人にはないんだから。僕なら一生それでやるよ」と
言ったそうだが、まったくその通り。

日本で、こんな個性を持ち得たのは高英男だけだろう。

フランスでも「コウは、ジャポンに帰ったらタカラヅカに出るのか、カブキに出るのか」と大真面目に歌手仲間から訊かれたという話もある。
フランスでも東洋の異色歌手として、独自のパーソナリティをしっかり発揮していたことが伺える。

高英男、ここにあり。
この番組での30分は、短時間であることを逆手に取り、濃密に、そして確実に高英男という歌い手を捉えて、紹介することに成功していたように感じた。

黛敏郎という、高のよき友人・理解者に、30年のときを越えて、深く感謝したい。

(そして、拝見する機会を与えて下さった方にも!)

---------------------------------------

「題名のない音楽会 高英男わが青春の歌」(1982年1月17日放送)

曲目)
01:「蘇州夜曲」
02:「巴里の屋根の下 Sous les toits de Paris」
03:「詩人の魂 L'âme des poètes」
04:「君こそ我が心のすべて Dein ist mein ganzes Herz」(オペレッタ「微笑みの国」より)
05:「雪の降る街を」
06:「サ・セ・パリ Ça, c'est Paris」

指揮)
手塚幸紀
演奏)
黛敏郎、東京交響楽団

企画)
黛敏郎

構成)
藤田敏雄

編曲)
伊部晴美
福田一雄

美術)
板垣昭次

舞台監督)
倉田昭生
---------------------------------------
[PR]
by hakodate-no-sito | 2013-02-08 15:07 | テレビ | Comments(1)
Commented at 2013-02-12 02:24 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。