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題名のない音楽会 雪村いづみ わが心の歌

「題名のない音楽会」というテレビ番組があります。
現在でも続いていますが、この番組というとやはり初代司会者の黛敏郎の印象が強くあります。
クラシックにとどまらず、非常に多種多彩なかたちで音楽の楽しさ・素晴らしさを伝えた名番組です。

黛が亡くなって久しく、未だCSでの再放送もなく、観る機会はなかなかありません。
私の愛する歌い手も多く出演していますし、何とか拝見の機会がないかと思っているのですが、なかなか難しいです。それでも様々な方々の御好意で、数度その機会を得ることが出来ました。
以前、高英男出演の回を備忘録がわりに記しましたが、今回は雪村いづみ出演の回を記しました。

なおこの頁は、特にYさま、Mさまのおかげで書くことが出来ました。本当にありがとうございます。

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オープニングを飾るのは「テネシーワルツ」
雪村が「親友と呼べるのはこの人だけ」と語る、江利チエミの代表的持ち歌。
江利の歌唱とはひと味違う、伸びのある歌声で懐かしのポピュラーソングを聴かせます。
江利の歌声は言うまでもないですが、1985年にNHKホールで公開録画が行われたテレビ番組「思い出のメロディー」で、雪村と雪村のデュエットで披露された「テネシーワルツ」は忘れることは出来ません。美空の歌声のサポートに徹する雪村の歌声は実に輝いていました。

続いて「リンゴ追分」
こちらは三人娘の盟友・美空ひばり。
オリジナル準拠ながらもジャズ度が高い編曲は前田憲男のものではないかと思われます。
雪村の、まるで白人歌手のようなな歌い方も相成って、米山正夫の曲の良さが引き立っています。

ジャズ調の間奏に乗る、司会者・黛敏郎の語り。
「江利チエミうたうテネシーワルツ、美空ひばりのリンゴ追分。
戦後荒廃した焼跡に流れた、この二つの歌声によって、心を慰められた日本人は決して少なくなかったはずです。
この、チエミ・ひばりと並んで三人娘と言われた雪村いづみが『想い出のワルツ』を引っ提げてデビューしたのは昭和28年。雪村いづみ16歳のことでした」

「想い出のワルツ」
黛の語りでも紹介されています、雪村いづみのレコードデビュー曲です。
ポピュラーソングにクラシック音楽を合わせたような編曲、おそらく前田憲男なのでしょうが
これもソフト化されていないアレンジ。
2006年に私が観た舞台での話ですが、舞台へ出て来た雪村、どうも風邪気味だったらしく歌にキレがありません。
ところが、この歌をうたうとき、それまでの不調を吹き飛ばすような張りのある歌声を披露したことを今でも忘れることが出来ません。
雪村にとって、この歌は声質にも有った大事な持ち歌なのでしょう。

ここまで3曲、ワンコーラスづつ、メドレーでの披露でした。
舞台後方に三人娘が写った拡大パネルが掲げられていまして、1曲ごとに持ち歌にしていた歌手の顔がアップにされ、カメラに映し出されています。

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黛:「雪村いづみさんです。
今年になりましてから、雪村いづみさん、この番組に1度出て頂いたんですが、そのとき彼女は重大な発言を致しました。
"この3月20日で、ワタシ50の声を聞いちゃうのよ"と、こう言うんですね。
こういうことを言う日本人歌手はまことに珍しい。屈託のない彼女の人柄がにじみ出ているんですけども…本当にそうなんですか?」
雪村:「本当は四十なんです」
黛:「ああそう。四十にして随分老けてらっしゃいますね」
雪村:「ウワッ(と笑う)」
黛:「ま、とにかく歌い始めて35周年というのは本当?
雪村:「はい、そうなんです」

1987年6月の段階で、三人娘は江利チエミは既に亡く、美空ひばりは病いの床に伏していました。
その淋しさ・哀しみのなかを、笑顔でひとり歌い続ける雪村に、節目ということの他にエールを送る意味でも、番組でお祝いの企画を組もうと考えた黛敏郎の見識にまず感服。
「題名のない音楽会」は音楽の楽しさ・素晴らしさを紹介する名番組で在り続けた理由は、黛の尽力によるものであったことを実感させられます。
失った人の大きさが年々判って来ます。

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続いて黛、雪村いづみの芸名の由来の裏話や、初代三人娘の素晴らしさを指摘し、日本人で初めて「Life」誌の表紙を飾ったことに触れます。
黛:「歌唱力も演技力もあるいづみさんですから、日本のミュージカル界が放っておく訳はないんで、日本のブロードウェイミュージカルの確か第2作ですよね。
マイ・フェア:レディをチエミさんがやって、そのすぐ後ノーストリングスを、これを貴女がお演りになった」
雪村:「はい、菊田一夫先生がね、(まだ)お元気で、演出して下さいました」
黛:「昭和39年だったと思います」
雪村:「あっ、そうですか」
黛:「僕あのミュージカル、好きでね。とっても小粋な、洒落たね…当時大ぜい出てきて歌ったり踊ったり派手なのが多かったなかで非常に小粋な、登場人物も少ないし、音楽の編成も小さいし、まあ室内楽的なミュージカルでね、僕は貴女にぴったりだったと思うし…」
雪村:「粋だったですね」

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ここから雪村出演の名作ミュージカルのナンバーより4曲がメドレーで披露されます。
舞台後方には、出演時のスチール写真が拡大されパネルに張られ、設置。
曲の始まりの際には、1枚づつカメラに映し出されます。
なお、4曲共に英語での歌唱です。

ノーストリングスより「The Sweetest Sounds」
メイムより「Mame」
ウェストサイドストーリーより「Tonight」
マイウェアレディより「I Could Have Danced All Night」


「ノー・ストリングス」は1964年に芸術座で初演が行われました。
歌の訳詩は雪村本人が手掛けた、これだけでの雪村の熱意が伝わってきます。

水谷良重は、この舞台をアメリカで6回も続けて観るぐらいに気に入り「これをやらせてもらえるなら」という菊田一夫との口約束で松竹新派から東宝演劇部へ移籍します。
ただ、主演でという話は反故にされてしまい、水谷(良重)は菊田に涙の直談判を行い、菊田じゃ平謝りで「他の役なら何でも演らせるから」というヒトコマがあったとか。

これが遺恨を呼ぶ・・・となればゴシップ好きにはたまらないのでしょうが、ふたりは映画「青い山脈」で競演して以来の友人関係にありました。雪村も出来た人ですが、水谷も出来た人です。
それはそれ、これはこれ。サッパリと、楽しく舞台づくりをしたようです。

話がそれたついでに、水谷がラジオで話していたことを書きます。
数年前、NHKのテレビ番組の企画で水谷と雪村が競演したときの話です。楽屋が少ないということもあり、水谷は七光り三人娘の同士である朝丘雪路に東郷たまみと、楽屋が一緒になりました。
久しぶりに顔を合わせた三人、話はするものの、昔のように和気あいあいとはいかず、どこか距離感があったそうです。
そこへ、雪村がドアを開けてポーンと入って来て「アンタたちは良いわねえ、アタシたったひとりになっちゃった」(水谷、雪村が舞台でのトークで話しているような口調を真似ています)と言ったのだそう。それを聞いた途端、三人ズキンと応え、水谷はふたりがとてつもなく愛おしく思えてならなかったのだそうです。

この話、水谷はあくまで出来ごとと自分がそのとき思ったことだけを話していたのですが、私は憶測で物を言います。どうも、雪村が、三人の様子を察するか入口の前で眼に入ったか聞こえて来たので、それとなく機転を利かせたんじゃないかと思えてなりません。また、水谷もそれに勘付いているんじゃないかと思います。

「どんなにかトンコさんが淋しいだろうな」と、話す水谷の口調はあたたかさに満ちていました。

話を戻します。
出演者は雪村いづみ、高島忠夫に、先述の水谷良重(現:二代目水谷八重子)、藤原義江というのは知られていますが他にも浜木綿子、久慈あさみ、岡田眞澄、ジェリー伊藤、山田芳夫、早川令子といった顔ぶれが出演しています。前田美波里は、この舞台でのエキストラ出演が初舞台となったそうです。

「メイム」は1973年に日生劇場で上演されました。
これはもとは越路吹雪主演で幕が上がっていたのですが、肋骨を痛め舞台へ出演出来なくなります。
(製作側と何らかのトラブルが発生し、越路が怪我を理由に舞台を降りたという一説もあります)
急遽雪村へ代演の話が持ち込まれ、たまたま江利チエミから切符を譲られ初日の舞台を観ていたことも助けとなり、3日間で台詞や歌に踊りを叩き込み
幕を上げることが出来たという、雪村いづみ史でも有数の伝説です。

そして、この舞台が縁となり1974年、浅利慶太から「ウェスト・サイド・ストーリー」へマリア役での出演の話が持ち込まれます。
ミュージカルで使用される音域と、自分の音域の違いにボイストレーニングを行い必死で格闘し、上演中は足の指の骨折というアクシデントに見舞われながらも
演じ切ったというステージでした。

「マイ・フェア・レディ」は1976年に地方巡演というかたちで宝田明らとともに上演しました。
日本初演時、当初イライザ役は雪村いづみで行こうという話があったのですが、当時はアメリカで子育てに専念するつもりでいた雪村は辞退しました。
そしてイライザ役になったのは江利チエミでした。江利は、アメリカへ雪村のもとへ遊びに行った際も菊田一夫からのことづけを伝え出演を薦めたそうです。
そんな関係から、雪村は江利に悪いと悩みますが、既に江利が演じなくなって大分経っており、既に那智わたる、上月晃らも演じていたこともあり、引き受けます。
「踊り明かそう」は1965年にレコード吹き込みを行っており、CD化もされています。また近年もテレビ等でも歌われる機会があります。

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黛:「美空ひばりという人は演歌の女王であると同時に銀幕の女王でもありました。
また江利チエミさんは、ミュージカルのスターでありましたけれども、しかし、それよりもサザエさんその他で、お茶の間の人気者という色彩が強かった。
ひとり雪村いづみは歌ひとすじという感じがします。私も今、あの歌を聴いていて感じたんですけれども
たったひとつ彼女に欠点をあげるとすれば、それは歌がうますぎるということです。
あまり歌がうますぎるために、その…何ていうか…ついていけないような気持ちがする、ということが、たったひとつの欠点といえば欠点。
私、これ決して欠点ではない、最大の長所だと思うんですが、そういう感じがする」

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黛の、雪村への指摘はさすがです。
雪村いづみというひとは、90年代には自ら「コンビニ歌手」と称するほどに多種多彩なジャンルに挑戦し成果を上げて来ました。
ジャズ、ポピュラーソング、ミュージカルに、ニューミュージック、流行歌、シャンソンなどです。
音楽に対する人間の許容範囲は、残念ながら広い方ばかりではありませんし、好みがハッキリ出がちです。
それに加えて、日本人は何かのジャンルひと筋と絞っての活躍を好み、マルチな活躍をする人を軽んじる傾向もあります。

黛は言及していませんが、雪村は映画女優としても活躍しベルリン国際映画祭へも日本代表として参加した経験もある人です。
美空、江利の偉大さに隠れがちであることに加え、雪村の謙虚な姿勢で、なおのこと捉えにくいのですが、雪村いづみは偉大なひとなのです。

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黛:「リサイタルのときに、いつもお客が必ずリクエストする歌がある。それは『約束』という歌です。この歌を作ったのは当『題名のない音楽会』の構成者である藤田敏雄さんですが、藤田さんはご自分でこういうことを言っておられる。
"自分はこの歌を作るときに、ジャック・プレヴェールやポール・エリュアールのような、フランスの詩人たちがシャンソン・リテレールという歌を作った、そんな心構えでこの歌を作った"と言うんですね。
シャンソンリテレールというのは文学的なシャンソンという意味です。
そして、藤田さんはシャンソン・リテレールの精神と、さらに言うならば、たとえば『戦友』とか『孝女白菊』とか言うような日本の古い歌謡曲にある、あの物語性ですね、叙事性。日本の歌というものには叙情性はあるけれども叙事性が無いんです。物語が無い。ドラマが無い。
そういうドラマを、自分はこの歌に込めたかった。そして作ったのが『約束』という傑作の歌でした。
前田憲男さんが、まあほぼ処女作といっていいぐらいの、作曲を付けた歌です。
この歌は非常に長い歌なんです。ですから、テレビの番組ではなかなか歌ったことがない。
おそらく、あまりお聴きになった方もいらっしゃらないかもしれない。
しかし素晴らしい歌です。最後にこの歌をうたって頂いて番組を閉じたいと思います」

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昭和30年代半ばに作曲家の吉田正は歌謡組曲というかたちを試み、芸術祭参加リサイタル等ではそれが取り入れられるようになりましたが
一般的とまではいきませんでした。
それを破って登場したのが、丸山明宏(現:美輪明宏)の「ヨイトマケの唄」であり、雪村いづみの「約束」でした。
両横綱が開拓をおこなったのち、昭和40年後半に差しかかり、さだまさしが登場します。

雪村がさだまさしの唄に惚れ込み、さだ作品を唄うアルバムを出し、コンサートを行ったのは必然の流れだったのでしょう。
さだも先輩である雪村に敬意を表し、「虹 ~I'm a Singer~」という曲を書き下ろし彼女に贈りました。
これも雪村のコンサートでは欠かせない1曲です。

「約束」には多くのエピソードがあるのですが、長くなるのでここでは触れずにおきます。
歌唱力だけではなく、女優としての演技性も求められる大変難しい歌で、名曲として知れ渡っていてもカバーする人が殆どないのは、それを物語っているのではないでしょうか。
舞台で創唱した淀かほる(雪村盤が話題になった後、コロムビアからシングル盤が発売されました)、歌を広めた雪村いづみ、この両者のほかにはアルバムに岸洋子が吹きこんでいる以外に私は知りません。

今ふたたび脚光を浴びて欲しい1曲です。

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雪村いづみの歌い手としての顔はいくつもあります。
ただ、近年では三人娘のふたりの歌を歌い継ぐ面ばかりが強調されがちです。
そんな現状のなかで見たこの番組の充実ぶりは、ただただ、有難く溜飲が下がった想いに駆られました。
雪村いづみの顔でも、特に魅力的な面をクローズアップし、30分弱の時間を濃密し仕立て上げれていました。視聴していて、時代を超越した素晴らしいひとときを過ごすことが出来ました。

番組中で、黛は「彼女の歌には人生がある、豊かな人生経験がエディット・ピアフのように心の歌を歌わせた」と評し、「これから60歳になっても70歳になっても歌い続けて下さい」とエールを送りましたが、今年2013年雪村いづみは喜寿(数え年)を迎えますが、まだ唄っています。

昨2012年、雪村いづみは佐野元春プロデュースによる「トーキョー・シック」という新曲を発表し、現役ぶりを知らしめました。未発表の新曲もあるという話も聞いています。
不死鳥という名がふさわしいのは、本当には彼女なのかもしれません。

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「題名のない音楽会 雪村いづみ わが心の歌」(1987年6月21日放送)
出演:雪村いづみ
司会:黛敏郎

演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
指揮:福村芳一

企画:黛敏郎
構成:藤田敏雄
編曲:宮川泰、鈴木行一、前田憲男
美術:板垣昭次
舞台:監督平井智喜
照明:鈴木秀
音声:中島健次
技術:江原淳一
カメラ:辻井明
調整:大塚隆広
プロデューサー:中島睦夫
ディレクター:安藤仁

曲目
01:「テネシーワルツ Tennessee Waltz」
02:「リンゴ追分」
03:「想い出のワルツ Till I Waltz Again With You」
04:「スウィーテスト・サウンズ The Sweetest Sounds」
05:「メイム Mame」
06:「トゥナイト Tonight」
07:「一晩中踊り明かそう I Could Have Danced All Night」
08:「約束」

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by hakodate-no-sito | 2013-02-13 16:36 | テレビ | Comments(0)