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年齢不詳な若人が唄の話を中心にアレコレと・・・


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知られざる田端義夫の一面

田端義夫が逝った。94歳没。

もう何年も前から、重病説が飛び交っていて、一時は消息不明、はたまた死亡説まで耳に入って来たぐらいだ。2011年に朝日新聞の連載「うたの旅人」で、田端の「島育ち」が取り上げられた際に、病床にあることが触れられ、かろうじて存命であることが確認できた。

今回の訃報記事で、デイリースポーツが、最晩年の様子について触れていたので引用する。
http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/04/25/0005929298.shtml

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「田端さんの4番目の妻の長女で、田端義夫音楽事務所社長を務める宮田紗穂里さんによると、2010年3月31日に自宅で転倒し、病院に搬送。その際、胃潰瘍が見つかり、そのまま入院した。その後は、一進一退を繰り返しながらも、新曲、舞台への情熱を燃やし続け、時に看護師や家族にジョークを飛ばしながら闘病生活を続けていたという。しかし、今月24日に容体が急変。25日午前11時45分、家族に看取られ、永遠の眠りについた」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「4番目の妻の長女」と、ややこしい書かれ方をしているのは、確か3人目の夫人(ハワイの人だったと記憶している)との間にも娘がいるからだろう。

ハワイの人との間の娘とは昭和40年代だったと思うがステージで競演したことが芸能記事になっていた。
ジャスネという名前だったと思う。
2番目の夫人(だったと思う)との間に生まれた息子もGSの時代に音楽活動をしていたと聞いたことがある。

宮田紗穂里社長も、田端の自叙伝で歌手志望でレッスンに通っていることが記されていた。この社長の母親であり、田端の4番目の夫人も元歌手だったそうだ。

3年間の入院・闘病生活となったのは、胃潰瘍や転倒の予後がよくなかったことや高齢による体力低下・・・記事になっていない様々な出来事があったのだろうと推察する。それに加えて、持病の悪化もあったのではないだろうか。

自叙伝にも記してある話だが、田端は30年近く帯状疱疹を患っていた。
1984年夏、神経ブロック注射による治療の失敗で、下半身が不随の状態となった。
一時は車椅子で舞台に立つ覚悟で、車椅子の図面まで引いていたいたという。
歌への想いの強さからか、奇蹟的に病状は回復に向かい、翌1985年には歌手生活へ復帰している。

だが、痛みから解放されることは無く、特にハードなスケジュールが続くと、より激しい痛みが襲っていたという。ステージではおくびにも出さなかったが、楽屋ではぐったりと横になることが大半だったとも聞いている。

晩年の田端に恍惚の様子が見受けられるようになったのは、長年に渡るヘルペスとの闘病で使用していた薬の副作用で、肝機能が低下していたことが一因のように、私は思っている。

田端義夫、バタヤンへの想いを抱いている人は、私も含めて、かなりの人がいるはずだ。
だが、この闘病を知る人は意外にも少ない。
田端の素晴らしい舞台の裏側に、こういう話もあったということも、私自身の備忘録としても改めて記しておきたい。合掌。
by hakodate-no-sito | 2013-04-25 18:54 | 歌・唄・うた