年齢不詳な若人が唄の話を中心にアレコレと・・・
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唄い続けて半世紀 舟木一夫コンサート
2013年5月14日、肌寒い夕暮れどき。
湯の川にある、函館市民会館の前に、私は来ていた。
「何年ぶりかな、最後に来たのは小沢昭一を観に行ったときだから、えーと・・・」
函館市民会館は、幼稚園~小学校~中学~高校と、ずっと縁があった。
大ホールへは何十回と客席に座っている。舞台にも立っている。
小ホールも含めて、社会見学の一環として、舞台製作・利用者として、観客として、隅から隅まで見て回っている。旧知の仲といってもいい、懐かしい建物だ。
最後に来たのは、小沢昭一の口演のとき以来になるが、あのときはマチネーというのか昼下がりの公演だった。夕刻~夜に、ここへ来るのはいつ以来なのだろうか。
「もしかしたら、布施明のコンサートのとき以来かもなぁ・・・」
布施のコンサートは、私が高校三年のときに観たはずだから、そうすると、約8年ぶりになるのか。随分とご無沙汰をしていることに気付くと苦笑したくなった、これでは昔の女じゃないか。
入り口前は、込み合っているとまでは行かないが、並ぶ必要はある程度に人はいた。
格安招待券が出ているようでは、随分淋しい客入りになっているのではないかと思ったが、そうでもないらしい。ちゃんと正規ルートで、良い席を買っている人もいれば、私のように割引券持参で当日チケットを求める人もいる。
コアなファンだけではなく、一見さんも気軽に来られるように、ちゃんとバランスが取れているようだ。ホッとする。
ロビーでは、多くのグッズが売られている。
生写真(プロマイド)、シャツ、写真集(数種類存在)、タオル、うちわ、キーホルダー、ストラップ・・・歳は重ねどもアイドル的存在であることに変わりはないらしい。
さすがは、御三家。今でも大劇場で座長公演が出来る人気を持っている人だけある。
「おや、CDは売っていないのか」
あった、あった。ただし、コーナーはシャツやプロマイドを売っているコーナーより小さい。
DVD、CDアルバム、シングルCD、シングルカセットと取り揃えている。
安値で観ることが出来たので、何かお土産がわりに買っておこうと思った。
手に取ったのはシングルCD「明日咲くつぼみに」。
これは昨年発売した舟木一夫のシングル盤だ。
もとは永六輔が、親しくしていた三波春夫のために作った歌になる。
「歳を取って「俵星玄蕃」や何かが歌えなくなった、晩年に歌えるような曲を」という想いで作られたのだが、CD発売こそされども、ステージで歌う機会はほぼないまま、三波は病に倒れ、逝った。
数年前、三波春夫の特集番組でこの歌が取り上げられた際、たまたま舟木がその番組を観ていて、自分も歌いたいと申し出て、シングル化されたのだ。
昨年、NHK歌謡コンサートで、この歌を披露している姿を見て、「ああ良い歌だな、良い感じに歌っているなあ」と印象に残っていた。この歌の存在が、この会場へ足を運ばせるきっかけになったといってもいい。
いよいよ、ホールの中へ入ると、人の熱気なのか、スモークなのか理由かわからないが、薄く霧がかっている。
60~70歳代の女性で賑わっていた。
見渡す限り、昔のお嬢さんばかりだ。
夫婦連れだって来ている人も、そこそこいる。
だが、張り切っている女性陣と対象に、男性陣はあまり元気がない。
運転手がわり、付き人がわり、留守番させるとかえって手間がかかるから連れて来られた・・といった感がアリアリとしている。
男女間の平均寿命の差はここにあるのだろう。
くだらぬことを考えているうちに、開演5分前のブザーが鳴り、アナウンスが聞こえ出す。
携帯電話の電源を切るかマナーモードにして欲しい、という定番の注意のあとに「ペンライトの使用はステージ構成の妨げになりますので、お止めください」ということば。
KAZUO FUNAKIでペンライト!?
え、え、え。
改めて、プロマイド(生写真)や写真集が売られているだけあることを認識。
これから始まるコンサート、果たしてどんな世界が待っているのだろう。
―まもなく、開演いたします。
いよいよ、ショータイムが始まる。
幕が開く。
ステージ中央に設けられた階段を降りながら、舟木一夫は唄い始めた。
題名はよく知らないが、何となく聞き覚えのある歌だ。
唄い終えると、「いやースミマセン、実は昼の公演のときに言い忘れていたことがあるんです。・・・ようこそ、いらっしゃいました。ラストの歌うたいながら、『アレ、俺、さっき挨拶したっけ』なんて初めてそこで気付きまして・・・昼の分も合わせて、ようこそいらっしゃいました」
全然気張っていない。
大人の余裕というのか、「同世代同士、気軽にリラックスして楽しみましょう」という雰囲気で全編進められていった。
曲の合間に挟まるMC(お喋り、トーク)も、ベテランだけあってうまい。
多少誇張を交えながら、しっかり笑いを取っていく。
話す長さも適切。MCが長くなり過ぎることは戒めているようで、その辺も好感が持てる。
一世を風靡した人だけにヒット曲も多い。
私は舟木一夫にさして関心がないし、事前におさらいもしていないので、パッと題名が出てこない曲がままあるのだが、それでもどこかで聞き覚えがある。
まったく知らない曲、よく知っている曲、何となく知っている曲。
コンサートで聴く歌を、3種類に分けてみる。
よく知っている曲は、やはり盛り上がる。
何となく知っている曲だと、好きな人はワーっと来るが、そうでもない人はふーんと来る。
まったく知らない歌を聴くのは、なかなか大変だ。
聴いたところで、受け入れられるかというと、これもまた大変だ。
舟木一夫のコンサートの場合、この3種類の歌の割合が絶妙だった。
ベースは全盛期のヒット曲。大ヒット中ヒット織り交ぜる。
その中に、サラッと近年の曲が盛り込まれている。繋ぎ方がうまいのだ。
客側のペース配分ということもよく考えている。
だから、どの歌も流れでスンナリと聴けるし、またチャンと聴かせるだけの力がしっかりとあるのだ。
「昔の名前で出ています」だけではない、今の魅力を持ち合わせている。
近年のレパートリーとして唄っている「浮世まかせ」「船頭小唄」の味は、若い頃には出せないものだ。
私だけがそう思っていたのでないらしく、コンサート終了後、「今の歌、入ってないの!?」と言いながら、CD販売コーナーに群がる、一見のオバサンがいっぱい居た。
全盛期のような張りのある歌声が失われていることが気にかかり、長く興味が持てずにいた舟木一夫なのだが、いざステージを鑑賞してみると、その考えを改める必要があることに気付いた。
前述した通り、舟木のコンサートの雰囲気は、緊張感を有するものではなく、「同世代の皆さん、リラックスして楽しみましょう」という類のものだ。
だから往年の歌いっぷりよりも、現状の肩の力の抜けたロートーン的な歌い方の方が確かに楽に聴ける。
勿論、声質の衰えという問題もあって、それを踏まえたうえで、どうすれば良いステージになるかを考えた末に生まれたのが、今のコンサートの雰囲気であり、唄い方なのだろう。
雰囲気というのは、ものによっては、なかなか映像からは伝わりにくい面もある。
だから場の空気を知らず、映像だけで見ても脳内補完できなかったりする。
舟木は座長公演やコンサートで満員御礼が今でも出せる人なのに、テレビで見ても一向に魅力がわからなかった。その理由が、わかったような気がした。
満員御礼というと、函館の地でも舟木一夫人気は健在であった。
舞台の左右に3つづつ、横長のテーブルが置かれてあり、何なのだろうと思っていたら、ファンが持ってくる花束置き場なのだ。
2曲目、3曲目、4曲目と唄う間に、ゾロゾロとファンのおばさまが花束や紙袋を持ってステージへ駆け寄ってくる。それをひとつひとつ受け取り、握手をして帰す舟木。
あの姿勢、腰に負担がかかるだろうと思うのだが、テーブルまで用意しているところをみると、ファンサービスの一環として、また舞台の彩り・アクセントとして位置づけて、大事にしているのだろう。
50年の歌手生活。
紅白落選に、数度の自殺未遂騒動なども重なり、低迷期も長くあった。
プレ30周年コンサートの成功で第一線に返り咲き、今日に至るが、その低迷期のことがあるからこそ、一層ファンを大事にしているように感じた。
「まずは55周年を目標にそこまではやろうと思っております。皆さん、そのときもコンサートに来られるだけの体力を維持し続けて下さい」という言葉は笑いにくるんであったが本心だろう。
もっとも「銭形平次」を唄ったときに、会場の2/3近く(=良い席で見ている方々)が立ち上がり、手拍子を行い、間奏の間にラケットでサインボールを飛ばすアクションのときには、我も我もと群がるファンの姿は、5年はおろか20年ぐらい余裕で元気そうなパワーに満ち溢れていた。
まだまだ、舟木一夫人気は安泰だろう。
余韻に浸りながら、コンサート中で最も盛り上がった「学園広場」を口ずさみながら、帰路に着く。
楽しい夜だった。
湯の川にある、函館市民会館の前に、私は来ていた。
「何年ぶりかな、最後に来たのは小沢昭一を観に行ったときだから、えーと・・・」
函館市民会館は、幼稚園~小学校~中学~高校と、ずっと縁があった。
大ホールへは何十回と客席に座っている。舞台にも立っている。
小ホールも含めて、社会見学の一環として、舞台製作・利用者として、観客として、隅から隅まで見て回っている。旧知の仲といってもいい、懐かしい建物だ。
最後に来たのは、小沢昭一の口演のとき以来になるが、あのときはマチネーというのか昼下がりの公演だった。夕刻~夜に、ここへ来るのはいつ以来なのだろうか。
「もしかしたら、布施明のコンサートのとき以来かもなぁ・・・」
布施のコンサートは、私が高校三年のときに観たはずだから、そうすると、約8年ぶりになるのか。随分とご無沙汰をしていることに気付くと苦笑したくなった、これでは昔の女じゃないか。
入り口前は、込み合っているとまでは行かないが、並ぶ必要はある程度に人はいた。
格安招待券が出ているようでは、随分淋しい客入りになっているのではないかと思ったが、そうでもないらしい。ちゃんと正規ルートで、良い席を買っている人もいれば、私のように割引券持参で当日チケットを求める人もいる。
コアなファンだけではなく、一見さんも気軽に来られるように、ちゃんとバランスが取れているようだ。ホッとする。
ロビーでは、多くのグッズが売られている。
生写真(プロマイド)、シャツ、写真集(数種類存在)、タオル、うちわ、キーホルダー、ストラップ・・・歳は重ねどもアイドル的存在であることに変わりはないらしい。
さすがは、御三家。今でも大劇場で座長公演が出来る人気を持っている人だけある。
「おや、CDは売っていないのか」
あった、あった。ただし、コーナーはシャツやプロマイドを売っているコーナーより小さい。
DVD、CDアルバム、シングルCD、シングルカセットと取り揃えている。
安値で観ることが出来たので、何かお土産がわりに買っておこうと思った。
手に取ったのはシングルCD「明日咲くつぼみに」。
これは昨年発売した舟木一夫のシングル盤だ。
もとは永六輔が、親しくしていた三波春夫のために作った歌になる。
「歳を取って「俵星玄蕃」や何かが歌えなくなった、晩年に歌えるような曲を」という想いで作られたのだが、CD発売こそされども、ステージで歌う機会はほぼないまま、三波は病に倒れ、逝った。
数年前、三波春夫の特集番組でこの歌が取り上げられた際、たまたま舟木がその番組を観ていて、自分も歌いたいと申し出て、シングル化されたのだ。
昨年、NHK歌謡コンサートで、この歌を披露している姿を見て、「ああ良い歌だな、良い感じに歌っているなあ」と印象に残っていた。この歌の存在が、この会場へ足を運ばせるきっかけになったといってもいい。
いよいよ、ホールの中へ入ると、人の熱気なのか、スモークなのか理由かわからないが、薄く霧がかっている。
60~70歳代の女性で賑わっていた。
見渡す限り、昔のお嬢さんばかりだ。
夫婦連れだって来ている人も、そこそこいる。
だが、張り切っている女性陣と対象に、男性陣はあまり元気がない。
運転手がわり、付き人がわり、留守番させるとかえって手間がかかるから連れて来られた・・といった感がアリアリとしている。
男女間の平均寿命の差はここにあるのだろう。
くだらぬことを考えているうちに、開演5分前のブザーが鳴り、アナウンスが聞こえ出す。
携帯電話の電源を切るかマナーモードにして欲しい、という定番の注意のあとに「ペンライトの使用はステージ構成の妨げになりますので、お止めください」ということば。
KAZUO FUNAKIでペンライト!?
え、え、え。
改めて、プロマイド(生写真)や写真集が売られているだけあることを認識。
これから始まるコンサート、果たしてどんな世界が待っているのだろう。
―まもなく、開演いたします。
いよいよ、ショータイムが始まる。
幕が開く。
ステージ中央に設けられた階段を降りながら、舟木一夫は唄い始めた。
題名はよく知らないが、何となく聞き覚えのある歌だ。
唄い終えると、「いやースミマセン、実は昼の公演のときに言い忘れていたことがあるんです。・・・ようこそ、いらっしゃいました。ラストの歌うたいながら、『アレ、俺、さっき挨拶したっけ』なんて初めてそこで気付きまして・・・昼の分も合わせて、ようこそいらっしゃいました」
全然気張っていない。
大人の余裕というのか、「同世代同士、気軽にリラックスして楽しみましょう」という雰囲気で全編進められていった。
曲の合間に挟まるMC(お喋り、トーク)も、ベテランだけあってうまい。
多少誇張を交えながら、しっかり笑いを取っていく。
話す長さも適切。MCが長くなり過ぎることは戒めているようで、その辺も好感が持てる。
一世を風靡した人だけにヒット曲も多い。
私は舟木一夫にさして関心がないし、事前におさらいもしていないので、パッと題名が出てこない曲がままあるのだが、それでもどこかで聞き覚えがある。
まったく知らない曲、よく知っている曲、何となく知っている曲。
コンサートで聴く歌を、3種類に分けてみる。
よく知っている曲は、やはり盛り上がる。
何となく知っている曲だと、好きな人はワーっと来るが、そうでもない人はふーんと来る。
まったく知らない歌を聴くのは、なかなか大変だ。
聴いたところで、受け入れられるかというと、これもまた大変だ。
舟木一夫のコンサートの場合、この3種類の歌の割合が絶妙だった。
ベースは全盛期のヒット曲。大ヒット中ヒット織り交ぜる。
その中に、サラッと近年の曲が盛り込まれている。繋ぎ方がうまいのだ。
客側のペース配分ということもよく考えている。
だから、どの歌も流れでスンナリと聴けるし、またチャンと聴かせるだけの力がしっかりとあるのだ。
「昔の名前で出ています」だけではない、今の魅力を持ち合わせている。
近年のレパートリーとして唄っている「浮世まかせ」「船頭小唄」の味は、若い頃には出せないものだ。
私だけがそう思っていたのでないらしく、コンサート終了後、「今の歌、入ってないの!?」と言いながら、CD販売コーナーに群がる、一見のオバサンがいっぱい居た。
全盛期のような張りのある歌声が失われていることが気にかかり、長く興味が持てずにいた舟木一夫なのだが、いざステージを鑑賞してみると、その考えを改める必要があることに気付いた。
前述した通り、舟木のコンサートの雰囲気は、緊張感を有するものではなく、「同世代の皆さん、リラックスして楽しみましょう」という類のものだ。
だから往年の歌いっぷりよりも、現状の肩の力の抜けたロートーン的な歌い方の方が確かに楽に聴ける。
勿論、声質の衰えという問題もあって、それを踏まえたうえで、どうすれば良いステージになるかを考えた末に生まれたのが、今のコンサートの雰囲気であり、唄い方なのだろう。
雰囲気というのは、ものによっては、なかなか映像からは伝わりにくい面もある。
だから場の空気を知らず、映像だけで見ても脳内補完できなかったりする。
舟木は座長公演やコンサートで満員御礼が今でも出せる人なのに、テレビで見ても一向に魅力がわからなかった。その理由が、わかったような気がした。
満員御礼というと、函館の地でも舟木一夫人気は健在であった。
舞台の左右に3つづつ、横長のテーブルが置かれてあり、何なのだろうと思っていたら、ファンが持ってくる花束置き場なのだ。
2曲目、3曲目、4曲目と唄う間に、ゾロゾロとファンのおばさまが花束や紙袋を持ってステージへ駆け寄ってくる。それをひとつひとつ受け取り、握手をして帰す舟木。
あの姿勢、腰に負担がかかるだろうと思うのだが、テーブルまで用意しているところをみると、ファンサービスの一環として、また舞台の彩り・アクセントとして位置づけて、大事にしているのだろう。
50年の歌手生活。
紅白落選に、数度の自殺未遂騒動なども重なり、低迷期も長くあった。
プレ30周年コンサートの成功で第一線に返り咲き、今日に至るが、その低迷期のことがあるからこそ、一層ファンを大事にしているように感じた。
「まずは55周年を目標にそこまではやろうと思っております。皆さん、そのときもコンサートに来られるだけの体力を維持し続けて下さい」という言葉は笑いにくるんであったが本心だろう。
もっとも「銭形平次」を唄ったときに、会場の2/3近く(=良い席で見ている方々)が立ち上がり、手拍子を行い、間奏の間にラケットでサインボールを飛ばすアクションのときには、我も我もと群がるファンの姿は、5年はおろか20年ぐらい余裕で元気そうなパワーに満ち溢れていた。
まだまだ、舟木一夫人気は安泰だろう。
余韻に浸りながら、コンサート中で最も盛り上がった「学園広場」を口ずさみながら、帰路に着く。
楽しい夜だった。
by hakodate-no-sito
| 2013-06-05 06:43
| 歌・唄・うた