年齢不詳な若人が唄の話を中心にアレコレと・・・


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「父・川内康範を語る」飯沼春樹

ここに載せるのは2013年6月8日に函館市公民館で開催されたイベント「月光仮面は函館生まれ ~川内康範氏の心を辿る~」で、川内康範氏の実子・飯沼春樹氏が語ったことを、その日の深夜、私函館のシトが記憶を手繰り寄せながら記したものです。私の記憶違い等がある可能性もあり、飯沼氏が意図したニュアンス等とズレがある可能性もあります。そのあたりをご承知頂いた上で、お読みくださいますよう、お願いいたします。

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ただいまご紹介に預かりました飯沼です。私は父とは2歳のときに別れておりまして、あまり行き来もございませんでした。父に対する思いは複雑な思いがありますので、職業の弁護士口調で淡々とお話するつもりですが、時に詰まったりするかもしれません。×時半までだから45分・・・保つかな。何とか頑張ります。

函館には祖父(康範の父。僧侶)が居て、手紙が来て「逢いたい」というので×歳(失念)のときに、当時は新幹線なんてありませんので上野から急行に乗って、青函連絡船に乗り継いで来たのが初めで、そこから20回ちょっと函館には来ておりまして、まあ縁のある土地なんです。

そして「月光仮面」というものにも私的な思い入れがありまして、今回お話を頂いて、どうしてもお力になりたいと思って、参った次第です。

父とは×歳(これも失念、小学校中学年ぐらいの年齢だったと思う)のときに、逢いたいと手紙があって大阪で逢ったのが、初めて父に会った記憶となります。
「月光仮面」が始まったとき、うちにはまだテレビがなかったんですが、じきに手に入り、見ていました。

さっきの映像を見ますと、特撮も円谷プロがやっていたものの前で、今見ると、時代の流れというか、何だかコントのようですが、当時は違和感なく、楽しんで見ていました。

まあ、あるとき母が、これを書いたのはお前の父親だよと教えてくれました。
父が、「私もこれを見るのではないか」という思いで書いているのではないかと、私に向けて書いてくれているのではないかと思った。
他にもいろいろ子ども向けの特撮ものは書いておりますが、やはり「月光仮面」。
どうしても私には「月光仮面」は特別な思い入れがあります。

父に会う前だったか、映画館で父の姿を見たこともあるんです。「月光仮面」か何かの映画があって、書斎に座っている父が1シーンだけ出てきた。最初は背中を向けていて、クルッと回って、やあと挨拶をする程度の短いものだったんですが、ああこの人が父なんだ、と。

でも、母は別れている夫の作品だから連れてって欲しいとは頼めない、継父にはなおさら。だから子どもだけでこっそり見に行ったら、あとで先生にわかって大目玉を食らいました。

父と母が初めて会ったのは昭和20年頃。戦後まもない頃です。
千人針を貰った御礼に、当時母が住んでいた福島の、今のいわきへ訪ねて来たのが最初なんです。そういうところは本当に律儀な人で。
戦争が終ってすぐの頃は、男の人は兵隊さんに行って、そのまま亡くなったりまだ帰って来なかったりして、数が少なかったんですね。結婚相手になる人が少なかった。
まあ、そういうこともあって、恋仲になって、いろいろやり取りしているうちに父がいわきまで来て、結婚ということになって、昭和23年に僕が生まれたんです。

1年ぐらいは、そのままいわきに居たんですが、文筆で身を立てたいという思いもあって、大阪の岸和田、だんじりやNHKの朝のドラマ「カーネーション」、コシノ三姉妹がモデルの、あの土地に移るんですね。丁度祖父がそこに土地を持っていまして、空き家があったんです。

その頃の話を母から聞きましたが、激しい人だったようです。
近所の子どもがうるさくて原稿が書けないと、隣の家に文句を言いに行ったり、母が饅頭が好きで、たまたま原稿料が入って、それで父が饅頭をお土産に買って帰ったそうですが、この貧乏なときに何が饅頭だと母が怒ったら、バーッとその饅頭を外に全部放り投げたり。
とにかく貧乏で、別れてから数年してからバーッと名が知れるようになって、あと数年辛抱しとけばよかった、なんて笑ったこともありました。

そうこうしているうちに、父は「やはりここじゃだめだ、東京で一旗上げたい」と上京します。
父は母にも一緒に来るように言ったそうですが、東京に行ったら住む場所すらおぼつかなくなる。岸和田に居れば、とりあえず住む場所は確保できる。それに東京に出たところで成功するとは限らない。
まあ、そう考えて母は私と残ることを決心したようです。まあ、そのときはいずれ迎えに来るという気持ちがあったようなんですが、3年も離れているうちに夫婦関係が破綻してしまって、夫婦別れということになりました。

そのとき、父から手紙を貰いました。
なるべく読まないようにしていて、ちゃんと目を通したのは亡くなった後でした。
プログラムに載せてあるのが、それです。
康覚(こうかく)と書いているのは、姓名判断で祖父がこの名前に変えろと言って来たからで、父も本名は潔なんですが、康範と変えていて。
私も変えろということだったんですが、母が断りまして、春樹のままです。

母が再婚したのはそれから●年後(注これも失念。3年だったか5年だったかと思う)です。
母は離婚して旧姓に復して、当時は選択なんて出来ませんでしたからね、それから結婚して飯沼姓になって。私の方は、子どもは離婚してもすぐ名前は変えられないんですね、家庭裁判所に行って申請を出して初めて変えられる。で、私は養子縁組手続きで川内から飯沼姓になって、今日に至っています。

継父も結婚に一度失敗していて、子どもが二人あったんですが、母親の方に引き取られまして。丁度、私のひとつ上と、ひとつ下で。近所、目と鼻の先に住んでいて、同じような年齢で自分の子どもに重なるものがあったんでしょう、それで可愛がってくれて、結婚と。

父は、飯沼の継父にも会ったことがあるようです。私をよろしくということだったんでしょう。律儀な人でしたので。
別に父は浮気して別れたわけではないので、私は恨んではいません。ですが、父には辛い思いをさせた負い目があったんでしょう、断種をしたようで、実の子どもは私一人です。

飯沼の継父は子どもを取られていますし、再婚して子どもが出来ることもなかったので、子どもは私ひとり、期待の星というプレッシャーはありました。私もまたちゃんとしないと飯沼の継父に申し訳ないという思いがありました。

母方の家がみんな大学出、高学歴で、私も大学に通えました。
父は小学校卒業で、その辺もいろいろ風あたりが強かったらしく、母もなんで、という思いがあったようです。

今は割と簡単に離婚ということが出来ます、私のところにもそういう依頼は多いです。でも、子どもは繊細なもので心に深い傷が付いたり・・・子どものことを考えて、よく考えたうえで結論を出していただきたいです。

おふくろさん騒動、あれはいろいろありました。
問題になったのは、森さんが「おふくろさん」の前に、ヴァース、語りをつけて唄っている。
その内容は、いけないボクチャンでごめんなさい、というような内容で、森さん自分のことを歌っている。
川内本人はそんな、自分が悪い子だったなんて思っていない。

川内の母は昭和19年だったか18年だったかに、随分早く亡くなっている。
まだ僧侶になってなかった祖父が「僧侶になる」と、突然見延だかどこかへ行ってしまって、いろいろ大変な思いを若い頃からされたようです。
父の生家というのが小さなお寺で、当時函館に砂山というところに乞食部落がありまして、そこにお供えものを母親が持っていったようなんです。
父は、何もせずに施しを待っているなんておかしいじゃないかと言ったそうなんです。
そうしたら、母親は「人にはみんなそれぞれ事情があって、身を落とした人もいる。そういう人たちを少しでも助けて差し上げるのが仏の道なんだ」と話したそうで、父にとってそれは随分影響のある言葉だったようです。

まあ、そういうこともあって「どういうことだ」と「話に来い」となったんですけど、森さんは怖かったらしく行かなかったらしい。
それが結局いろいろこじれて、ああいうことになった。

「おふくろさん」という歌は、世間の母の愛を唄った歌で、森さんの母親を歌った歌じゃないんです。川内はそう書いていない。

「おふくろさん」を歌ってくれるなということは法律上はそんなこと出来ません。私も弁護士ですので、その辺のことはよくわかっています。
あれは、師匠格として弟子に言ったものです。
まあ、もともと激情的なところはありましたが、歳を取って、老いも少し出てきていて、正直格好悪いことになってしまって。

あの騒動があったとき、私も知っている人からいろいろ言われました。
何とかしなくていいのか、何とかしなくていいのか、って。
でも、そのうちに父が亡くなって。

あのとき、父の奥さんは入院していて、父はひとりだった。
まあ、そういう理由も重なって、ああいうことになった。

父の葬儀は私は出ていないのですが、カメラや何かいろいろ来て、それで別の棺桶やら何やらを担いで「こっちだ!」と目を向けさせる隙に、反対側から運んだり大変だったそうです。
私の方は、まあ父の偲ぶ会を東京の●●ホテル(注・失念)で行うことにしまして、まあ、そのときに、父が生前親しくしていた亀井静香先生にお会いして、先生があの騒動のあとに父に会って話を聞いたそうです。そうしたら「俺も本当はやめたいんだよ、でも引くに引けない」と話していたそうです。

本当は誰かとりなしてくれる人がいたらよかったんですが、父もそのとき高齢で、86だがそのぐらいの歳になっていて、普通だったら「もういいじゃないか」ととりなしてくれる人がいるんですが、それぐらいになると、もう目上の人がいない。

奥様はずっと入院なさっていて、私も殆ど逢っていませんでした。
でも、父が亡くなって、本当は川内姓を名乗る誰かがいれば、と思うんですが、子どもは私一人ですので。

最初、川内康範の話に苗字が違う飯沼が出てくるのは違うんじゃないかという思いがあって、伏せて、やろうと思っていました。

妻にも実は反対されました。ああいうかたちで知られてしまった人なので、子どもや孫にいろいろあったら困ると。
でも、私は弁護士ですので、何かひとつ決断をすれば敵味方が出てくるのは仕事柄もわかっておりますので、これは。

父は今でも熱心なファンが多いようで、私が行ったことに対して、賛否両論。インターネット、古い人間で私は全然やらないんで関係ないんですが随分怒っている人がいるようで、私は見ないんですが、息子が見ていたようで、普段は口も聞かないのに、そのときばかりは優しくなりまして。
あるとき、「お父さん、おもてに出るときは気をつけた方がいいよ」なんて大真面目に言いました。
まあ、それだけ父には熱いファンがいるということで、ありがたいことだと思っております。

私はあまり父の息子だということを人には話してなくて、あの騒動のときに初めて知ったという人が随分大勢いらっしゃいました。
別に隠していたというわけではないんですが、まあ、あまり口に出して言うことはありませんでしたし、また父も息子がいるということは言わなかったみたいで、お互いにどこか遠慮しあっているようなところはありましたね。

父が亡くなって、さあどうしようとなったときに相談へ行ったのは長良さんという芸能プロダクションの社長さんです。去年だったか、もうお亡くなりになりましたが。えー水森ナントカさん、かおりさんなんかを手がけていらした方で。最初は水原弘さんのマネージャーなんかもされていたようです。

水原さんという人は、豪快で、パーっと飲んだり騒いだりしてお金ばらまくのが好きな方だったようで、そのうち借金で首が回らなくなったりして、父に助けてほしいと。
そのときに書いたのが「君こそ我が命」だったようです。

芸能界には三大プロというのか、何から何までひとつの流れで、全部自前で出来るようなところが三つありまして。長良プロの長良さんと、バーニングの周防さん、ケイダッシュの川村さん。あとはジャニーズ事務所。と、まあ、こういう流れがありまして。

長良さんは父に連れられたことがありまして、前にお会いしたことがあって知っていたんです。
それでご相談しに行ったら、「お前、親子であることをヘタに伏せたら、問い合わせが殺到して、事務所が仕事にならなくなる。それよりも、きちんと親子であることを名乗って出た方がいい」と勧められまして。それで。

森さんとはお会い、勿論しています。
森さんはどうも私が川内の息子だっていうことを知っていたようなんです。銀座に川内の息子の弁護士がいる。まあ話せばわかる普通のやつだから、話せば何とかなるんじゃないか、って。
でも、まあ来にくかったんでしょうね。

饅頭でも羊羹でもそうなんですが、父は下戸で甘党だったんですね。
暇があれば、ムシャムシャ羊羹を一本まるごとよくかじっていたようです。
糖尿…には何とか踏みとどまってなっていなかったようです。

勿論、森さんは歌えるということを大変喜んでおられました。
森さんも何とか取り成して貰えないだろうかと、長良さんにお願いしていたそうなんですが、長良さんは父の弟子のようなものですから、「おまえはすっこんでろ」と言われたら、もうそれ以上どうしようもないわけで。

父は森さんが息子のように可愛かったんだと思います。年齢的に近しいところもありますし。
だから、父にとって絶対である「おふくろさん」の歌を唄わせた。

私が「おふくろさん」の封印を解こうと思ったのは、まあこのままではいけないと思ったのもありますが、年末その人が亡くなったら、歌番組で、いろいろありますでしょう、レコード大賞、あといろいろ紅白だとか。それで唄って欲しいと思った。

紅白って、唄う歌は歌手が決めるんじゃなくてNHKが選ぶんです。で、NHKも選曲するにはギリギリで。私も計算しまして、9月の下旬ぐらいから話を進めて10月のはじめにあの記者会見ということになりました。

あの後、私のところにも二人ほど訪ねて来られた方がありました。
ご本人ではなく、母親が「おふくろさん」のファンで、あの歌が大好きでずっと歌っていたんだ、もう大事な歌なんだ、今回のことで胸を痛めていたけど本当に有難いと。

父にはいろいろ代表作がございますけれども、やはり「月光仮面」、そして歌は「おふくろさん」に尽きるんじゃないかと私は思います。

ああ、丁度時間となりましたので、これで終らせて頂きます。ありがとうございました。
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by hakodate-no-sito | 2015-06-08 23:58 | つぶやき | Comments(0)