年齢不詳な若人が唄の話を中心にアレコレと・・・


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京塚昌子のはなし

♪そそっかしくて お人好し 
    ちっとも美人じゃないけれど 
         おふくろの味 蕎麦の味

この唄の歌詞を見て、「ああ・・・」とくる人はもう中年です(笑)
これはTBSの人気ホームドラマ『肝っ玉かあさん』の主題歌です。

日本の四大お母さん女優と呼ばれた京塚昌子。
(ちなみに残りの3人は森光子、山岡久乃、加藤治子)

森さん、加藤さんは現役バリバリですし、山岡さんは最近異様なまでにウィキペディアに情報が載っています(割と正確な記事です)。

でも、京塚さんの話は「杉田かおるをいじめてたオバサン」だけ…。

それじゃあんまり。
ということで、実は以前調べたことがありました。
…正直言って壮絶でした。
何とも複雑な…あの明るい、人のよさそうな人が実は・・・というような。
でもそれが人間、いや女優なのかもしれません。
そう思うしかなかったのを覚えています。
ちょっと幾つか記事をもとに書いてみました。
よかったら読んでやって下さい。


「いつのまにかすごく善良な母親像に仕立てらっちゃってるんですが、でもね私も女ですもの。本当の私ってヒネてますよ」
―こう生前、インタビューの際に京塚は答えている。e0134486_4151280.jpg

京塚昌子
本名・平塚マサ子は、東京は根津の精肉店の娘として、昭和5年3月16日に生まれた。
下町育ちということもあってか幼い頃から芸事が大好き。
そんな京塚さんは16歳の時、研究生として新派へ入る。
京塚昌子の芸名はその際、師匠である花柳章太郎から名付けられた。
当時を知る人によると、やはり若い頃から光るものがあり、大成するオーラがあったという。

新派の新人女優として順調にステップを踏んでいた京塚だが、とんでもない事態が襲う。
22歳のとき、盲腸の手術を受けて以来、体質が変わり、それまでのほっそりとした、スリムな体型からドンドン太り始めたのだ。

演劇、こと新派の世界では柳腰の美人が好まれる世界。体の線は太いことは致命的であり、主役の座には望めない可能性が極めて高い。
その才能を高く評価していた花柳章太郎から「17貫(約64キロ)を超えたら役者は辞めろ」と厳しい言葉をかけられたものの、どうにもならず、その16貫はあっさり超えてしまった。

さらに京塚に、悲劇が襲う。
27歳の時、使用したアメリカ製の痩せ薬が原因で生理が止まってしまったのだった。

それでも、その演技力の冴えはさらに上がり、昭和30年、25歳のときには「月夜鴉」でついに主役の座をつかむ。この年には「離れ猪」「太夫さん」で芸術祭奨励賞を受賞。
女優/京塚昌子は、一歩一歩確実にその地位を高めていった。

この頃、京塚にはパトロンが出来た。自動車会社の重役だった。
彼の援助で築地に料亭「京弥」を開店、女優との二足の草鞋を履くようになる。
それとは別に映画スターとの恋愛もあったがあえなく破局。

その2枚目スターと別れた直後から、料亭の女将仲間と連れ添って、新橋烏森駅近くにあったゲイバー「やなぎ」に足しげく通うようになる。
最初は物珍しさ(当時ゲイバーは日本に数件しかなかった上、やなぎは会員制だった)と気分転換のつもりだった京塚だか、次第に様子が変わってきた。

恋をしたのだった、ひとりのゲイボーイに。

そのゲイボーイの名は駒千代(源氏名)。
芸者姿で三味線を弾き、長唄を聴かせるお駒さんに京塚は魅せられた。
また、ほぼ毎晩通う京塚に対し、お駒さんもお得意さまとして尽くした。
京塚の舞台に、応援団として店員全員で芸者姿で見に行ったこともあった。

当時、京塚は石井ふく子にこう漏らした。
「あの人たち、人間なんだ。男も女もない。超えているんだよ。だから一緒にいて楽なんだ」

人気女優がゲイバーに通いつめる。
芸の道に生きるものならではの遊びであり、また芸のコヤシになるだろう。
-そう周りは見ていた。

しかし、京塚のお駒への想いはホンモノだった。
やがて、京塚はお駒へ想いをぶちまけ、お駒もそれを受け入れた。

そして、二人でパトロンの許へ行き、不義を詫びた。
長年面倒を見てきた京塚に突然別れを切り出され、しかも相手はシスターボーイということに面食らったパトロンだったが、京塚の熱意にほだされ了承した。

ほどなく、「京弥」を処分。出資分をパトロンに返済した。

やがて、京塚は、銀座で天ぷら屋「京弥」を開店。
お駒もK(本名)へと戻り、店を手伝うことに・
そして、二人は麹町のマンションで同棲生活をはじめる。

しかし、その幸せな生活も長くは続かなかった。
Kは当時を回想し、こう語っている。

「彼女はあの体型に引け目を持っていたのよね。その引け目から周囲に気を遣って陽気に振舞ったり、大盤振る舞いして…。体型についても気にしてないフリをしてたんだと思う」

「やっぱり彼女は女なのよね。愛されたい愛されたいって、人一倍焦がれていた。でも私の愛も足りなかった。彼女はあの体型で淋しい想いや辛い想いをいっぱいしてきたと思うの。でも、あの頃の私にはそんな彼女をおおらかに受けとめる度量が無かった。…今になってそう思うの」

その演技力は高く評価されながらも、回ってくるのは脇役ばかり。
20代からの母親役。美空ひばり、水谷八重子(初代)などの引き立て役ばかりだった。

そのストレスを発散するためか、京塚の金遣いは荒かった。
1ヶ月の出演料よりも多く呑み代にかけてしまうことすらあった。
その赤字を埋めるため、「京弥」の儲けは消えていった。
さらに、立ち退きで店舗を移転して以来、客足が落ちた。
場所が悪かったこともあるが、「あたし亭主持ちなの、本当は」と京塚が語ったことから常連だった京塚ファンが離れていったのだった。
店の売り上げも落ち、経済状態は悪化。
やがて、二人の心も離れていく・・・。

同棲を始めて3年目、二人の間を決定的にする事件が起きた。
京塚は子宮筋腫に侵され、子宮全摘をよぎなくされる。
この手術の前、京塚はKへ相談した。
「ねえ、どうしよう・・・」
「医者の言うとおりにするしかないだろう」

(…そんな理屈が欲しかったんじゃない)
京塚はこのとき、もう二人の仲はおしまいだと思ったという。

それから2年後、「京弥」で天ぷらを揚げていたKのもとへ、顔なじみの記者がやってきた。
「京塚さん、別れたがってる。あの人は女優としてもっと大成する人だし、この際身をひいてやったらどうだい?」

Kは「それが彼女のためになるならば・・・」と申し出を受け、再び『やなぎ』のお駒さんへと戻った。そして京塚は舞台/映画から、テレビへと活動の場を移した。

昭和43年、京塚はひとつのテレビドラマへ主演することになった。
「肝っ玉かあさん」、その人気は予想以上のもので平均視聴率30%以上のオバケ番組になった。彼女の人気はこれで不動のモノとなり、日本のお母さんの理想とまで言われるようになる。

しかし…。
お駒さんと女優/京塚昌子という関係に戻ってからも、二人は夜の銀座でよく出くわした。
二人の間には後腐れはなく、旧友のように語り合い酒を飲み交わした。

よく出くわす、それは京塚が呑み歩いているということだった。
折角主役が出来るようになったものの、求められるのは母役ばかりということへの不満もあったという。女優としての探究心が強い京塚にとってそれは苦痛だった。

(決して母親役が嫌なわけじゃない、自信もある。でも、もっと他の役もやってみたい)
そう思っても、回ってくる役は彼女の女優魂を納得させるものではないものが多かった。
また、同じお母さん女優として人気を博していたM・Mに差をつけたいという思いもあった。
が、なかなかそうはいかず、膠着状態だった。

その他もろもろのストレスを豪遊で紛らわす―そんな不摂生な生活が祟り、昭和50年糖尿病から来る脳血栓で京塚は倒れた。
しかし、軽度で済んだこともあり、再び呑み歩くようになる、いや呑まずにはいられなかった。

銀座で呑んでいるとき、京塚はお駒にこう言った
「ねえ、お駒ちゃん。ほら見てよ、掌にこんなに赤くブツブツが出来てるでしょ」
―糖尿病の悪化。
その様子は、少し不安そうだったという。

池内淳子はこう語る。
「ママ(京塚の愛称)が私に言ったんです。『ちょっと太りすぎたから、減量しなきゃダメね』って。そんなこと今まで一度だって言ったことが無かったのに…。それからまもなくでしたね、ママが
倒れたのは…」

昭和58年、京塚は巡業先で倒れた。糖尿病からくる脳血栓。
その後、昭和60年に一度復帰するも、再び病気が悪化し、療養を余儀なくされた。

11年の闘病生活で、倒れたときは80キロ代だった体重は60キロ代前半まで落ち、あのふくよかな体型は戻ることは無かった。

病床にあっても京塚は最後まで復帰の望みを捨てず、身の回りの手入れは付添婦にまめにやらせていた。

平成6年9月23日、没。
享年64。

石井ふく子や橋田壽賀子に請われ、Kは数度見舞いに訪れたことがあった。
しかし、最後に逢ったときには既に意識は混濁状態であり、Kだと認識するのがやっとだったという。

「せめて、最期だけはにぎやかに送ってやりたい」
と旧知の仲であるプロデューサー/石井ふく子が葬儀委員長を務め、9月28日に護国寺で行われた告別式には約400人が参列。
そこにはかつて"子"や"夫"、"孫"、"ご近所"として競演した面々が揃い、その死を悼んだ。

その中のひとりがこう呟いた。
「私生活で満たされなかった分、ドラマで全部演じたのよね。ほんとうのおかあさんになれなかったからこそ、優しくて頼りになる肝っ玉かあさんが出来たのよね…」

合掌。
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by hakodate-no-sito | 2008-02-15 07:16 | 古今俳優ばなし | Comments(2)
Commented by う--でぶ at 2008-02-16 15:44 x
北条秀治作の新派の当り狂言『太夫さん』(こったいさん)の少々頭の悪い子役は京塚昌子の出世作だったと...
糖尿になったあとも、ご飯は食べないけどそのかわり「生ビール」は飲む...なんていう場面をたしか欽ちゃんの番組で「スターがなにから順に食事を食べていくか」を当てるコーナーで見た記憶があります。
私も「大丈夫なのかな??」と思って少し心配になった...

復帰したときのTVドラマ...ロレツが回っていなくて痛々しい姿がなんとも言えなかった...

江利チエミのマイ・フェア・レディでは「同年代」のヒギンズ役/高島忠夫さんのお母さん役...昭和38年ですから33歳の時ですもん。
私はみんなが同年代の彼女に「おかあさん」と愛称で呼ぶ(7歳しか違わない美空ひばりさんとか池内さん...)ことも、M.Mさんとは違って「本人は嫌だろうにな~」と思っていました。


江利チエミというひととも「重なる部分」があって...
京塚さんを思い出すと、未だに切ない気持になります。

でもこうして語り継がれること...それがなによりのご供養なんだと思います!

Commented by 函館のシト at 2008-02-16 16:51 x
>糖尿になったあとも、ご飯は食べないけどそのかわり「生ビール」は飲む...なんていう場面をたしか欽ちゃんの番組で「スターがなにから順に食事を食べていくか」を当てるコーナーで見た記憶があります。私も「大丈夫なのかな??」と思って少し心配になった...

…。

>復帰したときのTVドラマ...ロレツが回っていなくて痛々しい姿がなんとも言えなかった...

もとが痩せてた人が太って、また痩せた…ってパターンが一番見ていてアレなんですよね・・・。
私も一時復帰したときの写真を見たことがありますが、正直辛かったです…。

亡くなった山岡久乃さんもですけど…お母さん以外の役も絶対こなせたと思うんですよね。
お母さん女優四人の中で、一番役柄が固定されちゃったのが京塚さんだったような感じがします。
もっと他の役をやる姿も見たかった…なんて思います。

>でもこうして語り継がれること...それがなによりのご供養なんだと思います!

ありがとうございます。
去るものは日々に疎し・・・と言いますけど、忘れさせたくない人なんですよね。チエミさんにしても京塚さんにしても…。