年齢不詳な若人が唄の話を中心にアレコレと・・・


by hakodate-no-sito

プロフィールを見る

S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

最新のコメント

あらさん さま コメン..
by hakodate-no-sito at 21:52
函館のシト さま ..
by あらさん at 01:56
とんかつ女将さま コメ..
by hakodate-no-sito at 15:22
こんばんは。初めてコメン..
by とんかつ女将 at 23:16
if194552さま ..
by hakodate-no-sito at 20:30
if194552さま ..
by hakodate-no-sito at 21:54
てんてこ舞いさま お返..
by hakodate-no-sito at 21:35
こんにちは、てんてこ舞い..
by てんてこ舞い at 08:28
はじめまして 私はシャ..
by ゆう at 17:04
てんてこ舞いさま 御無..
by hakodate-no-sito at 20:04

最新の記事

むかしひとりの歌い手がいた・..
at 2017-08-08 21:05
こころに歌を、シャンソンを
at 2017-05-28 20:48
過ぎし日よ私の学生時代
at 2017-04-18 20:53
サヨナラ私の愛した新派
at 2016-11-14 21:31
ミュージックフェアと美空ひばり
at 2016-03-04 21:25

記事ランキング

フォロー中のブログ

♪風のささやき+α
ないしょばなし
ブック・ダイバー(探求者...

リンク

検索

カテゴリ

全体
つぶやき
歌・唄・うた
テレビ
菊池章子
デュークエイセス
古今俳優ばなし
読書感想
CD視聴感想
未分類

タグ

以前の記事

2017年 08月
2017年 05月
2017年 04月
2016年 11月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 03月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 05月
2008年 08月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月

ブログパーツ

最新のトラックバック

venusgood.com
from venusgood.com
www.whilelim..
from www.whilelimit..
http://while..
from http://whileli..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
http://en.wi..
from http://en.wiki..
boom beach c..
from boom beach che..
石井好子 (20) 文藝..
from CORRESPONDANCES
NHKドラマにもなった「..
from 劇団新芸座ブログ

カテゴリ:つぶやき( 32 )

ニッポンモダンタイムス 「シャンソンの黄金時代」 発売記念コンサート開催

日本人による時代を超えたシャンソン大アンソロジー
という、空前の大企画として、6月27日に11+2タイトルが発売された
「ニッポン・モダンタイムス ~シャンソンの黄金時代~」。

そのCDに収録された珠玉のシャンソンの数々を、シャンソン・ブーム以来、歌手にとっては聖地のひとつともいえる、銀座・ヤマハホールで、当時を知る歌手と、今後シャンソン界を背負っていくであろう期待の新人をゲストに開く音楽会が、2012年11月26日(月)に開催される運びとなりました。

今年、急逝した芦野宏、そして三十三回忌を迎えた越路吹雪の功績を、特別ゲストの話と歌、そして60年前にヤマハホールで開かれたリサイタルのナンバーも交えて綴っていきます。

e0134486_17251013.jpg


【日時】
2012年11月26日(月)
昼の部 14:30開場 15:00開演
夜の部 18:00開場 18:30開演

【会場】
ヤマハホール(東京・銀座)

【料金】
全席指定 6,500円

【チケット発売開始日】
2012年 9月26日(水)

【チケットの発売】
チケットぴあ
ヤマハホール
日本シャンソン協会
日本ポピュラー音楽協会

【出演者】
桑山哲也、嵯峨美子、佐々木秀実、樋口亜弓、平野りり子、藤木えり(エリンヌ)、劉玉瑛(50音順)

【特別ゲスト】
昼の部:瀬奈じゅん、雪村いづみ(50音順)
夜の部:田代万里生、水谷八重子、宮城まり子、雪村いづみ(50音順)

【主催】
ニッポンモダンタイムス・シャンソンの黄金時代 コンサート実行委員会

【協力】
日本コロムビア株式会社
ビクターエンタテインメント株式会社
キングレコード株式会社
株式会社テイチクエンタテインメント
株式会社EMIミュージック・ジャパン
一般社団法人 日本シャンソン協会
一般社団法人 日本ポピュラー音楽協会

【お問合せ先】 
03-6411-9586(日本シャンソン協会 / 平日11:00~18:00)
03-3585-3903(日本ポピュラー音楽協会 / 平日11:00~18:00)
03-3572-3171(ヤマハ銀座ビルインフォメーション / 11:00~19:30/第2火曜定休) 
チケットの予約申し込み受付は、2012年9月14日より開始
[PR]
by hakodate-no-sito | 2012-09-14 13:47 | つぶやき | Comments(2)

桜新町の女帝

「『サザエさん』のないしょ話」(著・大橋義輝、刊・データハウス)という本を読んだ。

アニメの元スタッフが製作の裏話を書いた1冊。裏方にスポットをあてて書いた本は、(雑誌等の特集はあっても)今までに殆ど無かったと思う。

ただ、掲載されているエピソードは面白いのだが、一部製作スタッフの人名が明らかにならないままだったり、遺族に取材までしているのに祥月命日が書かれていなかったり、データ面では不満が多い。

その不足を補って余りあるのが、サザエさん製作スタッフと、通称"桜新町"こと姉妹社(長谷川町子作品権利管理会社)・社長で作者の実姉・長谷川毬子との軋轢エピソードになる。

サザエさん(=長谷川町子作品)が、日本のディズニーと呼ばれるぐらいに、2次使用権に対し、うるさいことは一般にも、比較的知られていると思う。

本を読んでいると、日本のディズニーと化したのは、長谷川町子その人よりも"桜新町"の手腕によるものが大きいことがわかってくる。

「サザエさん」とは直接関係ないが、朝の連続テレビ小説「マー姉ちゃん」の製作も、許可が下りずにスタッフが"桜新町"詣でに日参し、やっとのことでこぎつけたという話も出て来る。
ドラマの際には、長谷川町子はオープニングで使用する漫画イラストを書き下ろしたという。ラスボスではないのだ。

桜新町の機嫌を損ねると、いかに怖いかというエピソードの最右翼は何といってもアニメの製作会社交代・新設計画だ。さすがにこれは実行されなかったが、昭和の時代に財団法人を設立出来た女性。会社のひとつやふたつ平気で作るぐらい何でもないだろう。半端じゃない策士、ゆすぶり方だ。

あとがきを読んでいると、この本は今年6月に、"桜新町"が亡くなった(亡くなったのはツイッター情報によると今年1月に94歳での逝去らしい)と聞いたことが、この本が出る要因になったらしい。
準備期間の無さが、データ面での不備を招いたのだろう。
この本の作者(=大橋)は5年間、サザエさんのスタッフとして製作に携わったそうなのだが、この5年は"たった"ではなく"されど"のクチのようで、いろいろ溜め込むことの多い日々だったことは容易に推察出来る。

もう少し増補した上で、読んでみたい気がするが、それでもなかなか興味深い1冊だった。

※長谷川町子および毬子に興味をお持ちの方は
●長谷川洋子「サザエさんの東京物語」(晩年絶縁状態にあった町子の実妹による回想)
●長谷川町子「サザエさんうちあけ話」
●長谷川町子「サザエさん旅あるき」
を、「『サザエさん』のないしょ話」と併せて読むことを推薦。色々見えてくるものがあるはず。
[PR]
by hakodate-no-sito | 2012-08-01 17:28 | つぶやき | Comments(0)

青山斎場で見た光景

―さよならは突然に―
彼女たちの代表曲ではないが、まさにそんな想いが胸をよぎる訃報。
ザ・ピーナッツの伊藤エミ、死去。

こう名前を出したところで、ザ・ピーナッツは双子デュオだから、どっちがどっちだかわからない人も多いだろう。

分かりやすく言ってしまうと
・ほくろのあるのが姉(初期は向かって目もと左側、後期は両方)
・沢田研二と結婚していた(一子あり、のちに離婚)のが姉
・やや細めのほうが姉
である。

昭和芸能史に一時代を築き上げたナベプロの象徴といえる、クレイジーキャッツとザ・ピーナッツ。
7人いたクレイジーも、今や存命なのは犬塚弘・桜井センリの両名。そしてザ・ピーナッツまでもが一人きりになってしまった。
さしてザ・ピーナッツに思い入れのない私でも、空しさを覚えるのだから、全盛期を知る人の想いはいかがなものなのだろうか。

ザ・ピーナッツというと、ひとつだけ印象深いことがある。
2007年に植木等が亡くなり。青山斎場でお別れの会が行われたときのこと。

私はあのとき、体調を完全に崩していて、やっとの想いで会場へたどり着いた。
会は既に半ばを過ぎていたものの、斎場内のファン向けスペースは開放されていたので入ることが出来、記帳も叶った。
スペースにはモニターが確か設置されていて、式場内での様子はそこで見ることが出来た。

5年前の話だし、半分以上魂が抜けているような状態だったので、あまり記憶が定かではない。
当時のmixi日記に、会場で見かけた芸能関係者を記しているが、くっきりと場景を思い出せるのは水前寺清子ぐらいだ。
ただ、薄いもやがかかった記憶のなかで、ひとつ、ハッとすることがあった。

散会する少し前、だったと思う。
ふとモニターから道路を挟んだ式場へと目をやると、会場の葬儀関係者用?の入り口から、喪服を着た人たちが何人か飛び出してきた。
同じような風貌をした女性ふたりを、スタッフがVIP待遇で丁寧に接している。
他の関係者と話をしたあと、ふたりは待機していた車へ乗り込み、スタッフや関係者はある程度見送りをして、何事も無かったように式場内へと戻っていった。

散会後の様子を見ても、ああいう対応をされている芸能関係者は一人もいなかった。
水前寺清子は一人きりで、しばらくの間、誰にも話しかけられず、迎えの車を待っていた。

あれだけ芸能関係者が山のように式場内に詰め掛けているなかで、あの応対はどういうことなのだろう。
答えは・・・ひとつ、だろう。

ただ、この話をしても、誰も信じない。
この会が終わった後、クレイジーキャッツのファンの人間数人と話をする機会があったが、誰も気付いている様子は無かった。
あれ以来、ザ・ピーナッツというと、そのときの光景が目に浮かんでくる。

こまどり姉妹、だったのかもしれない。
そう考えたこともあるし、真実はそうなのかもしれない。
ただ、人には、真実か否かはどうでもいいこともある。

私にとっては、この青山斎場で見た光景がそうだ。
引退後公の場に一切出ない二人が、盟友の葬儀の席に静かにひっそりと現れて、またひっそりと去って行く。
その様子に、私は無性に心が打たれた。

―改めて、故人を悼む。
[PR]
by hakodate-no-sito | 2012-06-27 18:00 | つぶやき | Comments(0)

シャンソンの黄金時代

さる6月27日に、「LA CHANSON AU JAPON」(シャンソンの黄金時代)という
レコード会社5社横断企画で、CDアルバムが11作品+復刻2作品のラインナップで発売となります。
日本のシャンソン史をふりかえるという空前絶後のこのシリーズ。
私は今回関係者の末端に名を連ねることが出来たので、手前味噌的になってしまいますが、
素晴らしい企画に携わることが出来た歓びと誇りに、あとは発売を待つばかりとなった今も浸っております。

高英男、石井好子、中原美紗緒、芦野宏、越路吹雪、岸洋子、淡谷のり子・・・日本の歌手の歴史に残る大歌手・名歌手の名唱をたっぷりとCDへ収めました。
シャンソン・ブームと言われた全盛期の録音が多数収められているので、その頃の勢い・熱気を感じることが出来ます。
歌い手や曲もそうですが、演奏もレベルが高い。
選曲は、比較的耳馴染みのある名曲中心なので、シャンソンを聴いてみようかという初心者にも優しい。
今日まで復刻に恵まれなかった録音を多数、初復刻・初CD化。

今までジャズコンブームの頃の録音が復刻されたことはあっても、シャンソンブームのそれは無く、今回が事実上初。
これが成功を収めれば、今回諸事情で漏れた録音や歌い手を網羅した続編も夢ではありません。
ロングセラーとして、長く愛される商品であることを願ってやみません。

http://www.nippon-mt.com/ でラインナップをチェックして頂き、お求め下さいましたら
何よりの喜びです。
[PR]
by hakodate-no-sito | 2012-06-26 02:43 | つぶやき | Comments(2)

LA CHANSON AU JAPON(シャンソンの黄金時代) 発売

6月27日に、「LA CHANSON AU JAPON」(シャンソンの黄金時代)というCDが11種類発売になる。

e0134486_22195215.jpg


>日本にシャンソンが入ってきて80年あまり。
>そして、今年はシャンソンのビッグ・イベント“パリ祭”が50周年を迎える。
>日本人の心に深く浸透し愛され続けているフランス音楽、シャンソン。
>長く歴史を刻むレコードメーカー5社(EMI、キング、コロムビア、ビクター、テイチク)より、
>日本シャンソンのかけがえのない貴重な音源を復刻する
>“LA CHANSON AU JAPON(ラ・シャンソン・オ・ジャポン)”シリーズを発売!

という宣伝広告が一部ネットショップに掲載されている。

・芦野宏(2枚組、EMI)
・越路吹雪(EMI、コロムビアの2種類、EMIは2枚組)
・淡谷のり子(EMI、コロムビアの2種類)
・岸洋子(2枚組、キング)
・中原美紗緒(2枚組、キング)
・高英男(2枚組、キング)
・石井好子(2枚組、キング)
ほかにテイチク、ビクターからコンピレーション盤がそれぞれ1枚
という内容。

顔ぶれからすれば、昭和20年代後半から30年代にかけての、シャンソンブームの頃の歌い手が遺した名唱音源を復刻するというのが企画意図らしい。

単独でCDが出る顔ぶれのなかで、淡谷のり子は別格として、岸洋子だけが世代が違うように思ったが、選曲を見ると「夜明けのうた」以前の初期音源を主にすることで時代を合わせている。
e0134486_22214295.jpg

岸も膨大な数の録音を遺しているので、こういう時代を限定してのアルバム作りは歓迎だ。
名唱が多い人だから、なおのこと、どんどん未復刻音源をCD化して欲しい。
また、岸洋子という人は、そうするだけの次元にいる歌い手だ。

e0134486_22204942.jpg

石井好子も今回のCDの発売で、録音が残っている時代の歌声はひと通り聴くことが出来ることになる。
NHKラジオ歌謡の「夏の思い出」も、今回めでたくCDに収められるという。

e0134486_22211947.jpg

長らく単独アルバムの発売がなく、歌を聴くことが難しくなっていた中原美紗緒も、今回久しぶりの発売。
若かりし頃の、アイドル的人気を誇っていた時代の名唱が2枚組でたっぷり収められる。

淡谷のり子が設立間もない時代の東芝レコード(現在のEMIミュージック)に所属していたということは、知る人ぞ知ることらしいが、なかなか見逃せない、良い歌を多く遺している。今回はシャンソン中心の選曲のようだが、オリジナル曲へもいずれ陽があたることを祈りたい。

e0134486_22202762.jpg

私にとって、渇望・熱望・待望だった高英男もラインナップに名を連ねている。
他の歌い手でもこの言葉は出るのだが、どうして今までこういうアルバムが出なかったのだろうと不思議に思う。高英男の全盛期、日仏両国を往復し、人気を博した時期の、独特の華ある個性・伸びやかな美声が、これでもかと収められている。
高英男に興味のある方は、「買い」いや「必携」と申し上げたい。
シャンソンという枠を超えた、「高英男の世界」が堪能できる。

このシリーズについては、当ブログでも追々いろいろ書いてみたい。
[PR]
by hakodate-no-sito | 2012-05-21 22:24 | つぶやき | Comments(0)

水谷良重と紅白の縁

NHK-FMで、「戦後歌謡三昧」という特集放送が行われていた。
普段はラジオを聴くことがあまり無いのだが、戦後の洋楽カバーを取り上げるコーナーに、二代目水谷八重子が出るというので耳を傾けてみることにした。

e0134486_2026377.jpg


残念ながら、こちらが思っていた以上に司会の加賀美幸子と立川志らくが、日本人の洋楽系歌手を知らなかった。作家陣の下調べが不足していたようにも感じた。
それに加えて時間制限もあってか、話があまり弾まず、二代目がチラチラと小ネタを出していながら全然食いつかない。知らないから食いつけないのだ。結局噛み合わせが悪いまま、コーナーが終ってしまった。

何と勿体無い!
洋楽カバー特集ならばもう少し時間を長めに取って、ジャズ・ポピュラーに限らず、シャンソンも取り上げて欲しかった。そうすれば、二代目と親交のあった越路吹雪や石井好子の話も出来て、もう少し盛り上がったろうに・・・ヤレヤレという気分だ。

それでも、水谷八重子というよりも「水谷良重」としての出演だったこと自体はとっても嬉しかった。
いい目の付けどころだったと思う。だからこそ、この結果は悔しかった。

久しぶりに聴く良重さんという呼びかけ。
加賀美アナの声質もあって、実に心地良い。
あと、二代目がトニー谷が唄う「You Belong To Me」のカバーを知っていたというのは意外な収穫だった。
♪しーざまくらで~ねよう~ という一節がポンと出てくるとは思ってもみなかった。
私からすれば「さすが良重ちゃん!」という一コマだった。ここで弾みがつけば良かったのに。
そういえば二人ともビクターでレコード吹き込みをしている。
トニー谷のエピソードもいろいろ知っているのだろうか。

さて、このコーナーのはじまりで、水谷良重が紅白へ初めてソロ出場した際の音源が一部流れていた。
「キサス・キサス・キサス」、若々しい歌声だった。

いま、初めてソロ出場と書いたが、水谷良重が紅白へ初出場したときはトリオでの出演だった。
二代目がラジオ深夜便で語っていたのを聞いたり、いくつかの書籍で読んで知ったのだが、水谷良重と紅白の縁はなかなか面白い。

チラッとこの前、ツイッターでもつぶやいたが、折角なのでまとめてみることにした。

----------------------------------------
1958年、第9回紅白歌合戦でのお話。
この年ダークダックスがロシア民謡を唄い、人気を得ていた。紅白への目玉としてぜひ出演させたいNHKサイド。
だが、それまで紅白出演者は全員ソロでの出演。グループでの出演は前例が無い。
さあ、どうしようと考えた末、公平を期すために団体には団体でという方針が取られることになった。

そこで、白羽の矢が当たったのが七光り三人娘だった。
七光り三人娘は、水谷良重・朝丘雪路・東郷たまみ。
それぞれ初代水谷八重子(+十四代目守田勘彌)・伊東深水・東郷青児の愛娘。

売り出しにあたって、自ら「親の七光りでござい」と名乗るという、揶揄を逆手に取ったユニークなユニットだった。
昭和33年時点では3人で出ることは殆ど無かった。早いうちに、ソロでそれぞれ人気を得て(特に水谷・朝丘)、トリオでいる必要性が無かったからだ。

―久しぶりに3人で顔を合わせて歌わせれば、紅白というお祭り番組の華にもなるだろう。
NHKは早速七光り三人娘に紅白出場を打診したが、朝丘雪路側はNOだった。
朝丘は前57年の第8回紅白で既にソロで出場を果たしていた。
目下売り出し中で人気上がり坂の朝丘にとって、今さらピンから団体に戻るのは、格の点からもマイナスでしか無かった。マネージメントを取っている事務所が猛反対したらしい。
「ソロでの出演したら喜んでお受け致します」と話を蹴った。

他のふたり、水谷良重と東郷たまみはOKを出していた。
「今のような凄い番組ではありませんでしたからね、あの頃の紅白って」とは水谷の談。
重視している人たちもいたが、まだまだ怪物番組と呼ばれるまでには至っていなかったのだ。

―朝丘の代役をどうするか。
NHKは思案の末に、同世代のジャズ歌手で、それなりに知名度があり、なおかつ声質が二人と合う人と、沢たまきを選んだ。
こうして、即席の、水谷良重・東郷たまみ・沢たまきのコーラストリオが結成されることとなった。

この紅白で三人が歌っている音源は残っている。
だが、間奏からの出だしをトチっている人がいたり、あまり良い出来とはいえない。
もっとも、この回の会場となった新宿コマ劇場の音響設備が良くなく、様々な出演歌手が伴奏をうまく聞き取れず、美空ひばりをはじめ歌のトチリが多発してしまったという話があるため、即席ユニットだから失敗したとは安易に言うことは出来ない。

東郷、沢の紅白出場はその年限りに終った。

水谷良重は翌昭和34年の第10回紅白へも「キサス・キサス・キサス」を唄い、2度目の出場を果たした。
この時はソロでの出演なのだが、実際は応援ゲストとして当時の夫でジャズドラマー・白木秀雄がバック演奏に付いていた。コンビ(夫婦)での出場と言えなくもない。
夫婦での紅白出場の初ケースということになる

なお、この第10回紅白へは朝丘雪路も2年ぶりに紅白へ出場し、お得意の「シング・シング・シング」を披露している。その後66年・第17回まで連続出場。71年・第22回で再出場。通算10回、紅白へは出場している。

水谷良重は、その後紅白へは61年・第12回までソロで連続出場を続けた。
二代目水谷八重子襲名の95年・46回に審査員で出演。
紅組出演者では歴代唯一となる、歌手・審査員の双方を経験することになった。

水谷本人は自身の紅白について
「当時は今のような紅白では無かった」
「ヒット曲も無い、たいした歌手じゃない自分が4回も出たなんて・・・」
と、誇りに思うよりも、何とも面映い気分になるそうである。
----------------------------------------
[PR]
by hakodate-no-sito | 2012-04-30 01:45 | つぶやき | Comments(0)

大正も歴史の彼方へ

先月末に亡くなった歌手の青葉笙子の著書「青葉笙子・歌の回想録 昭和の流れの中に」(95年・柘植書房)を、本棚から引っ張り出して読んでみた。

この本は、青葉本人が5年がかりで自ら綴ったものらしい。
前半は自叙伝。
中盤は樺太旅行の想い出と寄稿した文章の転載。
後半は昭和時代に逝った歌手や作詩・作曲家などとの交遊録・想い出ばなし。
巻末にディスコグラフィーが掲載。
という形式になっている。

文は人なり、という言葉そのもののような1冊。
自叙伝的な前半も、子爵と結婚するため引退し、戦後生活のために自宅を旅館に回想し自ら女将となって奮闘しているエピソードをいくつか綴っているところで切れている。
多忙も手伝って、なかなか書くことができない間に、一番先に読んで欲しかった叔母が亡くなって、書く気を失った模様。
なお、その後の離婚のいきさつはこの本のあちこちの記述から、戦後の歌手復帰については、後半の交遊録・想い出ばなしにチラチラと出てくる。
歌手や作曲家、作詞家、その他、追憶の人たちの話をする合間に、ポロっと自分の話をするという感じである。

久々に読み返して、何と読み難い本であるか実感する。
これでは、抜書きをするなどして、こちらで情報整理しないと、彼女の道程がわかるようでわからない。
興味深い資料ではあるが、普通の本として読むにはちょっとつらい。

それに、もう少し突っ込んで書いて欲しい箇所もいくつかある。
本としてならば、彼女の話を聞き書きしつつ、ある程度突っ込んでいく、インタビュー形式でまとめたほうが、ずっと面白いものが出来ただろうし、話もいっぱい聞き出せたろうと思う。
記憶力抜群で、重機関銃のように半ば一方的に喋る青葉笙子なのだから。

まあ、そう思ったところで、もはやどうしようもない。
今後誰か、彼女についてしっかり書いてくれる人は・・・おそらく出てこないだろう。
調べている人はいない訳ではないだろうけども、それを果たして書いてくれるかどうかは別問題。
私は、データとなる資料が集められるのならば、まとめてみたいし、勝手な推察もしたいが、何が何でもという狂気すれすれまでの愛情は申し訳ないが持ち合わせてはいない。
いわゆるファンやコレクターとは感覚が少々違うし、なかなか難しいだろう。

しかし、青葉笙子を知っている人もどんどん少なくなっていく一方。
どうこう言いつつも、大事な1冊には違いない。

何より、交流があった人たちの想い出ばなし。
殆どがどうということのない話なのだが、そのどうということのない話だからこそ、浮かび上がってくる人間像がある。美化されていない人間が。
この本を買ったときは、今ひとつピンと来なかったが、読み返していると(ああ)という想いになってくる。

ただ、やっぱりこれは、ある程度対象に興味があって、勝手に考えをまとめていくのが好きな人だから湧き上がる感情かもしれない。
ゴシップ記事の扱い方というのは難しい、使い方によって素材を一層引きたてたり、または台無しにする調味料のようなものだから。

それにしても、彼女の話、もっと目一杯聞いてみたかった。
知っているエピソードや本からも、(気持ちの良い、楽しい人だなあ)というのが伝わってくる。

10数年前、テレビのドキュメンタリー番組で、上原敏が戦死したパプアニューギニアの島で、「敏さん聴いてね」と、『流転』をアカペラで歌った姿は目に焼きついてはなれない。
青葉の美声と、南国の景色と・・・何ともいえない心に沁みる光景だった。

私個人の想いだが、彼女の場合、歌もそうだが、その人柄により興味関心が向く。

献歌と洒落て、「鴛鴦道中」なぞを口ずさんでみる。
改めて故人に合掌。
[PR]
by hakodate-no-sito | 2012-03-02 23:12 | つぶやき | Comments(0)

ある名称の消滅

今年の4月1日から、新派俳優という言葉が公の場から消える。

昨年の日本俳優協会の理事会で決まったという。
公益社団法人移行を目指す中で、歌舞伎の存在意義は主張できるが、新派は・・・ということになったらしい。

もっともこの言葉は、NHKのニュースや新聞などですら、見かけなくなっていた言葉。
新派といっても通じない世代が出てきているのも動かし難い事実。
一般的には、どうでもいい話になるのだろう。

ただ、私にとってはグサリと来る話だ。

歌舞伎俳優
新派俳優
新国劇俳優
新劇俳優
映画俳優
声優(これは元来放送=ラジオで活躍する俳優に対する名称)

いわば、役者としての本籍はどこであるかを示す言葉。
様々な分野で活躍していても、自分自身の矜持として「私は●●俳優(役者)である」と名乗る人は今でも少なくないのだ。

特に歌舞伎・新派・新国劇は、日本の演劇でもBIG3というのか別格的な位置にあったもの。
その3つのうち、1つは劇団ごと消え、1つは名称が消える。

奇しくも、新国劇解散に伴い、新国劇俳優という言葉が無くなって、四半世紀後に新派俳優の名称が無くなる。
ひとつの時代の終焉を感じずにはいられない。

私は、今日の新派衰微の一因は、新派が滅びの美学を売りにし過ぎたことにあると思っている。
花柳章太郎が自ら『私が最後の女形』的なことを言っていた時代から。

そしてマスコミなどがあまりにも「新派はどうなる?」とマイナス面を煽る記事を、不必要に、執拗に書き過ぎたことも今日の惨状に繋がっているだろう。

さらに言えば、もう少し長期的な展望を持って、松竹が新派を守り立てようとしていれば、また違っただろうと思う。もっとも、今、新派が曲がりなりにも存在していられるのは松竹だからであって、これが別会社ならば新国劇のように無くなっている可能性のほうが高い。

新派の消滅は、ひとつの、大きな演劇スタイルが無くなるということだ。
本当に、新派に学ぶところはもうないのか。
あまりにも無関心になり過ぎてやしないか。
花柳章太郎、初代水谷八重子だけが新派だと思っていやしないか。

今回の新派俳優の名称消滅は、一種のイエローカードと、私には思えてならない。
果たして、あと20年後、30年後に劇団新派は存在するのだろうか。
私は在って欲しい。これは強く言いたい。
だが、現状の流れではそれは難しく思えるのも、また事実である。

かたちにこだわらなければ新派イズムの継承は商業演劇の世界でも新派の若手へもされているはずで、本体が無くなる事態が万一起きても、後継団体はきっと出来るはずだし、偲び草は一杯ある、と私は信じている。少々楽天的かもしれないが。

ただ、後悔先に立たず、という言葉をもう一度考えてみて欲しい。
無くなって「歴史が消える・・・」と文句を言ったところで、取り返しはつかない。
伝統や文化は潰してしまうことはたやすいが、再び作り上げるには多大な時間と労力を必要とする。

イエローカードを突きつけられたのは、新派であり、実は我々なのだということに、気付かなければいけない。

---------------------------------------------
―来る2013年、新派は設立125周年を迎える。
[PR]
by hakodate-no-sito | 2012-02-01 01:48 | つぶやき | Comments(1)

私的ダンシ考

この前亡くなった立川談志、私はどうにも好きになれなかった。
生理的に好かないし、何よりあの芸風が苦手だった。
だが、それ以上に嫌いなのが、彼を家元と崇め奉る信者。
気持ち悪くて仕様がない。
これは訃報を聞いた今も変わらない。

ただ、ツイッターを眺めて、追悼番組をいくつか見ていて、今までボンヤリしていた何がどう苦手なのかということを知ることが出来た。

自分にとって本当にNGだったのは、あの偉そうな物言い云々よりも、声だったと気付いた。
追悼で在りし日の落語を放送していたので観たが、決定的にピンと来た。
うまい・へたじゃないのだ。声がダメなのだ。生理的に無理。
私は美声しか受け入れないとか、そういう考えは持っていないが、声は好き嫌いの判断材料としてかなり重要な位置を占めている。
私にとっては彼の声は、中毒性を感じる声では無いのだ。快とする声では無い。

あと、眼だ。
後年は色つきメガネをかけていたから、あまり気にすることが無かったが、あの眼も私はどうもダメだ。
偏見で物を言うが、いじめられっ子の眼だと思った。挙動不審的な眼。孤独、淋しがり屋の眼だ。陰性の眼だ。
ある種の人の神経を逆なでするものがある。
あの眼を持つ人は、私には受け入れ難い。こっちが引きずられそうになる。

ただ、私は評論家としての彼は一目も二目も置いていた。
自分でもすっかり忘れていたのだが、あの人のおかげで知ることが出来た芸人や歌手に歌、結構あるのだ。

たとえば松山恵子。
お恵ちゃんを初めて知ったのは、NHKで放送していた彼の冠番組に彼女が例の落下傘ドレス姿でゲスト出演したときだった。

間違いなく才人だったが、どうにも受け入れ難いものがあった。
わざとやっているところもあれば、自分の過ちをパブリックイメージを利用してほっかむりしてしまう狡さもあったと思う。

訃報を知ったとき、「よくまあ75まで生きたもんだ」と思った。
実は「やった!」と思ってしまった。
哀しい気持ちなど微塵も無かった。信者ザマーミロぐらいにニンマリしてしまった。

反体制側のはずの人が、意図するかしないかは別として権威となり、彼が黒といえば白でも黒と信じて疑わない盲信者が溢れる。 そんな状態は私には嫌で嫌でたまらない。

一目は置いていても生理的には好かない。
でも死んでしまえば、そんな感情も消えて、より客観的に眺めることが出来、彼の発言に耳を傾け、考えることが出来るのではないか。

そんな様々な想いが「やった!」という気持ちとして出たのだろう。

今後、どう自分のなかで立川談志の考えを消化していくことになるのだろうか。
楽しみにしている自分がいる。
そして、彼の死がプラスになって欲しいと考えている自分がやはりいる。

これは極めて残酷な考え、なのだろうか。

More
[PR]
by hakodate-no-sito | 2011-12-13 21:54 | つぶやき | Comments(0)

お別れ・にっぽんの名司会者

大司会者にして名司会者の玉置宏が2010年2月11日に亡くなった。76歳。

私は昭和末期の生まれで北海道の生まれ育ち。
ラジオも電波状態が悪い場所で育ったので、玉置宏というと、テレビ東京の隠れた人気長寿番組「昭和歌謡大全集」の司会が頭に浮かぶ。

あの番組における玉置宏はキャリアを存分に生かした、ベテランならではの仕事だった。
水前寺清子をサブとして自由自在に動かし、ご意見番/コロムビア・トップほか大正生まれのベテランの暴走も適度なところでコントロール。
それでいて、出しゃばりと感じさせるようなことは一切なく、名調子でどんどん名曲の紹介をしていく。名人芸、匠、至芸。最高級品の歌の包装紙だった。

それは「夏祭りにっぽんの歌」や「年忘れにっぽんの歌」などの方がより顕著に感じられ、まさに玉置宏アワーといった趣であり、局アナやタレントの司会とは一味もふた味も違う熟練の巧みな技に私は酔いしれた。

ただ「玉置宏の笑顔でこんにちは」終了後は喋りの切れは一寸落ちた感があったし、21世紀を過ぎて数年経ったあたりから、90年代から悪くしていた歯がとうとう入れ歯となったことが一因kじあ滑舌が急激に悪くなり、往年のキレ/冴えが失われていく姿に淋しい気持ちになったのも事実である。

それと前後するように玉置も客分だった青空一門の総帥/コロムビアトップが入退院を繰り返すようになり、20世紀の終わりで両名は「年忘れにっぽんの歌」も降板。
「夏祭りにっぽんの歌」では健在であったものの、トップが病欠やがて逝去。
玉置も総合司会とようなポジションで一歩退いた形になり、やがて降板。

「昭和歌謡大全集」もやはりトップが入退院が繰り返すようになったあたりからクオリティが下がり、玉置は半ばお飾りと化し始めた。
それでも光るものはあったが、私の眼にはもうやる気をなくしているようにも写った。そして、あの事件で番組終了と相成った。

あれだけの人であっただけに晩年のあの騒動は残念である。
勿論、玉置に非があるのは言うまでも無い。放送史に遺る大汚点だ。
だがあれだけの功労者。もう少し「大人の解決方法」というのがあったはずだし、そう取り計らって構わない人ではなかったか。局側からトカゲの尻尾切りされるというのは、罪は罪・功は功としてもいかがなものであろうか。その点、設立計画から立ち会ってきた横浜にぎわい座関係者と対称的である。まあ事件が事件、そしてジャンルがジャンルであっただけにさすがに館長職は退くべきだったと思う。だが玉置あってこその黒字運営で余人を以って替えがたい存在であったことも考えると名誉館長/最高顧問という役職に退きつつ院政采配が妥当なところだろう。
人の噂は75日、ほとぼろりがさめたところで復帰でも良かったはずだ。

そしれにしても、騒動は、暗黙の了解が何らかの派閥闘争というかクーデターで破壊されたと言おうか、ともかく、告発者/司会者/製作側/熱狂的支持リスナー・・・どの側の味方もし兼ねる、何か釈然としない黒い影のある後味の悪い事件に感じられてならない。


今回の訃報で私の昭和史がまた一つ消えた。
しかし、懐メロ好きで往年の歌謡番組ファンである私にとって玉置宏は永遠に不滅である。
手許に残るビデオ(DVD)やレコード(CD)などで、たとえ10年、15年経っても玉置節に酔いしれることだろう。

今頃、コロムビア・トップや三橋美智也、春日八郎あたりが「玉ちゃん、玉ちゃん」と迎えているところだろう。
あの名調子が聴けるならば、あの世とやらの方が楽しいのかもしれない。

いや、案外夢であった寄席芸人になっているのかもしれない。
玉置への想いは尽きない。
改めて故人への感謝と哀悼の意を表する。
合掌。
[PR]
by hakodate-no-sito | 2010-02-11 21:09 | つぶやき | Comments(0)