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カテゴリ:歌・唄・うた( 87 )

むかしひとりの歌い手がいた・・・菅美沙緒

妙にひっかかるものって、誰にもあると思う。

5月の末に、群馬の日本シャンソン館へ行ったときのこと。
シャンソン館の展示品の中に歌手の衣装があった。
施設の創設者である芦野宏は勿論、高英男、石井好子、深緑夏代、越路吹雪、岸洋子、淡谷のり子、金子由香利…日本のシャンソンの唄い手の衣装が一堂に会していた。

どれも見ごたえのある衣装だったが、琴線にひっかかったのが、菅美沙緒という歌手の衣装。
黒を基調に家紋をあしらったドレス。
和と洋のバランスが絶妙。

お世辞にもお洒落など分からない私だが、センスの良さにグッときた。

紹介のパネルを見ると、この歌手、パリはモンマルトルの墓地に眠っているという。

日本にシャンソン歌手は多くいるが、パリが墓所というひとは聞いたことがない。

どんな人だろうと思った。

シャンソンの訳詞では名前をよく見る。戦後すぐシャンソンを歌ったリサイタルを催したひとり(他には石井好子と高英男がいる)。
水野汀子という別名義でもシャンソンの訳詞を請け負っているらしい。

そのぐらいの知識しかない。

旅先から戻って、慌ただしい日々が落ち着いた頃、ネット検索をしてみたが、私が知っている以上の情報は得られそうもない…と、落胆しかかったところで、ひとりの歌い手が見つかった。

出口美保。
関西のシャンソン界の頂点に位置する歌手なのだそうだ。
Youtubeに公開された動画を視聴して、驚いた。

なんだろう、こんな歌、聴いたことがない。

低音、それも男性のようなキー。

訥々とつぶやくかのような唄い方から一転、吼えるような唄い方へ。

私の思い抱いているシャンソン歌手の唄い方とはひと味違う。

震えがきた。
真似が出来ない。
真似したところで白けてしまうのがオチだろう。
確固たる自分の世界を築き上げている。

この人が菅美沙緒の弟子にあたる。
「菅美沙緒 訳詞の世界」というライブ盤CDを出している。どうやら、そのアルバムの中で菅美沙緒の歌声が収められているらしい。

聴いてみたい。
自分のなかでゴーサインが出た。

心を決めて、出口美保の公式サイトから問い合わせ先を見つけて、連絡した。

随分昔のアルバムなので、在庫があるか調べてから、折り返し連絡しますとのことだった。

そこからいろいろあり、留守電にまさかの出口美保さん御本人からメッセージを頂くなんて仰天モノなこともあったりして、ついにCDが届いた。

有難いことに菅美沙緒の資料も同封して頂けた。

ネット上には菅美沙緒の情報はほとんどない。
といって石井好子や芦野宏、高英男、深緑夏代があるかというとそうでもない。
去る者は日日に疎し、とはいうが、あまりだろう・・・。

折角なので、頂いた資料をもとに菅美沙緒について略歴を記してみたい。
e0134486_20553837.jpg
菅 美沙緒(すが みさお)(1916~2000)
愛媛県今治市生まれ。
昭和11年、三浦環に師事。
昭和17年、日本ビクター入社。数枚のレコード吹き込みも行う。
同年3月20日、日劇小劇場にて昼夜2回の独唱会を催し、越谷達之助歌曲集「啄木によせて歌へる」を初演する。
昭和18年には帝国劇場でリサイタル開催。この頃には藤原義江との競演も行う。
戦時中も三浦環と行動を共にし、山中湖畔への疎開も共に行ったという。
戦後、「生活臭のあるものを唄いたい」とクラシックの世界からシャンソン歌手へ転身。
昭和22年、戦後では初となるシャンソン・リサイタルを開催し、昭和24年までに3度リサイタルを行い、中原淳一、岡本太郎、芦原英了らの文化人とも知己を結ぶ。このリサイタルでは、シャンソンというもの自体がさして知られておらず、譜面も殆ど出回っていない中、歌唱曲すべてをシャンソンで揃えるという偉業を成し遂げたとされる。
なお、他のシャンソン歌手だと、昭和23年に日向好子(石井好子)、昭和24年に高英男がリサイタルを開いている。
「さくらんぼ(の実る頃)の菅」の異名を取り、人気を得たが、やがて舞台出演を断ち、裏方へ回るようになる。
シャンソンの訳詩も積極的に行い、創学社や水星社から発売されたシャンソンの楽譜集には多くの日本語詩が掲載されている。
菅の名とは別に、水野汀子名義での活動もあり、主なものに水星社から発売された楽譜集「シャンソン・アルバム」(全5巻)の編纂や
岸洋子のヒット曲となった「想い出のソレンツァーラ」の日本語詩などがある。
昭和30年、東京・産経新聞社にて日本初となるシャンソン教室を開講。
その後、京都へ転居し、活動基盤を関西へ移す。
昭和37年に大阪・梅田、昭和38年には神戸新聞社・神戸文化センター、昭和40年には京都国際ホテルでそれぞれシャンソン教室を開講。
京都国際ホテルではホテルのプログラムとして毎週シャンソン・ショウも行っていたほか、シャンソンのイベント・京都パリ祭を毎年
開催していたという。
昭和46、47年に渡仏。この頃、後進の指導・育成の場としてシャンソニエ経営を模索し、店名は「ベコー」と決め、ジルベール・ベコーから店名の許可も得たが、弟子である出口美保に託す。昭和54年に大阪・梅田にて「ベコー」開店(平成29年現在も営業中)。
平成10年、長年居住した京都を引き払うことを決め、同年11月11日に区切りのリサイタルを京都府立文化芸術会館で開催。
平成12年8月14日、逝去。
墓所はパリ・モンマルトル。墓石には園家文苑の書で「さくらんぼの実る頃」の訳詩の一部が刻まれている。



e0134486_20555639.jpg
出口のアルバムに収められた菅美沙緒の歌声は、最晩年、1998年のリサイタルの音源だった。
お話も歌声も、「マロニエの木蔭」「喫茶店の片隅で」で知られる往年の名歌手松島詩子を彷彿とさせる、艶と品格に溢れる、美しい歌声だった。 幻の歌い手にしてしまうには惜しい、惜しい歌声。繰り返し繰り返し聞き返した。
頂いた資料によると「絶唱」という題名のレコードを昭和49年に発売されたという。
叶うならば、入手して聴いてみたい。

そして出口美保の歌声もまた素晴らしい。
菅美沙緒のアルバムだけではなく、別のCDや比叡山延暦寺でのライブDVDも一緒にお願いしていたのだが、これらがまたべら棒に良い。
そのことについて、後日また機会を見つけて記してみたい。

シャンソンも、演歌も、フォークも、ポップスも、民謡までも、自身の色に染め上げてシャンソンとしてしまう。
ジャンルを超越した出口美保の世界。ただただ、素晴らしい。

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by hakodate-no-sito | 2017-08-08 21:05 | 歌・唄・うた | Comments(0)

こころに歌を、シャンソンを

e0134486_20513220.jpg
「大好きな歌手・高英男さんの生誕百年を記念したイベントを、日本シャンソン館で催し、資料展示もします」と主催者のSさんから伺い、群馬県は渋川市へ行って参りました。

渋川市は日本列島のまん真ん中に在ることから、にほんのへそ、と言われる場所。江戸の昔は宿場町として栄えたそうです。

シャンソン歌手の芦野宏さんの奥様が渋川の旧家の一人娘(なので婿入りされています)という縁があり、この地に日本シャンソン館が出来たのだそう。

シャンソン関係では聖地といっても良い場所で、一度伺いたいと思いながら、なかなか果たせずにいたのですが、思いがけず機会が訪れました。

創設者・芦野宏さんの想いがたっぷりつまった日本シャンソン館。
もっと大きいハコモノ施設だと思っていたのですが、住宅地の中にある高級な邸宅という趣き。実際、あの周辺は羽鳥家(芦野さんの奥様の実家)の土地なのだそう。

大歌手の道楽のようで、さにあらず。
羽鳥家の身の丈に合わせ維持できるギリギリの線を狙いながら、細部に至るまでの一流のこだわり。品の良さ、趣味の良さを感じさせる、絶妙なバランス感覚。
憧れと親しみやすさを両立させているあたり、芦野宏らしさがにじみ出ているように思えました。

時期が合えば、四季折々の花がお見事なのだそうですが、足を運んだときは、盛りはちょっと過ぎていたのかもしれませんが、それでも庭のバラのアーチには見惚れました。
西洋風の庭園内に、おそらく羽鳥家伝来のものであろう、蔵や灯籠があるのですが、それがまたミスマッチの妙というのか、不思議に調和しているのです。良いものは国境を超えるのでしょうね。

カフェも、佇まいばかりではなく、食べ物も実に美味いものが出てきます。
適正な値段と、満足の行く食べ物、雰囲気の良さ。文句なしでした。あそこなら一日中居ても飽きません。

ミュージアムで常設展示されている衣装も、コラ・ヴォケール、イベット・ジロー等のあちらの歌手のものや、勿論芦野宏さん、高英男さん、深緑夏代さん、石井好子さん、岸洋子さん、淡谷のり子さん・・・今は亡きレジェンドたちのものが並んでいるのです。
日本のシャンソン歌手の草分けのひとり、菅美沙緒さんの衣装も。
シャンソンの訳詩でしか名前を知らないのですが、叶うならば歌声も聴いてものみたいです。衣装の佇まいに、タダモノではない何かを感じ取りました。
他にも、美川憲一さんや金子由香利さんの衣装もありました。あとは今は亡きシャンソニエ銀巴里やブンの看板もありました。

今回参加したイベントに関連して、特別展示されていたのが、高さんの衣装やコンサートのポスターにレコードジャケット等。博品館劇場や帝国劇場、ヤマハホールでの淡谷のり子とのジョイントコンサートのポスターには「行きたかった・・・」と思わず独り言。

今回特別展示されていた衣装は、私にとって、とりわけ思い入れの深いものでした。

12年前、「昭和歌謡大全集」(テレビ東京)という番組でVTR紹介された、浅草・国際劇場で舞台化粧も入念にラメ入りの着物姿で颯爽と現れ「雪の降る街を」を唄われる映像を見たときから、私の高英男ファン歴は始まりました。

そのときの衣装を、目の前で見ることができたのです。

晩年の中原淳一さんが作られた衣装。
街燈のアップリケ、チョコレート等の包装用の銀紙・金紙をラメ代わりにあしらった、斬新なデザインの着物。

高英男、中原淳一という、不世出の才人の煌めきが今、自分の目の前で感じられる・・・涙ぐみそうになるのを必死で抑えました。

さらには、高さんのマネージャーのSさんとも10年ぶりにお目にかかることができ、高さんの秘話を伺うことが出来ました。

イベントライブでは、高さんの幻と思っていたあの曲や、レコードで聞いたあの音源が、サプライズで流れ、興奮しきりでした。

死ぬまで私は高さんを好きで居続けるのだろうし、何らかのかたちで高さんのことを語り
継いでいくんだろう、と漠然と、でも確信的に、思えました。

イベントライブの会場。
日本シャンソン館の要といってもよいライブハウス、いやシャンソニエがまた素敵な雰囲気でした。

ここに高英男さんが出演されたときはどんなステージだったんだろう。
雪村いづみさんがここで歌ったらどれだけ映えるだろう。
芦野さん最後のステージはここだったんだよなぁ。
・・・あれやこれやと夢想していました。

そういえば、東京MXテレビで芦野さんが案内役で放送していた「シャンソンをあなたに」でしたか、そんな番組がかつてあって、その収録はここじゃなかったでしょうか。
あの番組、ちょうど上京したかしないか、だったか私が録画機を買う少し前あたりだったかに終わってしまった覚えがあります。おぼろな記憶なので間違っているかもしれませんが。

私が歌好きの道を踏み出したとき、石井好子さんも芦野宏さんも健在。メディアでよく拝見していました。

NHKホールでの「パリ祭」で、生のステージも拝見しています。
芦野さんのアルバム「私のピアノ」「コートダジュールからの風」は未だに聴きたくなるアルバムですし、自叙伝「幸福を売る男」はサイン入りで所有しております。
追悼盤となった東芝音源のアンソロジー「ラ・メール」には私の名前もクレジットの末端に加えて頂いた覚えがあります。

深緑夏代さんもそうですが、かつて私が見ていた時代に当たり前のように居た存在がどれだけ凄いひとたちだったか、年々染み入ります。

芦野さんが亡くなる10数年前から間質性肺炎との闘病を続けていたことを知ったときには驚きました。あの柔らかな歌声の影に・・・と。

石井さん、芦野さん、深緑さん、高さん・・・もう一度ステージを、と思うことは一度や二度ではないのですが・・・どなたも、もういないのですよね。
でも、シャンソン館を見て歩いて、芦野さんの息吹はここにある、と感じました。そして、そういう場がある倖せ。

会場にいらした羽鳥館長は、芦野さんの御次男。
「コメットさん」や昭和38年の紅白歌合戦の映像で見た60年代の芦野さんの面影を勝手に重ねてしまいました。
結果、話しかけてしまい、あれやこれやと語ってしまいました。

今回、ご厚意から芦野さんのお墓詣りもさせて頂きました。
思春期の多感な時代に楽しませて頂いたこと、遺された歌声で今も楽しませて頂いていること、墓前でお伝えしてきました。

本当に楽しい、嬉しいひとときをシャンソン館で過ごせました。旅先で御一緒した皆様には感謝しかありません。

機会があれば、また伺いたいです。
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by hakodate-no-sito | 2017-05-28 20:48 | 歌・唄・うた | Comments(0)

過ぎし日よ私の学生時代

ペギー葉山さんが4月12日に亡くなりました。

今年に入ってもステージは勿論メディア出演も行っていて、レコードデビュー65周年ということもあって、これからもいろいろ露出は多いだろうと楽しみにしていただけに、このような形でお目にかかることになってしまうとは予想だにしていませんでした。

というのも、先だって雪村いづみさんの80歳記念も兼ねたバースデー食事会(クローズド・イベント)の席で「夏にペギーさんが面白いコンサートをするので、貴方も来られるようならぜひいらして」とお誘いがあり、すっかりその気になっていたのです。

私が今のような歌好き人間になるずっと前の、いたいけな小学生の頃から、ペギー葉山という人は知っていました。断っておきますが、我が家は親類含め私以外に懐メロ好きな人間はいないので、環境は全く整備されておりません。そんな不毛地帯で、僅かに芽生えていた認識の人たちが、美空ひばりに石原裕次郎、島倉千代子、三波春夫、村田英雄、並木路子に雪村いづみといった人たちなのですが、ちょっとだけペギーさんの方が認識するのが早かったのは「ドレミの歌」のおかげでした。

「『ドレミの歌』(の日本語詩)を書いた人」
「なんだか知らないけど凄いひと」
「南国土佐がナンタラの方」

もっとも、そんな認識ですけれどね。
(いま現在の年齢でもこのぐらいの認識があれば充分だと思われますが)

何かの番組で「今年は海外でもペリー・コモが亡くなって・・・」とペギーさんが話して
いるのを聞いて、何だか知らないけれどペリー・コモという人は偉い人らしいとインプットさせたことを覚えています。後にこれが役に立ちました。

懐メロ番組で本当によくペギーさんは拝見しました。
人選がつまらない番組でも、お恵ちゃん(松山恵子)や雪村さん、ペギーさんが出演とあれば、まずは録画(視聴)していました。

「南国土佐を後にして」「学生時代」「ケ・セラ・セラ」「ラ・ノヴィア」「つめ」「切手のないおくりもの」「神様がくれた愛の道」「夜明けのメロディー」・・・

そうそう、先だって亡くなったデビー・レイノルズが歌った「タミー」も、ペギーさんの歌経由で知りました。横文字苦手な洋楽初心者である私とって、とっかかりを作ってくれた人のひとりが江利チエミさんであり、雪村いづみさんであり、高英男さんであり、岸洋子さんであり、越路吹雪さんであり、ペギー葉山さんでした。

近年は足腰の不調を見せたりちょっと小さくなってしまわれて、お歳を実感し淋しくなりつつも、歌声の健在ぶりに「まだ、大丈夫」「元気なうちにまた生歌聴きに行かなきゃ」と思っていました。

一昨年の10月、日比谷公会堂で越路吹雪のトリビュートコンサートが催されました。
日比谷公会堂が改修工事に伴う閉館間近ということに加えて、出演陣が水谷八重子、雪村いづみ、ペギー葉山がそろい踏みとあっては、ムリをしてでも行かねばならぬ、と腹を決め上京しました。

そのとき、9年ぶりにペギーさんの生歌を聴けました。
前回も日比谷公会堂でジャズフェスティバル、あのときは御主人の根上淳さんの喪に服す意味合いか黒いイブニングドレスを召して「我が心に歌えば」などを唄っていたことを覚えています。
それから9年、あのときは大きく見えたペギーさんがすっかり小さくなって、ちょっと歩くのが辛そうに見えました。
それでも、さすが頂点に位置する大ベテラン。1コーラス目は往年のように舞台を駆け回り、2コーラス目はピアノにもたれムードを出して唄うという演出で、きちんと魅せていました。
歌は衰えを知らず、ますます円熟味を増し、無駄をそぎ落とし、これが歌という極致を見せていました。

そのとき、歌ったのは越路吹雪の追悼曲でもある「シャンソン~ひとりの歌い手~」。
作詩・曲アダモ、日本語詩岩谷時子。
ペギーさんの中でも特別なレパートリー。
良い歌ではありますが、テレビではめったに聴けない歌で、まさかこの歌を聴けるとは思っておらず、嬉しい誤算でした。

♪いなくなった歌い手ひとり 声が残るだけ
シャンソン シャンソン これがシャンソン シャンソン…

最初に聴いたときから年月を経るに従い、この歌を聴くとき、私の中では越路さんに限らず、深緑夏代や石井好子といった面々も浮かんでくるようになっていました。

このときでの公会堂でも、そんな思いが胸をよぎっていました。
こんなに味わい深い歌を歌える人なんだなと改めてペギー葉山という歌手を好きになりました。

それから、ベスト盤の類ではなく、オリジナル・アルバムを何枚か買って、聴くようになりました。

ハンク・ジョーンズとのコンビで唄った「お久しぶりね」「よさこい・いん・JAZZ」に、若さとファイトで戦後30年の洋楽ヒットナンバーを高らかに歌い上げた「ポピュラー30年史」、そして名コンビ秋満義孝と吹き込んだ「絆」。

万葉集を題材に、ペギーと親交のある「誰もいない海」の作詞家・山口洋子が詩を書き、大塚博堂、来生たかお、南佳孝、西谷翔、米山たくみという5名の昭和54年当時新進気鋭のシンガーソングライターが曲を書いた名盤「万葉の心を求めて」。

手もとにあるオリジナル・アルバムはどれも高水準。
さすがに2000年代以降は全曲新規録音によるオリジナル・アルバムは出せなかったようですが、それも節目の記念曲等で今の歌声で新しいレパートリーを世に出し続けていました。「夜明けのメロディー」のスマッシュ・ヒット、「結果生き上手」の演歌・歌謡曲チャートで好評、とレコード歌手としても現役の顔を見せ、つい最近も新曲を発売したばかりでした。

時代を代表する大ヒット曲を幾つも有し、長年にわたり第一線で活躍し、日本歌手協会の会長職も務め、晩年もヒット曲に恵まれ、生前最後のステージが敬愛し止まなかった越路吹雪のトリビュートコンサート。大好きな宝塚のOGに囲まれながら歌った「スミレの花咲く頃」がラストソングとは、見事なまでの人生の幕引き。秋には65周年のコンサートの予定もあり、体調を崩す前日もコンサートのリハーサル。最後まで歌手として需要があり続け、現役真っ只中で、患うことなくスッと姿を消した。
拍手、拍手、で送りだすにふさわしい千秋楽ではありませんか。
あっぱれ、としか言いようがないです。まさしく「結果生き上手」。

・・・でも、こちらは茫然としています。
今も去年出演したラジオの録音を聞いていたのですが、お元気そのもので、死の影など微塵も感じません。到底信じられないのです。

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/04/13/kiji/20170413s00041000145000c.html

多くの人が、コメントを出していますが、レコードデビューが同じ年の雪村さんのコメントが沁みます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
うそでしょう!何やってるのよ、ペギー!って言いたいです。
ひばりちゃんもチエミちゃんもあまりに早いときにお別れしちゃったから、そのあとはあなたがいるから私も歌えるって思っていました。いい意味でいつもライバル。でもペギーはとてもいつも落ち着いていてお姉ちゃんって感じで私を引っ張ってってくれました。あまりに思い出が多すぎて。ひばりちゃんやチエミちゃんにあちらで会って、一緒に楽しい第二の人生を送ってね!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

それにしても「ペギーさんがいる」、これがどれだけ大きいことだったか。
当たり前のようでしたが、アメリカのポピュラーソング、ジャズ、ポップス、ミュージカル・ナンバー、童謡、唱歌、抒情歌、こどものうた、歌謡曲、南国土佐・・・これだけ幅広くジャンル横断で唄った歌い手がどれだけいるのか。また、その中で健在な、雪村さんらとともに最後の砦というべき人たちのひとりでした。
私が大好きな歌の時代、1950~70年代に現役で駆け抜け、過去と現在をつなぎ、あの時代の匂いと現在の感覚を同時に見せてくれる、希少な歌い手でした。
小さい頃から20年、ずっと見てきた、いることが当たり前の存在でした。

少し前のかまやつひろしの死もキツイものがありましたが、今度のペギーさんの急逝は、もはやどうしたらいいのかわからないのです。
哀しいとかショックだとか、そういうのではなく、ただ、ただ、茫然と立ち尽くしている、そんな感じなのです。
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by hakodate-no-sito | 2017-04-18 20:53 | 歌・唄・うた | Comments(0)

ミュージックフェアと美空ひばり

少し前に「Gift ~天からの贈り物~」という、美空ひばりのDVD-BOXを手に入れました。

フジテレビに残っている美空ひばりの映像を選りすぐり、DVD8枚分(1枚は特典盤で追悼番組の抜粋)にまとめたBOXです。特典盤以外の7枚はそれぞれバラ売りもされました。

2005年の発売だそうで、今からもう11年前、私が未だ高校生だったころに発売されたBOXです。

当時、「フジテレビの倉庫を総ざらいして発掘した映像が多数収録」とテレビで大々的に宣伝して、特集番組も組まれていました。スゴイものが出たなぁと思いながら、見ていましたが、諸事情でバイトが出来ない高校生の身分では買えるわけもなく、またそんな意志もありませんでした・・・。

その頃でしたか、「ミュージックフェア」でも美空ひばりの特集が数週に渡って放送され、たまたま録画し忘れた回で観た映像が、衝撃的でした。

吉田拓郎の「祭りのあと」を歌うひばり、「ワインレッドの心」「夢芝居」を歌うひばり。
小学校ぐらいから美空ひばりに触れてきましたが、こんなに心揺さぶられたことはありませんでした。
通り一辺倒の知識は、その頃既にありましたが、その価値観は見事に崩されました。
その後、「さくらの唄」という曲とも出会い、また価値観が変わってゆきました。

機会があったら、もう一度見たい。
そう思いながらも、動画サイトにも映像はなく、そのままでした。

今回、BOXを入手して、一等先に観たのは、この「祭りのあと」でした。
有難いことに、この回の「ミュージックフェア」は、オープニングからエンディングまで、まるまる1回分収められていました。

森山良子が歌うオープニング曲、司会の長門裕之・南田洋子夫妻とのやりとり、美空ひばりのMC。
昭和51年の、歌番組が目の前に迫ってきます。そして平成17年の思い出も。
「ひばりの佐渡情話」「さくらの唄」「祭りのあと」「ある女の詩」「悲しい酒」。
気合の入った女王の歌声は、この頃こそ絶頂のように思います。
これだけじっくり歌を聴かせる、映像的にも美しい、そんな番組があったなんて、私には羨ましくてなりません。

「さくらの唄」「祭りのあと」と2曲続けて披露している姿を見ているとき、不覚にも涙がこぼれてなりませんでした。

「さくらの唄」を美空ひばりの歌で世に送り出した仕掛け人だった久世光彦も、番組で司会をしている長門裕之も南田洋子も、もういません。
私自身も、当たり前ですが高校生ではありません。あの頃、当たり前の毎日一緒に過ごしていた人たちも、連絡がつく人なんて、ほんの少しです。亡くなった人もいます。

♪何もかも僕は なくしたの 生きてることが つらくてならぬ
♪君と見た夢も おわったことさ おわったことさ

(「さくらの唄」より 作詩:なかにし礼 作曲:三木たかし)

あの頃だって、今だって、本当は倖せなのに。
でも、どこかで満たされない想いがあって、それが時々、思いもかけない場所で噴き出すことがあります。
このときも、そう。様々なことが走馬灯のようによぎってきたのでした。

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by hakodate-no-sito | 2016-03-04 21:25 | 歌・唄・うた | Comments(0)

低音の魅力を映像でもどうぞ

昭和を代表する大歌手にふさわしいBOXセットが、2016年2月24日に発売された。
「懐かしのフランク永井 シングル全集」(10CD+DVD / VIZL-941 )

このBOX、フランク永井のシングル曲(A面)をまとめたもので、CDにしてなんと10枚分。
加えて、NHKのアーカイブ映像からフランクの歌唱シーンをピックアップしてまとめたDVDが1枚付いてくる。

フランク永井のCD-BOXはこれまで幾つも発売されているが、ヒットの多さが災いしてか、結局オリジナル曲は似たり寄ったりの選曲にならざるを得ない状態が続き、カバー音源(洋楽も含む)の方がバラエティ豊かな選曲(復刻)ができるという、本末転倒というのか、何とももどかしい状況になっていた。

勿論、カバーはカバーで聴き応えがある。
フランクのカバーへのスタンスは洋楽のポピュラー歌手のそれに近い。良い歌は共有しようと、気負わず、サラッと歌うところが実に良い。だからこそ光る。
何よりもフランク永井の代表曲「君恋し」は二村定一のカバー。欠くことはできない分野なのだ。

洋楽は言うまでもなくフランク永井の核であり欠くことが出来ないもの。

どちらもフランク永井という歌い手を知るには重要な音源だ。 余技どころか見方によっては本丸といえなくもない。

ただ、フランク永井という歌い手は紅白26回連続出場という最多記録(当時)を打ち立てた、歌謡界のまん真ん中に居た歌い手。
フランクが歌った、流行歌~歌謡曲を見ていく(聴いていく)ことこそ、フランク永井を知る、まず王道ではないだろうか。

日本の音楽シーンにおける功績を思うと、昭和30年から60年までの30年間、フランク永井という人がどのような歌を歌い、ヒットさせてきた、リリースしていたかを、つぶさに知ることができる手がかりとなる、今回のシングル全集はフランク永井という一歌手の歴史だけではない、また作曲家吉田正にとっても、作詩家佐伯孝夫にとっても、ビクターレコードにとっても、流行歌~歌謡曲の変遷を知る上でも、一大資料となったことは疑いの余地もない。

フランクと同時代に活躍した歌手で、今までこのような全集がリリースされたのは、私が知る限りでは美空ひばり、島倉千代子、三橋美智也、春日八郎の4名。ここにフランクが加えられたことは収まるところへやっと収まってきたのかと嬉しくも思う。
(あと、このレベルに近い全集は、江利チエミでも組まれている)

今回の全集は10枚分、それぞれ単独でも発売されている。
BOXセットは高額だから・・・と躊躇されている方でも、まずは気になる年代を1枚、という買い方・聴き方が出来るのが有難い。

BOXセットには歌唱映像を収めたDVDが1枚付属している。
過去、テレビ東京における歌唱映像が数曲程度収めれたビデオが発売されたことはあったが、フランク永井単独での歌唱映像ソフトはおそらく本邦初。

NHKに残る最古の歌唱映像と思しき、昭和38年放送の「第14回NHK紅白歌合戦」で歌った「逢いたくて」から、NHKに残る最後の歌唱映像である昭和60年放送の「第17回思い出のメロディー」での「有楽町で逢いましょう」まで全28トラック分の歌唱映像が収められている。

DVDの構成のベースは、2009年にNHK-BS2で放送された「歌伝説 フランク永井の世界」。
1部の映像テイクは、原版からではなく、「歌伝説」をそのまま2次使用(流用)しているので、一部テロップがモザイクがかかっている。
原版から使用すればクリアな映像で見られたろうに、その点は残念で仕方ない。

また、NHKに残っている映像、という関係もあり、いくつかのヒット曲は収められていない。
しようがないこととはいえ、「夜霧に消えたチャコ」「羽田発7時50分」「西銀座駅前」などが抜けているのは痛い。 前述の「歌伝説」ではテレビ東京から映像を借用し、紹介している。

「羽田発7時50分」は昭和46年放送「第22回紅白歌合戦」で歌われているのだが、NHKで映像を保存しておらず、後年視聴者(関係者)からエアチェック用の映像の提供を受け、それをアーカイブに収めるかたちで保存している。残念ながら提供された映像の保存状態が宜しくなく、特にフランクが出演している中盤の時間帯が酷いらしい。

それにしても、フランクの代表曲といえるこの3曲の歌唱映像がNHKに無いというのは半ば信じられない。

さて、このDVD、「歌伝説」を録画した人には不要かというと、そんなことは全くない。

・昭和42年放送「第18回紅白歌合戦」での「生命ある限り」
・昭和43年放送「歌まつり明治百年」における「ゴンドラの唄」「恋はやさし野辺の花よ」(共演:和泉雅子)
・昭和52年放送「ビッグショー・松尾和子」での「銀座ブルース」(競演:松尾和子, 和田弘とマヒナスターズ)
・昭和55年放送「第31回紅白歌合戦」での「恋はお洒落に」(競演:ニューホリデーガールズ)
・昭和56年放送「第13回思い出のメロディー」での「東京の屋根の下」(競演:八代亜紀)
・昭和56年放送「特集 歌謡ホール」での「無情の夢」

は番組で紹介されなかった映像である。
加えて、「歌伝説」では歌の途中までの紹介だった
・昭和59年放送「この人『フランク永井』ショー」での「My Baby's Comin' Home」
も堪能できる(ただし、「歌伝説」で流れた曲前のMCはカット)。

なおDVDでは昭和51年放送「第27回紅白歌合戦」での映像と紹介されている「東京午前三時」は、昭和57年放送「歌謡ホール」のものであり、「大阪ぐらし」は昭和55年放送「歌と笑いの大阪夏まつり」だと思われる。

DVDが単独での発売ならばともかく、あくまで特典の付属DVDであることを思えば充分な出来だろう。
まずはフランク単独での歌唱映像集が編まれたことを喜びたい。そして、次につながっていくことを祈りたい。
TBS編、テレビ東京編で映像集を作れば、代表曲の大半は映像で楽しめるのではないかと思う。

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by hakodate-no-sito | 2016-02-24 12:52 | 歌・唄・うた | Comments(0)

フランク永井邸には自宅スタジオがあったというおはなし

調べものをしていたら、フランク永井邸についての記事が出てきた。
東京は目黒にあった自宅は昭和38年1月ごろに完成。
100坪の敷地をうまく生かした建物で、洒落た庭もあったそう。
目を惹くのは、2階にあったという録音スタジオ。
常時歌の練習ができるように、と自宅を建てるにあたって唯一設計者に注文を出したのだそう。
昭和20~30年代の流行歌の歌い手で自宅に録音スタジオを持っていた人というのは殆ど聞いたことがない。
そう言えばクレイジーキャッツの谷啓が自宅録音で全くの趣味で多重録音した音源を多数制作していたという話があった。
最も谷啓は歌も歌っているけれど歌手というよりもミュージシャン、トロンボーン奏者だ。
フランク永井は、昭和60年の哀しい事故でキャリアにピリオドが打たれ家庭も崩壊。20余年を恍惚の人として過ごし世を去った。
自慢の自宅も亡くなる数年前に売却。跡地には駐日パプアニューギニア大使館が建設されている。

自宅のスタジオで、どんな歌が録音されていたのか。
レコードの吹き込みやステージに備えたリハ用のそれが録音されていたのだろうか。
趣味の落語を個人的に練習して一席やったものなんかもあったのだろうか。
また、そのテープは残っていないのか。

無いだろうと思いながらも、空想や「もしや」の思いが捨てきれず、いろいろ考えてしまう。
だいたい、昭和60年まで現役だったのだ。コンサートの映像ひとつソフト化されていないのは「どうして」と言いたくなる。
音だけでも良いから、30周年記念ライブの完全版を発掘・ソフト化してほしい。

アメリカと比べちゃいけないと分かっていたって、フランク永井の映像ソフトの無さは惜しい。
ブートレグでいいから流通させてくれよと叫びたくなる。

そんな、慢性的なフランク永井不足をいくらか解消してくれたのが、今月21日発売のアルバム「ザ・カバーズ~魅惑の低音 再び」(VICL-64429~30)。
初CD化音源多数。未発表音源も含まれている。収録音源の初出データも掲載されている。今までそういうデータは軽視されているので大きい前進。
ビクターの担当者は勿論、ファンの方も制作協力というかたちで噛んだことがこのアルバムのクオリティを高める支えになったのだと思う。
データ面で言うならば、これで(ボーカルの)録音年月日も併せて掲載されていれば完璧だった。

今回の目玉となる音源のひとつ、フランク永井が歌う「森の小径」(灰田勝彦の歌や鈴木章治とリズム・エースの演奏で知られている曲)は、佐伯孝夫リサイタルの実況録音。
未発表音源なのだそう。フランクの1曲が未発表音源として奇跡的に残っていたのか、他の歌手の曲も残っているのか、リサイタル全体の音源が残っているのか、非常に気になる。
フランク以外の音源が現存するのならば、ぜひともそれらも陽の目を浴びせて頂きたい。
フランク永井クラスの歌手ともなれば、未発表音源の類もいっぱい残っているはず。
いろいろ問題はあるのかもしれないが、今回のように、どんどん発掘・公開して頂きたい。熱望せずにはいられない。
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by hakodate-no-sito | 2016-01-07 21:19 | 歌・唄・うた | Comments(0)

ラストライブ 岸洋子

10年来探していた岸洋子のCDが手に入った。

探していた…いや、それはちょっと違う。探していたには探していたけれど、どこかで聴くのが怖いと思っていた自分がいたから。

そこを突破して、何とか手に入れたいと本腰を入れたのは、先だって岸洋子の追悼盤と再会して「新しい世界」という曲を聴いてから。

おそらく最後のオリジナル曲。
歌手生活最晩年のものと思しきライブ音源。

往年のように声量豊かに歌い上げることも、伸びやかな高音も、思うようには出なくなっている。そこに10年前の私は「痛ましい」「可哀想」と感じ取り、歌も記憶も封印した。

それがどうだ。
今、聴いてみると印象が全く変わっている。

現段階で出せる声をどう使っていくか。
バリバリ歌えていた過去の自分との闘い。
考え抜かれた末に生まれたであろう、新たな歌い方。

温かみ。
圧倒的なスケール感。
奥行き。

歌い手としての持ち味、本質的な部分は微塵も揺るいでいない。

こんなに大きい人だったんだ。
自分の見る目の無さに頭を抱えながら、岸洋子に惚れ直した。

その情熱と執念を大きな身体に秘めながら、たおやかに在った岸洋子の最期の歌声、今聴きたいと強く思った。

あれだけ探してもない、あっても一歩違いでスルリと逃げられていたものが、いとも簡単に手に入った。今まで霧がかかって見えなかった、ごく近い場所に、それはあったのだ。

「岸洋子リサイタル'91 / ラスト・ライブ」(KICX-389)

1991年10月14日、東京厚生年金会館で行われた「岸洋子リサイタル'91」での歌声が収められている。病で2年間休業していた岸洋子の再起ステージだ。亡くなるおよそ1年前のうただから、ラストライブではないと思うのだが、コンサートの形態(構成演出)としてはこれが最後のものという意味で、ラストライブなのだろうか。

最小限の、でも腕利きのミュージシャンとともに奏でられる、名曲の数々。

あれだけの闘病生活、それだけでお涙頂戴の見世物になって、歌は2の次になっていたところで全く不思議じゃないのに、そういう次元にいない。歌に荒みがない。ちゃんと歌で勝負している。
会場にいたら、客席で泣いていたに違いない。

どうやったら、あんな歌が歌えるのだろう。

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by hakodate-no-sito | 2015-12-07 21:11 | 歌・唄・うた | Comments(0)

サヨナラ日比谷公会堂

良い夜でした。
約半年ぶりに上京した目的のひとつは、日比谷公会堂で催される越路吹雪音楽祭の鑑賞。ヅカは正直苦手なんですが、知っている方がプロデューサーで関わっているのと、ペギー葉山、雪村いづみ、水谷八重子と私の大好きな方が揃い踏みというのと、今年度末で日比谷公会堂が一時閉鎖(改築)という、気にかかる3つの要素があり、重過ぎる腰を上げました。

結論からいうと、ヨカッタァ!
人選にはTさんが関わっているだけあって歌える人ばかり。得意ではない宝塚ですが看板を張った人たちばかりだけあって、思った以上に楽しめました。なんたって舞台映えするんです、全員。
そして歌わされている感がまったくない。

演奏が宮間利之とニューハード(をベースにしたスペシャルバンド)。20人以上いて、腕利きとあって、サウンドはゴージャス。歌い手がさらに引き立ちますし、さして興味がない歌手が出ているときも耳は常に幸福なので、ステージへすぐ意識が向かいます。

目当ての御三方は、目当てだけあって、好きであることを裏切らない、ますます好きにさせてくれるステージ。
大好きな水谷八重子ですが、正直に言って今もあれだけ歌えるとは思っていなかったです。嬉しい誤算でした。

ペギー葉山を前回観たのは、やはり日比谷公会堂でした。あれから9年。御御足が少し悪いのかなと思いましたが、歌いっぷりは今回の方がずっと良くて、また途中ピアノにもたれながら歌う姿が絵になっていて、こんなに凄い人なんだと感銘。
雪村いづみは「愛の讃歌」。越路吹雪が使っていた譜面で歌われていました。声が出ること、出ること。

ペギー、雪村の御両人はお歳を考慮してか1曲づつでしたが、あの歌いっぷりを見れば、もっと曲数多く聴きたかったですね。
ペギー・雪村・水谷、それぞれで越路吹雪を歌う的なワンマンコンサート見たいなぁとも。

御三方以外だと涼風真世の細さにビックリ。柳の小枝って、あんな人を言うのでしょうか。あの細い身体からどうやってあんな歌声が出てくるのか。
(おかげで次に出てきた水谷八重子が余計恰幅が良く見えるマジック。しっかり八重子サン、ネタにしてました笑)

雪村いづみの「愛の讃歌」に限らず、越路吹雪が使っていた譜面で歌われた曲数も多々あって、知っている歌が生バンドで、知っているアレンジで聴ける幸福。

最高の2時間でした。
華やかな想い出と共に日比谷公会堂を心に残せて、本当に嬉しいです。
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by hakodate-no-sito | 2015-10-23 23:13 | 歌・唄・うた | Comments(0)

ふたつの「愛の讃歌」

「愛の讃歌」といえば、一般的には岩谷時子の詩で広く知れ渡っていますし、歌われています。

http://www.uta-net.com/movie/42573/

私の手元にも「愛の讃歌」の音源は、エディット・ピアフと越路吹雪を筆頭にいくつもあります。
その中に、倍賞千恵子が歌う「愛の讃歌」があります。
私が知っているものでは2種類の録音があり、1種類は科白(ナレーション)の後に歌い出すもの。
どちらも、♪貴方の燃える手で私を抱きしめて…という岩谷時子の詩での歌唱なのだが、♪固く抱き合い 燃ゆる指に髪をからませながら…以降の歌詞が歌われておらず、代わりに

♪たとえ山はさけて 海はあせる時も
君の愛あれば 何をかおそれん
生命終わるときも あなたを愛したい
君の愛あれば さらに何を望まん

という歌詞で歌われています。
訳詩者不詳の日本語詩とあります。
調べてみると、倍賞版はダイジェスト版のようで、ベースをもとに最初と最後を組み合わせたもののよう。

http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/09/post_d9d5.html

先日、調べものがあって図書館向けデジタル化資料送信サービスを利用して、国会図書館の資料を閲覧していたら、昭和31年発売の雑誌「知性」のシャンソン特集記事の中にこの詩が載っていたのです。
今日伝わっている詩とは、異なる部分もあったが、ほぼ同じ。

たとえ山は裂けて 海は浅(あ)せるときも
君の愛あれば 何をか恐れん
たとえ世の宝は すべて失うとも
君の愛あれば 何をかさらに惜しまん

君が望めば
よしや火の中 水の中でも・・・
友を裏切り
この世を捨てて世界の果てに
命終るとき
愛の世で結ばれて・・・
君の愛あれば
何をかさらに望まん


作詩は中原淳一と記載。

・・・高英男が歌っている「愛の讃歌」の日本語詩と違う。

いのちのある限り お前を抱きしめて
この世の果てまで お前とならば
私の このいのち 悔いなく捧げよう
固きこころの 愛の誓い持ちて

お前のいのち 私のいのち
それはひとつさ
お前のこころ 私のこころ
それもひとつさ
みんな同じさ お前と私
地の果てまでも
海の果てまで 空の果てまで
ともに愛さん


雑誌の表記ミスでなければ、中原淳一の詩の「愛の讃歌」は2種類存在することになります。

中原淳一やシャンソンのファンや関係者は、周知のことなのかもしれませんが、思いがけない発見でした。
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by hakodate-no-sito | 2015-10-23 20:59 | 歌・唄・うた | Comments(0)

あいつ、旗照夫。

前々から気になっていた旗照夫のCDを思い切って買ってみました。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B006O2AJJA

旗照夫は1950年代に人気だった男性ジャズ・ポピュラー歌手。
早くに一線を退いてしまったこともあって、音源復刻の機会がほとんどない方。
日本のジャズ(ポピュラー)における男性ボーカルの地位は低いことこの上なくて、日本のジャズボーカル界で長年トップの座を張り続け、2000年代初頭まで現役だった笈田敏夫ですら、今聴こうとすると大変な状況。

早くに一線を退いた旗照夫ですが、その後再びマイクを持つようになり、2015年現在は定期的に行うディナーショーを活動の中心に据え、時折歌番組にも顔を出すことも。数年前には「徹子の部屋」へも出演しています。美声も歌唱力も健在で、「90歳まで歌いたいから」と節制しておられるそう。



https://www.youtube.com/watch?v=XgA5Au9P_48
旗照夫、近年のステージから。

旗照夫は昭和29年にポリドールで「ハッシャ・バイ」等を吹き込みを行った後、昭和30年から33年にかけてコロムビア、その後は東芝レコード(現在のユニバーサル・ミュージック・ジャパン)で吹き込みを行っています。

今回の復刻はコロムビア時代。旗の歌声で世に出て、今でも唄われる機会の多い「あいつ」もコロムビア時代です(東芝時代にも再録音し、レコード発売しています)。

旗照夫の歌声は素晴らしいのですが、聴きどころは旗だけじゃないのです。
コーラスグループとして、プロの道を進み出した頃のダークダックスが旗とコンビのようなかたちで多く仕事をしていたのですが、このCDにも旗とダークの組み合わせで吹き込まれた音源が多く収録されています(全22曲中7曲)。

「ハッシャ・バイ」「ホワイト・クリスマス」「マリアンナ」「砂に書いたラブレター」・・・。
歌もあくまで旗のコーラスでサブに徹する形式ではなく、2コーラス目では主旋律を担当するなど、対等の関係。ダークダックスの唄を楽しめます。キャリア初期、ですが既にダークの歌声は完成されていて、安心して(?)若いダークの伸びのある声に聴き惚れられます。

旗照夫に関心のある方にも、ダークダックスに関心のある方にもお薦めです。

・・・ひとつだけ欲を言えば、日活映画「街燈」(監督:中平康)の主題歌「街燈」(作詞中原康、作曲佐藤勝。三浦洸一のヒット曲とは同名異曲)、これも入れて欲しかったですね。洒落た良い歌なんですよ。


https://www.youtube.com/watch?v=1tvTVAAtitY

旗照夫、今月5日発売のアルバム「Yoshie Sings 50s」(ビクター/VICL-64387)で、久しぶりのレコーディング。水谷良重時代からの付き合いの二代目水谷八重子丈とデュエットで「先生のお気に入り(Teacher's Pet)」を披露だそう。こちらも気になります。

http://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A003659/VICL-64387.html
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by hakodate-no-sito | 2015-07-31 21:05 | 歌・唄・うた | Comments(0)