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カバーソング

久しぶりに島倉千代子のCDを買った。
島倉千代子は、一時散々聴いていた。あんまり聴き過ぎて自分の中の許容量を越えて、しばらく遠ざかっていたこともあるが、今でも時々むさぼるように聴きたくなる。私のiPodの中には常時お千代の唄が最低数曲必ず入っている。

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CDは新品ではなく中古ショップで見かけたもの。
安価に加え、既に入手困難な1枚であることも理由だが、何といっても選曲に食指が動いた。
平成7年(1995年)当時の最新曲・近曲に、御馴染のヒット曲が数曲。残りの収録曲はカバー曲。それもほぼ昭和50年代半ばのヒット曲(演歌・歌謡曲系)のカバー。
ヒット曲の大半なら既に音源は確保しているが、カバー音源に関しては消極的姿勢を続けていたので、あまり持っていない。
演歌はあまり好きじゃないはずなのだが、CDに収められた歌は全部口ずさむことが出来た。JPOPは好きで覚えたはずでもすぐ忘れてしまうが、演歌(系歌謡曲)は嫌いな歌でも覚えることは覚えている。まあ、おそらくは個人の嗜好・音感の問題だろうが。

編曲はオリジナル準拠で取り立てて言うものはない。今日の感覚で言うと「カラオケで歌ってみました」というところだろう。
歌は、やはり島倉千代子以外の何者でもない。昭和50年代、円熟したお千代の歌声は滋味に満ちている。
丁寧。歌詞がはっきり聴きとれる。独特のビブラート。魅力的な声質。似ている歌手が思い当たらない、唯一無二の歌唱。
そして存外男歌に色気を見せる。ミスマッチの妙というのか、男装の魅力というのか。

昭和50年代演歌・歌謡曲以外から選曲されていたカバー曲は「九段の母」。
これもいい。二葉百合子や美空ひばりのカバーは関心しなかったが、お千代はいい。
歌は3分間のドラマという言葉を体現している。ちょっと新派っぽくて、それがまたいい。
オリジナルの塩まさるの歌唱とは、男声・女声の違いということもあるが、別の世界観で唄い切り、「唄ってみました(唄わされました)」という感じではなく、自分の持ち歌としてしっかり消化しているのが見事。

オリジナルのヒット曲だけでは見えにくい、歌手・島倉千代子の魅力を堪能出来て、本当に嬉しい。
やはり、お千代はいい。代わりがいない。

お千代がうまいのかへたなのか、これは議論の別れるところなのだろう。
しかし、歌の合間の台詞も含め、確固たる個性を持ち、胸を打つことが出来るお千代を「へた」とは、私には呼べない。やはり「うまい」と言いたい。

お千代、貴女は凄かった。
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by hakodate-no-sito | 2013-09-27 21:01 | 歌・唄・うた | Comments(0)

サム・テイラーと井沢八郎

以前、ある方の好意で50枚ほどレコードを頂戴した。
しばらく中断していたが、数日前からふたたび、その頂戴したレコードのPC取り込みをしている。
不調のレコードプレーヤーを使っているので、取り込みは1曲ごと。長い曲だと、途中で止めるなどしながら数度に分けて録音したものを切ったり張ったりと編集することになる。
難しいことはしていないものの、それなりに手間がかかるし、1曲ごとの作業ゆえ、ある程度しっかり聴かざるを得ないので、体力いや気力がないと出来ないのだ。

昨晩も、取り込み作業をしていた。
最初は前日の続きで、サム・テイラー(Sam "The Man" Taylor)のLPアルバム「ブルースをうたう」。
そして「男船 井沢八郎ヒット歌謡集」。

サム・テイラーのアルバム、「ブルースをうたう」といっても黒人音楽なBluesではなく、歌謡曲のブルースの方である。

「別れのブルース」「熱海ブルース」「夜霧のブルース」と戦前戦後の作品から、歌謡ブルース全盛時代の「銀座ブルース」「恍惚のブルース」「東京ブルース」「港町ブルース」「盛り場ブルース」「女のブルース」「新宿ブルース」・・・と和製ブルースが14曲収められている。

基本的に名曲ヒット曲ばかりだが「あなたのブルース」「函館ブルース」という、今では渋い(コアな)立ち位置に置かれていそうな曲や、今や余程の歌謡曲好きじゃなければ知らないであろう「夜のブルース」や「モーニング・ブルース」なんて曲も取り上げられている。

時代の流れで忘れられた曲を楽しむのも、今日なおも知られる曲を楽しむのも、どっちも楽しい。

誰が唄っても演奏しても大好き「東京ブルース」はやっぱり良いし、「モーニング・ブルース」は隠れた名曲というべき洒落た歌だ・・・など。

もっとも、どちらの場合も好きな歌、あるいは嫌いではない歌、ということが肝要だが。

サム・テイラーというと、私の中ではサックス奏者なジャズメンというより、日本御用達の外人アーティストの印象が強い。「ハーレム・ノクターン」の演奏が代表作なのだろが、やはり私の中では中古市場に溢れ返っている歌謡曲のインストアルバムが代表作である。
もしかしたら、本国よりも日本での人気の方があったのではないだろうか。
その辺も含めて、サム・テイラー、ポール・モーリア、ニニ・ロッソは、私は御三家だと思っている。

このLPではないが、頂戴した別のサムのLPには浴衣姿でサックスを吹くポーズで写っているポートレートが同封されていた。
どちらかというと親日家というより、ノリのイイ黒人のオッサンという趣だ。

サム・テイラーの咽び泣く、渋い音色を散々堪能した後は、井沢八郎のLPアルバム「男船 井沢八郎ヒット歌謡アルバム」を取り込む。モノラル盤。10インチではない。
年代は書いていないが「北海の満月」が収録されておらず、「あゝ上野駅」が収録されているところを見ると、昭和39年の発売だと思われる。

井沢八郎。懐かしい名前だ。
もう亡くなって何年になるのだろう。存命だった頃はテレビ東京やNHKの歌番組で度々見かけた。「年忘れにっぽんの歌」の会場である新宿コマで、往年と遜色ないパンチの利いた美声で高らかに歌い上げる「あゝ上野駅」は、欠くことの出来ない番組の味のひとつになっていた。

井沢八郎のデビュー曲「男船」の発売は昭和38年。だから、このレコードはデビューして間も無い新人歌手の歌になるのだが、とてもそうとは思えないうまさである。
まず何と言っても美声。高音の響きは抜群。声量もあるから声がよく伸びる。
同じ東芝レコードの先輩歌手である松山恵子や藤島桓夫や、ほぼ同時期に出た北島三郎と同じラインに位置するパンチの効かせた唄い方もほぼ出来上がっている。
ただ、デビュー曲の「男船」などを聴くと、パンチを利かせようするあまりか、歌詞が不明瞭になる(というのか訛るのか)ところが、この頃の歌には見受けられる。そこが唯一新人らしい弱さだろか。もっとも、これは今日ではもう弱点には入らないだろう。この頃の井沢が今、新人演歌歌手として出て来ても、やはりひとかどの歌手になるように思う。

―久しぶりに、あの歌、聴くか。
上機嫌で針を落とし、再生する。半世紀前のLPだが音は意外に綺麗だ。
やがて、聞き覚えのある、あの前奏が聞こえて来る。

♪どこかに故郷の香りをのせて 入る列車のなつかしさ 上野は おいらの心の駅だ

流行り歌は、長く唄われ聴かれていた歌でも、歌い手が表舞台から去るか亡くなると、途端に耳にしなくなる。この「あゝ上野駅」もそうだ。
『たまには「北海の満月」も唄って欲しい(唄わせてやって)』と言っていたぐらいに、散々懐メロ番組で聴いていたのに、こうして聴くのは数年ぶりなのだ。

久しぶりに聴く「あゝ上野駅」は、沁みる。
集団就職で上京して働く若者の健気な心情を描いた歌詞もそうだが、高揚感に程良いペーソスが隠し味に入った曲、そして井沢八郎の歌声。
この歌は三位一体の魅力、いずれが欠けてもいけない歌なのだ。

人生の応援歌を唄い、昭和40年代に一世を風靡する水前寺清子登場の土壌は、井沢八郎のこの歌によって既に培われていたのである。
その点からも、この歌は、井沢八郎は、歌謡史上に大きな足跡を遺しているのである。

そんなことを思っているうちに一番が終わり、間奏に差し掛かる。
マンドリン(とギター)の音色が響き、『さあ、あの泣かせの利いた台詞だぞ』

・・・無いのだ、あの台詞が。
そう、あの「あゝ上野駅」の台詞は、初回盤レコードには無く、後から付け加えられたものだったのだ。台詞入りの流行歌~歌謡曲には、こういうタイプのものがいくつかある。
島倉千代子の「東京だよおっ母さん」や、美空ひばりの「悲しい酒」などがそうだ。

「悲しい酒」は美空側から発注を受けて、石本美由起が書き下ろしたものだそうだが、「東京だよおっ母さん」は当時コロムビアレコードの専属司会者でもあった漫才師コロムビア・トップの手による。
「あゝ上野駅」はどうなのだろうと、ネットで検索してみると、あの台詞は井沢八郎自身によって実演で加えたものだという。
歌では"おいら"なのに、台詞は"ぼく"になっている不整合からして、ある程度信憑性の高い話に思える。

※ちなみに川内康範の「おふくろさん」騒動は、あの台詞(前歌=ヴァース)が気に入らなくて「歌わせない」と言った訳ではなく(気に入らなかったのは事実であるが)、森の対応の拙さで事態がこじれた結果の出来事である。川内が寄せた情は、根本的なところで森には通じていなかったという、哀しい話である。

歌詞だけで歌の世界をしっかり作っているのに、後から台詞を加えられるのは作詞家の方にはさぞ面白くないことだろう。
だが、聞き手である私からすれば台詞のない「東京だよおっ母さん」や「あゝ上野駅」はワサビの効かない寿司のようなものに思える。知ってしまえばもう、欠くことなど考えられない。

いつだったか、テレビ東京の昔のVTRを流す懐メロ番組で「あゝ上野駅」を取り上げたとき、間奏および台詞の部分を編集でカットして放送していたが、まったく無残な歌の残骸に思えてならなかった。

テレビ番組の乱雑極りない編集のものはさておいて、台詞のない「あゝ上野駅」など、めったに聴けるものではない。ここでは歌の世界に浸るのではなく、興味深く聴取することに楽しみ方を変えることにした。

普段は台詞に隠れてしまう一番と二番の間奏のメロディが、よく聴こえる。
マンドリンとギターが奏でるメロディにしみじみとしてしまった。
台詞の有無関係なしに「あゝ上野駅」の肝はここなのだろう。

動・動か、動・静・動。
ここでひと息入れるかどうかで歌の印象がだいぶ変わってくる。
啄木の詩も盛り込んだ、なかなか出来た青春歌謡から、時代を代表する歌への昇華への鍵は、この間奏にあるよう、私には思えてならない。そして編曲の重要性を実感させられる。

今回聴いた井沢八郎のアルバムには、「あゝ上野駅」のような曲は他に収録されていない。
あとはすべて演歌調である。
井沢の、他のヒット曲「男船」「男傘」「命船」「北海の満月」などは、男の心意気を唄ったもの、漁師の男を唄ったもので、村田英雄~北島三郎~鳥羽一郎のラインが本来の立ち位置なのだろう。

歌い手にとって異色なはずの歌で一世を風靡し、名を永遠に遺すというのは、何とも興味深いし、考えさせる。
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by hakodate-no-sito | 2013-07-29 08:13 | 歌・唄・うた | Comments(5)

異次元への誘い~千昌夫・新沼謙治ジョイント歌謡ショーへ行く

敷地に入ると、そこは異次元だった。
自転車がびっしり並んでいる。
チケット売り場にも、人、人、人。

見事に年配層ばかりだ。
チケット売場に並んでいる人たちは、スーパー等で配られる割引優待券を片手に握りしめている。
考えることはみんな同じらしい。

「残念、もうそこの席は売り切れちゃったんだよね」
「もっと早く来てくれれば、あったんだよ、席。そこンところ間違わないでね」
「○○円なら立ち見だけど、××円なら席、座れるよ。どう?」
くだけた口調で巧みに話を進めていく、ちょっと一般人とはオーラが違う、いかにも興行関係者(会場スタッフ)が声をかける。
××円は○○の2倍の価格だから、みんな立ち見を選ぶ。

どうこうするうちに私の番が来た。
「お兄さん。お兄さん若いんだから席座んないと」
口のうまいオッサンスタッフが話しかけてくる。
「若いので、敬老精神で席を譲って立ちます」
一度、立ち見というものも経験してみたかったのだ。

会場となる市民ホールの中は、60歳以上の高年層で埋め尽くされており熱気が凄い。
立ち見の席は当然一番後ろだ。通路なので、そこそこ換気もされて蒸していない。
通路の真ん中が空いていたので、そこを陣取る。これでステージが正面から見られる。視界は良好だ。
一番後ろの座席には柵がある。
そこに寄りかかり掴まりしながら見れば、ヘタに席に座るより余程楽に見られる。
尾てい骨が少し出っ張っているので、長い時間座っていると痛むのだ。

ショーは二部構成。第一部は地元演歌歌手コーナー。いわゆる前座だ。
素人っぽいオバチャンが開幕のあいさつ。
「××レコード専属、●●●さん『△△△』、どうぞ拍手でお迎え下さい」
MCに促され、見たことも聞いたことも無い演歌歌手が出て来た。

オッサンだ。名前も曲名も記憶出来なかった。
恰好は覚えている。バナナの皮のような色をした、安っぽい上下のスーツ、靴は白。
歌は・・・ハッキリ言って私の方がうまい。
声質も魅力に乏しく、発音も音程も不明瞭になる箇所が見受けられる。
それでも間奏中に花束を持って来る人がいた。たぶん、身内だろう。

その次もやはりオッサン。
山本譲二の「花も嵐も」を唄っている。前の人よりはカラオケ演奏の質も歌も良くなっている。
でも、声量が足らず発音も時折不明瞭になる。
話し方も唄い方もどこか胡散臭さが漂っている。ジゴロっぽい。
カラオケスナックやアマチュアカラオケ教室か何かの人気者なのだろう。オバサン数人が声を掛けたり、花や御祝儀袋を持って、握手をねだる。
演歌の世界は、花束だけではなく御祝儀袋も手渡すものらしい。
そういうのは梅沢富美男や浅香光代のような大衆演劇の世界だけだと思っていたので衝撃だった。
さして魅力の感じない歌がさらに1曲続く。
何の唄だろうと考えていて、歌の途中で何とか思い出す事が出来た。
クールファイブ(前川清)の「女のくやしさ」だった。
「俺の清に謝れ」とジゴロに文句を言いたくなった。そういう出来である。

未知の世界に最初は興味津々だったが、つまらない歌を続けて聞かされて、軽く苦痛を覚え出したところで、女性歌手ふたりが出て来た。

何とかアスカという人と、タカダトモエという人。
唄ったのは「恋のバカンス」、先のオッサンたちとはレベルが変わる。
やっと聴ける歌になった。声質も良い。
ただ、この「恋のバカンス」、かぎりなくこまどり姉妹寄りだった。

何とかアスカは、水森かおりが着るようなブルーのロングドレス。
タカダトモエは、潮をイメージしたような柄の着物。

このあたり、いかにも演歌的な、B級歌謡ショーっぽい。

何とかアスカはタカダトモエの弟子らしい。
タカダトモエはベテランらしく、テンポよく話しながら、笑いを取っていく。
第二部に出演する歌手とも、一度づつ競演させてもらったことがあって楽しみにしていました、というヨイショ的なトークも忘れない。

ある程度話して、タカダトモエは舞台袖へ。お弟子さんひとりで歌い始める。
林あさ美が唄っていた「つんつん津軽」、次いで「最後の雨」。
遠目からなので、年齢確認はし難いが、20代から30代といったところだろう。
東京に出て、歌手を目指した時期もあったが、挫折して帰って来た。でも歌はやめられなかった。
ということを話していた。歌もうまかったし、良い声をしている。
歌の世界で陽の目を見るのは本当に難しい、とつくづく思う。

何とかアスカが程良い余韻を与えステージを終えたところで、タカダトモエふたたび。
御歳の頃は、40代前半から50代ごろのように思った。
父親が民謡歌手で子供の頃から唄っていたというだけあって、こぶしが回る。
島津悦子に二葉百合子成分をやや濃いめに混ぜた感じだ。
そこそこ知られている演歌(失念)に、(望郷じょうんがら」を唄い、第一部を〆る。
歌のエンディングと、幕を下ろすタイミングがズレて、少々間の悪さを感じるラストだった。

ここまで約30分。1時間ぐらい続くのではないかと思っていたので、正直ホッとした。
「準備が整うまで、しばらくお待ちください」というアナウンス。
トイレ休憩も兼ねているのかな、と思ったが10分もしないうちにブザーが鳴り第二部突入。

「大変長らくお待たせて致しました。さぁ・・・もう少々お待ち下さい」
聞き覚えのある、訛ったオッサンの声が聞こえる。会場大ウケ。これは伏線につながる。

幕が開き、舞台袖から登場したのは新沼謙治。歌は「嫁に来ないか」。
残念ながら第二部もカラオケだ。
だが、そんなことはここでは問題にならない。会場のボルテージが恐ろしいまでに上がる。
ケンチャーンと中年女性がめいっぱい作った高い声による掛け声が飛び交う。
一部が65点なら、二部は初っ端から120点ははじき出している。

新沼にも御祝儀袋が飛んだ。間奏のときにスタスタとステージに寄り、袋を置く。
握手はして貰い御満悦で引き上げる。その後のトークで新沼、戸惑いを店ながらしっかり笑いに仕立てた。

歌は惜しみなくヒット曲が投入される。
演歌ヒットチャート上昇中の「雪の宿」そして「津軽恋女」。
「津軽恋女」は、歌がやや崩れている感じを受ける。調子が悪かったのだろうか。

会場のボルテージはどんどん上がっていく。
「客席へも廻りながら唄いたいと思います」というマッケンジー。
「情け川」「ヘッド・ライト」を引っ提げ、会場を回る。

狂乱状態。
AKB48だのももクロだのジャニーズといった歌手・グループのファンも真っ青である。
くたびれた中高年(50歳代後半から60歳代、70歳代)のオバサマ、オッサンが恐ろしい勢いで群がる。
わざわざ席を抜け出し、だいぶ離れている場所にいるマッケンジーのもとまで駆け寄る人たちが続出している。
女性だけではなく男性もそう。何がそこまで掻き立てるのだ。
・・・そういえば「スター誕生」出身のれっきとしたアイドルだった。
まだアイドルとして健在なのだ。

ニーヌ・マッケンジー、スルーせずに律儀に応対していく。スタッフが交通整理をしているのだが全然おっつかない。マッケンジーもそのエネルギーに圧倒されている。
握手をしながら唄うということが得意じゃないらしい。
歌に入り込みたいときでも、お構いなしに求められる握手の洪水。
私の見ている場所に近づいたときの新沼は少々くたびれた顔をしていた。

客席を回っている間に、舞台には椅子とギターがセットされた。
嵐の握手攻めを何とか終えて、ステージに戻る新沼。
「これで、落ち着いた雰囲気になりました」と、トボけ口調で笑いをとる。

ぼつぼつと亡くなった奥さんの話。
2011年は、妻の母、妻、祖母、と身内を続けて三人も無くしたらしい。
湿っぽさはなく、サラリとしているのは立派だ。
阿久悠の新沼評「爽やかに哀しい男」が頭をよぎる。

年齢の話を絡めながら、ギターの弾き語りで「赤いハンカチ」「愛燦燦」。
。ギターはところどころたどたどしくなるのだが、歌はなかなか聴かせる。

「愛燦燦」に続けて、もう1曲聞き覚えのある歌を弾きはじめる。
♪ひ~と~り~(裏声)
これはキーが高くて唄えないんです、と会場の爆笑を誘う。

僕の歌の先生は、藤山一郎さんのお弟子さんにあたるんです、という話をしながら古賀メロディを2曲。「酒は涙か溜息か」「影を慕いて」。
新沼謙治が五木ひろしのモノマネをやっているようで、これは関心しなかった。

最後に、先週の「NHK歌謡コンサート」でも歌った自作曲「ふるさとは今もかわらず」。
なかなか良い歌だった。でも、カラオケではやはり淋しい。

ここで新沼の出番は終了し、大トリが登場する。岩手は陸前高田が誇る大エンターテイナー・千昌夫。
やはり演奏はカラオケ。ただし、バイオリニストの女性一人が千と共に舞台へ登場、カラオケに合わせて弾いていた。
紅白でも歌った「君がすべてさ」が1曲目、続けて「味噌汁の詩」。
御当地向けの小ネタを挟み、客いじりを行い、バッカバッカ笑いを取っていく。
何よりあのキャラクターの魅力でグイグイ押して来る。
新築祝いで1曲唄ってと頼まれたので「すきま風」を唄って顰蹙を買っただの、吉幾三はお通夜で「幸せなら手を叩こう」を唄って、袋叩きにあっただの、手拍子は揉み手ではなく手を伸ばしてお願い致しますだの、「味噌汁の詩」のラストをマミーと絶叫して〆たり、舌好調。
さすがに不動産・借金ネタは無かったが、ジョーン・シェパードはしっかりネタにしていた。
客席を廻って唄うときも、延々ネタを仕込み、きびきびと握手し、パッと切り上げて行く。手馴れたものである。
さすがに千昌夫では握手の狂乱洪水は発生しなかった。

千の持ち時間30分、絶えず笑いを挟み込み、だれさせない。終演時間を5分オーバーするぐらいに全力投球である。
次第に歌を聴いているのか、漫談を聴いているのか、段々わからなくなる。
千以前のステージの記憶が薄れ、どんどん千昌夫に侵されて行く。

もっとも充実感はたっぷりある。
「北国の春」「望郷酒場」「還暦祝い唄」「いっぽんの松」「星影のワルツ」。
どの曲もヒット曲だったり、そこそこの知名度を持つ歌だったり、ネタにしやすい歌だったりするのだから当然ともいえる。

世界三大ワルツで御馴染の「星影のワルツ」で、ENDかと思いきや、しっかりアンコール。
「『津軽平野』が残っておりました」
とさらに1曲。そしてラストは「夕焼け雲」。

外人との付き合いが長いもんで、ついつい他の人もアチラ風に呼んでしまうというフリで、ニーヌ・マッケンジーが登場。
「夕焼け雲」を軽くハモる。

フィナーレは舞台の幕が下りるものでは無かった。
何と唄いながら、そのままロビーに向かう形だった。
舞台のトークで散々ネタにしていた、手ぬぐいや色紙付きCD販売・握手会をしに直行したのだ。

終演後のロビーの盛り上がりは半端ではない。
「握手はタダです!」というインフォメーションもあり、みんな群がること、この上ない。
あまりの人の多さに気後れして、握手はしてもらうのは遠慮したが、手ぬぐいは買った。
中央に「北国の春」を唄っていた当時の千昌夫の格好がイラストで描かれ、左右に「北国の春」「星影のワルツ」の歌詞が載っている。
綿100%。イラストは、寅さん風でも東京ぼん太風でもあるが、いずれにしても全然似ていない。
ただ、手ぬぐいとしてのモノはしっかりしていて割合良い感じだ。これで500円なら、実用でも話のタネ用でも充分おつりが来る。
芸能人グッズとしては異例の良心さだ。

帰る前に、人の山を覗き込んで、顔を真っ赤に汗をたらしながら、ひとりひとりに握手をしている千の姿は確認した。
あれだけテンションの高いステージを見せて、そのまま握手会へ突入というのは、凄い。
バイタリティたるや、並ではない。
音割れはするし、離し過ぎて音が取れていなかったりするマイクの使い方のヘタさも、魅力に思えて来るから不思議だ。

歌の世界と実業界、伊達に二つの世界で天下を取っていないし、そりゃモテるわなぁ、とやけに納得して帰路に着いた。
チケット売り場には、約3時間後に行われる次の公演の席を入手すべく、やはり割引優待券を握り締めた人の列が出来ている。
来たときのスタッフの話は、本当のことだったらしい。この勢いだと次回公演も満員だろう。

こうして最後まで私は異次元に圧倒されっぱなしだった。
帰るとき、千昌夫や新沼謙治の歌を口ずさんでいたことは言うまでも無い。
演歌パワー、中高年パワー、おそるべし。

(2013年6月5日 函館市民会館大ホール)
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by hakodate-no-sito | 2013-06-07 16:57 | 歌・唄・うた | Comments(6)

唄い続けて半世紀 舟木一夫コンサート

2013年5月14日、肌寒い夕暮れどき。
湯の川にある、函館市民会館の前に、私は来ていた。
「何年ぶりかな、最後に来たのは小沢昭一を観に行ったときだから、えーと・・・」

函館市民会館は、幼稚園~小学校~中学~高校と、ずっと縁があった。
大ホールへは何十回と客席に座っている。舞台にも立っている。
小ホールも含めて、社会見学の一環として、舞台製作・利用者として、観客として、隅から隅まで見て回っている。旧知の仲といってもいい、懐かしい建物だ。

最後に来たのは、小沢昭一の口演のとき以来になるが、あのときはマチネーというのか昼下がりの公演だった。夕刻~夜に、ここへ来るのはいつ以来なのだろうか。

「もしかしたら、布施明のコンサートのとき以来かもなぁ・・・」
布施のコンサートは、私が高校三年のときに観たはずだから、そうすると、約8年ぶりになるのか。随分とご無沙汰をしていることに気付くと苦笑したくなった、これでは昔の女じゃないか。

入り口前は、込み合っているとまでは行かないが、並ぶ必要はある程度に人はいた。
格安招待券が出ているようでは、随分淋しい客入りになっているのではないかと思ったが、そうでもないらしい。ちゃんと正規ルートで、良い席を買っている人もいれば、私のように割引券持参で当日チケットを求める人もいる。
コアなファンだけではなく、一見さんも気軽に来られるように、ちゃんとバランスが取れているようだ。ホッとする。

ロビーでは、多くのグッズが売られている。
生写真(プロマイド)、シャツ、写真集(数種類存在)、タオル、うちわ、キーホルダー、ストラップ・・・歳は重ねどもアイドル的存在であることに変わりはないらしい。
さすがは、御三家。今でも大劇場で座長公演が出来る人気を持っている人だけある。

「おや、CDは売っていないのか」
あった、あった。ただし、コーナーはシャツやプロマイドを売っているコーナーより小さい。
DVD、CDアルバム、シングルCD、シングルカセットと取り揃えている。

安値で観ることが出来たので、何かお土産がわりに買っておこうと思った。
手に取ったのはシングルCD「明日咲くつぼみに」。
これは昨年発売した舟木一夫のシングル盤だ。
もとは永六輔が、親しくしていた三波春夫のために作った歌になる。
「歳を取って「俵星玄蕃」や何かが歌えなくなった、晩年に歌えるような曲を」という想いで作られたのだが、CD発売こそされども、ステージで歌う機会はほぼないまま、三波は病に倒れ、逝った。
数年前、三波春夫の特集番組でこの歌が取り上げられた際、たまたま舟木がその番組を観ていて、自分も歌いたいと申し出て、シングル化されたのだ。

昨年、NHK歌謡コンサートで、この歌を披露している姿を見て、「ああ良い歌だな、良い感じに歌っているなあ」と印象に残っていた。この歌の存在が、この会場へ足を運ばせるきっかけになったといってもいい。

いよいよ、ホールの中へ入ると、人の熱気なのか、スモークなのか理由かわからないが、薄く霧がかっている。
60~70歳代の女性で賑わっていた。
見渡す限り、昔のお嬢さんばかりだ。
夫婦連れだって来ている人も、そこそこいる。

だが、張り切っている女性陣と対象に、男性陣はあまり元気がない。
運転手がわり、付き人がわり、留守番させるとかえって手間がかかるから連れて来られた・・といった感がアリアリとしている。

男女間の平均寿命の差はここにあるのだろう。

くだらぬことを考えているうちに、開演5分前のブザーが鳴り、アナウンスが聞こえ出す。
携帯電話の電源を切るかマナーモードにして欲しい、という定番の注意のあとに「ペンライトの使用はステージ構成の妨げになりますので、お止めください」ということば。

KAZUO FUNAKIでペンライト!?
え、え、え。

改めて、プロマイド(生写真)や写真集が売られているだけあることを認識。

これから始まるコンサート、果たしてどんな世界が待っているのだろう。

―まもなく、開演いたします。

いよいよ、ショータイムが始まる。

幕が開く。
ステージ中央に設けられた階段を降りながら、舟木一夫は唄い始めた。
題名はよく知らないが、何となく聞き覚えのある歌だ。

唄い終えると、「いやースミマセン、実は昼の公演のときに言い忘れていたことがあるんです。・・・ようこそ、いらっしゃいました。ラストの歌うたいながら、『アレ、俺、さっき挨拶したっけ』なんて初めてそこで気付きまして・・・昼の分も合わせて、ようこそいらっしゃいました」

全然気張っていない。
大人の余裕というのか、「同世代同士、気軽にリラックスして楽しみましょう」という雰囲気で全編進められていった。

曲の合間に挟まるMC(お喋り、トーク)も、ベテランだけあってうまい。
多少誇張を交えながら、しっかり笑いを取っていく。
話す長さも適切。MCが長くなり過ぎることは戒めているようで、その辺も好感が持てる。

一世を風靡した人だけにヒット曲も多い。
私は舟木一夫にさして関心がないし、事前におさらいもしていないので、パッと題名が出てこない曲がままあるのだが、それでもどこかで聞き覚えがある。

まったく知らない曲、よく知っている曲、何となく知っている曲。
コンサートで聴く歌を、3種類に分けてみる。

よく知っている曲は、やはり盛り上がる。
何となく知っている曲だと、好きな人はワーっと来るが、そうでもない人はふーんと来る。
まったく知らない歌を聴くのは、なかなか大変だ。
聴いたところで、受け入れられるかというと、これもまた大変だ。

舟木一夫のコンサートの場合、この3種類の歌の割合が絶妙だった。

ベースは全盛期のヒット曲。大ヒット中ヒット織り交ぜる。
その中に、サラッと近年の曲が盛り込まれている。繋ぎ方がうまいのだ。
客側のペース配分ということもよく考えている。
だから、どの歌も流れでスンナリと聴けるし、またチャンと聴かせるだけの力がしっかりとあるのだ。
「昔の名前で出ています」だけではない、今の魅力を持ち合わせている。
近年のレパートリーとして唄っている「浮世まかせ」「船頭小唄」の味は、若い頃には出せないものだ。

私だけがそう思っていたのでないらしく、コンサート終了後、「今の歌、入ってないの!?」と言いながら、CD販売コーナーに群がる、一見のオバサンがいっぱい居た。

全盛期のような張りのある歌声が失われていることが気にかかり、長く興味が持てずにいた舟木一夫なのだが、いざステージを鑑賞してみると、その考えを改める必要があることに気付いた。

前述した通り、舟木のコンサートの雰囲気は、緊張感を有するものではなく、「同世代の皆さん、リラックスして楽しみましょう」という類のものだ。
だから往年の歌いっぷりよりも、現状の肩の力の抜けたロートーン的な歌い方の方が確かに楽に聴ける。

勿論、声質の衰えという問題もあって、それを踏まえたうえで、どうすれば良いステージになるかを考えた末に生まれたのが、今のコンサートの雰囲気であり、唄い方なのだろう。

雰囲気というのは、ものによっては、なかなか映像からは伝わりにくい面もある。
だから場の空気を知らず、映像だけで見ても脳内補完できなかったりする。

舟木は座長公演やコンサートで満員御礼が今でも出せる人なのに、テレビで見ても一向に魅力がわからなかった。その理由が、わかったような気がした。

満員御礼というと、函館の地でも舟木一夫人気は健在であった。
舞台の左右に3つづつ、横長のテーブルが置かれてあり、何なのだろうと思っていたら、ファンが持ってくる花束置き場なのだ。

2曲目、3曲目、4曲目と唄う間に、ゾロゾロとファンのおばさまが花束や紙袋を持ってステージへ駆け寄ってくる。それをひとつひとつ受け取り、握手をして帰す舟木。
あの姿勢、腰に負担がかかるだろうと思うのだが、テーブルまで用意しているところをみると、ファンサービスの一環として、また舞台の彩り・アクセントとして位置づけて、大事にしているのだろう。

50年の歌手生活。
紅白落選に、数度の自殺未遂騒動なども重なり、低迷期も長くあった。
プレ30周年コンサートの成功で第一線に返り咲き、今日に至るが、その低迷期のことがあるからこそ、一層ファンを大事にしているように感じた。

「まずは55周年を目標にそこまではやろうと思っております。皆さん、そのときもコンサートに来られるだけの体力を維持し続けて下さい」という言葉は笑いにくるんであったが本心だろう。

もっとも「銭形平次」を唄ったときに、会場の2/3近く(=良い席で見ている方々)が立ち上がり、手拍子を行い、間奏の間にラケットでサインボールを飛ばすアクションのときには、我も我もと群がるファンの姿は、5年はおろか20年ぐらい余裕で元気そうなパワーに満ち溢れていた。

まだまだ、舟木一夫人気は安泰だろう。
余韻に浸りながら、コンサート中で最も盛り上がった「学園広場」を口ずさみながら、帰路に着く。

楽しい夜だった。
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by hakodate-no-sito | 2013-06-05 06:43 | 歌・唄・うた | Comments(2)

ダークダックス「花詩集」

我が家にあるダークダックスのオリジナル・アルバムのひとつに「花詩集」がある。
これも愛着のあるアルバムだ。

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1984年にポリドールレコードから発売されたもので、ダークにとってはこれがポリドール時代実質上最後の作品となった。

題名通り、花にまつわる歌を12曲集めたもので、作品の作詞担当は藤公之介が多い。「絆」以降コンビを組んでいることから、ダークのお気に入りだったのだろうか。放送作家でもあったらしいから、当時ダークのラジオ番組も担当していたのかもしれない。
(ラジオは調べる術がよくわからない。私の課題のひとつだ)

編曲の大半は服部克久が手がけている(作曲家としても1曲作品提供。なお、2曲のみ白石哲也の編曲)。
服部克久はダーク第5のメンバーと紹介されることもあるほど、メンバーとは親しい関係にあり、ダークのソ連公演へも同行したことがあるなど、ダークにとって欠くことの出来ないブレーンのひとりにあたる。

服部アレンジの効果だろうか、全体的に洋画、欧州映画のような雰囲気が全体的に漂っている。このアルバムのダークの歌はリズム感や躍動感の面でやや物足りなさを感じるが、ダークの持ち味であるスマートさと美しいハーモニーは十二分に発揮されている。

「Red Roses for a Blue Lady」や「七つの水仙(Seven Daffodils)」の洋楽、韓国演歌「鳳仙花」、さだまさしの「秋桜」・・・と、センスの良さと時代に応じた革新的な面もしっかり持ち合わせていたことが伺える。韓国演歌もダークが歌うとロシア民謡のような哀感と格調高さがにじみ出てくる。

「Red Roses for a Blue Lady」は、パクさんがリードボーカルを取りつつ、コーラスアレンジの他に、コーラス部分の一部英語詩を自ら追加する活躍を見せている。
アルバムでは他に「七つの水仙」のコーラスアレンジもパクさんが担当。

近年再評価の兆しがある平岡精二作品で、1960年代に書かれた「くちなしの花」も十数年ぶりにリメイク。ダークの歌声と共に、平岡の歌声が聞えてくるようだ。コーラスアレンジ担当でゾウさんがクレジットされている。ゾウさん好みの作品なのだろうか。

「ライラックの丘」は、慶応の後輩でもある小林亜星が提供。3人ダークとなって以降も作品を提供している。
カントリー風の叙情的な良い作品で、この手の曲ならばマンガさんのリードボーカルかと思いきや、パクさんのリード。おかげで美しいメロディが際立つ一方で、大衆性という点でやや弱いように思う。

小粋なワルツ「ポインセチアとロゼ・ワイン」でも、キーからマンガさんの歌声を想定していたら、パクさんがリードボーカルを担当。
ボサノバ風リゾートポップスの「蘭の花の少女」といい、このアルバムで洒落た歌は、パクさんが前面に出ている。このあたりはパクさんの嗜好なのだろうか。

マンガさんは、表題曲の「花詩集」や「七つの水仙」「五月に別れのプラタナス」で(この歌は「花詩集」とともにシングルカットされた)でリードボーカル。
マンガさんの声は、グッと表に出てくる感じがある、売れ線的な歌謡曲がこなせる、掴みのある声。ダークがヒット曲を出せたのはマンガさんの声の魅力も大きいのだろう。
マンガさんが凄いのは、そういうメインの担当ばかりではなく、サブに回ってサポートをするときも光っていて、時にはそれこそ本領ではないかと思うこともある。
「花のメルヘン」、歌い出しでのマンガさんのソロに絡むパクさんのスキャット、サビでパクさんがグッと前に出てのハーモニー。まさにダークの真骨頂のひとつではないだろうか。

シングルカットされた2曲は、春の季節にぴったりな歌。「花詩集」はロマンティズムにあふれ、「五月に別れのプラタナス」は春の終わりのメロウな雰囲気が良く出ている。
シングル盤を持っていることや、「絆」目当てで買ったベスト盤CDにも収録されていたこともあって、この2曲には愛着がある。知られていないのが勿体無い。ダークのオリジナル・シングル曲は、なかなか良い歌がある。
「サンデー・ダークダックス」で若いアーティストとの接触があり、また出演アーティストの持ち歌をカバーするということが、ダークにとって大いにプラスになっていたのだろうと推察している。

「紫陽花の駅」ではゲタさんが、「木瓜のくりごと」ではゾウさんが、それぞれリードボーカル。
ゲタさんは美声だが、多分に一本調子のきらいがある。そのぶっきらぼうさが味でもある。

「木瓜のくりごと」は、服部克久が作曲も担当。
題名通り、木瓜の花の繰り言、愚痴だ。
バラと同じ先祖だが、木瓜は寝ぼけ、ピンボケ、夏ボケ、トボケ、ボケッとするな、ボケナスめ、と使われる。呼ぶならせめて「バラモドキ」と呼んで欲しい、というコミカルな曲で、ゾウさんのキャラクターが発揮されている。一度聴いたら忘れられない曲だ。

ダークダックスが好きな人ぐらいしか、おそらく聴かれることのないアルバムだろうが、なかなか良い歌が詰まっている。
アルバムごとのCD化は望めないだろうが、「蘭の花の少女」ぐらいは、どこかで見出されて欲しい。

本来ダークダックスぐらいの大物ならば、大々的にアルバム復刻大型企画があるのが普通であって欲しいのだが・・・。ダークが何十年に渡ってオリジナル・アルバムの製作に力を入れていたこと自体、あまり知る人がいないのが淋しい。

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ダークダックス「花詩集」(KA-8406 ポリドール 1984年)
A-1:ブルー・レディに紅いバラ(Sid Tepper, 高見沢宏-Roy C. Bennett-服部克久,高見沢宏)
A-2:鳳仙花(金亨俊, 日本詩:藤公之介-洪蘭坡-服部克久)
A-3:秋桜(さだまさし-さだまさし-服部克久)
A-4:くちなしの花(平岡精二-平岡精二-服部克久,コーラスアレンジ:遠山一)
A-5:ポインセチアとロゼ・ワイン(藤公之介-いまなりあきよし-服部克久)
A-6:花詩集(藤公之介-山口順一郎-白石哲也)
B-1:七つの水仙(藤公之介-服部克久,コーラスアレンジ:高見沢宏)
B-2:ライラックの丘(藤公之介-小林亜星-服部克久)
B-3:紫陽花の駅(藤公之介-佐瀬寿一-白石哲也)
B-4:木瓜のくりごと(藤公之介-服部克久-服部克久)
B-5:蘭の花の少女(松代達生-いまなりあきよし-服部克久)
B-6:五月に別れのプラタナス(藤公之介-いまなりあきよし-服部克久)
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by hakodate-no-sito | 2013-05-07 17:23 | 歌・唄・うた | Comments(6)

ダークダックス「父と娘」

デュークエイセスの「にほんのうた」、ついで「コーラスの仲間たち」を聴いたことで、ここのところ三大コーラス漬けになっている。
新たに捜し求めたものに加えて、以前確保したアルバムまで、あれこれと引っ張り出し、聴き直している。
以前は考えもしなかったことが浮かんで来たり、新鮮な気持ちで聴けて、「ああ、やっぱり私はデュークやダーク、ボニーが好きなんだなぁ」と認識を強くしている。

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いま聴いているのは、ダークダックスのアルバム「父と娘」。
1976年発表、ポリドールレコード時代の作品。同年の第9回日本作詩大賞のLP賞を受賞した
シングル盤「二十二歳まで/娘よ」は、本アルバムの先行シングル盤にあたる。

この年は、ダークダックスが結成25周年の節目ということで、「25年×4人で百年祭」と、ひと花打ち上げ、NHK紅白歌合戦(第27回/「二十二歳まで」を歌唱。1971年以来5年ぶりの出場)や日本レコード大賞(第18回/ダークダックスとして特別賞を受賞。「娘よ」を歌唱した)へも顔を出す盛況ぶりだった。

アルバム「父と娘」のテーマは、題名通り父親が娘に寄せる愛情を歌い上げるというもの。
結婚式で歌う、男親の歌を作りたいという三坂洋ディレクターの発想から出来上がったという。

A面B面あわせて10曲。
泣いて、笑って、しみじみして、心弾ませ・・・。どの曲も良曲を揃えている。

かまやつひろしのカバー「幼きものの手をひいて」は、見事にダークダックス色に染まった名唱。

マンガさんが泣かせる、アルバム内の三部作「不安」「娘の告白」「結婚前夜」。
(余談だが、ダークメンバーで初めてお祖父ちゃんになったのはマンガさん。丁度30周年の頃ということもあり、"5世代の「絆」"と、マンガさんの御祖母さま、マンガさんの父君、マンガさん、マンガさんの娘さん、お孫さんという各世代が繋がっていることが新聞記事になっている)

パクさんのソロボーカルが堪能できる「となりの赤ちゃん」は、題名通りとなりの赤ちゃんの様子を唄った作品で、歌謡曲の歌詞として書かれたものではなく、純然たる「詩」として書かれたものへ曲を付けたという印象を受ける。実際はどうなのだろう。
こういうホームソング的な歌も取り上げて唄うのがダークダックスならではで、「NHKみんなのうた」で流れても不思議ではない、味わいがある1曲。

アルバムのラストを飾るのが、泣かせる歌や歌い上げる作品ではなく、初孫出産前後をコミカルに歌った「八時二十分」というのも面白い。前田憲男が(比較的)珍しく作曲も担当。メインパートはゾウさん。

アルバム収録作品全10曲のうち、9曲ぶんは編曲:前田憲男(1曲のみ若草恵)。
作詞は阿久悠、林春生が半分づつ担当(1曲のみ石田柳子)。
作曲は川口真、菅原進、森田公一(他に前田憲男と筒美京平が1曲づつ提供)。
菅原進(ビリー・バンバン)は同じレコード会社つながりというのもあるだろうが、ポリドール時代のダークのシングル・アルバム曲で、その名をよく見かける。ダークお気に入りだったのだろう。
菅原は作曲家として、菅原洋一やペギー葉山の作品も手がけている。

歌詞では、優れた着眼点が光る阿久悠、独白のようにストレートに父親の感情を吐露させる林春生、と対比出来て興味深い。

レコード大賞でも歌われた「娘よ」はメルダック時代も引き続き歌われ、ベスト盤にも収録されてることが多い。
メインパートを担当したゲタさんのお気に入りだったのだろうか。

私は「二十二歳まで」が好みなのだが、その後はダークはあまり歌っていないようだ。
ベスト盤への収録も少なく淋しい・・・と思っていたら、2003年に阿久悠が「あまり売れなかったがなぜか愛しい歌」というウェブ連載で取り上げている。
http://www.aqqq.co.jp/favorite_song/fsc45.html

遠藤周作が気に入って歌いレコードにした、というのは気になるが、本アルバム収録曲「あんな男に惚れちまって」と記憶を混同しているのかもしれない。

遠藤周作は、素人ばかりを集めた劇団「樹座」や、名前は忘れたが音痴による合唱団(今、検索したら「コール・パパス」という名前らしい)を作り活動していた。
その関係で、慶応の後輩であるダーダックス(及びアルバム製作陣)が、先輩に花を持たせ、かつ、話題性も狙ってアルバム参加を願ったのではないだろうか。

国民的コーラスグループのサポートを得て歌う国民的作家の歌声は・・・「御愛嬌」と形容しておこう。

なお、この「あんな男に惚れちまって」(阿久悠の歌詞が光る)は、娘の結婚を申し込みに来られた父親の僻み・焼餅・因縁・ボヤキを唄ったものなので、ぶっきらぼうな「御愛嬌」な歌声は、ミスマッチというのか案外そこそこハマっている。軍歌調だから、戦中派の遠藤には歌いよかったのもあるのだろう。

なお、この歌はダークダックスの競作シングル「青葉城恋唄」のB面で、ダークによってセルフリメイクされているらしい。遠藤周作が歌っているソロ部分をマンガさんが担当しているという。
未CD化なので、いずれシングル盤を入手して聴きたいと思っている。

1975年から10年間続いた、ダークダックスのポリドール所属時代。
ダークダックスの円熟期でもあり、主要な持ち歌の再録音も出来が良い。
この時代の音源をまとめたベスト盤やオリジナルアルバムの復刻がされないかと思っているのだが、今のところ、その動きは見受けられない。ただただ勿体無い。

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ダークダックス「父と娘」(MR-3015) 1976年発表

A-1:幼きものの手をひいて(阿久悠-筒美京平-前田憲男)
A-2:不安(林春生-川口真-前田憲男)
A-3:娘の告白(林春生-菅原進-前田憲男)
A-4:あんな男に惚れちまって(阿久悠-森田公一-前田憲男)
A-5:結婚前夜(林春生-菅原進-若草恵)

B-1:男とは(林春生-川口真-前田憲男)
B-2:二十二歳まで(阿久悠-森田公一-前田憲男)
B-3:娘よ(阿久悠-森田公一-前田憲男)
B-4:となりの赤ちゃん(石田柳子-菅原進-前田憲男
B-5:八時二十分(阿久悠-前田憲男)
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追記)
ネットで、この不遇の名盤について取り上げて下さっている方々が、既にいらしたのでご紹介。
(よく見たら、お二方とも既知の方でした)
http://d.hatena.ne.jp/fourever/20090619
http://ameblo.jp/fourever1974/entry-10432341978.html
http://blogs.dion.ne.jp/midnight/archives/8453341.html
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by hakodate-no-sito | 2013-05-02 02:13 | 歌・唄・うた | Comments(10)

「酒場の花」という歌

フランク永井の知る人ぞ知る歌に「酒場の花」がある。
昭和51年、シングル曲(SV-3524)として世に出た。
作詞山上路夫、作曲森田公一。

しっとりした裏町演歌の佳作だ。
フランク永井というひとは、流行歌・歌謡曲のカバーも多く遺していて「カチューシャの唄」から「ルビーの指環」まで幅の広さが半端ではない。
ジャズ出身のフランクと演歌なんて似合わないのでは、と思うかもしれないが、これが案外と良い味を醸し出している。戦後の代表的歌手のひとりという看板は伊達ではないのだ。

当時、ライブ音源も複数のLPレコードに収められているのだが、ヒットしなかったためだろう、今のところCD化はされていないようだ。フランクの吹き込み楽曲数は膨大なものだし、ヒット曲もかなりのもの。全盛期を過ぎたキャリア後期の売れなかった曲など、目もくれられないのは仕方の無いことかもしれない。

だが、この歌、フランク永井でなければCDで聴くことが出来るのである。
実はこの歌、昭和58年に内山田洋とクール・ファイブがシングルとして発売しているのだ。

クールファイブも歌謡コーラスの雄として、一世を風靡しているが、さすがにこの時期には全盛期ほどの勢いはなく、ヒットとはいかなかった。

ただ、クールファイブを離脱しソロ歌手となった前川清は、90年代半ばに発売したベスト盤アルバムのなかに、クールファイブ時代の歌をいくつか再吹き込みして収録しており、「酒場の花」もそのときに取り上げられている。

前川清のおかげだろう、カラオケ好きの間では愛好されているらしく、youtubeにもカラオケで歌う人たちの歌声がいくつもUPされている。

・・・と、ここまでは以前別のところで書いたことがあるのだが、実はまだ歌っているひとがいたのだ。
八代亜紀だ。
部屋の掃除をしていたら、以前買ってそのままになっていた八代の8周年リサイタルのLPが出て来た。曲目を見ると、なかなか面白うなので再生してみることにした。
そのうち、聞き覚えのある歌が流れた。
あわてて歌詞カードを確認すると、確かに「酒場の花」とある。作詞・作曲の欄も同じ名前が載っている。

八代の全盛時代だけあって声も今よりよく出ているし、クラブ・キャバレー出身だけあって、持ち歌じゃない歌をうたっても、自分の持ち歌として確立させる技量は持ち合わせている。
知らない人に聴かせたら、こういう八代の歌があるのかと納得するに違いない。

昭和51年というと歌謡曲全盛時代、テレビやラジオでも数多くの歌番組が放送されていた時代。
ヒットとはいえない歌でも、人気歌手の歌ならば、歌番組を通じて、ある程度浸透している。
この時期のフランクは、盛りは過ぎたとはいえ、ビクターレコードを代表するベテラン歌手として健在。
NHK紅白歌合戦連続最多出場歌手だ。
昔のLPレコードのなかには、カバーアルバムやインストアルバムが結構ある。
後者は今でもCDショップ、100円ショップでも見かける。
その中には、今の目からすると「えっ、この曲を」というものが結構混ざっていたりする。
当時はそこそこヒットした曲なのか、歌手の希望かディレクターの好みか、判断は難しい。
私が知らないだけで、もしかしたら昭和51・52年ごろのカバーアルバムには「酒場の花」が収められたものが存在するのかもしれない。八代も同時期にアルバムへ入れているのだろうか。

ただ、前述の八代の8周年リサイタル開催日は昭和55年10月26日である。
フランクによって歌が世に送り出されてから、既に4年が経過している。
歌の世界で4年は大きいはずだ。
NHKホールという大きい会場でリサイタルを行うとすれば歌手の希望は確実に入ってくるはずだ。
8周年は八代の八。特別な節目だ。
そこで取り上げたということは、やはりこれは本人の好みの歌でもあった(少なくとも嫌いな歌ではない)と考えるのが自然だろう。

私は、八代の詳しいディスコグラフィなどの知識や資料は持ち合わせていない。あくまで推測であることをお断りしておく。

前川清、八代亜紀、フランク永井。
いずれも当世一流の歌い手。
確実に日本のポピュラー音楽史に名を残す(遺している)歌手が取り上げながらも、ヒットとはいかないのだから、歌は面白い。
名曲と声高に騒ぐようなタイプの歌ではないが、ファンの間で時々ふと口ずさんでいる佳曲。
そんな立ち位置が似合う作品。

阿久悠の連載ではないが"あまり売れなかったが なぜか愛しい歌"「酒場の花」。
クールファイブ(前川清)だけではなく、その流れで本家本元のフランク永井盤へも興味を抱くひとが増えてくれること、何よりフランク盤がCD化されることを祈りつつ、今夜もひとり、安酒を呑みながら、そっと古レコードに針を落とすことにする。

2016年2月追記)
2016年2月24日発売のCDアルバム「懐かしのフランク永井 シングル全集 公園の手品師 1973-1985」(VICL-64537)にて、めでたくCD化。フランク永井の魅惑の低音で、この歌、ぜひ聴いて頂きたい。
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by hakodate-no-sito | 2013-04-28 20:40 | 歌・唄・うた | Comments(12)

知られざる田端義夫の一面

田端義夫が逝った。94歳没。

もう何年も前から、重病説が飛び交っていて、一時は消息不明、はたまた死亡説まで耳に入って来たぐらいだ。2011年に朝日新聞の連載「うたの旅人」で、田端の「島育ち」が取り上げられた際に、病床にあることが触れられ、かろうじて存命であることが確認できた。

今回の訃報記事で、デイリースポーツが、最晩年の様子について触れていたので引用する。
http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/04/25/0005929298.shtml

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「田端さんの4番目の妻の長女で、田端義夫音楽事務所社長を務める宮田紗穂里さんによると、2010年3月31日に自宅で転倒し、病院に搬送。その際、胃潰瘍が見つかり、そのまま入院した。その後は、一進一退を繰り返しながらも、新曲、舞台への情熱を燃やし続け、時に看護師や家族にジョークを飛ばしながら闘病生活を続けていたという。しかし、今月24日に容体が急変。25日午前11時45分、家族に看取られ、永遠の眠りについた」
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「4番目の妻の長女」と、ややこしい書かれ方をしているのは、確か3人目の夫人(ハワイの人だったと記憶している)との間にも娘がいるからだろう。

ハワイの人との間の娘とは昭和40年代だったと思うがステージで競演したことが芸能記事になっていた。
ジャスネという名前だったと思う。
2番目の夫人(だったと思う)との間に生まれた息子もGSの時代に音楽活動をしていたと聞いたことがある。

宮田紗穂里社長も、田端の自叙伝で歌手志望でレッスンに通っていることが記されていた。この社長の母親であり、田端の4番目の夫人も元歌手だったそうだ。

3年間の入院・闘病生活となったのは、胃潰瘍や転倒の予後がよくなかったことや高齢による体力低下・・・記事になっていない様々な出来事があったのだろうと推察する。それに加えて、持病の悪化もあったのではないだろうか。

自叙伝にも記してある話だが、田端は30年近く帯状疱疹を患っていた。
1984年夏、神経ブロック注射による治療の失敗で、下半身が不随の状態となった。
一時は車椅子で舞台に立つ覚悟で、車椅子の図面まで引いていたいたという。
歌への想いの強さからか、奇蹟的に病状は回復に向かい、翌1985年には歌手生活へ復帰している。

だが、痛みから解放されることは無く、特にハードなスケジュールが続くと、より激しい痛みが襲っていたという。ステージではおくびにも出さなかったが、楽屋ではぐったりと横になることが大半だったとも聞いている。

晩年の田端に恍惚の様子が見受けられるようになったのは、長年に渡るヘルペスとの闘病で使用していた薬の副作用で、肝機能が低下していたことが一因のように、私は思っている。

田端義夫、バタヤンへの想いを抱いている人は、私も含めて、かなりの人がいるはずだ。
だが、この闘病を知る人は意外にも少ない。
田端の素晴らしい舞台の裏側に、こういう話もあったということも、私自身の備忘録としても改めて記しておきたい。合掌。
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by hakodate-no-sito | 2013-04-25 18:54 | 歌・唄・うた | Comments(2)

深緑夏代リサイタル

ここしばらく、深緑夏代を一日最低1曲は聴いている。
亡くなったのは高英男と同じ2009年だから、今年は没後4年になる。
生の歌声を聴く機会は数度しか無かったが、どれも素晴らしかった。
全身から発せられるスター・オーラ、エネルギーに満ちた歌声、立ち居振る舞い。
とにかく格好良かった。歌は私の命という台詞が気障に聞こえない、真実の声に聞こえる人。
思い出すとつい涙ぐみそうになる。

深緑夏代は「私はレコード歌手じゃなく、シャンソン歌手でありたいの。たとえ貧乏しても、好きな歌を納得ゆくまでうたいたいの。恥は残したくないの。私に名誉を頂戴」と、レコード吹き込みを拒み、それまではソノシートや宝塚時代に残した数曲しか遺していなかったそうだ。

深緑がシャンソンを唄う度、リサイタルを行う度、レコードを望む声は日々高まる。
有名無名問わず、声が上がる。天津乙女や衣笠貞之助という面々も声を上げた。
身内であるスタッフや弟子たちも、彼らと同じ思いであったことは言うまでもない。

当時石井音楽事務所で深緑の担当だった中村富一と、深緑の弟子で日本コロムビアの音楽ディレクターだった東元晃の両名が賢明に説得に当たり、「ライブ盤なら」「私の好きな歌を唄わせてくれるなら」という条件で、ついに深緑を口説き落とし、世に出たのが「深緑夏代リサイタル」(1973年/日本コロムビア/ALS-5220)だった。

1972年12月6日、芝・郵便貯金ホールでのリサイタルを収録。
編曲は、田辺信一・横内章次(俳優の横内正は実弟)・三保敬太郎。
演奏はコロムビア・シャンソニエとある。どのような顔ぶれだったのかはLPからはわからない。
リサイタルのパンフレットには記載されているのだろうか。
中牟礼貞則が1曲(「死刑囚」)、ギターで参加している。

深緑の20周年に位置するリサイタルの実況録音で、初のLPレコードだけあって、気合が入っている。
歌謡曲の全盛時代で、まだまだミュージシャンの活躍する場所があった時代。
選曲も、演奏も、歌も、どれも素晴らしい。捨て曲なんて言葉は浮かんで来ない。

深緑夏代、当時51歳。老いや衰えという類は影もかたちも無い。
バンバン声が出て、シャウトしている。情熱の塊、灼熱の炎のような歌声だ。
特に「貴方を待つ(Je t’attends)」「貴方を迎えに(Je reviens te chercher)」「インシャラー」あたりは、シャンソンが苦手な人でも取っ付きやすいと思う。

シャンソン界の頂点にある人でありながら、いわゆるJシャンソンっぽくない唄い方じゃないのは本当に面白い。もっとも、これは日本のシャンソン黄金時代の第一世代の人たちに共通していることなのだが。

数年前にコロムビアから発売されたベスト盤に、このLPの音源が数曲収められているが、叶うならばアルバムごと、音源が現存するならばノーカット完全盤で復刻を願いたい。
それだけの価値はある。

あまり知られていない話だが、デビューまもない岸洋子に、ハッキリと「私は生涯シャンソンを唄ってゆくのだ」と決意させたのは、実は深緑夏代の歌声である。岸がリサイタルに寄せた一文で告白している。
この事実ひとつ取っても、深緑がシャンソン界いやポピュラー音楽界に与えた影響は大きい。

岸洋子、深緑夏代ともに石井音楽事務所の所属歌手だった。
他に芦野宏がいて、大木康子がいて・・・まるで夢のような事務所だ。
石井好子が音楽事務所時代の話だけで著書を遺さなかったことを、私は嘆きたい。
関係者で編纂する人はいないのだろうか。もし既に存在するなら、ぜひとも読みたい。

日本のシャンソン黄金時代。
石井好子がいて、高英男がいて、深緑夏代がいて、中原美紗緒がいて、芦野宏もいて・・・。
中原には間に合わなかったが、石井・高・深緑・芦野は間に合うことが出来た私はやはり幸福者だ。
去るものは日々に疎しとは言うが、この面子を、深緑夏代という人を、好事家だけが知る存在にしてはいけない。

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「深緑夏代リサイタル」(1973年/日本コロムビア/ALS-5220)
A-1:そして今は Et Maintenant
A-2:貴方を待つ
A-3:ラ・ボエームLa Boheme
A-4:貴方を迎えに
A-5:不思議ね Ca Fait Drole
A-6:インシャラー Inch allah
A-7:水に流して Non, je ne regretterien
B-1:死刑囚 Le Condamive A Mont
B-2:ルシアン Mon Vleux Lucien
B-3:タバコ Tabac
B-4:すり切れたレコード Le Disque Use
B-5:白衣 Les Blouses Blanches
B-6:おお神様(モンデュー) Mon Dieu
B-7:マイ・ウェイ My Way
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by hakodate-no-sito | 2013-04-02 00:36 | 歌・唄・うた | Comments(0)

「いとしのオールディーズ」

嬉しい不意打ちだった。

金曜の夕方過ぎのこと。
一息ついてツイッターを覗いたときだった。
佐良直美ラジオ出演・・・というツイートが目に入って来た。
あわててリツイートして、放送時間までに用が済むように時間調整をした。

佐良が出演したのは、NHKラジオの「いとしのオールディーズ」という番組だった。
この番組、公式サイトによると「50年代から70年代の懐かしいアメリカンポップスを中心とした洋楽ポップスを、芸能人や文化人の青春時代の思い出話とともに楽しむDJ番組」なのだそうだ。折角メディアへ露出しても、微妙な扱いをされればファンとしては面白くない。やはり本人のパーソナリティを生かした番組に出て欲しいもの。
この番組ならば、「サウンド・イン・S」や「世界の音楽」といった洋楽紹介的な歌番組の司会・レギュラーだった佐良には、まさにうってつけの番組。

そして放送時間もたっぷりだ。
50分+ニュース+25分=90分。
ゲストは佐良ひとり。
出演を知って、放送開始までの時間、興奮しっぱなしになったことはいうまでもない。

放送日の3月22日は春の選抜高校野球の初日だったそうで、「今から45年前の選抜入場行進曲を歌っていたのはこの方です・・・」という前振りで、番組に佐良が出て来た。

選抜入場行進曲の話題で、番組の成功を確信した。
事前に下調べ・打ち合わせを行い、構成台本をしっかり作ったのだろう。
今のメディアでは、こういうツボを押さえることが、行き届かないことが多い。
こういうNHKらしさ、私はある程度大事にすべきだと思う。

佐良直美のメディア出演は久々だが、マルチタレントぶりを発揮していた昭和時代の頃と比べても、まったく遜色がない。
心地よい低音の話し声、機知に富んだ話しっぷり、佐良直美は佐良直美だ。
動物愛護関係の仕事で、今も大人数を相手にレクチャー、講演を行っていることが、話術の維持・向上につながっているのだろう。

想い出話も、お嬢さまならではの幼少期の話から、縁は異なものからの水島早苗入門の話、1960年代半ばの米軍キャンプやナイトクラブでの歌手修行の話、ドラマ出演の話、声帯ポリープの話・・・。

知っている話でも、長めの放送時間もあって、エピソードがより細部に渡っている。
初耳の話もバンバン出てくる。
(自叙伝「動物の神様に生かされて」には記されているのかもしれない)
聴きながらヘーヘーホーホーうなりっ放しだった。

「番組の性質上、新曲の紹介はないだろう」「この番組なら無くても充分」と思っていたら、番組後半に「お・か・え・り」の英語詞バージョン「The Voyager」で流れる粋な図らいがあった。

番組ラスト、今後やりたいことは?という問いがNHKアナウンサーから飛び出した。
「犬は(各市町村に)畜犬登録が義務付けられているが、猫はない。野良猫の殺処分件数を減らすためにも、畜猫登録も義務付けられるように世の中を変えて行きたい」と熱く語る佐良。
この話に限らず、動物関係の話をするときの佐良の声は力強い。想いの丈が伝わってくる。

「歌の方でも、(コンサート等の)活躍を望む声が多く寄せられているのですが・・・」と返すアナウンサー。その通りだ。ハハハと笑う佐良、「耳からお聴きになって下さい」とうまく流して、番組は終わった。

番組は、この回が今シーズン最終放送なのだそうだ。
公式サイトを見ると、先週は中村メイコが出演していた。
最終回のゲストに中村メイコではなく、佐良直美を持ってくるというのはファン冥利に尽きるし、それだけNHK側も佐良を大事にしている、製作陣に佐良ファンがいる、ということだろう。

佐良の最後の言葉に、私はひとこと言いたい。
「はい。耳で聴きます。ですのでスタジオライブ形式でアルバムを」と。

レコーディングを再開してくれただけでも御の字。本当はそうなのだ。

だが、CDを聴くとまだまだ歌はうまい。
メディア出演を拝見すると、機知に富んだやりとりに、豊富な話題性は健在。

と来れば、やはりもう少し活動を広げて欲しいと思うのは自然な感情だろう。
もう少し、今よりもう少しだけ、歌い手の活動も行って欲しい。

―年に数度でいい、コンサートを。
―佐良の映像として保存版・決定版となるような、良質の歌番組への出演を。
―良質のニュー・アルバム発売を。

願わずにはいられない。
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by hakodate-no-sito | 2013-03-24 21:35 | 歌・唄・うた | Comments(0)