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たそがれの歌声

1月31日の「NHK歌謡コンサート」に坂本スミ子が出演していた。

『母(小篠綾子)が好きだった歌』と、ゲストのコシノジュンコがリクエストした
「たそがれの御堂筋」を唄い、旧知のコシノと握手を交わしていた。

と、これだけ書けば、感動的なシーンを想像される方もおられるだろう。
だが、私は、思い出す度にほろ苦さを感じ、溜息をついている。

坂本スミ子は、大好きな歌手だった。
ライヴへも行き、無理を言って一緒に写真を撮って貰ったこともある。
高校時代、『浮雲』という歌が好きだった。この歌を聴くとMDウォークマンで始終聴いていた頃
―春間近の陽射しで、雪が溶けかけ、路上に残るも土色で汚れている五稜郭の電停前。
老若男女が信号待ちをしているゴミゴミとした光景―
が鮮やかに脳裏に浮かんでくる。

声量豊かで、音程も確か。情熱的に歌い上げるのも、囁くように唄うのもお得意。
70歳を過ぎても、それらをキープしつつ、年輪を醸し出す歌唱で、円熟の魅力。
日本の歌い手の中でも、ハッキリと本物と呼べるひとり・・・だった。

だったと過去形で記すことが哀しいのだが、今の坂本スミ子は衰えてしまった。
去年、久々にテレビで「夢で逢いましょう」を唄うというので楽しみにして番組を観た。
喉のコンディションも良くなく、音も時折はずれている。 ボロボロの歌だった。

信じられなかった。
あのおスミが・・・と早速調べたところ、一昨年だったかに脳梗塞で倒れたのだという。
元気そうではあったが、そういう面で後遺症が出てしまっていた。

先日の「歌謡コンサート」では、少しキーを下げ歌唱も工夫し、去年見たときよりは
大分回復しているように感じた。
病後とはいえ、そこらの歌手より余程声量はある。味わいもある。
だが、往年の歌唱を知る自分には、思い入れがあった自分には、辛いものがあった。

坂本が歌い終わった後、コシノジュンコが『よかったわあ』と涙ぐんで握手を交わしていた
が、あの涙はおスミの現状に対してという意味もあったのではないのかと、一瞬考えた。

慣れればどうということはないのかもしれない。
年齢を考えれば、あれだけ歌えるのは上等だ。
だが、そういうのを嫌がっていたのは他あろう、おスミだ。

いや、逆に病気をしたからこそ、見得や体裁を捨てて歌いたくなったのだろうか。

ともかく、枯れたおスミの現実を、受け止めかねている。
心が決まるのはいつのことだろう。 長い目で見る必要があるのかもしれない。
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by hakodate-no-sito | 2012-02-04 05:57 | テレビ | Comments(0)

ある歌い手に想う

2012年1月17日、「NHK歌謡コンサート」というテレビの歌番組に、歌手の三條町子が出演していた。

彼女は昭和20年代に「かりそめの恋」「東京悲歌(エレジー)」「想い出のランプに灯を入れて」「君よいずこ」などのヒットを多数飛ばした歌手。
この5~6年は舞台に立つのを止めて退いていたのだが、去年の秋久々にマイクを取った。
その流れで今回のテレビ出演も決まったらしい。

私は、彼女のテレビ出演の話を知っても、素直に喜ぶことは出来なかった。
(昨年の舞台を除き)何年も歌の仕事をしていない、80歳も半ばを過ぎた歌手をテレビの全国生放送に引っ張り出すなんて、狂気の沙汰ではないのか。

彼女の性格
(・・・といっても、テレビで数度チラリと見かけたトークの内容や彼女のエピソード、談話の類から勝手に想像したものだが)
から考えると、去年の舞台といい今回のテレビといい、積極的な想いから動いたとは到底思えない。
義理やしがらみという、私の大嫌いなもののお陰で押し切られ、渋々腰を上げざるを得なくなった、というのが真相ではないのだろうか。

こう書いている私だって、今の彼女の歌声が聴きたくない訳ではない。元気な姿ならば見たい。
彼女なら、昔そのままとはいかなくても、年輪を重ねた歌を聴かせてくれるのではないか、という想いもある。

だが、世の中は好意的に観る人やファンばかりではない。
一歩間違えば、残酷物語だ。
若い頃なら
調子が悪かったんだね、でも
歳を取ると
もうダメだね、となる。

所詮芸能人は見世物じゃないかと言われれば、その通りだ。
だが、彼女は自分の意思で退いている。
それを無理に引っ張り出して、晩節を汚しただの、老醜を晒したとなってはたまらない。

番組のことを考えると、胃が痛くなる日々が過ぎ、いつしか放送日が来た。
やがて晩海の放送時間となり、番組中盤過ぎに、ついに彼女の出番となった。
外見はビシッと決めている。衣装もいい。年齢を感じさせない。

高齢のベテラン芸能人となると、首をかしげたくなるような風貌で出演する人が少なくない。
衣装の使い回しも目立つが、その場合ほぼ確実に、今の本人にはベストとは言えなくなってしまった服を着て来る。歌手では、そういう人に限って、歌も勝負出来ないものになっている。

彼女は、大丈夫かもしれない。
少しホッとした。
だが、ずいぶんと緊張しているように見える。
意味もなく口元を動かすなど、落ち着きのない動作をしている。
常に淡々としている印象のある人が・・・。

(一番大変な想いをしているのは、やはり三條町子その人なのだな)
胸が締め付けられる想いだった。

いよいよ歌の時間となり、ステージ中央へ立った。
イントロが流れる。
鼻をすする音と、入れ歯の金属音が聴こえて来た

(ああ・・・)
音声調整がされて、マイクの入力感度を上げているのだろう。
そういう配慮をするならば、唄い出し直前まで通常通りにして欲しかった。
半端な気配りが仇になったのだ。

しかし、哀しみに浸るのは最初だけで済んだ。
プロフェッショナルとして、仕事をきちんとこなしていた。
肝心の歌は、かなり声量が落ち低音が出にくくなっていたことを除けば、三條町子だった。
声質は殆ど変らず、懐メロ番組やCDで耳馴染みのある、独特の節回しも健在。
マイクの件を除けば、かなり上々の出来ではなかったか。
テレビの生放送で唄うことの緊張を差し引いて考えると、あと2割や3割増しで歌うことはできるように感じた。

(お疲れ様でした・・・貴女は偉い。さすがでした)
唄い終わったとき、心底声をかけたくなった。
こんなに手に汗握って、テレビを観るなんて、久しく無い。

司会者は三條町子の名を改めて紹介。舞台袖へエスコートしようと近寄っている。
だが、歌の後奏が終ると「終わった、終わった」という表情となる三條。
会場の反応へもさして関心を示さず、司会者が差し出した手も(いいわ、いいわ。自分で歩けるわよ)と手を振り、舞台袖へ消えていった。
この、そっけなさに彼女らしいと笑っているうちに、涙はどこかへ消えていた。
これもまた三條町子の魅力なのだ。いい感じでこちらの緊張もほぐしてくれた。

番組を見ていた友人知人からは
「87歳とは到底思えない、素晴らしい」と、おおむね好評だった。
ツイッターを覗いてみても、同じく高評価。
私の危惧は、一部を除き杞憂に終った。

「もっと出て来て、歌って欲しい」「歌えるうちは歌って欲しい」という意見・感想も聞いた。
だが、私はその言葉にうなずくことは出来なかった。
彼女の(私はもういいです、この前のテレビだけで、もう沢山)という声がどこかから聴こえて来る。
年齢を考えると、もう静かに余生を楽しんで欲しいという想いが強い。

だが・・・
「叶うならばレコードコンサートのトークゲストぐらいの仕事で、元気なうちは顔を見せて頂きたい」
という言葉が脳裏をよぎったのも事実だ。
つまり前記の意見・感想と大差ないのだ。

人間とは、何と欲深く、残酷な感情を持ち合わせているのだろうか。
そして、優れた歌い手というものが、いかに魅了された人の心を動かすことをたやすく行えるのか、ということも痛感している。

どう結論を出せばいいのか、放送が終って何日も経つが判らないまま、今も心は揺れている。
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by hakodate-no-sito | 2012-01-24 00:39 | テレビ | Comments(0)

「帰ってきた歌謡曲」って!?

昭和40年代、戦前から昭和20年代あたりまでの歌が再び人気を集め、懐メロブームと呼ばれた時代がありました。
テレビでも、東京12チャンネルの「なつかしの歌声」を筆頭に様々な番組が放送されましたが、瞬く間に消えていき、元祖・本家・火付け役といっていい「なつかし~」ほか幾つかの番組だけが40年代の終わりまで残りました。

そんな"幾つか"の中のひとつで「なつかしの歌声」に勝るとも劣らないと称された番組が「帰ってきた歌謡曲」。
司会が大久保怜、音楽:キダタロー。

・・・むせ返りそうな関西テイスト(笑)
まあ、キダタローってだけでも、ある意味アタリじゃないかと私は思っていますが、テレビ東京の懐メロ番組でVTRが流れることが結構ある(あった)「なつかしの歌声」と比べて、この番組は「おもいっきりテレビ」の『今日は何の日』でいくつか流れた(らしい)というぐらい。

私にとって幻の番組です。
幻、といっても気になる存在には変わりなく、ちょっと調べてみました。

「帰ってきた歌謡曲」
製作:よみうりテレビ(日本テレビ系列で放映)
放送時間:木曜夜10:30~(30分番組)
放送年日:1970.4.2-74.3.28
放送回数:209+2回(東海林太郎追悼特別編、カウントされず)

新聞の縮小版をチラチラと見ていくと、コスプレで歌う回があるなどエンターテインメント度が高い。出演者はある程度お馴染みの顔ぶれが交互・・・の中で、ヒョイと唸るような人が出てくる。
流行歌に限らず、洋楽(ポピュラー、ジャズ、ハワイアン)、民謡・・・選曲も幅広いし、コアな曲も平気で取り上げる。

例)
池真理子:あなたのくれたオルゴール
東海林太郎:楡の花咲く時計台
D.D歌合戦=>ダークダックスVSデュークエイセス
チエミいづみ新春にうたう=>江利チエミ&雪村いづみ
裕ちゃん軍歌を歌う(※大晦日放送)=>石原裕次郎、藤島泰輔

出演陣は、さすがに「なつかしの歌声」ほどのマイナーな方々は出ておられませんが、志村道夫や波平暁男、青葉笙子、照菊、生田恵子あたりは出ています。
一流どころの歌手が入れ替わり立ち代りという感じ。
大橋節夫、リリオリズムエアーズ、笈田敏夫、ロミ山田、丸山明宏、スリーグレイセス、弘田三枝子、江利チエミ、雪村いづみ、ペギー葉山、武井義明
南かおる、エセル中田・・・この洋楽系歌手の充実振り。

これ、「なつかしの歌声」同様にVTRが現存していたら国宝級なのですが、実際どの程度現存しているんでしょう。

気になって仕方ありません。

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by hakodate-no-sito | 2011-07-22 22:20 | テレビ | Comments(0)

テレビ出演!「徹子の部屋」へ佐良直美

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4月15日放送の「徹子の部屋」に佐良直美さんが出演です。
昨年、まさかの新曲発売で歌謡ファンを驚愕&歓喜させた佐良さん。
「テレビ出演は拘束時間が長いから…」と消極的姿勢で、メディア出演も関東ローカルのラジオ番組が主で、地方ファンの私は複雑な想いでした。

「『徹子の部屋』に出て欲しいなあ」
ずっと思っていました。
「徹子の部屋」ならば約30分、トークが出来ます。
捕って出し、と呼ばれる収録したものを最低限の編集だけをした殆ど生に近いかたちで放送されます。そして全国ネット(一部放送されない県もありますが、BS朝日や朝日ニュースレターでも放送されています)です。
新曲への想い、そして今佐良さんが行っている動物のしつけ方・飼い方の指導の話…。

希望が叶いました。
今の時勢は、大変なことになっています。
こんな状態だからこそ、佐良直美の新曲「いのちの木陰」はより心に響いてくるのではないでしょうか。ひとりでも多く、この歌を知る人が、そして好む人愛する人が増えますように。
http://www.youtube.com/watch?v=EYXIF0719Dw


「徹子の部屋」
2011年4月15日 午後1:20~1:55 放送

(一部地域では放送時間が違います、また放送延期の可能性も無いとは言えません。直前に改めて御確認をお勧めいたします)
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「27年ぶりに愛犬連れ復活」
歌手活動を長く休止し、昨年27年ぶりに新曲を発表して話題の佐良直美さん。現在は生活の基盤を栃木県那須に置き、犬の「しつけインストラクター」として活動している。今回は1967年のデビュー当時に大ヒットした「世界は二人のために」を歌う懐かしい映像も紹介。今日は、スタジオには愛犬3頭も登場。佐良さん指導のもと、黒柳も訓練に参加するが・・・。

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http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/110415.html
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by hakodate-no-sito | 2011-04-15 11:52 | テレビ | Comments(0)

ありがとう!ダークダックス

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3月29日夜、NHK-BS2で「ありがとう!ダークダックス」という番組が放送された。

私がダークダックスの存在をある程度キチンと認識出来るようになったのはこの7~8年であり、既にダークダックスは3人。
テレビの歌番組で見た彼らは、衰えを隠せない状態で痛々しく思え、好きになれなかった。
その後、昭和時代に遺した数々の名唱音源を聴くことで認識が改まったものの、やはり現在のダークは正視出来なかった。
不届き者、なのかも知れない。ファンとは言えないだろう。

今年のはじめ、トップテナーだったパクさんが亡くなったときはショックだったが、その一方でホッともしてしまった、 これ以上痛々しい姿を見ないで済むという・・・残酷な想いすら胸に浮かんでしまったのだ。

今回の番組が放送されると知ったときは
90分みっちり4人揃ったダークの道程と歌を観て聴いて楽しめる、と浮かれ気分で放送日を待ち続けた。

いざ、放送日。
テレビの前に座る。
番組が終わった頃には虚脱・放心状態に陥った。
そして、自分の残酷な感情に対し、腹立たしくなり、やるせなくなった。
寂しさをこらえきれなくなった。
一杯あおらなきゃ眠れなかった。


番組―
ダイジェスト形式でも充分に伝わってくるダークダックスの偉大さ。

ソロ歌手>コーラスグループとされる中で独自のポジションを得て、国民的コーラスグループにまでなったこと。
ダークの歌声で親しんだ歌の多さ。
ダークダックスが取り上げたことで知られるようになった歌。
ジャズ、アメリカンポップス、ロシア民謡、俗謡、童謡、唱歌、流行歌・歌謡曲・・・。
本場で認められたロシア民謡。
入国手続が厳しかったソビエト時代から6回の大陸公演。

その上で、マンガさんが病に倒れ(現在は脳梗塞の後遺症で療養中と紹介された)、パクさんが急逝し、残ったゲタさん、ゾウさんの2人から語られる
「何とか3人ででも今年60周年の記念コンサートを開きたかった」
「パクがいなくなることで4人揃ったダークダックスは無くなってしまった」
「この番組を以ってダークダックスとしての(音楽)活動にひと区切り打ちたい」
という言葉。重みは嫌でも認識される。
ひとつの伝説に終止符が打たれる瞬間を目撃することの重みも。

現在の二人の活動の様子も取り上げられた。
スタジオでは泣きそうになるのを必死にこらえながら語ったゲタさんは筆が立つ(日本ペンクラブ会員)ことからダークダックス60年の回顧録を執筆中らしい。
書斎には本が溢れ返っており、小林秀雄らと共に植木等の父親について書かれた本も棚にあったことが個人的に印象深い。
ゲタさんはこれまで「日本の叙情歌」「日本の美しい歌」などと言ったダークの活動と絡めた歌の解説本を出版されているほか、メルダック以降のダークのアルバム解説も載せている。
難しいのかもしれないが、出来るだけ沢山のダークのエピソードを大河小説ばりに綴って欲しい。
「我々もそのうち残念がられるでしょう」と語っていたが、少なくとも完成するまでは元気でいて欲しい。

悔しい、パクも無念だったろうと話すゲタさんを
「今更言っても仕様が無い」といなし、いつもどおり穏やかな表情で大人ぶりを発揮していたゾウさんは女声コーラス(50代以上の高年層)の指導。
椅子を間に挟み、左側に置かれたピアノで作曲(編曲?)し、右側の(70歳を過ぎてから始めたという)PCで譜面を打ちむ姿も放送された。
(注:ゲタさんの書斎にもPCは置かれている)

VTRでコメントを寄せたのは
ダークと多くのヒットを送り出した長田暁二、共通点も多い後輩で親しい歌手のペギー葉山に、コーラスグループの後輩デュークエイセスの谷道夫、ボニージャックスの玉田元康。

長田暁二はダークの元担当ディレクターとして軽く、音楽面での特色などを指摘。
ペギー葉山はあくまで同年代を共に過ごしたファンでもある後輩としての言葉。
デュークの谷はダークとデュークの違いにビートを持ち出したこと(このことはよく話すことなので新鮮さは無い)。
ボニーの玉田(ベース担当で髭の方)は慶応と早稲田ならではの持ち味の違いを語った。
機会があるなら、この4人にはもっとたっぷりとダークの話を語って欲しいし、聴きたい。
ダークゆかりの方々で、パクさん追悼・ダークダックスひと区切りのイベントも行って欲しいが、この時世ではやはり難しいのだろうか・・・。

さらには「花のメルヘン」の台詞を担当した女性がスタジオへ登場するサプライズもあった。
(野球の名監督として知られる故・水原茂の孫娘、このときのエピソードはゲタさんの著書「日本の美しい歌」に詳細が出ている)

流れたVTRは意図的なのか、単に残っていないのか、昭和50年代からへ平成一ケタまでのものが中心。
平成期の映像はハイビジョン収録されたものもあり、それらはおそらく今回初めてハイビジョン形式で流れたのではないか。
そういう意味では映像面、音質面でもしっかりしたものが選択され、放送されたという意味で評価されても良い。
ただ、そのことによってダークの全盛期ともいうべき1960年代の映像が見事にオミットされたことは哀しい。
映像も音質もクリアだが、90年代のダークダックスは歌声などに衰えが見て取れ、歌によっては複雑な気分にさせられる。

ダークダックスはコーラスグループで初めて紅白歌合戦へ出場していることも触れて欲しかった。
グループでの紫綬褒章受章という快挙を頂点とする、受賞歴の多さも触れてよかったのではないか。
民放において長寿ラジオ番組を複数受け持っていたことや、CM曲の雄としての側面もしかり。
選曲も、無理を承知でいえば、オリジナルの楽曲ももう少し欲しかった。
「二十二歳まで」「歌声がきこえる」「青春(Youth)」・・・こういう機会だから観たかった、聴きたかった。
そういう不満も正直に言えばある。

それでも、ダークダックスの素晴らしさ、偉大さは光っていることには変わりは無いし、伝わっても来たのだ。

番組の最後に
パクさん、マンガさんのパートを変わって担当する、と慶応の後輩ワグネルソサエティの現役及びOBメンバーが集った。
そこで1曲、40年来の専属伴奏者白石哲也のピアノ演奏で披露された。
ダークのテーマソングともいうべき曲「銀色の道」だ。
ゲタさんもゾウさんの声も響き渡り、〆に、歌い収めにふさわしい名唱だった。
歌い終わったところにペギー葉山が現れ、二人に花束と頬にキスを贈呈。
VTRのコメント出演は伏線だったのだ。なかなか粋なはからい。

これで終わりか・・・と思ったら画面にテロップが出た。
「2年前、病気療養中のマンガさんが突然3人のライブに参加しました」
映し出されたのは、個人用カメラで撮影されたファン向けイベントの映像。
そこにかぶさるように
「これが4人そろった最後の映像です」という文字。
披露されたのは30周年の記念曲で当時生命保険のCM曲としても流れた、ダークダックスもう一つのテーマ曲「絆」
2番を歌いだすメンバー。パクさんが身体がやや不自由なマンガさんをささえながら歌っている。
マンガさんの声は、長い間の闘病生活や病の後遺症もあって、声量が失われ、僅かに聞き取れる程度。 それでも、やはりマンガさんはマンガさんの歌声でした。
そして歌声及び映像はフェードアウトし、おそらく白石哲也のピアノ演奏による「絆」が流れ、4人揃った写真が映りEND。

すっかり心を持っていかれ、ちょっと涙が出そうに・・・。
一人で見ていたら泣いていたはず。

ひと晩経ち、感想用にもう一度見返すも
ありがとう、とは言えても、さよなら、とは言えない。
私にとってダークダックスはかけがいの無い存在で、今もiPodに100曲は軽く入っている。
歳を重ねても聴くだろうし、また今とは違う部分で感じ入る部分があると信じてもいる。
後年の視聴に耐え得る、キチンとした録音を遺したいと30年間、年に複数のアルバムを制作し、その後も10年近く年1枚のアルバム制作
という世界でも異例なのではないかと思えるほど、音源を遺したグループでもある。
レコードを追い求めることで、知らないダークダックスにはまだまだ逢えるのだから。

フォーエバー、ダークダックス。
キザな台詞だが、この言葉を捧げたい。
個人としての活動はこれからも続けるというゲタさんとゾウさんには、折に触れてまたトークゲストという形ででも、お目見えの機会があることを願っている。
番組を観ていて、話の巧いゲタさんはいうまでもないが、ゾウさんがなかなか鋭いことを話していた。ダークのメディア担当はゲタさんということになっているようだが、叶うならゾウさんの話をもっと伺いたい。
「徹子の部屋」「スタジオパークからこんにちは」「ラジオ深夜便」・・・このあたりの番組で話が聴けたら嬉しい。

そして、この番組が地上波でも放送され、より多くの人の眼にとまることを祈って止まない。
ダークダックスのファン層・支持層は声を上げる術を知らない人が多いだけで、もっともっと潜在していると信じている。
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by hakodate-no-sito | 2011-04-03 00:01 | テレビ | Comments(0)

私的感想「ふたりのビッグショー石井好子・美輪明宏」

「ふたりのビッグショー」
"石井好子・美輪明宏~真夜中のパリ祭気分~"
(1995年放送)

セットリスト
OPトーク
01巴里祭:デュエット
トーク
02メケメケ:美輪
03恋心:石井
04聞かせてよ愛の言葉を:美輪
トーク
05枯葉:石井
06待ちましょう:美輪
07ドミノ:石井
トーク
08バラ色の人生:デュエット
トーク&写真紹介
09老女優は去りゆく:美輪
10人の気も知らないで:石井
11愛の讃歌:石井
トーク
12バラ色の人生:デュエット


「ふたりのビッグショー」は、2人(組)の歌手(グループ)との組み合わせのジョイントショー番組で
NHKホールまたは地方の大中規模ホールでの公開収録形式が取られていました。
NHK側が用意したフルバンドまたは歌手の専属バンドがステージ上に控えていて、サウンド面でも文句なし。
同ジャンルの歌手によるガチンコ勝負あり、異ジャンルの歌手の組み合わせで予想外の魅力的な面が覗けたり
、40分の放送時間の中に様々な歌とトークが詰まっていました。
勿論、毎回素晴らしい、という訳にはいきませんが、それでもなかなかのクオリティを保っていたように思います。

さて、この石井好子×美輪明宏、はというと・・・。
石井好子は日本シャンソン界を代表する大歌手。美輪も圧倒的な存在感を誇る俳優でシャンソン歌手。
同ジャンルの歌い手のガチンコ対決といったところでしょうか。
意外なようですが、石井と美輪、二人でというのは有りそうで無い組み合わせなのです。

両者がよく引き受けたな・・・と番組実現までの裏側も私としては気になるのですが、それはさておき。
やはり石井も美輪も大御所、セットリストをご覧頂ければピンと来るでしょうが扱いが非常に気が遣われています。

02から07まではメドレー形式なのですが、前半3曲は美輪が最初と最後の2曲、後半3曲は石井が最初と最後の2曲。
09から11も、美輪の「老女優~」は演劇仕立ての長い曲なので、それに配慮し、石井は2曲という形式。

この番組は原則、演奏者はNHKサイドが用意したフルバンド+ストリングス。フォークやニューミュージック系の歌手は
自前バンド(新曲での演奏)という場合もあります。

しかしこの回は舞台上の左右に石井、美輪それぞれの演奏担当バンドが待機。
さらには西洋風のセットが作られ、一人が歌っているときにはもう一人はそこに座って待機という形。
紅白歌合戦ばりの形式、いつに無い力の入り方です。

石井、美輪のトーク内容も
「私は一番最初にNHKへ出たのは女学校の頃・・・愛宕山なんです」(石井)
という気の遠くなるような話に、石井のパリ公演での話や美輪のヨーロッパ公演の話など、スケール感が違います。
石井好子も「あなたと私はさして歳なんて違わないわよ(笑)」と言うなどジョークが弾んでいます。
(確かに二人とも年齢不詳な風貌で、石井と美輪が一回り以上歳が離れているようには見えません)
自己顕示ぶりもひと一倍備えている美輪明宏ですが、ここではさりげなくも石井に気遣いを欠かさず行っています。
二人の歌が気合が入っていることは言うまでもありません。
(もっとも美輪の方が気負っている感じがします…)

この回を見ていると美輪は西洋の高級風芸人、石井は上流婦人
という感じを受けてなりません。
同じ高級なムードでも、美輪はそういう香りを漂わせた"芸風"、石井は身に付いた感覚、に思えます。

美輪がダメかというと、そんなことは無いのです。
人によって賛否両論ある頑迷な自己顕示ぶりですが、確かに誇れるだけの実績を積み重ねています。
私自身は美輪はそういう芸風と思っていますので、どうとも思いません。
この回はともかく、結構ハッとさせられることも話していますし。

歌も独得の魅力があって、良いです。
特に歌とひとり芝居の組み合わせである「老女優は去りゆく」は見事なまでに美輪明宏の世界。
"歌いながら演じ、演じながら歌う"この世界は美輪ならではあり、他の人には考えられないひとつの境地に達していて素晴らしいのです。

ですが、美輪のあれだけの大熱演の後に出て、気負いなく(そう見えるだけか)出て来て、自分の歌を歌い、最後はしっかり
石井色に客席を染めてしまう石井好子はやはり凄いとしかいいようがありません。

二人の披露した歌、それぞれ1曲選べといわれたら
石井:ドミノ(「愛の讃歌」と迷ったのですが)
美輪:老女優は去りゆく
ということになります。

1990年代、このような濃密かつしっかりと魅せて聴かせる番組が作られていたことに驚きです。

こういう石井の名唱を集めて、石井の1周忌あたりに特別番組を組んで欲しいものです。
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by hakodate-no-sito | 2011-03-03 00:25 | テレビ | Comments(0)

感想「女と味噌汁(その1)」について

「女と味噌汁」は池内淳子主演の人気テレビドラマシリーズ。
東芝日曜劇場で昭和40年から55年まで38作が放送されました。

東芝日曜劇場は、今は日曜劇場という連続ドラマ枠ですが、かつては単発ドラマ枠でした。
スタジオドラマでじっくり魅せ、出演俳優も一流どころ、日本のドラマ枠の最高峰・・・と言っても過言ではない高品質を保ち続けた
ドラマ枠だったのですが、様々な理由から惜しまれつつ、平成のはじめに静かに暖簾を下ろしました。

「女と味噌汁」はもともと平岩弓枝が雑誌に発表した短編連作。
それをたまたま目にしたプロデューサーの石井ふく子が、平岩へドラマ化を願い出たのが最初だったようです。
最初は風俗ドラマ的な面が強かったのですが、シリーズの長期化に伴い、徐々にコメディ路線へシフトしていきました。
脚本は原作者でもある平岩弓枝が全作担当しています。

今年、2011年にスカパー・TBSチャンネルにて全話再放送が行われ、久しぶりに楽しむことが出来ましたが、古いドラマのせいかネット上ではあまり話題にもならず、情報も少ない状態。
勿体無いので、折角全話観て録画もしたので、ぼつぼつと自分なりの想いや感想を綴っていけたらな…と思います。全作品綴れるかはさておき(笑)

よもやま話
出演している長山藍子が、どうしても台詞がうまく言えず苦しんでいたら、プロデューサーの石井ふく子が「バナナでも食べて言ってごらん」とアドバイス。
その通り言ったらうまく言ったがバナナは苦手なので大変だったと笑いながら回想しています。
そんな長山の奮闘が実ってか、平岩弓枝の目に留まり、続編ではエキストラ的脇役から要となる脇役・小桃となり、やがてはシリーズに欠かせぬ顔へと成長していくことになります。

印象深い台詞
「妻だ、妻だってえらそうに言っているけど・・・何が妻よ。
ご亭主から絞れるだけ搾ってさ。女であること売り物にしてんの・・・芸者とどこが違うのよ。」

個人的感想
第1作目ということもあり、花柳界の様子もきめ細かく描かれていて興味深い。
その後、コロコロ変わるてまりの設定だが1作目では
・中学までしか出ていないので芸者以外に(職が)無かった。
・月7万貰っている石川という旦那はいるが、適度に距離を置いた付き合い。
・石川とは月に1度か2度ゴルフの共をする。芸者の家へは泊まる趣味は無いと旦那の意向。
・昭和40年、祖母7回忌。母は2度目のお盆。亡くなる半年前から入院。祖母と田舎で育った。
ということになっています。

ストーリーとしてはやや古いのかもしれない。
妻の役割、夫の役割、というような分担の垣根が無くなって来ている今は
それでも、いわゆる日陰者というような、人から蔑みの目を受ける立場の人が実は堅気の人よりずっとまっとうで・・・。
という設定は決して古びていないし、現在もドラマの中で見かける。
だが、その設定に納得させられるだけの演技や演出がしっかり成されているか、というと首を傾げるものも少なくない。
古いと馬鹿にされそうだが、昭和40年に作られた今作品はそういう点もしっかり抑えられていて、胸に迫ってくる。
古くて新しい、という言葉がしっくりくるドラマのように思える。

あと、これは言うまでもないが、池内淳子が若くて綺麗。
艶があって、どこか儚さも秘めていて、それでいて家庭的な感じも持ち合わせている。
20%女優と異名を取った人気女優として一世を風靡したことは納得。

ストーリー(長いです、私の阿呆な脳では要約できませんでした・・・)
室戸千佳子はてまりという名の人気芸者。
新宿弁天池の芸者は自由恋愛と称して、客と寝ることは少なくない。
てまりは2代続けての芸者で、籍を置いている芸者屋「はなのや」のおかみとも顔なじみ。
何より美貌と芸を持っているから非売品で通っている。

ある日、てまりは自宅で客のキリタニと一夜を共にし、翌朝は朝食を自ら用意した。夢は祖母から教わった味噌汁を出す出店を持つこと。
翌朝、客は「こんなうまい味噌汁は生まれて初めてだ」と、花代を奮発し1万円を置いていく。

その夜、接待マージャンで帰れなかったと言い訳をしてキリタニは家へ帰る。
お座敷では独り者と言っていたがれっきとした妻子持ちなのだ。
てまりに「出しておくよ」と持っていったものの、出し忘れた懸賞葉書と
財布に入れた夏のズボン代1万円がズボンも買わないのに消えていることに妻は感づく。

2日後の日曜の昼下がり、キリタニの妻が葉書を頼りにてまりのアパートへ訪ねて来る。
「ひとりで家で考えていると、どうにもやりきれなくなって・・・」
家計簿片手に、月収3万4千円のやりくりがいかに大変かを口説き、手を切って欲しいと訴える。

テーブルに投げ出した家計簿をじっくり読むてまり。
やがて、妻の怒号に言い返す。
「あんた、芸者に作ってもらった味噌汁がうまい、って旦那に言われて恥ずかしくないのか」

その言葉に妻は冷静さを取り戻す。
そして、子どもに手が掛かることや勤めに出ていた時期が長く料理も下手だから、とインスタント食品やパン食で済ましていることを
悔い始める。

そのことを聞き「私も言い過ぎました。奥さんも頑張っているのに・・・」、てまりは花代を返すことにした。
妻は、もういいの、と辞退しようとするが、お互い半額づつということで決着した。

「確かに私、妻の座にドデンと居座っていたわ。あなたに教えて貰わなかったら、もっと酷い目にあっていたかもしれない」
意気投合までしまう二人。

「いつかね、私だけの力で、味噌汁や何かを出す店を出したいの」
いつしか自分の夢まで語るてまり。
美味しい味噌汁の作り方を教えて欲しい、と妻から頼まれるも、味噌汁は自分で味を作っていくものだし、これは私の売り物だから
とやんわり拒絶。妻も納得する。

帰る前にふと尋ねる妻。
「あなた・・・コウジのこと、好き?」
「好きだからお泊めしたんです」

妻を見送り、台所に立つてまり。
今日の夕食は、さっき買ってきた豆腐の味噌汁と・・・。

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by hakodate-no-sito | 2011-03-02 21:32 | テレビ | Comments(4)

80歳の交響曲(その2)

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2002年11月4日、昭和女子大学人見記念講堂。
舞台上には東京都交響楽団がスタンバイ。
指揮者・飯森氏が舞台袖から登場し、壇上へ。
奏でられるイントロがシャンソンを代表する永遠の名曲「愛の讃歌」
ラストではなく、最初にこの歌を選択するところにこのコンサートへの意気込みを感じ取れる。
石井はスパンコールの入った、袖つきの、ブルーのドレスで登場。
貫禄のステージが始まる。

「皆様、今晩は・・・」
石井のシャンソン歌手としてのキャリアは長く、1948年。戦後まもない頃。
その頃聴いたシャンソンの想い出を軽く話す。
年下のものには歴史、同年代にとってはたまらない青春の想い出だ。

石井好子が「Les feuilles mortes(枯葉)」を歌うとき、
ポール・ヴェルレーヌの名詩「秋の歌(Chanson d'automne)」を歌の前に組み込み、「秋の歌」として歌う。
"秋の日の ヴィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し・・・"
上田敏の訳詩を諳んじてから唄う「秋の歌」は、石井の掌中の珠の1曲であり、既に石井スタンダードとなっている。
もともとジャック・プレヴェールによって書かれた、文学的シャンソン。ヴェルレーヌをうたうことで作品の格調高さを
更に高め、目を閉じればそこに西洋の街角が浮かんでくる。
こういうことが出来るところは、石井の持って生まれた素材と育った環境だろう。身に付いていないものには出来ない。

「なぜ80歳って言うの・・・」
コンサートの題名の由来について話し始める石井。
新聞など、メディアは"石井好子(80)"と年齢を強調するのが好きなようで、そういう形で年齢が出ると「まだ歌っているのか」と思われてしまう。
ならば先手を取って「私は80よ」と言ってしまった方が、好意的に受け取って貰える・・・。
笑いを交えながら話しているが、確かに我々は何かというと年齢で物を観て、時には年齢で否定的になる。
知らず知らずのうちにその見方によって、良いものは良いと素直に言えなくなっている部分は否定出来まい。
もっと意地の悪い目ではなく、素直に、愛情を持って見つめたい。

カメラが客席を映し出すと岸朝子、秋山ちえ子と思われる女性が映る。
石井、岸、秋山・・・年齢を年輪に、若人には出来ない熟練の仕事をされる人たち。
同年代の人間がこうやって活躍するのを心より応援し、また励まされ、そして喜んでいるのではないか。

「初日の夜(Un Soir De Premiere)」
演劇仕立てのシャンソン。若い頃では陳腐に、年齢を重ねると長年の酷使で声が出なくなり、歌えない可能性すらあるジャンルのもの。
だが、石井は堂々と歌い切る。。
石井に、演劇的才能はさして無いように思われるが、まるで本人の実体験のように思わせる説得力は年輪と長年の努力のよって培われたのだろうか。

ここで、石井は衣装替えのために一旦舞台袖へ去る。
入れ替わり、司会者が登場する。木原光知子。
木原と石井は30数年来の友人で大親友ともいえる仲、出会い始めの頃について話し出す木原。
当時石井は40代だったそうだが、既に貫禄充分であったと語り、会場の雰囲気をほぐす。
続いて、アコーディオン奏者の桑山哲也が登場し、都響と共に「ムーラン・ルージュの唄」を奏でる。

一旦楽団の人間が舞台袖へ引き、舞台上はピアノ奏者一人、アコーディオン二人という少人数になる。
そこに衣装替えを終えた石井が登場し「ジャヴァ・ブルー(Java Blue)」続いて「ブルー・ブラン・ブロン(Bleu, Blanc, Blond)」。
それまでの重厚な雰囲気から一転し、軽やかな雰囲気の歌で、ちょっと小粋なひとときが流れる。
シャンソンは、決して重い歌ばかりでは無いのだ。

再び楽団がステージへ戻り「恋心(L'amour, C'est pour rien)」。
エンリコ・マシアスがヒットさせたシャンソンだが、それよりも早世した後輩・岸洋子の持ち歌を引き継ぐ、というように感じられる。
石井は「希望」も歌い継いだが、ここではアレンジも敢えて岸が歌っていたものに近いものにしている。

そろそろラストに近づいてきた。
「私はよく、シャンソンで何の歌が一番好きですかと聞かれます」
どれも好きだから歌っているが、あえて1曲選ぶとするならば、と石井が選曲するのは
ジャック・ブレルの「Ne Me Quitte Pas(行かないで)」だという。
歌詞の概要を語り、全編原語で歌唱する石井。
独得の緊迫感などは、日本語訳では到底表現出来ない、という判断なのだろう。
フランス語の意味が判らなくとも伝わってくるものがある。
本物はいともたやすく、言葉の壁を越える・・・石井好子極めつけの名唱名演。

最後の1曲となった。
石井がシャンソン歌手でもっとも愛した歌手ダミア、ダミアへの想いを語り、彼女へ捧げると歌い始めたのは「かもめ(Les Goelands)」
神戸市混声合唱団も加わる。
両手を広げて歌う石井。
「かもめの石井か、石井のかもめ」とまで言われているが、もはやここでは何か言うこと自体が野暮のように思われた。
敢えて言うならば、完璧とはこういうもの、ということか。

会場中からブラボーの掛け声、鳴り止まぬ拍手。
客席から捧げられた薔薇の花束を胸に抱き、一旦袖へ引ける石井。
アンコールの声は止まることを知らない。
石井は舞台へ戻り、マイクスタンドからマイクを取る。
「水に流して」
エディット・ピアフが歌った、透明感とスケール感のある歌。聴き手の高揚感は更に高まっていくばかり。
誰がここで歌い手の年齢が80歳だといって信じるものがあろうか。

会場にいるものは、1曲では納得しない。
当然掛かるアンコールの声。
その声に応え、再び舞台へ戻って来た石井。
笑顔で歌い始めたのは「二人の恋人(J'al Deux Amours)」
ジョセフィン・ベーカーが歌い、石井にとっても桑港でルイ・アームストロングとセッションし、また巴里のパスドックの家のオーディションでも歌い
大事に、大切に歌ってきた。
「二人の恋人、それは祖国とパリ」・・・石井好子のメイン・テーマ曲ともいえる歌。
聴くものにとっても、晴れやかな気分で、笑顔で「良かったね」と言って帰路に着ける歌を選び、コンサートは終わった。

「いかがでしたでしょうか」
歌い終わって、頭を下げるときの石井の満面の笑み。

凡人の私には、賛辞以外に浮かぶことは無い。
石井好子こそシャンソンである、とは誰が言ったか想い出せないが、異論は今、まったくない。
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by hakodate-no-sito | 2011-02-10 00:02 | テレビ | Comments(0)

80歳の交響曲(その1)

石井好子「80歳の交響曲・ROBAは一日にして成らず」というDVDを観ることが出来た。

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石井好子にとって初の、そして唯一の映像(DVD)ソフトらしい。
らしい、というのはコンサートビデオならば90年代あたりに出ているのではないかと思うから。
一応調べてみたが見当たらないので、初&唯一ということにした。

題名を観れば判るが、このDVDは80歳の石井の歌う姿が収録されている。

日本で名を成した歌手で長年第一線にいて、80歳を超えてなお現役という人はそう多くない。
昭和40年代の懐メロブームで顔を出していた戦前戦後の大歌手たちはせいぜい70そこそこで亡くなっていて
80歳を超えて歌っていた人は案外少ないのだ。

石井は大正の末の生まれ。
大正後半の生まれの歌手は、戦争や戦後の復興時期を挟んだせいもあってか、身体の弱い人や早くに亡くなる人が多い。
石井は87歳の大往生で、86歳まで人前で歌い続けた。

石井好子の何が驚異かというと、まずステージング。
80歳ともなれば病気や何やで足腰が悪くなっていたりし、動きが緩慢になっていたりしても不思議では無いが
それがまったく無い(または、無いように見せていた)。
貫禄、気品、衣装センス、舞台化粧・・・どこを取っても老いの残酷さは無い。
枯れや侘びとは無縁で、若い頃とはひと味違う艶やかさ・華やかさまである。

歌声はどうだろう。
もともと石井は東京芸大の声楽科卒業で、クラシックな歌唱法で歌う歌手だったが
還暦を過ぎた頃から自分の声の衰えを自覚し、改めて平山美智子へ発声のレッスンを乞い、地声を生かして歌うようになった。
歌によっては声楽的歌唱じゃない場合の方が良い場合だってあるはずだし、年齢に応じた歌い方もあるはずだが、音楽学校出身歌手
は声楽を収めたことは自身のバックボーンであり自信だ、支えだ。
それを惜しげもなく投げ捨て、歌唱法を変えるというのは並の人には出来ない決断だろう。
結果が、このDVDへと収められた歌声だ。
日本の、80歳の歌手で、力強く、声量もあり、過去の栄光の残影ではなく今日の魅力で聴かせた歌手は・・・いるのだろうか。
加齢による身体の衰えや長年の声帯酷使をものともず、今が絶頂とまで思わせる歌手が一体何人いる、いたのだろうか。
稀有なことをやってのけているのに、仰々しさを感じさせないのは何故だろう。

月並みな言葉だが
常に向上心を抱き、健康管理に気を配り、なおかつ運に恵まれた、選ばれし歌手
が石井好子なのだ。

このDVDにはそんな奇蹟のようなひとときが収められている。
石井が亡くなった今、なおのこと、ドキュメント的価値が高まっている。
さらに、これを観て石井がどのような道程を歩んできたのかと補完が出来る、豊富な写真を基に本人による解説付きのスライドショー
が収録されている。さりげない形で広い人脈・交友を知ることも出来、また素顔の、ステージでは観られないような童女のような笑顔を見せる
石井の写真もあり、この良い意味での落差・ギャップが人を惹き付ける一因なのか、と感じた。
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by hakodate-no-sito | 2011-02-09 22:53 | テレビ | Comments(3)

戦後50年とシャンソン 高英男

先日、高英男さんが出演した「題名のない音楽会」を観る機会に恵まれた。
自分の備忘録と、貴重な番組情報の記録を兼ねてここに感想などを記してみたい。

1995年7月16日放送「戦後50年とシャンソン」。
「題名~」の司会の黛敏郎は高英男と同時期にフランス留学していたことから親交を結び、ウン10年来の付き合いのある方。
黛はクラシック畑の作曲家ですが、日本劇場等の舞台音楽や映画音楽も多く手掛けるなど、音楽に関する造詣は大変深く、シャンソンにも通じ、高英男に限らず、石井好子、深緑夏代・・・と名高い日本のシャンソン歌手と仕事をし、「題名~」でもその人脈は大いに生かされていたという。

戦後50年のこの1995年、「題名~」では「戦後50年と××」と称した、戦後流行した音楽を振り返る企画が放送された。
ジャズ、シャンソン、歌謡曲と3回に渡った中の2回目に当たるのがこの回。

黛敏郎の談によれば
戦後50年史のジャズの回が好評で、ではシャンソン編を・・・と思ったとき、誰が良いだろうと考えたが、この人をおいて他にいない
となったのが高英男だったという。女性では石井好子がいるが、今回は高英男ひとりで、と。

※なおジャズ編のゲストは笈田敏夫だったと思う。
この歌手もCDが殆ど無く、日本ジャズボーカルの頂点とまで言われた、あの歌声が容易に聴けないのは異常事態だ。何とかして欲しいものである。

前書きはこの辺にして、本編について書いていこう。

歌:高 英男
司会:黛 敏郎
指揮、ピアノ:福田一雄
演奏:東京交響楽団、新音楽協会、
アコーディオン:江森 登
コーラス:東京混声合唱団

オープニングを飾るのは
1「ロマンス Romance」
(訳詩:中原淳一、作詩:H.Plante、作曲:Joseph Kosma)

1953年、高英男のレコードデビュー曲にしてヒット曲。
♪友よ聞き給え、この愛の歌・・・
という歌い出しであることも手伝い、高英男のワンマンショウなど舞台の1曲目はこの歌であることが多かったという。
近年NHK-BS2やスカパーe2のチャンネル銀河において再放送された「ビッグショー 高英男 わが夢は雪の彼方に」(976年12月26日放送)
でもオープニングはこの歌。

歌を終えて黛による演奏者及び曲名紹介、笑顔で握手を交わす黛と高。
舞台上に容易された椅子に座り、話を始める二人。
懐かしい旧友との舞台、黛は上機嫌。

1951年のフランス留学の想い出へ。高と中原淳一に少し遅れて黛もパリへ。
モンマルトルのクラブ出演のオーディションに出ることになった高、黛へピアノ伴奏を頼んだ。
「何歌ったか・・・僕、覚えていますよ(笑いながら)」
「いやー・・・何でした?」
「蘇州夜曲(笑いながら)、アハハ・・・」
自分は日本人、東洋人だから、この歌がこの歌が1番(あちらの人に)分かりが良く、仏語詩も付いていたこともあり歌ったという。
そのフランス語の詩で歌の出だしを口ずさむ高。会場拍手。

これが聴かせる。76歳でこの歌声である、30代当時の伸びやかな歌声ならばどれだけ良かったか、容易に察することが出来た。

「高さんがオーディション行く時にね、中原淳一さんが、紫の着物着せて。それに(タバコの)銀紙で紋貼り付けたの」
紋のほかにも、三日月や桜の花などの形も切って貼ったそう。
余程面白く忘れられない話らしく、笑顔で話す黛。

そして、その話から黛は、高を日本では珍しいシャンソン・ファンタジストの歌い手であることを指摘。「高さんの最も高さんらしい歌」と紹介し

2「幸福を売る男(Le marchand de bonheur)」
(訳詩:戸田邦雄 作詩:J.Broussolle 作曲:J.P.Calvet)

コーラスグループ・シャンソンの友が歌い、1959年から60年にかけてヒットした明るい曲調のシャンソン。
日本では高英男のほか
越路吹雪(訳詩:岩谷時子)、芦野宏(訳詩:薩摩忠)などの歌唱も知られているほか、宝塚歌劇団においても歌われている。
戸田邦雄とはフランスで歌手活動を行っている頃に知己を得て、訳詩をお願いしたという。
現在入手出来るCDやレコードでは聴けないが、この歌の間奏部分で笑いと励ましを交えたトークを行うのが定番であり、ここでも
「皆さん、お元気でしょうね?
まあこの頃近頃いろんな嫌なことばかりありますんですけど、皆さんのその朗らかな気持ちでそんなことを忘れて、これからも笑いながら暮らして参りましょう。
笑うのが一番良いんそうでございます。笑って笑って嫌なことを吹き飛ばしましょう。
♪笑って暮らそう 泣いちゃいけない 楽しく暮らそう
なんて歌って、もう僕も80(歳)近くなりました」

と、高英男一流の飄々としたトークを展開し、会場のムードを温かい笑いへ変えている。

続いて、シャンソン・リテレール。
フランスでは名だたる文人がシャンソンを書いている。
そんな文学的シャンソンの最たる例は私はこの歌だと思うと黛。

3「枯葉(Les Feuilles mortes)」
(訳詩:中原淳一 作詩:Jacques Prevert 作曲:Joseph Kosma)

ジャズナンバーとしても名高い、世界的スタンダードナンバー。
♪枯葉よ・・・の訳詩と共に高英男のヒット曲として知られた。
高英男といえば、枯葉、ロマンス、雪の降る街を・・・と上げて差し支えない代名詞的歌でもある。

「いろんな枯葉があります。イヴ・モンタンの枯葉も良いし、ジュリエット・グレコの枯葉も良いけれども高さんの枯葉はまた捨て難い独得の味がありますね。これが芸というものであり年輪であると本当につくづく思います」
黛敏郎のこの言葉だけで、この番組の存在意義があると思うし、黛の見識の確かさを私は感じる。

次は
シャンソン・ド・シャルム(魅惑のシャンソン)、シャソン・ド・サンチマンタル(感傷的シャンソン)の代表的曲の中から
高英男のレパートリーの中でも欠かせぬ1曲
4「モンマルトルの丘(Complainte de la Butte)」
(訳詩:中原淳一 作詩:Jean Renoir 作曲:Georges Van Parys)

あらゆる面から高英男を語るのに欠かせぬのが中原淳一である。
中原は多彩な顔を持っているが、高と組んだシャンソンの訳詩(作詩)も忘れてはならないと思う。

「戦後50年、これこそシャンソンという歌は何だろうということになって期せずして高さんと一致したのがこの歌でした」
「丁度僕ね、恋の熱烈な歌を歌う季節になりました」
と披露されたのが
5「愛の讃歌(Hymne a l'amour)」
(訳詩:中原淳一 作詩:Edith Piaf 作曲:Margueritt Monnot)

説明不要の世界的スタンダードナンバー。
この歌で番組は〆。

ダミア、「枯葉」作曲のジョセフ・コスマ、「愛の讃歌」作曲のマルグリット・モノー・・・
シャンソンの歴史を作った第一人者たちと交流があり、また自身もフランスで歌い活躍をしていた高英男。

「あなたのような人は貴重だ」と黛が番組内で話していたが確かにその通り。歴史を背負っている人であり、確かな芸がある。
声楽を基礎から修めた土壌がある確かな歌唱力、大舞台を満員にしたパーソナリティ、一流の話術、ビジュアル面・・・・。

何より観ていて楽しいのだ。「幸福を売る男」そのもの。
魅せて聴かせて楽しませて・・・決して媚を売るわけじゃなく品格が存在する。
トークはどこか飄々とした可笑しさがあって、その中にさらっと含羞のあることを盛り込む。
・・・こんなタイプの歌い手、他に知らない。唯一無二の歌い手だ。

大衆芸人でありたいと生前語っていた高英男。
庶民的、大衆的なものは日本では評価され難い。
だが、敢えてそういう道を辿り、シャンソンを歌い続けたということはひとつの見識であり、真似できない偉業だろう。私は忘れたくないし、忘れられてはいけない人だと思う。
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by hakodate-no-sito | 2011-01-31 07:52 | テレビ | Comments(0)