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カテゴリ:読書感想( 8 )

歌・本・芝居

3月へ札幌へ行った際、紀伊国屋書店へ立ち寄りました。
もう一歩踏み入れた瞬間、気力が、心が満たされていくのを感じました。
猛烈な勢いで、全身に回って行くエネルギー。
鏡は見ておりませんが、さぞ、ご機嫌な、情熱的な顔だったでしょうね。

「おおッ」「ああッ」「ムフフッ」
琴線に触れる本が、Amazon氏に御頼みするには弱いが気になっている本が、函館の本屋には置いてくれない本が、あるわ、あるわ、あるわ。
店の雰囲気も上等。
腹が痛くなる空気も、窒息しそうな空気もなし。
店内ではインストアイベントも行われて、何やら綺麗な女性作者さんがトークを繰り広げていました。

ああ、都会。
それでいて東京方面では得ることの出来なかった、地続きの安心感。
なるほど、札幌に行ってしまう人、札幌に戻りたいという人の気持ち、実によくわかりました。
街並なら、景色の良さなら、温泉も食べ物も、函館だって負けません。
しかし、活気が失われ、年寄りとヤンキーな若者しか居らん、半分死んだ街になってしまったことによる、この格差・・・現実がつくづく沁みました。

それはさておき、紀伊国屋です。
あちらこちら棚を見て回るうちに、何となく手に取ってやろうと思った本が1冊。
安いし手許に置いておこうと思った本が1冊、タイミングの悪さで買えなかった本が1冊。
計3冊選び出し、店を後に。
懐が暖かったら、もっと欲しい本もあったのだけど、それはそれ。

その後、ブックオフにも立ち寄り、黒柳徹子「おしゃべり倶楽部」などを調達。
こちらはまあどこでも一緒です、ええ。嗜好にあった本が見つかったので、問題はありませんが。

折角なので、最後に買った本をいくつか紹介いたします。

・水樹奈々「深愛」(幻冬舎文庫)
紅白へも連続出場している声優アーティストの雄(この場合、雌?)。
とびきりうまいという訳ではないし、癖は強いし、他人の歌うたえば全然ダメだし、自作詞はよくわからないし・・・と、ツッコもうと思えばいくらでも突っ込めます。

でも、何か惹きつけるモノは持っているのですよね、この方。
ジャンルのトップにのし上がって、武道館や東京ドーム満員に出来るだけあります。
私は今の音楽への思い入れが極めて薄いので、昭和40年代あたりまでの歌手へのような情熱は傾けていませんが、まぁ普通に好きです。

この本も以前どこかで読んで、まぁまぁ面白かったので、文庫化されたのを機に確保しました。
面白いと言っても、達者な文章とは全然言えないし、妹(グーグル先生によると歌手なんだとか。不仲でオミットされた訳ではない模様)の存在はじめ書かれていないことが結構あるのですが、まぁ水樹奈々という人への興味関心が多少ある身には面白く読めたということで。


・「植木等ショー!クレージーTV大全」(洋泉社)
中身を確認してから押さえたい、そう思っていたのですが見かけず。
そのまま、買いそびれていた1冊。
もっと早く買っておけば良かったですね。
TBSで放送された音楽バラエティ番組「植木等ショー」の紹介を中心に、植木等について様々な関係者が語っています。当事者がメインで語っているのですから、面白くないはずがありません。
「スーダラ伝説」前後の話もたっぷり。頁をめくるのが楽しくて、楽しくて。
TV出演のデータベースについては近年のものも含めて、随分抜けがあるのが気にかかりましたが、税込2,625円なら、まぁ、こんなものでしょう。何も言うことありません。
我が御本尊様、植木等は永遠のスターです。少なくとも私にとっては。改めて認識。
いま調べたら、もうネットでの購入は中古じゃないと難しい模様。
小学校の頃、映画サントラCD「クレージーキャッツトラックス」を買ったときといい、入手し難くなっていた品が、ヒョイとやってくる。縁があるんでしょうかね。幸せです。


・池澤春菜「乙女の読書道」(本の雑誌社)
表紙の写真が凄い、かなり大きめの本棚の前にたたずむ作者。
棚にはびっしりと本が二重に収納。半端じゃないハヤカワ文庫の量。原書も見える。
そして、これが自宅ですというではありませんか。
いわばジャケ買いって奴です。

この方、声優です。
テレビ東京の子供向けアニメの常連だった方です。
じゃあタレント本か、というと、それはちょっと違う。あの本棚ですし、アハハ。
何せ、父が池澤夏樹、祖父が福永武彦、祖母も原條あき子という詩人。
華麗なる血脈のなせる技で、この方も本好き。
人気声優、作家の娘という二つのネームバリューで、書くことをいろいろやっておられるようです。

この本は「本の雑誌」連載の書評に、本がらみの話題で書いたエッセイを添えて、まとめたもの。
取り上げているジャンルはSF。私の嗜好外。
でも、面白いのですよね、これ。

まず、人が何の本を読んでいるのかを知る楽しみ。
圧倒的な読書量のバックボーンと、活字中毒ぶりが滲み出ている文章。
文章はかぎりなく素人のそれですが(・・・本当は、もう少し硬めの文でもイケる人だと思うんですけど)、それで飯を喰っている訳ではないからこその自由さに溢れ、そこが読んでいて気楽に楽しめます。
頭のキレっぷりも、なかなかのもの。
情熱的で、ベトベトしてなく、小気味良いんです。

まっとうな本というより、バシッと書かれたブログの延長戦という感じがします。
でも、文筆で生計を立てている人の本で、この本よりつまらない本って、ごまんとあるのですよね。そこが文の面白さですね。文は人なり。
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by hakodate-no-sito | 2014-07-07 09:40 | 読書感想 | Comments(0)

世界のミフネ

松田美智子「サムライ 評伝三船敏郎」(文藝春秋)を読んだ。

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どんな内容だろうと楽しみにしたが、世界のミフネとしての面と、中高年以降の離婚裁判・黒澤明との確執説・三船プロ内紛、そして晩年の認知症といったスキャンダルが主だった。
全盛時代の映画をメインに熱く語られているような内容を想定していたので、この内容はちょっと意外。

もっともスキャンダルが主といっても、その視線は温かい。
敬意と愛情を持った上で、あくまで本当のことを知りたいという姿勢のもと、ひとつひとつ丹念に追って、曲解されてしまった三船像を解きほぐしていっている。

後年のスキャンダルは、三船敏郎を語るとなると避けて通れない話題であり、あれだけの大物でありながら一種腫れものにもなって、語るに語られない空気の原因のように思う。

そこを敢えて触れて突破することで、一種の露払いをつとめた感じが、この本にはあった。

最もそういう形式に至った理由には、映画スターとしての全盛期を知る証言者が殆ど鬼籍に入っていて、一次証言が得られにくい状況にあったことも大きいのだろう。
それでも橋本忍や司葉子が証言者として、重要な役割を担っている。
黒澤映画の脚本家である橋本忍、同じ東宝専属の女優で映画でも競演し三船没後には国民栄誉賞受賞に向けて動いた司葉子。両名の見解は興味深いこと、この上無かった。
それにしても近年の橋本忍の華麗なる復活ぶり。自作のリライトも「私は貝になりたい」で終りだろうと思ったら、その後も別作品を手掛けている。
歳を重ねてますます頭脳明晰になっている感すらある。驚嘆ものだ。

司葉子の話も、映画撮影時のエピソードもそうだが、政治家の妻として各国の上流階級者と関わる際も、ミフネと競演した女優ということで突破口になり、どんどん親しくなれたという証言が興味深い。

全盛時代の話は上記の二人で担っていたが、後年のスキャンダルの話は、要となる証言者がまだまだ多く健在なだけに、様々な人々が登場する。
三船の息子ふたりは勿論、映画でも競演し三船プロでも最後まで残った夏木陽介、後年三船プロを割った田中壽一(烏丸せつこの元夫)まで出て来る。

いわば敵方といってもいい田中壽一だが、その証言は読んでいるこちらが驚くぐらいに三船への愛情に満ちている。
もっとも三船プロ独立の経緯といい、その証言にはいま一つ信用を置けない面もある。
その辺は作者も重々承知で、疑問点も文中に指摘、また夏木陽介による田中批判も飛び出している。
それでも三船の右腕として、支え続けた人間だけあって、彼によって語られる三船エピソードは興味深いことこの上ない。
一筋縄ではいかない強かな人には違いないが大物の器が在る人には思えない。
今は、三船についての講演も行っているそうなので、その辺りの算盤もはじいているのかもしれない。ただ、三船敏郎への愛情敬意はあった、と私は信じたい。

晩年、三船が喜多川美佳と別れた真相も明かされている。
巷説となっている認知症になった三船を喜多川が棄てた、という説は誤りだった。

海外での映画撮影から戻ったら、大事な形見の品である三船の親の位牌を、●価学会の信者である喜多川によって勝手に処分されていたことに怒った三船が「出て行け」と迫ったが、居住していたマンションの一室は喜多川名義にしていたので、三船が出て行かざるを得なかった・・・という話が真相だった。

いずれにせよ哀しい。
その他にも、三船の愛人・内縁の妻となった喜多川がプロダクションの経営にも口を出すようになり、親族も中に引き込み、あげく創●学会への勧誘をプロダクション内で行い出し、プロダクション内の空気が悪くなってしまい、そのことが田中壽一が三船プロ独立となる一因になったともいう。田中に至っては三船に呼ばれた先で池田●作と遭遇しているという。

もっとも三船自身は大陸育ちの兵隊帰りということもあり元来無宗教で、学会員というよりも喜多川が喜ぶならという、ためでやっている感じが色濃く出ていたという。

それでも作者は証言は紹介すれど、感情的に責め立てることなく、ある程度は喜多川を慮る姿勢を見せているのには感心した。この辺りの抑制の効かせ方は良い。
何はどうあれ、ミフネが長く愛し子まで成した女性である。ミフネへの思い入れと敬意がそういう態度をとらせた一因であるように思う。いずれにせよ、なかなか出来ることではない。

残念ながら、喜多川美佳・三船美佳親子の証言は掲載されていない。
喜多川は「もう女優ではないので」と辞退。
三船は「デリケートな問題であり、あちら側の御家族もありますし、テレビで話すことはあっても番組の流れの関係であり、あまり公の場で話すことは本意ではないので」と事務所側から、断られている。

それにしても、これだけスキャンダルやゴシップにまみれているのに、それを丹念に解いていることには感心させられる。

また、証言者となった人がことごとく三船への愛情を抱いているというのにも驚いた。
最初は意図的に取捨選択したのではないのかとも思ったが、そればかりではないのだろう。
私が今まで見聞した中で知った三船エピソードから浮かぶ人柄と、メディアが報じたイメージにズレがあったのは事実だった。この本は、その疑問にしっかり答えてくれた。

黒澤明との確執については比較的一蹴しやすい話題だが、それ以外は実に扱い難い問題だからだ。
酒乱のことでも、愛人問題でも批判するのは簡単である。
ただ、時代も違う上、様々な思惑を抱いた人々が渦巻く環境に身を置かざるを得ないスターであることを理解した上で、解釈を行っていくことをしない(出来ない)人があまりにも多い。
好き放題言うのは勿論勝手だし、それはそれで面白いのだが、そればかりでは困るし、あまりに御用提灯と化すのもまたしかり。

この本は思い入れは多々あっても贔屓には溺れていない。
その証拠が喜多川への姿勢であり、「御用金」降板のような話でもちゃんと触れて関係者に取材を行って証言を得ている。証言を得られなかった場合もそう記述している。

読み応えのある本というのは、厳しさ・鋭さというものが付きものだ。
そこからすると弱い点があるのかもしれない。
作者が意地の悪さを丸出しにして書いた方が、素材も素材だし、読物としてはずっと面白かっただろう。

だが、この本の場合、あえて情を以て書かれた1冊という気がしてならない。
松田美智子は元来そういう作家ではない。
元夫のことを書いた「越境者松田優作」でも見せなかった面が、この本には出ている。

松田のあとがきではないが、それはやはり三船敏郎という、時には愚直過ぎるぐらいに一本気で人を大事にする人柄のスターが成せること、なのかもしれない。

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by hakodate-no-sito | 2014-02-27 14:43 | 読書感想 | Comments(0)

永六輔の「お話し供養」

この前、 『永六輔の「お話し供養」』(小学館)という本を読みました。

人の死は一度だけではありません。
最初の死は医師によって死亡診断書が書かれたとき。
最後の死は死者を覚えている人が誰もいなくなったとき。
それまでは知っている人の心の中で故人は生きている。
僕たちは死者と共に生き、自分が死者となったら、他の人の心の中に記憶として宿る。
でも、歳月の中で人は死者を忘れがちになっていきます。
だから時々は故人の思い出話をしましょう。
それも供養のひとつだという気がします。

という趣旨のもとで編まれた1冊。
渥美清、淀川長治、石井好子、坂本九、中村八大・いずみたく、岸田今日子、立川談志。
以上、永さんゆかりの8人が取り上げられています。

永さんの話の面白さは今でも健在です。
持ち前の才気と博学ぶり。
長年のラジオ生活とフィールドワークで鍛えた練りに練られた考え・見解。
一方で、東京人特有のそそっかしさ・おっちょこいぶりや含羞から来る放言・失言。
その時の感覚に準じた、時には悪ノリにもなりかねない、ノリの良さ。
この絶妙なバランスによって生み出される言葉の海は、爆笑トークという薄っぺらい言葉よりも、六輔噺、六輔講談と呼ぶ方が似つかわしい気がします。

調子よくサクサクと読み進められるので、つい見逃してしまいがちですが、ハッとさせるエピソード・至言が詰まっています。

元気いっぱいだった頃と比べると、細部の記憶違いが目立ちますし、校正で直せる部分もあるのにそのままであるところに、上に行き過ぎた人の悲劇も見て取れます。
資料として使うのには、裏を取るなどの照らし合わせが必要で、鵜呑みには出来ないのですが、それでも永六輔だから知り得ること、言及出来ることが、やはりあるのです。

100頁足らずの薄い本ですが、その底に秘められた見識は1000頁では到底利かないはず。
やはり、永六輔は凄いなぁ、と素直に感じました。
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by hakodate-no-sito | 2014-01-25 18:38 | 読書感想 | Comments(0)

藤本義一の「女橋」

女橋。
"おんなはし"と読みます。
"おんなばし"と濁りません。

この「女橋」は藤本義一の小説です。
昭和30年代から40年代にかけて、藤本義一は映画やテレビドラマの脚本家として活躍していました。
テレビ番組「11PM」の司会を機に、脚本依頼が減ったこともあり、小説の分野へ本格的に進出。直木賞を目指し、多くのエンターテイメント作品を世に送り出して行きます。

織田作之助を描いた「蛍」四部作完結した平成の初めあたりで小説執筆はひと区切り。
25年続いた「11PM」の番組終了も関係あるのかもしれません。
これ以降は人生訓や社会への警句を発した、功名成し遂げた立ち位置を利用したエッセイや後進への指導、阪神淡路大震災の被災孤児のために設立した児童厚生施設「浜風の家」の運営などを行い、ついに「また書きたい」と執筆を公言していた井原西鶴や川島雄三の小説は書かれずに終りました。

直木賞作家でもある藤本義一ですが、現在その小説を新刊で入手することは殆ど不可能となっています。
幸い、今年に入って直木賞受賞作「鬼の詩」や川島雄三との日々を描いた「生きいそぎの記」などを収録した文庫本が河出書房新社から発売されています。興味のある方は手にとって見てください。

藤本義一の小説の特徴は、まず素材の面白さです。
芸人、やくざ、詐欺師をはじめとした、世間的にはアウトローやアウトサイダーに分類される人々。
あと、身体障害者。そしてセックス関係(不倫・浮気から主婦売春、サディズム、同性愛まで)。
世間から醒めた目で見られる人々、本人は大真面目なのに端から見ればどこか可笑しい人々を、異様なまでの執着心で扱い続けています。

藤本義一小説の特徴は、それらの素材の調理ぶりです。
映画やテレビ・ラジオドラマの世界で数多くの脚本を手掛けて来た人なだけに、映像が浮かぶような描写が特徴的、光っています。
そして、話の運び。場景がより鮮やかなものになるか、話の展開にキレが出るかどうか、が念頭に置かれた結果、もうひとつのエンターテイメント作品に昇華されてゆくのです。

私感で申しますと、藤本小説の全盛期は何と言っても昭和40年代。
それ以降は直木賞授賞で目標達成したことも関係あるのか、ゴミゴミとした独特のエネルギーやキレは徐々に失われていくように思えます。

さて、この藤本義一の「女橋」は昭和45年から46年にかけて週刊誌連載された作品です。
藤本義一が直木賞授賞を目指し、小説に力を入れ、上昇気流にあった時期のもの。文庫本に掲載された解説によると、藤本初の週刊誌連載でもあったそうです。

17歳、水揚げ前の芸妓・佐原ちよが、置屋の主人である養父の刃傷沙汰に巻き込まれ、両腕を切断されながら、殺傷された6人のなかで唯一命を助かります。
両腕が無いなか、様々な創意工夫によって得意の踊りに生きがいを見出し、地方回りで大金を稼ぎ、今後の生活に安定を見出したところで、家族が詐欺に逢い、一家離散の憂き目に。
そんな中で出逢った新進気鋭の日本画家・谷口に求愛される・・・

というのが、おおまかなあらすじです。

「女橋」は大衆小説、女の半世記、成長小説として光るものがあります。
映像的な文章、時に冷厳なまでの地の文での鋭い視点、時折書かれる名言、畳み掛けるような主人公への困難。
読み終わるまで息をつかせぬものがあります。

この作品、活字を映像化したテレビドラマを、活字化というかたちで再変換・発展させ、逆輸入したような小説なんですよね。それも帯ドラマを。連続テレビ小説と呼ばれていた、昭和時代のもの。

(未見ですが市原悦子主演で、昼ドラ化されているそうです)

脳内でシナリオを作り、脳内で映像化する。そして、それを活字化=小説とする。
藤本義一が映像作家であるからこそ成し得た作品です。

シナリオではなく、純然たる小説とも、ノベライズとも手触りが違う。
藤本義一の才気が光る一作であるとともに、代表作として挙げるにふさわしいものであることを断言いたします。

藤本義一、高額で買うような作家ではありませんが、中古のワゴンセールに並んでいたら、手にとって読みたい、他人にも読んで欲しい作品がいくつもある作家です。
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by hakodate-no-sito | 2013-11-14 00:29 | 読書感想 | Comments(0)

ちょっとだけ村松梢風に触れてみた

この前、調べ物で市内のある大学図書館へ行ったら、村松梢風が収録されている文学全集の巻を見つけた。

村松は往年の人気作家のひとり。
彼と第二夫人と正妻および一族を描いた「鎌倉のおばさん」(村松友視・著。友視は梢風の孫)を読んでから、その存在が気になっていて、梢風作品に触れてみたいと思っていた。

半世紀前に亡くなった作家で、立ち位置も特殊だからか、いま新刊で読むのは難しい。
近所の図書館でも作品は殆ど置いていなかった。取り寄せる、というほどの思い入れは無いし、未知も未知の作家を通販で買うほどのゆとりも無いので、頭に名前だけインプットだけしてそのままだった。

それが何となく図書館の中をブラブラして、ヒョイと棚を覗いたら村松梢風の文字が目に飛び込んで来たのだから驚いた。でも、出逢いなんて、そんなものでもある。

早速、百科事典並の分厚い本を棚から取り出し、貸出手続を取った。
家に帰った後、収録されている何作かの中から3作品ほど読んでみた。

まず「残菊物語」。
映画や新派狂言として知られている作品で、平成以降も舞台で上演されている梢風作品の代表作。二代目尾上菊之助とその弟の乳母お徳との悲恋を描いた作品。
さぞ名作なのだろうと、こころ弾ませながら頁をめくってみる。
・・・ン?
正直に言って、ちょっと期待外れだった。
良くも悪くも、肩の凝らない読み捨て御免の大衆小説。
確かにテンポも良いし、それなりに哀感もある。作家としての腕はあるのはわかった。
だが、どうも話の運びに瑕があるところがある。
行間で話を進めさせて読ませて欲しいところを、作者の説明文章で済ませてしまうところが気になった。
この題材自体は梢風が調べて仕立て上げたというより、講談ネタのひとつだったはず。
だから話自体が悪くないのは当然といえば当然。
もっとも梢風の筆だから光っているものはある。だが、どちらにせよ珠玉というには磨き足りない印象。
新派上演や映画化の際の脚色によって、作品が完成されて古典名作狂言になったように思われる。
これを以って村松梢風を判断してしまうのはよろしくないはず。

続いて「呂昇物語」を読む。
こちらも新派狂言として、長らく上演されてきた作品。
女義太夫師・豊竹呂昇の若かりし日々を描いたもの。
講談ネタを読物に焼き直したもので、この行為自体は当時の小説では普通のことである。
こちらは大傑作とは言わないが、よくまとまって、滋味のある佳作に仕上がっている。
なるほど作品の情感が新派の舞台そのもの。
どこからか初代水谷八重子(当代でも可)の声が聞こえてくるようだった。
スリの役を当代中村勘三郎、呂昇を当代水谷八重子、で一度観たい。

そして「大奥太平記」。
徳川幕府十三代将軍・家定の生涯を描いた随筆とも小説ともつかぬ読物。
様々な文献、ゴシップ・ネタを吟味しながら教科書には載らない、真実の姿を書こうとしている。
なかなか面白おかしく、それでいて、割と骨もあったりと、興味深い読物に仕上がっていた。

こう梢風作品に触れてみると、やはり今ポンと何の予備知識のない若い人が読んで絶賛できるかというと難しいのかな、と今のところ思う。
それでも肩を凝らせず読者を楽しませる、という点では見事、本当に読みやすい。
機会があれば、また梢風の著書を読んでみたい。
「近世名勝負物語」「女経」「塔」・・・気になる作品はまだまだある。
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by hakodate-no-sito | 2012-04-29 20:28 | 読書感想 | Comments(0)

石井好子「いつも異国の空の下」(河出文庫)

河出文庫から石井好子の本が新しく出ると聞き、去年末から楽しみにしていた。
せっかちな自分には、発売日まで随分長かったような気がする。
やっと、この「いつも異国の空の下」を手に取れて、本当に嬉しい。

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文庫本のカバー装画には、荻須高徳の画。
文中の装画は、勅使河原霞のイラスト、がそれぞれ使われているのも好ましい。
文庫本となると、こういう面までは行き届きにくいもの。異例と言っていいかもしれない。
実弟の石井公一郎からの短文も有難い。
約1年の間に、7冊の関連書籍が発売されているのだから、河出書房新社に石井ファンが居るのは間違いないのだろう。

生前発売された文庫本は、「パリ仕込みお好みノート(文春文庫))「レクイエム涙(文春文庫)」「思い出のサンフランシスコ 思い出のパリ(旺文社文庫)」に水森亜土との共著「料理の絵本(角川文庫)」シリーズ全4巻。以上7冊。
文春文庫の「パリ仕込み~」はまだ新品が購入可能、河出文庫からは現在4冊が刊行。
来月9日には水森との「料理の絵本」が完全版と謳って1冊に合本され、文春文庫から復刊される。
ちょっとした石井ブームが、起きているのだろうか。

話を「異国の空の下」へ戻す。
昭和34年出版の「ふたりの恋人」(六興出版)を改題・復刊した本書は、昭和25年から33年にかけて、彼女が世界各国で歌い続けた流浪の生活を自分で振り返ったもの。
一種のドキュメントとも呼べる作品。

今だって、女ひとり、海外で仕事を行い活躍するということはどれだけ困難なことであろう 。
これが1950年代に単身で女ひとり、なのだから想像を絶する。
それにも関わらず、抑圧が程よく効いたタッチで客観的に綴られているのは、彼女の聡明ぶりがどれだけのものかを物語っているように思う。

石井の自叙伝はいくつも発売されているが、体験してまだ日が浅いこともあり、後年のものと比べると生々しさがある。
そして、時期を限定して書いている分、話の密度が濃い。
持ち前の描写力、観察力をふんだんに味わうことが出来る一方で、後年の成熟ぶりを知る身には、若さ・ひとりの等身大の女性を感じずにはいられない。

私の目を惹いたのは、昭和29年暮れに一旦帰国し30年にふたたびパリへ旅立って以降の章。

アメリカからフランスへ渡り歌っていた時期の話は、後年の本でも読むことが出来るし彼女がテレビで話す姿も見たことがある。
だが、その一旦帰国して再出国以降となると、かいつまみ程度にしか書かれていなかったように記憶している。

だから、限りなく未知の時間を探っている・・・石井好子前史を読んでいる、そんな気分で読むことが出来た。

心苦しくなる想い出ばかりで振り返りたいものでは無かったのだろう、と思う。
特にニューヨークからパリへふたたび戻った時期を書いた章の歯切れは、悪い。
何も知らない人でも、思い悩むことがあったのだろう、と感のよい人は察するだろう。

ニューヨーク滞在時代、後に夫となる土居通夫と関係が生じ、苦悩していたことは、後年書かれた「レクイエム涙」や「さよならは云わない」などで記されている。
この本が書かれた当時は、土居との道ならぬ恋は現在進行形であった。

当時の想いが如何ばかりであったか・・・記されていないからこそ、私の胸を打った。
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by hakodate-no-sito | 2012-02-09 23:55 | 読書感想 | Comments(2)

女ひとりの巴里ぐらし

昨晩、夢中になって読み耽った本がある。
文庫本で実質180頁ほどだから、そう長くも無い。あっという間に読めたが、抜群の歯ごたえ。
今朝も目が覚めてすぐにパラパラとめくっている。

「女ひとりの巴里ぐらし」
これは歌手でエッセイストとしても知られている石井好子初の著書、処女作。
今月はじめ、実に56年ぶりに河出文庫から復刊された。
河出に石井ファンの人がいるのだろう。
ムック本や単行本未収録エッセイ集、旧作文庫化・・・と今年だけで6冊も出版されている。
有難いこと、この上ない。
―買いに行かなきゃ、読まなきゃ、読みたい、欲しい。
そう思いながらも、本屋へ行きそびれて、最近やっと入手したのだ。

彼女がパリへ渡り、何年ものあいだ歌の仕事をしていたことは知られている。
モンマルトルのキャバレー・ナチュリストで1年間毎日歌い続けたことも。
他の著書でもこのときのことは書いている。
だから、エピソード蒐集という点では期待していなかった。
少しでも石井好子に触れられればいい、ぐらいに思っていた。

私の考えは甘すぎた。
この本の出版は昭和30年。フランスから石井が戻って来たのが昭和29年。
つい最近の話ということになる。
だから、後年の著書と比べ、より生々しく、鋭いエピソードや描写がバンバンと飛び出す。

始めての著書だが、既に文章は殆ど完成されているのにも驚いた。
代表作「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」は昭和38年の発売。
これと比べてもまったく遜色がない。恐れ入る。

両親家族への想いなど、なるほど後年と比べるとこころ優しき少女の面がチラリを覗いている面はあるが、かえって興味深い。石井好子の内なる顔なのか、若き日の姿というのか。ともかく好ましい。

ところで、彼女は一体どこで書くことの才を磨いたのだろう。
英仏2ヶ国語を学んだことか、女学校時代から読書家だったからか、はたまたパリで同居していた翻訳家の朝吹登水子(二人は親類でもある)の影響もあるのか。
あの時代の上流階級の育ちで、しっかりと教育を受けていればおのずと書けるもののか。
天分に加えて、手紙をよく出すなど書くことが好きでよく行っていたのが1番大きいのか。
自分の見識を持っていて、頭が理路整然としていて、観察眼があれば、文章は書けるものなのか。
下手な作文しか書けない私にはそれが知りたくて仕方ない。

それにしても、読み応えのある本に出会ったときの嬉しさは格別。
鋭い観察眼で、踊り子・ホステス・歌手・・・袖擦りあった人たちの姿を大小様々なエピソードを並べて描き出しているこの本はもう私の大事な1冊だ。

今晩は、石井の「私は私」(岩波書店)を本棚から引っ張りして読み比べようかなんて考えている。
私にとっての石井好子という人の存在は、どんどん大きくなっていく。
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by hakodate-no-sito | 2011-12-05 21:28 | 読書感想 | Comments(2)

石坂洋次郎をちょっと読んでみた

石坂洋次郎が苦手だ。
もともと青春ドラマ自体が苦手だが、石坂洋次郎の道徳教科書的な価値観が加わると裸足で逃げ出したくなる。
私は古い映像作品でも、いや古い方だとなおさら楽しんで観るクチだが、原作・石坂洋次郎と知るとストップ。
古臭い、と一刀両断、脳内で視聴拒否信号が出る。

・・・と、ずっと石坂洋次郎から逃げ回っていたのだが「もしかして、これは思い込みで原作を読めば面白いとなるのではないか」
と、ふと思い立って、いくつか読んでみたが・・・結論から言うと未だに好きにはなれないままだ。

ただ、以前は食わず嫌い的な拒否反応だったのが、明確にどうして嫌なのかが自分の中でハッキリわかった。
それと同時に今まで見えていなかった石坂洋次郎の凄さや暗黒面も知ることが出来たし、石坂作品でも作品次第では愛好できる作品があるということも知った。
そういう意味では収穫はあったのだ。

そんな発見、というものでもないのだろうが、いくつか書いてみたい。
ただ、私は活字とは慣れ親しんでいるが、そう深く考えて読む性質では無かったし、小説を読むのは実は苦手で、決して読巧者では無い。
残念ながら、全部の作品に目を通した訳では無い。
だから、見識のある人からすれば見当違い、見方の甘さを感じるかも知れないが、その辺は御容赦頂きたい。
あくまで、パラパラめくって感じた、(今どきの)ひとりの若者の独断と偏見による私見である。

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さて、私が石坂作品の特徴、だなと思ったこと。
箇条書きで上げていこうか。その方が見よいと思う。
・セックス
・糞尿譚
・自己主張
・ユーモア
この4つが目に付いた。
そう多くは読んでいないが、氏の作品からこの4つを除いたらおそらく何も残らない。
石坂作品はこの4つの要素から作られていると言っても過言ではないと思う。


まず、セックス。
もっとも、作家と呼ばれる人たちでセックスに興味の無い人はそう多くない、と呼べるほど、皆さん好き者だ。
・・・失礼。人間最大の謎にして、もっとも追いかけ甲斐のあるテーマなのだから、執心して当たり前なのだ。
舟橋聖一、丹羽文雄・・・石坂と同時代に活躍した作家でも愛欲、官能を描かせれば天下一品と呼ぶべき大家が多くいた。
彼らと石坂の違いは何か。
石坂のそれは、どこか子供じみた執着なのだ。
いや、間違いなく好き者なのは断言できる。実際石坂も自身の性生活について赤裸々に告白した随筆を残している。
ただ、石坂が書くと、どこかユーモラスなのだ。
例えば舟橋・丹羽だと耽美・愛欲の世界になるものが、石坂だと小学生が「××××(女性性器の名前)」と叫んでニヤニヤしている
ような感じになる。
勿論そういう世界が書けない人では無いのだが、それでもシリアスに徹しきれないというのか、どこか笑ってしまうような面が顔を出してくる。
そして、氏が書くセックス描写となると、図抜けてインパクトがあるのが、女性性器か陰毛か乳房か、について。実にストレート。
うなじがどう、とか、脚がどう、瞳がどう、黒髪がどう・・・ではない。せいぜい、あとは、ほくろがどう、ぐらいだろう。
異性描写に定評のある男性作家は女性性器を見ると吐き気がする、汚い、と思っている人が多いと吉行淳之介が随筆でさりげなく漏らしていたが、
石坂洋次郎に関してはその流れとはまるで無縁らしい。これほど女性性器を愛でているいる人はそうはいまい。
確かに健康的といえば健康的、なのだろうか。
未婚で異性関係の少なく、草食系と呼ばれる世代に属する男の私にはよくわからない。


次は、糞尿譚。
字の通り、糞と尿にまつわる話だ。
これに関する描写も、石坂作品では御馴染みどころではないぐらいに御馴染みだ。何故にそこまで執心するかと言いたくなるまでに出てくる。
女性の屋外での放尿、肥溜めに落ちた、人糞を練って遊びたくなった・・・列挙すればきりが無いので止める。
意外と作家で糞尿に固執する人は多い。
安岡章太郎はそれらのエピソードをまとめたアンソロジー随筆集を編纂しているし、遠藤周作の狐狸案シリーズ・エッセイでも定番ネタだ。
ただ、石坂のように小説に欠かさず描く人はそう多くは無いと思う。
石坂の随筆に、幼少時に野良仕事の合間に原っぱでかがんで放尿するおばさんたちの姿をよく見た、と書いているものがある。
そういう光景を日常茶飯事で育ってきたことが、糞尿にまつわる話に抵抗が無く、よくあることとして書ける理由なのだろう。
ただ、それだけで解決するには難しいぐらいの描写の多さである。
やはりそれに加えて、糞尿への性的興奮があったのだろう、と私は考えている。
実際、特に子供はそうなのだが、糞尿への関心が並々ならぬものが少なくない。
犬などは自分の尿をなめることは決して珍しくない。
おそらく、動物的な本能の行動なのだろう。
それにしても、この石坂の執着ぶり。
これを認めぬ世間へのささやかなレジスタンス的意味合いもどこかにあったのでは、と考えるのは深読みしすぎなのだろう。
ただただ、好きだから、強いこだわりがあるから書いていたのだろう。

正直に言って、私はかなり引いている。


3番目は自己主張。
石坂作品に登場する人物は、とかく自己主張がハッキリしていて、自分の考え、物の見方をキチンと持っている。
生真面目だったり熱かったりちょっと斜めからの見方だったり・・・よく、まあ・・・というまでに自分の意見をしっかり述べる。
特に若者の主張、能弁ぶりは大学弁論部も真っ青である。
この年齢のときには、こんなに物を話せるだけの知識も経験も勇気も無いのではないか、と思うのだが、石坂は
「うまくまとめて話すことは出来ないだろうが、心の中ではきっとこう思っているはずだ」として、敢えて作中人物に話させているという。
小説ならではの嘘であり、また真でもある。
これこそがかつて絶大な人気を博した理由であり、また石坂作品を今日敬遠させている理由だと思っている。
ただ、歴史は繰り返されるもので、ファッションのように案外今の若者には新鮮に写るということも考えられなくは無い。

ただ、私はここが苦手で、共感し難い。
(これは私の性格も絡んでくることだから必ずしも石坂がどうだからというものではないと思うが・・・)


ラストはユーモア。
これはもはや天性のものとしか思えないように見せて、一種サービス精神的なものも感じる。
セックスにまつわる話を書いても、エロス、官能というより艶笑譚に仕上げてしまう。
石坂作品はどこか、人生は喜劇である、という言葉がしっくる来る一面を持っているのではないか。
シリアスな、敬遠してしまいそうなテーマの作品であっても、その要素がしっかり含まれている(含まずにはいられない)から、安心して読める。
緊張と緩和が巧みなのだろう。
このユーモリスト精神は、シリアスな悲劇の主人公に走りたがるものが多い中で、まさに特色すべき点だろう。
昔はユーモア作家は一段も二段も低く見られたそうだが、小品な短編を生むより、ユーモア作品を書く方がよほど難しいと私は思う。
(もっとも、あまりに下らないお粗末な作品もあるだろうが、それについては話は別だ)
人間には向き不向きというものもある。シリアスな作品が合う人もいればコメディが合う人もいる。どちらも良ければそれでいい。

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こう書いていると、石坂洋次郎という人は傑物だ、とやはり思わずにはいられない。
でも、その一方で嫌悪感も拭いきれないのも事実だ。もう、これは生理的な問題なのだろうと思う。
そんな私でも、これは良いという短編は確かにある。
どこかの文庫本で構わないから、そういう石坂の光る短編の選集でも組んで貰えれば有り難いのだが・・・。

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by hakodate-no-sito | 2011-06-25 22:26 | 読書感想 | Comments(0)