年齢不詳な若人が唄の話を中心にアレコレと・・・


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菊池章子のはなし(その13)

テイチク上層部の考えをよそに「岸壁の母」は大ヒット。
当時歌謡界はふるさと歌謡全盛。
さらに歌い手の新旧交代がハッキリしだし、戦前・戦中派の歌い手によるヒットは殆ど無くなっていたのですが、そんな中で昭和14年デビューの戦中派の章子は存在感を見事に示したのです。
そして、テイチクレコードにとっても久々のヒットとなりました。この歌に菅原都々子の「月がとっても青いから」のヒットで傾きかけていた会社は持ち直したのでした。

章子はこのレコード発売にあたって、この歌のモデルになった人に逢ってみたくなりました。早速会社の人間に頼み、モデルの端野いせへ一筆したためました。
「私、テイチクレコード専属の歌手、菊池章子と申します。実は先だって貴女様をモデルに致しました”岸壁の母”という歌を吹き込み致しまして、さる11月にレコード発売致しました。つきましてはぜひ御一聴願いたく、御宅までお持ちしたいのですが如何でしょうか」

追ってすぐにいせから手紙が来ました。達筆で丁寧な文章でした。
「お手紙拝読致しました。有難い御話ですが生憎私には貴重なレコードを頂戴しましてもそれをかける蓄音機がございません。ですので、シベリアから息子が戻って参りましたら、その時、息子に蓄音機を買ってもらい、一緒に聴かせて頂きます。それまではそちら様の方でレコードは預かって置いて頂けましたら幸いです」

章子はどうしてもいせに会いたくなりました。
「どうしても逢いたいの、逢って話がしてみたいのよ」
マネージャーに過密スケジュールを調整して貰い、いせにも承諾を得ました。
土産としてレコードと蓄音機を持ち、案内役と取材を兼ねて、当時よく出入りしていた報知新聞記者(のち音楽評論家)の八巻明彦と共に、当時住んでいた東京都大田区大森の端野いせ宅へ訪れました。
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by hakodate-no-sito | 2009-10-25 22:24 | 菊池章子 | Comments(0)

菊池章子のはなし(その12)

「岸壁の母」のレコーディングは難航しました。
章子は初見で譜面を見て、歌うのはお手の物。
そして章子の吹き込み持論は
「1時間以内で終らせる」(集中力の限界がそのぐらいの時間)
「唄に酔ったり必要以上に感情移入したりしない」(ひとりよがりの唄になりいい歌ではなくなる)
なのです。
ところが、この唄はそうはいきませんでした。
胸にこみ上げてくるものを抑えきれず、何度も涙、涙・・・でレコーディングを中断。
章子はおろか演奏者側までもらい泣きしてしまうという異例のレコーディングでした。
それでも何とか吹き込み終わったときには、普段の吹き込みの何倍もの時間が経過していたそうです。

発売は昭和29年11月。
当時は唄が出来次第、すぐ吹き込みで長くて2ヶ月でレコード発売だったのですが、この唄は吉田茂から鳩山一郎へ総理職が変わるなどし、戦後から脱却したというムードが漂う風潮に逆行するような唄だから、と販売部が最初難色を示すなど大幅に遅れ、この時期の発売になったのでした。
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by hakodate-no-sito | 2009-10-19 23:03 | 菊池章子 | Comments(0)

高英男さんを偲ぶ会(2009.7.23)

e0134486_18594036.jpg

7月23日、帝国ホテル孔雀の間で5月4日に亡くなった高英男さんのお別れの会が催された。
ご健勝であったころ、ディナーショーなどで高さんも足を踏み入れているであろう、ゆかりの地である。
ファンも50年来、60年来と年季の入った方が多いことに配慮したか、開演は午後3時。こういう会やコンサートの場合、5~10分遅れなどでスタートになることが大変多いが、高さんを偲び、開場前から多くのファンが全国から詰め掛けていた。
50年来、60年来のファンが会場に集まり、お互いの身の上話。一般ファン、芸能関係者区分なく、遺影に献花、会場で話をし、ゆかりの品々を眺めている。
ペギー葉山、雪村いづみ、浜村美智子、合田道人、安倍寧、芦野宏・・・。
昨年末に腰の病で半年近く入院し、健康状態が懸念されていた石井好子も来場。

参加者が一通りゆかりの品々を見終えたところで、発起人等の挨拶。司会は遠藤泰子。
まず、会主催の日本シャンソン協会会長・石井好子の挨拶。同じキングレコード所属で発起人の一人であるペギー葉山の挨拶、そして芦野宏による献杯の音頭。親族を代表し甥の高忠晴による御礼の言葉の後、在りし日の高さんのVTRが上映。食事の時間も兼ねてある。

若かりし日に出演した映画、円熟期に出演した歌番組、80歳記念リサイタルの記録映像、最晩年に位置するステージの映像…新旧取り混ぜての編集。
年代が移り変わろうと高さんの歌は素晴らしい。その年代、その年代に合わせた魅力がある。不変なのは、こころのうた、ということ。

VTR上映が終わり、〆に高さんを支え、共にステージを作ってきた、照明の今井直治の挨拶。ステージの照明の話から、40年以上マネージャーとして高さんを支えてきた佐々木孝子女史へのねぎらいの言葉へ。

晩年、身体が不自由になり、自力歩行もままならなくなった高さんを支え、(高さんの意思を組み)最期までステージに立たせ続けたのは佐々木女史の尽力によるものが多い。
会場にいた人はほぼ全員そのことを御存知なのだろう、会の中でもっとも多くの拍手が飛び交った。出入り口でしきりに頭を下げる佐々木女史。

こうして、あっという間に散会の時間となった、佐々木女史はじめ関係者は、帰路に着く来客者ひとりひとりに言葉を交わし続けた。
そして、来客者同士も名残惜しそうに話し込み、余韻にひたっていた。
後ろ髪を引かれるようにして、来場者がいなくなったあと、淡々と撤収作業に入る関係者。心のうちに秘めている想いはどのようなものか…。

会の間、どこか高さんの気配がした。
 「ありがとう」
孔雀の間の柱に、高さんがいて、そんなことを言っているような気がしたのは私だけでは無い筈。最期のステージに高さんはやはり立っていたのだ・・・そう思うことにする。
甥御さんの言葉通り、これからは心の中でリサイタルを催すのだから。
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by hakodate-no-sito | 2009-10-06 18:57 | 歌・唄・うた | Comments(0)