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泣かへんつもりがむせび泣く・・・藤田まこと、フランク永井に捧ぐ心の歌

2010年2月21日に再放送された
「藤田まことさんをしのんで…
かんさい特集『熱唱!藤田まこと フランク永井に捧ぐ心の歌』」
という番組を観ました。

知人の知人から追悼/再放送情報を聞き、このような形での視聴は複雑(本放送は昨年5月15日、関西ローカルでの放送)だなと、思いながらももともと見たかった番組でもあり、私自身のフランクへの想い、藤田追悼の意、知人の知人の気持ち・・・泣いてしまうであろうことは判っていても、見ずにはいられず、録画し、視聴に臨んだ次第でした。

友/フランク永井の死は自分の病気(癌)よりもショックだったという藤田まことが、亡きフランクに捧ぐ(歌の)手紙。

というのが番組のコンセプト。
歌とその合間には、フランクや自分のフランクエピソードゆかりの場所を訪れて、その場での想い出を語っているのですが、この歌とロケのバランスが絶妙。まったくムダが無い。

そして、歌もバンド演奏。
近年の番組だと、どうしてもカラオケ...ということになってしまって、それも否定は出来ないものの、どうしても歌が生きてこないし、創唱者の歌唱と比べられる上でも大いにマイナス要素になるように思います。
ここでバンド伴奏、というのは、それだけでもこだわりが伝わってきて、少なくとも私の中では大いにプラスです。
演奏も実に良かった。
(これも重要、下手なバンド演奏は閉口させられ、歌どころではありません・・・)

数多いフランク永井のヒット曲の中からは、かんさい特集だけあって、大阪モノをメインに収録。
「大阪ろまん」「こいさんのラブコール」「大阪ぐらし」、この3曲はフルコーラスで披露。
そして、この3曲の作詩者/石浜恒夫の長女である石浜紅子(山村紅葉かと思いました…確かアイジョージ「紅子のバラード」の題名の元ネタはこの方では?)も登場し、法善寺でロケをしながら、歌のエピソードが語られる徹底振り。

「てなんもや三度笠」終了後、キャバレー回りを余儀なくされていた藤田のもとにフランクから「歌う歌が無かったら歌って良いよ」という手紙及び譜面をくれたというと、そのときに贈られた(?)メドレー「おまえに~霧子のタンゴ~有楽町で逢いましょう~君恋し」も披露し、他のヒットもちゃんと盛り込んでいる。

フランクの実姉から送られた手紙の話を経て、ラストは『フランクさんに聞いて欲しい歌』『この歌を歌うのは私だけではない。後に続く人がいっぱいる。ずっと歌い繋いでいってくれると思う』と
と「公園の手品師」をフルコーラスで披露。

今、これを書くために改めて再生しているのですが、涙がとまらない。

藤田まことの、フランク永井への愛情が充分伝わってくる(フランク永井の)追悼番組として、まず素晴らしい出来である。

結果的にこの番組は「藤田まことの遺言」となってしまった哀しさ。

そして藤田まことの、そしてこういう番組を藤田に作らせるフランク永井の偉大さ。

初見時はラストの「公園の手品師」で泣いたのですが、2度目の今はOPの「大阪ろまん」から身体が崩れ落ちそうな衝撃に襲われて滂沱。

人情紙風船の世の中でも確実に存在する、人のこころ...それがこの45分に詰まっていた気がします。藤田さん、フランクさんに教わった"こころ"、今後の生活に生かしていかないといけませんね。

そして、こういう素晴らしい人たちがいたこと、こういう琴線にふれる歌を歌えた人たちがいたということを少しでも多くの人に認知してもらえるように何か活動したい。
そう思います。

改めて、御両人に感謝と哀悼の意を表します。合掌。
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by hakodate-no-sito | 2010-02-23 01:52 | 歌・唄・うた | Comments(0)

フランク、まこと、男の友情

藤田まことの死をうけて、テレビ局が続々と追悼放送を行うことを決定し、目下順次放送されています。
それだけ視聴者だけでなく、業界人にも慕われ、支持されてきた証座なのでしょうね。

その追悼放送で惹かれるのがこれ。

●2月21日(日)
PM3:30~4:14
「かんさい特集/熱唱!藤田まこと フランク永井に捧ぐ心の歌」(NHK総合)
※全国放送だそうですが、万が一、地域によっては放送されない可能性もありますので、改めて新聞やEPG等で確認されることを強くお勧め致します。

この「熱唱!藤田まこと フランク永井に捧ぐ心の歌」昨年5月に関西ローカルとして放送された歌番組。

本放送直前、情報を得て「お~!」と思ったのもつかの間、関西ローカルであることに気付き落胆したものでした。

今回の放送は念願が叶った訳ではありますが、このような形での放送は残念至極。
まさか1年も経たずにフランクさんのもとへ旅立たれるとは…。

ご存知の方はご存知でしょうが、藤田まことはもともと歌手志望で、ディック・ミネ筋の前座歌手として活動していたそうです。
マーキュリーレコードの専属司会者のような時期もあり、歌は勿論声帯模写や漫談などを行い、ステージを盛り上げ、東海林太郎や藤島桓夫、松山恵子といった顔ぶれを担当して好評を博していたとか。
師匠筋のディック・ミネの弟分/田端義夫とも親しく、田端の誘いで歌手協会にも入会。
正真正銘の歌い手でもありました。
水原弘やフランク永井とは呑み仲間であったそうです。

「てなもんや三度笠」終了後に人気が低迷し、キャバレー回りも多くこなしていた頃に「俺の唄を歌えよ」と譜面付で手紙を送ってきたという話は生前よく話していました。

歌手にとって譜面は一番大切な、自分だけのもの。
自分用の譜面を、アレンジャーにお願いするのは大変お金がかかること。
だから、昔の歌い手、新人は特にですが、譜面を大事に大事に色褪せるまで持ち歩き、譜面を作ってもらえない貧乏な歌い手は少ない持ち歌を必死に歌い、ヒットにつながるように心を込めて歌ったのです。
カラオケが普及し、フルバンドで歌うことが夢のまた夢になった今でもその傾向は充分残っています。

いかにフランク永井が情に篤い人か、そして藤田がどれだけ感謝したか…。

必殺シリーズの出演によって、人気を盛り返した藤田ですがそのことは一生忘れず、折にふれてはこのことを語り、不幸な事件によってフランクが療養生活に入った後はエピソード披露は勿論、歌番組出演の際は必ずといっていいほど、1曲はフランクのヒットナンバーを多く歌っていました。
「フランク永井を忘れないで欲しい」という想いも込めて。

そして、この番組はフランクの死を受けて「フランクさんの分まで俺が歌い継ぐ」と病み上がりで体調の優れぬ中で出演した、藤田まこと生前最期の歌番組/大ステージ、絶唱。

藤田の死は、悔しくて、惜しくて、仕方ないのですが、しかと目に焼き付けようと思います。
フランク永井も藤田まことも一生忘れないように。


追記)
藤田まことの歌い手としての代表曲は「十三の夜」。
これは自作自演作品。この他にも「浪花人情(ラムネの玉やんの歌)」「おそ松くんのうた」「夜が笑ってらあ」など、オリジナル楽曲でもコミックソングからムード歌謡、演歌、人生讃歌、バラード、ペーソスソングなど、演技同様幅広い作品を遺しています。

さらには、先述のフランク永井ナンバー、水原弘やディック・ミネのヒット曲、自身が出演した「必殺シリーズ」や「はぐれ刑事純情派」の主題歌まで、カバー歌手としても一流どころでした。

追悼の意も込めて「歌手・藤田まこと」の面にもスポットが当たり、生前発売には至らなかったカバー曲なども含めてアンソロジー的アルバムが発売されることを祈る次第です。
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by hakodate-no-sito | 2010-02-19 22:27 | テレビ | Comments(0)

十三の夜から消えたひと

藤田まことの訃報が届いた…76歳。

昨年に肺疾患と聞き、もうだめかという想いにかられたが、今年ナレーション収録のかたちで復帰。その際の映像を見て「大分老けられたが、今年は大丈夫だろう」とひと安心していたが、大動脈出血という形で人生の幕が引かれるとは思いもよらず、茫然としている。
そして、運命の皮肉というものに苦笑しきり。

先日一人の知人といろいろあって、縁を切ったのだが、その知人と私の嗜好で数少ない共通点が必殺シリーズ愛であったからだ。
無関係の間柄になってまもなく、私の心をかき乱すような事態が訪れるとは、偶然とはいえども皮肉にも程がある。

話を戻す。
藤田まこと、といえば後年の「はぐれ刑事純情派(中期~)」「必殺シリーズ(仕事人以降)」で渋い味の俳優というイメージになっている。
私もそのイメージで育っているし、大体初めて好きになったドラマ番組が小学校1年時に見た「仮面ライダー」「はぐれ刑事純情派」の2本だ。

だが、藤田まことの魅力ってそればっかりじゃないのだ。
「てなもんや三度笠」ほかで見せたコメディアンとしての才。
(これは必殺シリーズやはぐれ刑事でも片鱗うかがえたけど)
ギラギラした性格俳優の面。
歌い手としての面。
多彩な人なのだ。

最近見た映画に「闇の狩人」がある。
池波正太郎原作だが、五社英雄作品。
五社特有の女の裸と火事と熱気ムンムンの野郎がワンサカ出てくる濃い空間に藤田まこともいた。
岸恵子に想いを寄せながらも、謀略の果てに死んでいく役だったが、そこに「あんかけの時次郎」も「仕事人型中村主水」も見出せなかった。
このギラギラとした頃の藤田出演作品が必殺モノしかないことを惜しく思った。あのニヤリと笑った顔を、ダーティ・まことを生かしたピカレスク浪漫作品がもっとあってよかったはずだ。

後期はすっかりマイルドタッチになり、"携帯安浦"などネタドラマ化も進んでいた「はぐれ刑事~」だって、第1シリーズ~フィルム撮影時代あたりではパブリックイメージと大分違う。
安浦刑事がストリップ劇場に行く、なんて話が平然と放送されている。
第1シリーズでは、さくらのママも署長の愛人だったという設定も存在する。

関西弁と標準語を巧みに使い分けていた俳優ということも記す必要がある。
この双方の言葉を使いこなせるというのはかなりの武器である。
パッと思い浮かぶのは森繁久彌ぐらいなものだ。

歌い手としては、水原弘やフランク永井と親しかった関係でよく彼らの持ち歌を披露していた姿、自身のドラマ、必殺シリーズやはぐれ刑事の主題歌をメドレー形式で歌う姿などは忘れ難い。
「年忘れにっぽんの歌」にも特別ゲストとして、4~5回は出演している。ディック・ミネの想い出話をしながら「ある雨の午後」だったかを歌う姿や、出演俳優への爆笑ツッコミを交えながらの「必殺メドレー」、亡き兄への想いを込めての「さとうきび畑」など、よく覚えている。

何よりも歌謡界にとってはマーキュリーレコード専属歌手を中心にを担当していた司会者である。
藤島桓夫(確か初代司会者だったような…)や東海林太郎、松山恵子などの想い出ばなしを山のように持っていた、あの時代の歌謡界を語れる貴重な語り部でもあった。
東海林太郎との関係は、後に舞台化というかたちでも結実し、藤田と島倉千代子とのコンビは名演だったと多くの人から証言を得ている。

こうやって、思い付くがままに書いていくと、藤田まことの素晴らしさが沁みてくる。
失って初めて判る、人の偉大さというが本当だ。

大御所・巨星というイメージでは無いが、間違いなく大器。
サービス精神旺盛で、大御所風を吹かすことなく、最晩年までフットワークは軽く(借金返済のためもあろうが)、硬軟自在に歌い演じた藤田まこと。

世が世であれば、もっともっとビッグになれたんじゃないかと思うがそれは言うまい。充分ビッグだし、その世で活躍し続けた藤マコさんが好きだったのだから 。

とこう書きつつも、「もうちょっと仕事を選べば大御所感が出ていたんじゃないか」
とも実は思っていたが「それは違うんじゃないか」と今回知人からやんわりと指摘された。
考え直しているうちに、ふとこのフットワークの軽さ、サービス精神旺盛な面などは、関西で多くの名芸人たちに揉まれながら培ってきた芸人魂の賜物ではないかということに気付かされた。

俳優ではなく、役者。そして芸人であり続けた。
それが藤田まことだと…。
改めて自分の不明を恥じ、知人に感謝した。

昭和が生んだ不世出の大スター。
実は2世芸能人であるが、もうそのことを知る人はいまい。
1世よりも間違いなくビッグになれたのはこの人ぐらいだろう。

ありがとう、藤田まこと。
貴方は、確実に私の心を豊かにしてくれた恩人のひとり・・・。
合掌。
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by hakodate-no-sito | 2010-02-19 22:01 | 古今俳優ばなし | Comments(0)

お母さん女優NO.1山岡久乃

2月15日は山岡久乃の命日。
亡くなったのが99年なのでもう没後11年ということになる。

私の、事実上の山岡久乃初体験は、ドラマ「ありがとう」(第2シリーズ)。

事実上、と書いたのは、ミツカンのCMで割烹着を着た姿などを覚えているから。
でも、顔と名前は結びつかなかったし、そもそも我が家の場合子供は9時前に就寝という規則正しい生活ルールがあったので山岡久乃をちゃんと知るチャンスが無かった。
インターネットもまだ我が家には無縁だったし、調べるという方法もよく知らなかった。

「ありがとう」は歴史に遺る大ヒットドラマだという事は知っていたし、水前寺清子も知っていた。
スカパーで再放送されたとき、『これが伝説のドラマか…』と、かじりついて見た。

私が幼い頃から見て知っていたドラマとはまるで違う世界。
しかし、半端じゃなく面白いし、実に魅力的な俳優陣。
みんな良かったが、そのとき特に引き寄せられたのが乙羽信子と山岡久乃だった。
乙羽信子に、そのときの温和なイメージを抱いたまま、新藤兼人作品など他の出演作を見たときの衝撃はすさまじいものがあったが、ここでは触れない。

山岡久乃。
威厳があって、口が達者で、実はなかなか綺麗で、何よりあたたかい。お母さん。
私はドラマや映画で泣いたことは無いが、ただ一度、この「ありがとう」の山岡久乃に泣かされた。

その後も、「ありがとう」(第1シリーズ、第3シリーズ)と「女と味噌汁」など、次々に山岡出演のドラマを見る機会に恵まれた。
「ありがとう(第3シリーズ)」や「女と味噌汁」では、しっかりしたオッカサンでは無く、ちょっと間の抜けた可愛らしいオカアサン。
こちらのオトボケかあさんも絶品。
全然違う役のはずだが、まるで違和感が無い。
役者ってこうも自在に演じ分けが出来るんだ、と今まで知らない役者像を知らされた。

そして、現在巷で一番知られていそうな、山岡久乃パブリックイメージの中心にあるであろう「渡る世間は鬼ばかり」。
第6シリーズ(既にツッコミドラマと化している)あたりから、なぜか実妹が気に入りだして、それに付き合ってついでに見ていたのだが、山岡出演時代のそれは見たことが無かった。

第1シリーズを見て「何じゃこりゃ」と驚いた。
今の、あの失笑モノと化した橋田壽賀子脚本じゃない、ちゃんとしている。
(山岡久乃、いるよ。こういう人・・・ )と。
それまでの平岩弓枝作品とは打って変わっての橋田ワールド。
心あたたかくなるような作品ではないが、修身的リアリズムというのか、うまく言えないが、そういうものを感じた。
これを支えていたのが河内桃子や赤木春恵、藤岡琢也であり、何よりも山岡久乃であった。
さすがに第3シリーズあたりには、現在のような失笑化が始めるが、山岡久乃の存在で芯の通った、キチンと見ることが出来るドラマになっていた。

他にも多くのドラマに出演していたのを見たがどれも素晴らしかった。
吹き替えのミスマープルもハマっていた。
映画でも、日活映画や川島雄三作品でビシッと脇を固めている。


山岡久乃が気になり始めて、もう8年以上経つが今もなお山岡にやられっぱなしである。
最近、「徹子の部屋」の再放送を見たが、これも機知に富んだ見ごたえのあるもので、黒柳徹子の息もぴったり。
徹子が、沢村貞子/大橋恭彦を母さん父さんと呼び、渥美清を兄ちゃんと呼んでいたが、山岡も実は姉ちゃんと呼ばれていた時期があるのだ。
何故止めたかは定かでは無いが、「お姉ちゃんという歳でもないでしょ」と山岡にたしなめられたのかもしれない。

山岡が病に倒れなければ、亡くなった年に座長公演が実現していた。
井上靖原作の「月の光」という。気丈な母がボケて…という話だが、もし実現していればと残念でならない。これは見たかった。

山岡久乃については資料を探し続けている。
本人は「私は新劇上がりの脇役」とあまり目立ちたがらず、ひっそり死んでいきたいと語っていたというが、評伝の一冊や二冊出てもおかしくない。小沢栄太郎、森塚敏とのいきさつ、晩年の橋田壽賀子×石井ふく子との決別...書きにくいこともあるだろうが筆の立つ、山岡久乃を愛するものの手によって書かれたらいいなと思っている。
「日本のお母さん―四大女優の生き方―」
とでもして、山岡久乃、京塚昌子、加藤治子に森光子の4人の女優を書くというのも良いかもしれない。
日本の女優は書かれていい人が一杯いるはずなのに、案外書かれている人は限られている。
書き手側も知ろうという意欲が無いのかもしれない。

田中絹代に杉村春子、山田五十鈴だけじゃなかろう、日本の女優は。

(誤解されては困るが、この3人、大好きな女優である。どんどん語られていって欲しいぐらいだ)
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by hakodate-no-sito | 2010-02-15 21:42 | 古今俳優ばなし | Comments(0)

永遠の少年~高橋和枝(その4)

昭和23年夏、前進座から推薦状を貰い、高橋は放送劇団の試験を受けに行った。
しかし、当時放送劇団は基本女性を採用しない、という方針を取っていた。
それでも「ナントカ試験を…」と拝み倒し、試験にこぎつけた女性は何人かいた。
勿論、高橋もその一人である。

「なぜ放送劇団を受けようと思ったのですか」
「背が低いから舞台には向かない、と言われましたので…」

その率直な、素直な物言いが審査委員の心を掴んだ。
声優にとって一番大事なものは巧まざる素直な心という信念を持つ委員たちにとって、高橋はまさに求めていた人材。加えて前進座からの推薦付きである。
例外として、高橋は放送劇団に入ることが出来た。

半年強の養成期間中、高橋は徹底的に栃木なまりを矯正させられた。
舞台俳優でもそうだが、声優ならば全国津々浦々までその声が届く。
役柄にもよるが、基本なまりがあっては使い物にならないのだ。

苦闘の末になまりを克服し、昭和24年4月、高橋は放送デビューが決まった。
題名は「都会の幸福」。少女役、台詞はホンの少しだ。
それでも高橋は嬉しかった。
何より家族が、近所の人たちが、ラジオ商である家の前に集まり、かじりついて聞いてくれた。
そのことだけでも喜びに溢れていた。

しかし、ようやく一歩を踏み出しただけである。
その後、高橋の声優人生に深い感銘を与える仕事が巡ってくる。
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by hakodate-no-sito | 2010-02-14 13:19 | 古今俳優ばなし | Comments(2)

ひとりの名優

2月11日は私にとって忘れてはいけない日である。
今年、玉置宏が亡くなったということもあるが、昭和57年にはかの国際的名優/志村喬も没している。

忘れてはいけない、と言いつつも私はすっかり失念していた。
それを気付かせてくれたのは知人からの報せである。

昨年末、志村喬には大いに唸らされた。
スカパーのTBSチャンネルで、志村氏が出演した「家族熱」というドラマが再放送された。
脚本向田邦子。出演に浅丘ルリ子、三國連太郎、加藤治子、吉行和子に志村喬という顔合わせでは見ないわけにはいかない。
(なお、他の出演者には三浦友和、吹雪ジュン、宝生あやこなど)

名作、というにはあからさまなテコ入れが見受けられるし、最終回のオチはとってつけた感があり、ドロドロ路線の昼ドラという趣があったが、それらツッコミどころをカバーするように最期まで引っ張ったのは向田がノって書いたパート及び加藤治子、志村喬の名演。

志村喬は妻に先立たれた隠居、悠々自適の身であったが最近恋人が出来た…という役どころ。
コミカルさと哀しみと威厳を兼ね備えて、うってつけの役。
見逃してしまうような一瞬にハッとさせる芝居をしていたりもする。
いぶし銀、という言葉はちょっと違う気がしてならない。何かいい言葉が無いかと思うのだが語彙力が無いのでパッと浮かばない。
職人藝の粋、とでも言おうか。
向田ドラマでいうならば「冬の運動会」+「あ・うん」÷2という感じか。
最期は浅丘ルリ子と加藤治子の女の情念対決を収集に罹るも老齢の身には耐えられず亡くなる。
志村喬、既に肺気腫に犯され、入退院を繰り返していたはずだが、病人の顔では無いし、その影は微塵も無い。恐ろしいほど。最近の俳優が束になってかかっても敵わぬ、見事な演技。
志村喬は映画俳優だが、テレビドラマでも得難い逸材である。

加藤治子はある事情があって離婚したが、ふとしたきっかけから元夫/三國連太郎に関係する情報を得て、連絡を取るようになり…という役。
最終的に精神の均衡を崩すのだが、そのキチガイっぷりが恐ろしい。
後半は主役だった浅丘ルリ子よりも目立ち、どちらが主役か判らない状態に。あきらかに加藤治子に入れ込んでます、向田。
このドラマにおける加藤の演技はもう少し語られて良い。
加藤治子の女優史に遺る名演と信じている。

やはりドラマは脚本/演出もさることながら、やはり役者が良くなくてはいけないと実感させれる作品である、この「家族熱」、志村喬ファン、加藤治子ファンは必見の作品だろう。

―――
志村喬の評伝は澤地久枝が「男ありて」という題名で出版している。
こちらもなかなかの名著であり、現在絶版であることが惜しい。
加筆/修正の上で、どこかの文庫に入らないものだろうか。
「男ありて」は志村主演の映画、テレビドラマから取られている。
志村自身も気に入っているそうだが、残念ながら未だに視聴チャンスが無い。いつかは…と思っている。

澤地は志村喬夫妻と、親子のように親しい仲であったという。
向田邦子、植田いつ子と三人娘(?)として交際しており、その関係から澤地が執筆することになった。
澤地といえば哀しみを秘めた女の一代記や戦争関連で知られる作家であり、異色といえば異色の取り合わせである。
が、よく読んでいくと志村のこともさることながら本書のもうひとりの主役は志村喬/夫人、島崎政子なのである。
そう、ミスマッチなどではなく面目躍如。
政子夫人は筆が立つ人であり、澤地は最初政子夫人に書かせようとしていたが、どうしてもウンと言わず、じゃあ私が…ということになったらしい。

政子夫人だが、後に「美しく老いたし」という随筆集を出版している。
この本の存在はまったく知られていないが、なかなかの好著なのだ。
「男ありて」読了後に、こちらへも目を通すと志村夫妻どちらもファンになること請け合い。
天真爛漫で、芯が強くて、洒落っ気があって・・・こう老いたいものである。

「お前にはえらい目にあわせたかけた…もう4、5年楽してからおいで」
と言われた政子夫人、それから23年、約四半世紀を生き、2005年に92歳の大往生を遂げた。膵臓癌が判ったときには既に手遅れであったそうだが淡々と「90まで生きたし、おじちゃんにも逢えるからいいかなと想うんだけど、死にたくないなあ」と語っていたという。

改めて、澤地女史に、この政子夫人についても記して頂いて「男ありて」を世に出して欲しいと思わずにいられない。
河出文庫か、ちくま文庫か、勿論出版元の文春文庫でもいい。
出版社の文庫担当者には考慮をお願いしたい。
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by hakodate-no-sito | 2010-02-12 21:35 | 古今俳優ばなし | Comments(0)

お別れ・にっぽんの名司会者

大司会者にして名司会者の玉置宏が2010年2月11日に亡くなった。76歳。

私は昭和末期の生まれで北海道の生まれ育ち。
ラジオも電波状態が悪い場所で育ったので、玉置宏というと、テレビ東京の隠れた人気長寿番組「昭和歌謡大全集」の司会が頭に浮かぶ。

あの番組における玉置宏はキャリアを存分に生かした、ベテランならではの仕事だった。
水前寺清子をサブとして自由自在に動かし、ご意見番/コロムビア・トップほか大正生まれのベテランの暴走も適度なところでコントロール。
それでいて、出しゃばりと感じさせるようなことは一切なく、名調子でどんどん名曲の紹介をしていく。名人芸、匠、至芸。最高級品の歌の包装紙だった。

それは「夏祭りにっぽんの歌」や「年忘れにっぽんの歌」などの方がより顕著に感じられ、まさに玉置宏アワーといった趣であり、局アナやタレントの司会とは一味もふた味も違う熟練の巧みな技に私は酔いしれた。

ただ「玉置宏の笑顔でこんにちは」終了後は喋りの切れは一寸落ちた感があったし、21世紀を過ぎて数年経ったあたりから、90年代から悪くしていた歯がとうとう入れ歯となったことが一因kじあ滑舌が急激に悪くなり、往年のキレ/冴えが失われていく姿に淋しい気持ちになったのも事実である。

それと前後するように玉置も客分だった青空一門の総帥/コロムビアトップが入退院を繰り返すようになり、20世紀の終わりで両名は「年忘れにっぽんの歌」も降板。
「夏祭りにっぽんの歌」では健在であったものの、トップが病欠やがて逝去。
玉置も総合司会とようなポジションで一歩退いた形になり、やがて降板。

「昭和歌謡大全集」もやはりトップが入退院が繰り返すようになったあたりからクオリティが下がり、玉置は半ばお飾りと化し始めた。
それでも光るものはあったが、私の眼にはもうやる気をなくしているようにも写った。そして、あの事件で番組終了と相成った。

あれだけの人であっただけに晩年のあの騒動は残念である。
勿論、玉置に非があるのは言うまでも無い。放送史に遺る大汚点だ。
だがあれだけの功労者。もう少し「大人の解決方法」というのがあったはずだし、そう取り計らって構わない人ではなかったか。局側からトカゲの尻尾切りされるというのは、罪は罪・功は功としてもいかがなものであろうか。その点、設立計画から立ち会ってきた横浜にぎわい座関係者と対称的である。まあ事件が事件、そしてジャンルがジャンルであっただけにさすがに館長職は退くべきだったと思う。だが玉置あってこその黒字運営で余人を以って替えがたい存在であったことも考えると名誉館長/最高顧問という役職に退きつつ院政采配が妥当なところだろう。
人の噂は75日、ほとぼろりがさめたところで復帰でも良かったはずだ。

そしれにしても、騒動は、暗黙の了解が何らかの派閥闘争というかクーデターで破壊されたと言おうか、ともかく、告発者/司会者/製作側/熱狂的支持リスナー・・・どの側の味方もし兼ねる、何か釈然としない黒い影のある後味の悪い事件に感じられてならない。


今回の訃報で私の昭和史がまた一つ消えた。
しかし、懐メロ好きで往年の歌謡番組ファンである私にとって玉置宏は永遠に不滅である。
手許に残るビデオ(DVD)やレコード(CD)などで、たとえ10年、15年経っても玉置節に酔いしれることだろう。

今頃、コロムビア・トップや三橋美智也、春日八郎あたりが「玉ちゃん、玉ちゃん」と迎えているところだろう。
あの名調子が聴けるならば、あの世とやらの方が楽しいのかもしれない。

いや、案外夢であった寄席芸人になっているのかもしれない。
玉置への想いは尽きない。
改めて故人への感謝と哀悼の意を表する。
合掌。
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by hakodate-no-sito | 2010-02-11 21:09 | つぶやき | Comments(0)

永遠の少年~高橋和枝(その3)

前進座へ入団したのはいいが役がなかなか付かない。
関係者を悩ませたのは背丈。

あまりに小さ過ぎるのだ、後年は公称150cmとしていたが実際は140cm代前半が関の山といわれている。舞台映えがしないのである。

しかし、明るく誰かも好かれ、何より芝居への情熱はあり稽古熱心ときている。

関係者はある日、高橋を呼んだ。
「君は残念だけど舞台俳優には向かない。背が低すぎるんだよ」
「でも声優なら背丈は関係ない。今度放送劇団で3期生の募集がある。行ってみるといい」
高橋も自分の欠点には気付いていた。
ここはそれに従ってみることにした。

※声優=この時代はラジオドラマ等の放送で活躍する俳優のことをそう呼んだ。
※放送劇団=NHKがラジオドラマなどの出演者を得るために設立した劇団。東京、大阪、名古屋…各放送局にそれぞれ専属の放送劇団が存在した。既に解散している。主な出身者に加藤道子、黒柳徹子、名古屋章、勝田久、横山道代、黒沢良、里見京子に加藤和枝などがおり、いかにその水準が高いものであったかが伺える。
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by hakodate-no-sito | 2010-02-11 10:04 | 古今俳優ばなし | Comments(0)

永遠の少年~高橋和枝(その2)

声優/高橋和枝(本名:大泉和枝、旧姓:高橋)は昭和4年3月20日、栃木県大田原市佐久山に生まれる。
2歳の時、ラジオ商であった父の仕事の都合で東京へ引っ越す。
幼少時から身体が弱く、体育の授業は見学ばかりだったが、一つ秀でるものがあった。
国語の朗読である。

病弱であることを除けば幸福な子供時代を過ごしていたが、太平洋戦争もたけなわとなり、東京は安全な街では無くなり、空襲に見舞われることが多くなる。

疎開することになった。
場所は出生地である佐久山。
学校も大田原高等女学校へと転校する。

明るくサービス精神旺盛な高橋は学校の人気者だった。
幼少時から興味はあったが、この頃から文化祭等の学校行事で演劇に挑戦。
堂々主役を張り、喝采を浴びるようになった。
同級生と二人で映画のワンシーンを即興で演じるという遊びをよくしていたという。
終戦まもなくの、楽しいひとときであった。

女学校卒業後、高橋は家政学園へ進学し、東京へと戻った。
入学後は迷わず演劇部へ。
卒業の頃にはちょっとした"顔"であった。
そんな高橋を見て、演劇部の顧問は言う。
「あなたは芝居の道に進んだ方がいいわね」

卒業後、顧問の頑張りとツテで学校推薦という形で劇団前進座へと入団した。
が、前進座に入ったことで高橋の道は思わぬ形へとなっていくのである。
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by hakodate-no-sito | 2010-02-10 14:33 | 古今俳優ばなし | Comments(0)

永遠の少年~高橋和枝(その1)

少し前、アニメ「サザエさん」で旧作を放送していた。
初代ワカメ/山本嘉子、2代目ワカメ/野村道子、初代マスオ/近石真介、2代目カツオ/加藤和枝…と今は昔になってしまった声を久しぶりに耳にした。
もっとも山本ワカメ、近石マスオはリアルタイムでは知らないのだが。

近石真介はナレーション等で今も比較的その声を耳にしているが、他の3人はそうはいかない。
山本嘉子は近年どうしているのだろう、昭和40年代のアニメではよく耳にしたが…。
洋画等の吹き替えで老婆などの脇役を担当しているのだろうか。
この方面は不勉強で判らない。

しかし、何といっても懐かしかったのが野村ワカメに加藤カツオ。

野村道子といえば「ドラえもん」のしずかちゃんの声優でもある。
従って、その声は幼少期から海馬にしっかりと刻み込まれている。
ドラえもん降板に伴い、一線を退く形でサザエさんも降板。
たまにみる「サザエさん」、現在のワカメはどこか影が薄くなっているように思える。
うがった見方か。

だが、野村ワカメ以上に私の溜飲を下げたのは何と言っても高橋和枝のカツオである。
「これだよ、カツオは。カツオはこういうヤツ!!!」
苦笑しきりだが、一人「サザエさん」を見て興奮・・・。
当代カツオは決して悪くない…というよりも「偉大すぎる先代から引き継ぎよくぞここまで…凄い」と感心すらしているが、脚本の問題もあるのだろうがやっぱり違和感がある。昭和と平成の違いというか…。

―サザエさんの裏主役はカツオである。原作の連載後半は完全にサザエさんに取って代わっている。
アニメでもカツオなくしては磯野家は動かない。扇の要であり、大黒柱である―

そう思う私にとって、今のカツオは物足りないし、扱いも悪い。
かつてのポジションは花沢さんに取って代わられた感すらある。

そういうモヤモヤをずっと抱えながらサザエさん視聴(というほど熱心な視聴者では無いが)を続けて、久々の高橋和枝時代のカツオと再会。

「ね~さん」
高橋和枝の、その一声だけで心がスッとしたのである。

それにしても、S級の難役であるカツオを1970年から98年までの長期間担当した高橋和枝という人はどういう人であったのだろうか。気になる。

私はアニメ/特撮という世界は詳しくは無いのだが、わかった範囲で少し高橋和枝について当ブログにて書いてみようかと思っている。
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by hakodate-no-sito | 2010-02-09 14:28 | 古今俳優ばなし | Comments(0)