年齢不詳な若人が唄の話を中心にアレコレと・・・


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訃報・小野巡さん

先日、親しくさせて頂いている人から情報を頂きました。
「小野巡さんが亡くなっていました。遺族から公表の許可を得ましたのでお知らせまで」
地方在住でなおかつ密葬のため、亡くなったことが知られておらず今日まで来たらしいです。
当ブログでも記事化させて頂き、故人を偲びたいと思います。

小野巡さんは戦前から戦後しばらくまで活躍された流行歌手で「音信はないか」「涯なき泥濘」「西湖の月」などのヒット曲があります。
昭和26年を最後の歌手業を止めて、文房具屋を経営されており、メディア出演も殆ど無かったので知名度は決して高い歌い手ではありません。
ですが、好事家にとっては忘れ難い方であり、数える程度のメディア出演時の話は半ば伝説的に語られています。
私も「音信はないか」は大好きで時折無性に口ずさみたくなる歌で、御存命であると思うだけで嬉しかったのですが…残念です。
救いは闘病の末に…という類ではなく、直前まで健全で見事な大往生であったことです。

最後まで歌と共に生きておられたというのも嬉しいです。
小野巡さん、ありがとうございます。


小野巡(1910~2009)
おの・めぐる 本名:小野章高

1910年(明治43年)3月18日、山梨県甲府市生まれ
東京は新宿・淀橋署の巡査だったが、大久保の銭湯で「鉾をおさめて」を口ずさんでいるのを聞いた、作曲家の細田義勝が塩の歌声に惚れ込み、スカウト。「昭和8年9月17日」(本人談)に採用テストを受け合格。「昭和8年12月26日ぐらい」(本人談)に契約を交わした。

が、小野の職業が警察官であったことが事態を大きくする。
当時、警察官は奉職後最低5年は務めることが義務(先約年金制度というものがあった・本人談)とされていたため、ビクターは鉄道大臣(本人談)にまで手を回し、さらには警視庁の衛生部長、町医者、警察医の3者に話をつけ、神経衰弱という病名の診断書を作り、病気退職という形へとこぎつけた。

退職時に署長から辞任の理由を改めて聞かれ、本当の理由を答えたところ、そこから警察署詰めの記者の耳に入り、各紙から取材が殺到。
家に居られず、作曲家の細田義勝の押入れに隠れていたという、鳴物入りの歌謡界入りであった。
なお、警察側も盛大な送別会を開いて送り出し、機関紙に応援記事を掲載したという粋な話も残っている。

昭和10年にビクターから「祖国の護り」でレコード・デビューし人気歌手の仲間入りを果たす。
その際に小野巡という芸名が付けられる。巡は巡査の巡、警官出身であることからだという。
昭和11年には「守備兵ぶし」などをヒットさせていたが、歌手の最低生活保障を求めた『トンガリ5人組事件』を起こし、ビクターを辞めて、後見人らが新設したミリオンレコードへ移籍。
トンガリ5人組のひとりであった大宮小夜子とは後に結婚、5人の子供に恵まれ、平成10年3月11日に大宮が亡くなるまで連れ添った。
静ときわとも歌手仲間との交友が殆ど無くなった後も親しくしていたという。

しかし昭和12年に召集。同年中に除隊となり帰ってきたところ、ミリオンレコードは既に無く「信長のような顔をした小野巡よ、どこへ行く」と当時の紙面に載ったという。

その後古巣のビクター、コロムビア、キング、ポリドール・・・各レコード会社から誘いを受けたが、担当者が直参したのはテイチクだけだったことから「1年契約、契約金5000円、月給300円」という条件でテイチク入社。
入社後すぐ「音信はないか」「月の塹壕」「涯なき泥濘」「西湖の月」とヒットを連発し、あわてて6年契約・月給400円(おいおい昇給させる)という契約を結んだという。

昭和15年には「血染の戦闘帽」がヒットするも、度重なる召集もあり、思うように歌手活動が出来ない事態に襲われる。

戦後、紹介する人があり石炭庁の嘱託となり炭坑慰問を行う。
GHQからの指導で持ち歌の戦時歌謡が歌えないために「旅姿三人男」などの他の歌手のヒット曲を歌って回る。
ところがそれでは客は納得しないし、仕舞にはニセモノと言われるので伴奏なしの独唱という正式な形では無いかたちで1~2曲歌った。

昭和23年、テイチクから声がかかり3年契約を交わしレコード界復帰。
しかし自身のヒットが歌えない状態もあり、状態は芳しくなかった。
専属料の7000円では子供が5人いる家族を養うのには到底不足。
何とかしなくては・・・と思っていた昭和26年、妻の地元の常陸大宮で大火が起こり、親類の見舞いのために訪れたところ、店を居抜きで譲り受けることになり「2足なら食えるだろう」と文房具屋を始め、2足のわらじを履いたが「とても2足はムリだ」と半年後に歌手業から足を洗った。

当初は店舗販売のみだったが、知り合いの校長に紹介され、学校へ文房具のセールスを行うようになった。
小野巡の名前は売れていたので学校側も愛想よく応対、トントン拍子にうまくいき、一時は自転車で40数校回ったという(後に運転免許取得)。なお、大宮小夜子は琵琶の免許皆伝の腕前であり、教室を開き、出稽古や学校での特別講師などを行っていたという。

昭和40年代、懐メロブームの際に視聴者からの要望があり、東京12チャンネルから声がかかり「なつかしの歌声」に出演。
「田舎にいて商売しているので今日決定して明日・・・は出来ないので、1ヶ月ぐらい前までに声を掛けて欲しい」という方針を取った。
ただし、芸能事務所に所属していなかったこともあり、他に声が掛かることは殆ど無かった。
わずかに昭和63年にTBSラジオ「78回転の唄」(司会:立川談志)、平成7年にテレビ東京「昭和歌謡大全集」(旧友の塩まさると共に登場)に出演したことがある程度に終った。

地元では元歌手であることなどから、カラオケ大会の審査委員長を頼まれることが多くある、名士のひとりであったという。
歌好きは生涯変わらず、よくカラオケなどで東海林太郎や水原弘の歌を気さくに披露していた。
そのレパートリーは驚くほど広く、若手歌手の歌もよく知っており、年齢とのギャップに驚かされることが多かったという。
最晩年まで、往年の歌声を彷彿とさせる美声で、折に触れては歌を口ずさみ、時には人前で歌うその一方で、自身の持ち歌・ヒット曲に関しては「私は歌手を引退した身だから」と原則固辞していたが、東京・中野にあった懐メロ喫茶「艶歌」では行きつけの店であることやマスターが小野のファンであったことなどから、時折熱烈ファンの声に応えて持ち歌を歌う姿があったという。
亡くなる10数年前に文房具屋を閉め、晩年はデイケアに通っていたが、デイケア施設でもカラオケ大会の審査委員長を務めるなど歌と関わりは生涯続いた。

2009年(平成21年)6月22日、心不全のため常陸大宮市内の病院で没。99歳。数日前から体調不良を訴え来院。診察治療中に容態が急変し眠るように亡くなった大往生だったという。
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by hakodate-no-sito | 2010-08-14 19:20 | 歌・唄・うた | Comments(0)