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石井好子INオランピア劇場

石井好子の人生のハイライトを考えて、これは欠かせないというものはいくつもある。
人によって、何を選ぶか違うとは思う。
だが1990年12月10日のパリ・オランピア劇場でのリサイタルについては
どなたも異論を唱えることは無いはずだ。

さして石井好子について関心が無かった頃、彼女を知りたてだった頃から、このことについて
は関心があった。
私はフランスやシャンソンについては、聞きかじりの知識ぐらいだが、オランピア劇場が凄い場所
ということは知っている。

日本人で初めてオランピア劇場に立ったのは芦野宏(1956年、東洋人としても初だったという)だが
個人でのリサイタルは石井好子が初だったという(その後2007年にTOMUYAという在仏の男性歌手が行っている)。

石井好子というよりも、ひとりの日本人が外国で格式ある劇場でリサイタルを行うことがいかに名誉か、ということに関心を抱いていた面もある。

シャンソン歌手がどうとイマジネーションが沸かない方は、こう置き換えてみたらどうだろう。
アメリカの白人が、来日して演歌を歌って、日本の歌舞伎座でリサイタルを行い盛況を収める。
・・・どれだけ凄いことか、おわかりになるだろうか。

昨年だったか一昨年、NHKの「あの人に逢いたい」という番組で、初めて石井のオランピア劇場公演の映像を観ることが出来た。
チラリと流れた程度だったが、光り輝いていた姿は確認することが出来た。
市販でビデオが無いものかと探してみたが無かった。再放送されないものかと思ったが、海外だと権利関係が複雑で難しいだろうと諦めるより仕様がないと考えていた。

「NHKで当時放送されたのだから、縁があったら成るようになる」、そう思って一旦自分の中で置くことにした。
有り難いもので、縁が出来た。
深く感謝しながら拝見した。

活字から抱いていたイメージとは違った。

オランピア劇場は歌舞伎座と新宿コマ劇場を足して2で割ったような、趣がある場所であった。
きちんと映像で観たことが無かったが、歴史を感じさせる良い劇場だと感じた。

石井のメイクが違う。フランス人のメイク師によるものだそうだ。
彼女の舞台化粧はふだん濃い目で、それが威厳をさらに引き立たせている。
だが、このときはたおやかさや美しさがよく引き出されていた。
オランピアのステージの合間に、パリ市内を回る見慣れた石井の顔が映るので、なおのこと感じる。

照明の力もあるのだろう。
ルヴェロリスというフランスの業界ではトップの腕を持つ人が担当したのだという。
普段あまり照明がどうということは、私は考えたことがないが、これを見ていると思わずにはいられなかった。
彼とのエピソードは、彼女の著書にいくつか記されている。
特に、生前最後の著書となった「さよならは云わない」(2005年)に掲載されているものは、ドラマティックで、興味のある方には一読を強く薦めたい。

ステージ。
私はパリのオランピア劇場だから、かなり気合の入った豪華絢爛なものを思い浮かべていた。
以前「あの人に逢いたい」でチラリと見た、何も知らないときの「凄い」という気持ちのままでいた。

でも、それは違った。
認識不足のまま考えたことを、そのままにして上書きをしていなかったことに気付いた。

確かに凄い、素晴らしかった。
でも、それはオランピアだからという特殊なものではない。石井好子のステージとしてなのだ。
どこまでも石井好子なのだ。準備万端で望んでいる、いつもの石井好子。
歌声のコンディションも完璧。気負いなど全く感じさせない。
違和感も無い、まるでいつもそこで歌ってたかのような佇まいすら感じる。

云うまでもないが、若いから出来たとか何も知らないから出来たとか、そういうものではない。
このとき石井好子は68歳である。
そして、オランピア劇場に立つということの凄さを、日本人では誰よりも知っている一人だ。
これだけの偉業をやってのけると、どこか厭らしさを感じさせる人も中にはいるが、彼女には該当しない。自然だ。

これがソフト化もされないのは、勿体無いという次元を通り越している。
ぜひ放送でカットされた部分も含めた完全版で、再放送なりDVD(ブルーレイ)化されることを強く望みたい。
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by hakodate-no-sito | 2012-02-25 19:47 | テレビ | Comments(4)

80歳の交響曲(その3)

しばらくぶりに、石井好子のDVD「80歳の交響曲・ROBAは一日にして成らず」を観ていた。
このDVDは、2002年11月4日、昭和女子大学人見記念講堂で行われた『都響スペシャル・パリの喜び 石井好子80歳/80人のシンフォニーと歌う』というコンサートの様子を収めたものだ。
石井好子が東京都交響楽団をバックにシャンソンを10曲熱唱している。

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アンコールナンバーとして、「二人の恋人(J'ai deux amoures)」を歌っているとき。
最前列の客席から、ひょこひょこと舞台に近い付いてくる人がいる。
片手を出して、石井と握手すると、すぐにバラの花一輪、差し出した。
このバラが、また舞台のアクセントとなって良いのだが、今までどうこう考えたことは無かった。

このコンサートの客席には、石井ファンの様々なジャンルの人々が集まっている。
岸朝子の隣りに秋山ちえ子がいる、ということは以前書いたと思う。
当時、石井の公式サイト(今は無い)では特別ページが設けられて、寄せられた絶賛の声を紹介していた。

DVDを見たあと、ふっとそこのページをまた見返したくなった。
インターネットアーカイブでこっそり覗いてきた。時々見られないときもあるが今日は無事見られた。

歌手の二葉あき子の文章に目が留まった。
掲載されているものを、そのまま引用する。

美しい偉大な歌手。私は先日の音楽会で心を打たれました。あんなに感激したことは数十年ありませんでした。
大きな舞台に、あなたはいつも中心に、強く、美しく存在しました。
一歩も、何にもゆずることなく歌いつづけられ、心の力、歌の力を出してゆかれ、空気さへあなたの前にぬかづいている様でした。
歌い方がどーのなんて言わせない。大きな演技。出てこられた足許からはじまって居りました。私は体がふるえました。美しいお姿は八十歳とは。三十台の女そのものの色気を感じました。
なんて、あなた、凄い方でしょう。楽屋ではやさしい、やさしい人ですのに。
大歌手とはあなたのことです。
一本のバラ、夢中で持ってゆきました。杖ついて、帽子かぶって、コトコトと、ハンドバッグ持って、コトコトと。みっともなくてごめんなさいね。おばあちゃんだから。

愛する愛する好子さま
十一月七日       あき子(二葉あき子さん)


二葉がその光景を見たかったなあ、と、それまでは呑気に思っていたのだが、今日あることに気付いた。
あの、薔薇一輪のひとは、二葉あき子ではないかと。
画面に映っている光景は、ちょうど遠景から映したもの。しっかりと顔は映っていないのだ。
だが、その人は帽子を被っているのは確認できる。
体型もこの時期の二葉とも一致する。
一本のバラもしかり。

私は二葉あき子で間違いないと思う。
本物は本物を知る、ということを示す良いエピソードではないだろうか。
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by hakodate-no-sito | 2012-02-20 00:12 | テレビ | Comments(6)

石井好子の「希望」

やっと石井好子が歌う「希望」を、じっくりと聴くことが出来た。

数年前、NHKのライブラリ視聴コーナーで観たテレビ番組『第25回思い出のメロディー』(1993年)で、石井が岸洋子を偲んで歌うのを聴いた。
歌の途中で伴奏がやや早くなるなどの瑕があり、名歌唱シーンとは言えなかったが、光るものがあった。

(もう少し良いコンディションのもので、出来るならば3コーラスで、聴くことは出来ないか)
ずっと思っていた。
それから、50周年記念リサイタルのライブ盤CDがあるのを知ったが、なかなか縁を結ぶことが出来ず、最近までいたが、やっと機会を得て視聴が叶った。

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CDに付いている帯の文句が『1曲1曲が私の辞世の歌です』
「希望」に限らず収められた、どの歌もその言葉に恥じない、立派なものだった。
ただ、石井好子が怖ろしいのはこのCDアルバムの後も、さらに進化を続け、名唱・絶唱を数多く遺していることである。

「希望」、レコード大賞歌唱賞に輝いた岸洋子の代表曲であり、極めつけの名唱のひとつ。
『彼女が病魔に倒れなければ、大賞は岸さんで決まりだったと思う。僕は運が良かった』と、菅原洋一は語っている。
名曲でもあるだけに、歌い、我が物にするにはハードルが高い。

しかし、石井好子は歌った。
それも自身の50周年記念のリサイタルで、である。

イヴ・モンタンの前で「枯葉」を堂々と歌える、歌い手としての矜持があった人だから、別段驚くには値しない。
そこに私は、石井の岸洋子への想いの強さを感じた。

石井の歌には演技性が無い、歌一本。
普通に歌いながら、人生を、ドラマを、感じさせる。

石井好子の「希望」。
それは岸洋子への鎮魂歌でもあり、石井好子一流のシャンソンとしても確立していた。

今、由紀さおり×PINK MARTINIのアルバム「1969」によっていずみたくの凄さが世界に駆け巡っている。
だが、先駆けること約16年前、石井好子という人の歌唱で、いずみたく作品のグローバル的な魅力が引き出されていた事実もまた・・・ぜひ知って欲しい。

かつて永六輔がこう語っている。
『石井好子がシャンソンを歌うのではない、石井好子こそがシャンソンなのだ』
至言である。
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by hakodate-no-sito | 2012-02-19 19:49 | CD視聴感想 | Comments(4)

帰天

淡島千景が亡くなったと知ってもピンと来なかった。
(何言ってるの、別な人と取り違えてるんじゃないの)と一笑に伏そうとした。
でも、確かに『淡島千景さん死去』とヤフーニュースに出ている。ツイッターでも追悼ツイートの嵐。テレビでも女優の淡島~、という声が聞こえてくる。

でも、まだピンと来ない。

享年に不足は無い。
いや、87歳という年齢にピンと来なかった。

不謹慎な話だが、高齢芸能人の訃報が相次ぐと
『次は誰だ?あの人はまだか?』と、ブラックジョーク的に話題に上る人というのがいる。
例えば(と実名をあげてしまうが)、とうとう逝ってしまったが森繁久彌、まだ存命の森光子、近年話題リスト入りした永六輔、亡くなって久しい林家彦六(8代目正蔵)、浪曲師の広沢瓢右衛門・・・。

そういうブラックジョークをするとき、淡島千景を思い浮かべたことは無かった。

(もうそんな歳なのか)と思うことはあっても、(そろそろ・・・)という予兆は感じなかった。

生き仏というのか、何故か知らないが、(死というものと、この人は無縁だ)と、ずっと思っていた。
いつまでも舞台に立ち続けているし、時々テレビに出る、トークショーに出てくる。
勝手ながら、こう信じていた。そんなはずは無いのに。

最後に見かけたのは、去年の「渡る世間は鬼ばかり」だったが、(さすがに御歳で少し痩せたかな)と思った程度で、あとは橋田壽賀子の長台詞をひょいひょいとこなす姿に、頭が下がる想いだった。
まさか、このとき患っていて、番組後半は病院とスタジオとの往復だったなんて、思い浮かびもしなかった。

まだ、どこか信じられない。
敢えて言うならば、天女が羽衣を身にまとって、ちょっと天へ戻った・・・そんな感じだ。

追記)
ところで、淡島の訃報で気になったことがあった。
一部記事の「昭和の名優相次いで・・・」という書き方に腹を立てている。
三崎千恵子も左右田一平も好きな俳優だ。とらやも新撰組も忘れ難い。
だが、この2人と淡島千景とは、格が違う。
淡島は銀幕の大スタアだ。日本映画全盛期に多くの名作に出演して代表作を遺している。大がひとつじゃ足りないぐらいの大女優だ。基本は主役の人だが、脇もこなせる名優だ。
それを一緒にするのは違う。認識不足も甚だしい。歴史を知らなすぎる。
もっとも、淡島はそういうことに頓着が一向に無い人、というよりもむしろ嫌がっていたろうが・・・。
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by hakodate-no-sito | 2012-02-19 18:17 | 古今俳優ばなし | Comments(0)

「石井好子ベスト21 さよならは云わない」

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「石井好子ベスト21 さよならは云わない」
(2005年 NEAVA-NMD2292 税込3,000円)

石井好子歌手生活60年記念アルバム。
1985年発売の「すべて歌に込めて」から、2005年までに発売された石井の
各種ソフトから抜粋されたベスト盤。
加えて、初CD化となるライブ音源が6曲収録されている。

01:愛の讃歌
02:サンジャンの恋人
03:枯葉
04:ソナタ
05:バルバリ・バルバラ
06:夜のタンゴ
07:マズルカ
08:リリー・マルレーヌ
09:愛してるといって
10:ノスタルジー
11:哀訴
12:エルザの鐘
13:モン・デュー
14:恋心
15:初日の夜
16:ブルー・ブラン・ブロン(Live) ※アコーディオン及びコーラス:パトリック・ヌジェ、桑山哲也
17:水に流して(Live)
18:行かないで(Live)
19:かもめ(Live)
20:二人の恋人(Live)
21:鐘よ鳴れ(Live)

音源初出一覧)
01-05、12、13:「私の来た道~シャンソン」(1990年)
06:「すべて歌に込めて」(1985年)
08、14-15:「私は私」(1999年)
07、09-11:「暁に」(2000年)
16-20:ライブ音源(2002年11月、「80歳の交響曲」人見記念講堂 演奏:東京都交響楽団)
21:ライブ音源(2005年7月、NHKホールで開催された「第43回パリ祭」) ※初CD化

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石井は生前「夫が亡くなってからの人生は付録だと思っています。でも付録には付録の味わいがある」と語っていましたが、このベストアルバムはその付録の時期、約20年のキャリアをまとめたもの。
4枚のオリジナル・アルバムから、メジャーな曲や石井の主な持ち歌からピックアップ。
さらにライブ音源を交えることで、石井好子という人の魅力(の一部)を、ある程度わかやすい形で知ることが出来る入門編的な1枚。
「シャンソンの名曲を(石井好子で)ちょっと聴いてみたい」という気持ちの方へ、特に薦めたい。
オリジナルアルバム及びDVDを所持している人には物足りないが、2005年パリ祭での「鐘よ鳴れ」の名唱が収められていることを考えると、やはり抑えておきたい。

「鐘よ鳴れ」は、シャルル・トレネが書いたシャンソン。
第12回紅白歌合戦(1961年大晦日)でも歌唱した石井の持ち歌のひとつで、LPでは収録されたことがあるが、CDでは初収録となる。
スケール感たっぷりな歌唱は石井ならではのもので、曲の良さも相成って感動的な仕上がりになっている。
石井好子に興味関心を抱いている人ならば、一聴を薦めたい。
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by hakodate-no-sito | 2012-02-18 20:15 | CD視聴感想 | Comments(2)

石井好子「いつも異国の空の下」(河出文庫)

河出文庫から石井好子の本が新しく出ると聞き、去年末から楽しみにしていた。
せっかちな自分には、発売日まで随分長かったような気がする。
やっと、この「いつも異国の空の下」を手に取れて、本当に嬉しい。

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文庫本のカバー装画には、荻須高徳の画。
文中の装画は、勅使河原霞のイラスト、がそれぞれ使われているのも好ましい。
文庫本となると、こういう面までは行き届きにくいもの。異例と言っていいかもしれない。
実弟の石井公一郎からの短文も有難い。
約1年の間に、7冊の関連書籍が発売されているのだから、河出書房新社に石井ファンが居るのは間違いないのだろう。

生前発売された文庫本は、「パリ仕込みお好みノート(文春文庫))「レクイエム涙(文春文庫)」「思い出のサンフランシスコ 思い出のパリ(旺文社文庫)」に水森亜土との共著「料理の絵本(角川文庫)」シリーズ全4巻。以上7冊。
文春文庫の「パリ仕込み~」はまだ新品が購入可能、河出文庫からは現在4冊が刊行。
来月9日には水森との「料理の絵本」が完全版と謳って1冊に合本され、文春文庫から復刊される。
ちょっとした石井ブームが、起きているのだろうか。

話を「異国の空の下」へ戻す。
昭和34年出版の「ふたりの恋人」(六興出版)を改題・復刊した本書は、昭和25年から33年にかけて、彼女が世界各国で歌い続けた流浪の生活を自分で振り返ったもの。
一種のドキュメントとも呼べる作品。

今だって、女ひとり、海外で仕事を行い活躍するということはどれだけ困難なことであろう 。
これが1950年代に単身で女ひとり、なのだから想像を絶する。
それにも関わらず、抑圧が程よく効いたタッチで客観的に綴られているのは、彼女の聡明ぶりがどれだけのものかを物語っているように思う。

石井の自叙伝はいくつも発売されているが、体験してまだ日が浅いこともあり、後年のものと比べると生々しさがある。
そして、時期を限定して書いている分、話の密度が濃い。
持ち前の描写力、観察力をふんだんに味わうことが出来る一方で、後年の成熟ぶりを知る身には、若さ・ひとりの等身大の女性を感じずにはいられない。

私の目を惹いたのは、昭和29年暮れに一旦帰国し30年にふたたびパリへ旅立って以降の章。

アメリカからフランスへ渡り歌っていた時期の話は、後年の本でも読むことが出来るし彼女がテレビで話す姿も見たことがある。
だが、その一旦帰国して再出国以降となると、かいつまみ程度にしか書かれていなかったように記憶している。

だから、限りなく未知の時間を探っている・・・石井好子前史を読んでいる、そんな気分で読むことが出来た。

心苦しくなる想い出ばかりで振り返りたいものでは無かったのだろう、と思う。
特にニューヨークからパリへふたたび戻った時期を書いた章の歯切れは、悪い。
何も知らない人でも、思い悩むことがあったのだろう、と感のよい人は察するだろう。

ニューヨーク滞在時代、後に夫となる土居通夫と関係が生じ、苦悩していたことは、後年書かれた「レクイエム涙」や「さよならは云わない」などで記されている。
この本が書かれた当時は、土居との道ならぬ恋は現在進行形であった。

当時の想いが如何ばかりであったか・・・記されていないからこそ、私の胸を打った。
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by hakodate-no-sito | 2012-02-09 23:55 | 読書感想 | Comments(2)

一時代の終焉

芦野宏の訃報が届いた。
これで長寿村と揶揄されたシャンソン界の第一世代、戦後シャンソンブームからの大看板がすべて姿を消してしまった。
ほんの少し前までは、大御所連が健在で歌っていたのに、この数年で次々と、まるでドミノ倒しのように逝ってしまった。いつまでも在り続けると錯覚を抱かせる面々だっただけに、この続く訃報に茫然としている。

そういえば、芦野宏のステージも一度、私はNHKホールで観ていたはずだ。
思い出そうとしても、うまくいかない。
何かあったはずだ。机の棚からクリアファイルを開いて、パンフレットを引っ張り出す。

第44回パリ祭。2006年7月8日。
もう6年も前になる。
小学校1年生が6年生になる年月が流れている。
信じられない。

大木康子、高英男、深緑夏代、石井好子、そして芦野宏。
強く記憶に残っている人たちは、皆鬼籍に入ってしまった。

終盤に芦野宏が出てきて、歌い始めたとき、おおっと唸った。
当時既に80歳前後だったが、その声色は往年のそれと殆ど変りは無かった。
歌のうまさも、勿論。爽やかな風をNHKホールへ届けてくれた。

故人を貶める気はさらさら無いが、このとき確か間奏から歌に入るときに、芦野はトチった。
しかし、トチリとトチリと思わせない堂々たる応対でカバー。
これがプロだ、とやたらに感心したことを、今ふと思い出した。
なお、パンフレットを見ると、歌は「人生に乾杯」というシャンソンだったらしいが、これはまったく覚えていない。

どちらかといえば、好みのタイプの歌い手ではなかったが、一流の実力を持った素晴らしい歌手であることは疑いの余地も無いし、何より「ラ・メール」は、薩摩忠の訳詩と共に、忘れ難い彼の名唱だ。

氏の自叙伝「幸福を売る男」は、資料的価値もある読み応えのある1冊として、今も本棚に中原美紗緒や石井好子、高英男らの著書と共に並べてある。これからも折に触れて読み返すだろう。

これで、とうとうひとつの時代が終わった。
パリ祭は、日本のシャンソン界は、これからどうなるのだろう。

高英男や石井好子の死ほどの衝撃は無いが、私は・・・淋しい。

合掌。


追記)
シャンソンブーム第一世代、美輪明宏がまだいるじゃないか、と突っ込まれそうだが、彼は、私の中では"歌う女優(女形)"というイメージ。別次元の存在なのだ。

もうひとつ追記)
スポニチの記事より。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/02/08/kiji/K20120208002589090.html

>次男で同協会事務局長の功二氏(44)によると、芦野さんは13年前に間質性肺炎を発症。進行を遅らせるため、連日、ステロイド剤を服用して、館長を務める日本シャンソン館(群馬県渋川市)などで公演を続けた。先月15日にも同館で歌声を披露。同18日に体調を崩して入院した。

2010年以降の歌声は聴く機会が無かったが、私が見たときには、歌声に病の影は無かった。
他の報道記事には出ていない、だが、これは記憶に留めておきたい一文だ。
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by hakodate-no-sito | 2012-02-08 21:11 | 歌・唄・うた | Comments(0)

たそがれの歌声

1月31日の「NHK歌謡コンサート」に坂本スミ子が出演していた。

『母(小篠綾子)が好きだった歌』と、ゲストのコシノジュンコがリクエストした
「たそがれの御堂筋」を唄い、旧知のコシノと握手を交わしていた。

と、これだけ書けば、感動的なシーンを想像される方もおられるだろう。
だが、私は、思い出す度にほろ苦さを感じ、溜息をついている。

坂本スミ子は、大好きな歌手だった。
ライヴへも行き、無理を言って一緒に写真を撮って貰ったこともある。
高校時代、『浮雲』という歌が好きだった。この歌を聴くとMDウォークマンで始終聴いていた頃
―春間近の陽射しで、雪が溶けかけ、路上に残るも土色で汚れている五稜郭の電停前。
老若男女が信号待ちをしているゴミゴミとした光景―
が鮮やかに脳裏に浮かんでくる。

声量豊かで、音程も確か。情熱的に歌い上げるのも、囁くように唄うのもお得意。
70歳を過ぎても、それらをキープしつつ、年輪を醸し出す歌唱で、円熟の魅力。
日本の歌い手の中でも、ハッキリと本物と呼べるひとり・・・だった。

だったと過去形で記すことが哀しいのだが、今の坂本スミ子は衰えてしまった。
去年、久々にテレビで「夢で逢いましょう」を唄うというので楽しみにして番組を観た。
喉のコンディションも良くなく、音も時折はずれている。 ボロボロの歌だった。

信じられなかった。
あのおスミが・・・と早速調べたところ、一昨年だったかに脳梗塞で倒れたのだという。
元気そうではあったが、そういう面で後遺症が出てしまっていた。

先日の「歌謡コンサート」では、少しキーを下げ歌唱も工夫し、去年見たときよりは
大分回復しているように感じた。
病後とはいえ、そこらの歌手より余程声量はある。味わいもある。
だが、往年の歌唱を知る自分には、思い入れがあった自分には、辛いものがあった。

坂本が歌い終わった後、コシノジュンコが『よかったわあ』と涙ぐんで握手を交わしていた
が、あの涙はおスミの現状に対してという意味もあったのではないのかと、一瞬考えた。

慣れればどうということはないのかもしれない。
年齢を考えれば、あれだけ歌えるのは上等だ。
だが、そういうのを嫌がっていたのは他あろう、おスミだ。

いや、逆に病気をしたからこそ、見得や体裁を捨てて歌いたくなったのだろうか。

ともかく、枯れたおスミの現実を、受け止めかねている。
心が決まるのはいつのことだろう。 長い目で見る必要があるのかもしれない。
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by hakodate-no-sito | 2012-02-04 05:57 | テレビ | Comments(0)

衰えた歌声

1月31日の「NHK歌謡コンサート」に坂本スミ子が出演していた。

『母(小篠綾子)が好きだった歌』と、ゲストのコシノジュンコがリクエストした
「たそがれの御堂筋」を唄い、旧知のコシノと握手を交わしていた。

と、これだけ書けば、感動的なシーンを想像される方もおられるだろう。
だが、私は、思い出す度にほろ苦さを感じ、溜息をついている。

坂本スミ子は、大好きな歌手だった。
ライヴへも行き、無理を言って一緒に写真を撮って貰ったこともある。
高校時代、『浮雲』という歌が好きだった。この歌を聴くとMDウォークマンで始終聴いていた頃
―春間近の陽射しで、雪が溶けかけ、路上に残るも土色で汚れている五稜郭の電停前。
老若男女が信号待ちをしているゴミゴミとした光景―
が鮮やかに脳裏に浮かんでくる。

声量豊かで、音程も確か。情熱的に歌い上げるのも、囁くように唄うのもお得意。
70歳を過ぎても、それらをキープしつつ、年輪を醸し出す歌唱で、円熟の魅力。
日本の歌い手の中でも、ハッキリと本物と呼べるひとり・・・だった。

だったと過去形で記すことが哀しいのだが、今の坂本スミ子は衰えてしまった。
去年、久々にテレビで「夢で逢いましょう」を唄うというので楽しみにして番組を観た。
喉のコンディションも良くなく、音程もあやしい。

信じられなかった。
調べたところ、一昨年だったかに脳梗塞で倒れたのだという。
元気そうではあったが、そういう面で後遺症が出てしまっていた。

先日の「歌謡コンサート」では、少しキーを下げ歌唱も工夫し、去年見たときよりは
大分回復しているように感じた。
病後とはいえ、そこらの歌手より余程声量はある。味わいもある。
だが、往年の歌唱を知る自分には、思い入れがあった自分には、辛いものがあった。

坂本が歌い終わった後、コシノジュンコが『よかったわあ』と涙ぐんで握手を交わしていた
が、あの涙はおスミの現状に対してという意味もあったのではないのかと、一瞬考えた。

慣れればどうということはないのかもしれない。
年齢を考えれば、あれだけ歌えるのは上等だ。
だが、そういうのを嫌がっていたのは他あろう、おスミだ。
いや、逆に病気したからこそ、見得や体裁を捨てて歌いたくなったのだろうか。

枯れたおスミの現実を、受け止めかねている。
心が決まるのはいつのことだろう。
長い目で見る必要があるのかもしれない。

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by hakodate-no-sito | 2012-02-02 21:22 | 歌・唄・うた | Comments(0)

ある名称の消滅

今年の4月1日から、新派俳優という言葉が公の場から消える。

昨年の日本俳優協会の理事会で決まったという。
公益社団法人移行を目指す中で、歌舞伎の存在意義は主張できるが、新派は・・・ということになったらしい。

もっともこの言葉は、NHKのニュースや新聞などですら、見かけなくなっていた言葉。
新派といっても通じない世代が出てきているのも動かし難い事実。
一般的には、どうでもいい話になるのだろう。

ただ、私にとってはグサリと来る話だ。

歌舞伎俳優
新派俳優
新国劇俳優
新劇俳優
映画俳優
声優(これは元来放送=ラジオで活躍する俳優に対する名称)

いわば、役者としての本籍はどこであるかを示す言葉。
様々な分野で活躍していても、自分自身の矜持として「私は●●俳優(役者)である」と名乗る人は今でも少なくないのだ。

特に歌舞伎・新派・新国劇は、日本の演劇でもBIG3というのか別格的な位置にあったもの。
その3つのうち、1つは劇団ごと消え、1つは名称が消える。

奇しくも、新国劇解散に伴い、新国劇俳優という言葉が無くなって、四半世紀後に新派俳優の名称が無くなる。
ひとつの時代の終焉を感じずにはいられない。

私は、今日の新派衰微の一因は、新派が滅びの美学を売りにし過ぎたことにあると思っている。
花柳章太郎が自ら『私が最後の女形』的なことを言っていた時代から。

そしてマスコミなどがあまりにも「新派はどうなる?」とマイナス面を煽る記事を、不必要に、執拗に書き過ぎたことも今日の惨状に繋がっているだろう。

さらに言えば、もう少し長期的な展望を持って、松竹が新派を守り立てようとしていれば、また違っただろうと思う。もっとも、今、新派が曲がりなりにも存在していられるのは松竹だからであって、これが別会社ならば新国劇のように無くなっている可能性のほうが高い。

新派の消滅は、ひとつの、大きな演劇スタイルが無くなるということだ。
本当に、新派に学ぶところはもうないのか。
あまりにも無関心になり過ぎてやしないか。
花柳章太郎、初代水谷八重子だけが新派だと思っていやしないか。

今回の新派俳優の名称消滅は、一種のイエローカードと、私には思えてならない。
果たして、あと20年後、30年後に劇団新派は存在するのだろうか。
私は在って欲しい。これは強く言いたい。
だが、現状の流れではそれは難しく思えるのも、また事実である。

かたちにこだわらなければ新派イズムの継承は商業演劇の世界でも新派の若手へもされているはずで、本体が無くなる事態が万一起きても、後継団体はきっと出来るはずだし、偲び草は一杯ある、と私は信じている。少々楽天的かもしれないが。

ただ、後悔先に立たず、という言葉をもう一度考えてみて欲しい。
無くなって「歴史が消える・・・」と文句を言ったところで、取り返しはつかない。
伝統や文化は潰してしまうことはたやすいが、再び作り上げるには多大な時間と労力を必要とする。

イエローカードを突きつけられたのは、新派であり、実は我々なのだということに、気付かなければいけない。

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―来る2013年、新派は設立125周年を迎える。
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by hakodate-no-sito | 2012-02-01 01:48 | つぶやき | Comments(1)