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池内淳子というひと

昭和から平成にかけて半世紀以上に渡って活躍を続けた女優、池内淳子。
亡くなって、今年で3年になる。

見ていない人ではない。
特に意識していなかっただけで、割とよく見かけている。

池内淳子という名前や顔をしっかりと意識するようになったきっかけは、スカパーのTBSチャンネルで再放送された「女と味噌汁」というテレビドラマだ。

ちょうど昭和時代のテレビドラマへも関心を抱きはじめた頃で、その少し前には「ありがとう」シリーズを毎回ビデオに録画して何度も繰り返し観るぐらい、気に入っていた。
放送枠の「東芝日曜劇場」にも興味がある。「ありがとう」シリーズと共通点が多い。
見てみようと思った。これは気に入りそうだ、と。

勘は当たった。
これも全38話録画。「ありがとう」同様、繰り返し観返すドラマになった。
私の好きなものなど『古くさい』とバカにしている妹まで気に入って、勝手にテープを引っ張り出して観ている始末。おかげで、一部の回を紛失してしまった。

自分の嗜好にも影響を与えている。
私は、芸道ものや人情もの、日本髪が出てくるものに、弱い。
平岩弓枝・有吉佐和子・池内淳子・山岡久乃。
思春期にこの4人から受けた影響は、自覚症状がある面でもない面でも大きいのだと思う。

はなのやのてまり姐さん。
本当に好きだった。
芸者姿が艶っぽくて、割烹着が似合っていて、バシッと啖呵が切れて、そそっかしくてお人よし。
好きで、好きで、池内淳子が好きというより、てまりが好きだった。
すが(山岡久乃)、小せん(佳島由季)、小桃(長山藍子)、ぴん子(結城美栄子)、金とき(一の宮あつ子)。
はなのやの面子が好きだった。
「女と味噌汁」というテレビドラマが大好きだった。

ドラマや映画を見て、俳優に良いなあと思っても役そのものに感情移入するということはないのだが、それを飛び越えてきたのは今のところ池内淳子と山岡久乃の二人だけだ。

もうひとつ、これも東芝日曜劇場なのだが「夫婦」という単発ドラマも大好きだった。
妻であり母である全盛期の池内淳子の役どころを見た数少ない機会だ。
平岩弓枝らしい下町人情もので、ちびた菜箸がドラマのキーのひとつというのが印象深い。
「ありがとう(第2シリーズ)」で児玉清・河内桃子の息子役として名演を見せた水野哲が、ここでは渥美清・池内淳子のひとり息子で出演していたというのも惹かれる一因だ。

どちらかといえば、私は派手目な女優が好みだし、それは今でも変わらないのだけど、そうじゃない女優へも関心を抱けるようになったのは池内淳子のおかげだ。

ただ、本当に大事にして池内淳子を観続けていたかというと否だ。
先述の"てまり"へのこだわりが、池内淳子という女優に対して思い入れを抱くことにかえって邪魔になってしまっていた。

他のテレビドラマ、たとえば日本テレビで放送された「つくし誰の子」シリーズに、「ひまわりの詩」「ひまわりの道」「ひまわりの家」三部作でも見る機会があれば良かったのだが、2013年現在に至るまで機会は巡ってきていない。

それに加えて、現在の彼女出演のドラマで魅力的と感じるものに出会えなかったこともあり、池内淳子に対して随分失礼な感情を抱くまでに至ったぐらいだ。
一時ほどのこだわりが薄れたあとも、後遺症的にどこか残っていて、それが災いしたか、どうも情報アンテナを張ってもうまくキャッチ出来なかった。

逝って時が経つにつれて、キャッチ出来なかった情報がキャッチできるようになってきた。

一時そばに凝って毎朝信州そばを食べていた。
泉ピン子の心無い発言に生半可じゃない怒った顔を見せた。
先祖何代も続く東京・本所っ子。
・・・。

もういちど「女と味噌汁」全話を見返す機会もあった。
「女と味噌汁」の"てまり"は、地が随分反映された役ではなかったか。
「徹子の部屋」等のトーク番組で話しているとき、ポロリと口から飛び出す下町ことばと言い、実際の家族仲・姉妹仲のよさの話といい、そう思えてならない。
平岩弓枝の下町もの、芸者もので描かれている心意気を見事に演じきれる女優のひとりが、池内淳子であったことは間違いない。

東芝日曜劇場の単発ドラマも何本か見た。
助演している作品も、主演している作品も、ちょっとだけ意識して見るようにしてみた。

昭和40年代-50年代のころの華やかな面だけじゃなく、後年の抑えの利いた面も味がある。
ただ時々見かける評価の、いぶし銀というのはちょっと違う気がする。

商業演劇の看板として多くの舞台に主演または特別参加し、20%女優の異名を取った人を"いぶし銀"としてしまうのは適切ではない。

この人は抑えのなかに、ちょっと破れがあるような役のときこそ、真骨頂のように思う。

いろいろ見て、思い、また見て、思い直し・・・。
そんなことをしていうちに、だんだん"てまり"への頑ななこだわりは、自然な想いになっていた。
『池内淳子、素敵だ』という思いが胸の中に広がっている。

何事にも遅いということはない、と言うが、やっぱりお元気なうちに、もっと関心を抱きたかった。
そんな想いは否定できない。

ほろ苦い感情を噛み締めながら、池内淳子という人を、いま私は探している。
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by hakodate-no-sito | 2013-02-22 06:20 | 古今俳優ばなし | Comments(0)

「春との旅」

2月13日は江利チエミの命日だからと、久々にブログでもと思っていたが、江利ではなく雪村いづみ出演の「題名のない音楽会」感想に。何年も前に書きたいと思っていたが挫折。ふと思い立ってやってみたら、かたちが出来た。良質の番組。こういう番組、今は全然見当たらない。見つけられないだけ、と思いたい。

前にブログを書いたときは高英男の「題名のない音楽会」。これも完成度の高い回だった。
NHKの「ビッグショー」の出演回も良かったが、こちらも勝るとも劣らぬ出来だった。

「題名のない音楽会」、もしも黛敏郎時代の題名が再放送されたら、録画欠かさずしながら見そうだ。
石井好子、植木等、三波春夫といった、私の敬愛する人たちも出ていたらしい。
アニメを見終えて朝食、の際のBGMがわりにして、見ていたのにまともに見た記憶がゼロという自分の過去が恨めしい。
視聴チャンス、また巡って来ればいいのだが・・・。

2月15日は山岡久乃、16日は淡島千景、17日は藤田まことの祥月命日。
好きだった人、今も好きな人を、思い出す1週間。
逝ってしまう人は増えてゆくばかりなのに、好きになる人はなかなか増えない。
好きになった人は既に故人だったコースばかり。

たまに、ちょっとイイなと思う今の人がいても、横槍に気が萎えてしまったり、好きでも昭和を彩った大好きな人との差を嫌でも痛感して、口に出すのがはばかられることもある。

好きなひとを見つけるのも大変だが、好き嫌いの公言もまた難しい。

16日の夜は、淡島千景を想いたくて、最後の映画出演となった「春との旅」を借りて見た。
公開当時から気になっていたが、やっと行動に移す。
寒空を歩いてレンタル店2軒回って見つける。

2010年公開の映画。主演は仲代達矢と徳永えり。
徳永えりはここ数年よく視覚に入って来る若手女優。私と同い年の生まれ。
最近だと「梅ちゃん先生」に出ていた。
出演者が少なく、それも仲代、淡島、菅井きん、大滝秀治、田中裕子、柄本明、香川照之という演技派・名優カテゴリに入るベテラン・中堅揃いのなかで、大奮戦。
叫ぶシーンでは、時折声が割れるところがあるのが難だったが、そこを除けばよかった。
今20代だと満島ひかりや貫地谷しほりが良いが、徳永もそこに入っていくのか。もっと化けていくのだろうか。
長い目で観察していこう。

仲代達矢は元漁師の役どころだったが、そうは見えなかった。どちらかといえば元・教員っぽく思えた。
この映画は仲代のおかげで実現したのだし、仲代も悪くはなかった。不器用さと甘えを兼ね備えている面はさすがだ。
だが、漁師に見えないところもそうなのだが、ところどころ新劇臭が出ている。
緒形拳だったら、どうだったろうか。

ロードムービー形式なので、仲代・徳永以外の出演者のシーンは短め。
田中裕子はどうも好きになれず、今日まで来たが、そろそろ認識を改めないと、訃報のとき己の見る目の無さに落ち込みそう。中村勘三郎の二の舞になる前に。

菅井きんの覚束ない歩き方が、気になる。
老人ホームに入居が決まっている役だから、演技の一環と考えられなくもないが、ここ数年露出が無くなっているのは、脚を悪くしていることもが理由(のひとつ)なのだろうかと憶測。

肝心の淡島千景だが、見事な演技。そして気品。
既に80歳半ばになっているが、あぶなっかしさは無い。
淡島の姿は驚異だ。
比較するのは空しいが、若さを売りに突っ張り続けた森光子は同じ年齢の頃、さすがに衰え出していた。

淡島千景にとって、本作品が映画女優としての最後の作品となったのは、良いことだったと思う。
最後の出演作品となるとテレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」ということになるが、あれは淡島千景を生かしていたとは言い難い。
没後散々騒がれてしまった借金騒動や死因となった膵臓癌を患った中で、橋田壽賀子の長台詞をこなし、やりきったという点では矜持を見るのだが。


e0134486_16354738.jpg

これだけいろいろ思いながらも、淡島千景が逝ってしまったことに納得していない自分もいる。
そして、「もっと仕事選べばいいのになあ」と思うような作品に顔を見せている淡島千景を思い浮かべてしまう。

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by hakodate-no-sito | 2013-02-18 16:20 | つぶやき | Comments(0)

題名のない音楽会 雪村いづみ わが心の歌

「題名のない音楽会」というテレビ番組があります。
現在でも続いていますが、この番組というとやはり初代司会者の黛敏郎の印象が強くあります。
クラシックにとどまらず、非常に多種多彩なかたちで音楽の楽しさ・素晴らしさを伝えた名番組です。

黛が亡くなって久しく、未だCSでの再放送もなく、観る機会はなかなかありません。
私の愛する歌い手も多く出演していますし、何とか拝見の機会がないかと思っているのですが、なかなか難しいです。それでも様々な方々の御好意で、数度その機会を得ることが出来ました。
以前、高英男出演の回を備忘録がわりに記しましたが、今回は雪村いづみ出演の回を記しました。

なおこの頁は、特にYさま、Mさまのおかげで書くことが出来ました。本当にありがとうございます。

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オープニングを飾るのは「テネシーワルツ」
雪村が「親友と呼べるのはこの人だけ」と語る、江利チエミの代表的持ち歌。
江利の歌唱とはひと味違う、伸びのある歌声で懐かしのポピュラーソングを聴かせます。
江利の歌声は言うまでもないですが、1985年にNHKホールで公開録画が行われたテレビ番組「思い出のメロディー」で、雪村と雪村のデュエットで披露された「テネシーワルツ」は忘れることは出来ません。美空の歌声のサポートに徹する雪村の歌声は実に輝いていました。

続いて「リンゴ追分」
こちらは三人娘の盟友・美空ひばり。
オリジナル準拠ながらもジャズ度が高い編曲は前田憲男のものではないかと思われます。
雪村の、まるで白人歌手のようなな歌い方も相成って、米山正夫の曲の良さが引き立っています。

ジャズ調の間奏に乗る、司会者・黛敏郎の語り。
「江利チエミうたうテネシーワルツ、美空ひばりのリンゴ追分。
戦後荒廃した焼跡に流れた、この二つの歌声によって、心を慰められた日本人は決して少なくなかったはずです。
この、チエミ・ひばりと並んで三人娘と言われた雪村いづみが『想い出のワルツ』を引っ提げてデビューしたのは昭和28年。雪村いづみ16歳のことでした」

「想い出のワルツ」
黛の語りでも紹介されています、雪村いづみのレコードデビュー曲です。
ポピュラーソングにクラシック音楽を合わせたような編曲、おそらく前田憲男なのでしょうが
これもソフト化されていないアレンジ。
2006年に私が観た舞台での話ですが、舞台へ出て来た雪村、どうも風邪気味だったらしく歌にキレがありません。
ところが、この歌をうたうとき、それまでの不調を吹き飛ばすような張りのある歌声を披露したことを今でも忘れることが出来ません。
雪村にとって、この歌は声質にも有った大事な持ち歌なのでしょう。

ここまで3曲、ワンコーラスづつ、メドレーでの披露でした。
舞台後方に三人娘が写った拡大パネルが掲げられていまして、1曲ごとに持ち歌にしていた歌手の顔がアップにされ、カメラに映し出されています。

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黛:「雪村いづみさんです。
今年になりましてから、雪村いづみさん、この番組に1度出て頂いたんですが、そのとき彼女は重大な発言を致しました。
"この3月20日で、ワタシ50の声を聞いちゃうのよ"と、こう言うんですね。
こういうことを言う日本人歌手はまことに珍しい。屈託のない彼女の人柄がにじみ出ているんですけども…本当にそうなんですか?」
雪村:「本当は四十なんです」
黛:「ああそう。四十にして随分老けてらっしゃいますね」
雪村:「ウワッ(と笑う)」
黛:「ま、とにかく歌い始めて35周年というのは本当?
雪村:「はい、そうなんです」

1987年6月の段階で、三人娘は江利チエミは既に亡く、美空ひばりは病いの床に伏していました。
その淋しさ・哀しみのなかを、笑顔でひとり歌い続ける雪村に、節目ということの他にエールを送る意味でも、番組でお祝いの企画を組もうと考えた黛敏郎の見識にまず感服。
「題名のない音楽会」は音楽の楽しさ・素晴らしさを紹介する名番組で在り続けた理由は、黛の尽力によるものであったことを実感させられます。
失った人の大きさが年々判って来ます。

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続いて黛、雪村いづみの芸名の由来の裏話や、初代三人娘の素晴らしさを指摘し、日本人で初めて「Life」誌の表紙を飾ったことに触れます。
黛:「歌唱力も演技力もあるいづみさんですから、日本のミュージカル界が放っておく訳はないんで、日本のブロードウェイミュージカルの確か第2作ですよね。
マイ・フェア:レディをチエミさんがやって、そのすぐ後ノーストリングスを、これを貴女がお演りになった」
雪村:「はい、菊田一夫先生がね、(まだ)お元気で、演出して下さいました」
黛:「昭和39年だったと思います」
雪村:「あっ、そうですか」
黛:「僕あのミュージカル、好きでね。とっても小粋な、洒落たね…当時大ぜい出てきて歌ったり踊ったり派手なのが多かったなかで非常に小粋な、登場人物も少ないし、音楽の編成も小さいし、まあ室内楽的なミュージカルでね、僕は貴女にぴったりだったと思うし…」
雪村:「粋だったですね」

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ここから雪村出演の名作ミュージカルのナンバーより4曲がメドレーで披露されます。
舞台後方には、出演時のスチール写真が拡大されパネルに張られ、設置。
曲の始まりの際には、1枚づつカメラに映し出されます。
なお、4曲共に英語での歌唱です。

ノーストリングスより「The Sweetest Sounds」
メイムより「Mame」
ウェストサイドストーリーより「Tonight」
マイウェアレディより「I Could Have Danced All Night」


「ノー・ストリングス」は1964年に芸術座で初演が行われました。
歌の訳詩は雪村本人が手掛けた、これだけでの雪村の熱意が伝わってきます。

水谷良重は、この舞台をアメリカで6回も続けて観るぐらいに気に入り「これをやらせてもらえるなら」という菊田一夫との口約束で松竹新派から東宝演劇部へ移籍します。
ただ、主演でという話は反故にされてしまい、水谷(良重)は菊田に涙の直談判を行い、菊田じゃ平謝りで「他の役なら何でも演らせるから」というヒトコマがあったとか。

これが遺恨を呼ぶ・・・となればゴシップ好きにはたまらないのでしょうが、ふたりは映画「青い山脈」で競演して以来の友人関係にありました。雪村も出来た人ですが、水谷も出来た人です。
それはそれ、これはこれ。サッパリと、楽しく舞台づくりをしたようです。

話がそれたついでに、水谷がラジオで話していたことを書きます。
数年前、NHKのテレビ番組の企画で水谷と雪村が競演したときの話です。楽屋が少ないということもあり、水谷は七光り三人娘の同士である朝丘雪路に東郷たまみと、楽屋が一緒になりました。
久しぶりに顔を合わせた三人、話はするものの、昔のように和気あいあいとはいかず、どこか距離感があったそうです。
そこへ、雪村がドアを開けてポーンと入って来て「アンタたちは良いわねえ、アタシたったひとりになっちゃった」(水谷、雪村が舞台でのトークで話しているような口調を真似ています)と言ったのだそう。それを聞いた途端、三人ズキンと応え、水谷はふたりがとてつもなく愛おしく思えてならなかったのだそうです。

この話、水谷はあくまで出来ごとと自分がそのとき思ったことだけを話していたのですが、私は憶測で物を言います。どうも、雪村が、三人の様子を察するか入口の前で眼に入ったか聞こえて来たので、それとなく機転を利かせたんじゃないかと思えてなりません。また、水谷もそれに勘付いているんじゃないかと思います。

「どんなにかトンコさんが淋しいだろうな」と、話す水谷の口調はあたたかさに満ちていました。

話を戻します。
出演者は雪村いづみ、高島忠夫に、先述の水谷良重(現:二代目水谷八重子)、藤原義江というのは知られていますが他にも浜木綿子、久慈あさみ、岡田眞澄、ジェリー伊藤、山田芳夫、早川令子といった顔ぶれが出演しています。前田美波里は、この舞台でのエキストラ出演が初舞台となったそうです。

「メイム」は1973年に日生劇場で上演されました。
これはもとは越路吹雪主演で幕が上がっていたのですが、肋骨を痛め舞台へ出演出来なくなります。
(製作側と何らかのトラブルが発生し、越路が怪我を理由に舞台を降りたという一説もあります)
急遽雪村へ代演の話が持ち込まれ、たまたま江利チエミから切符を譲られ初日の舞台を観ていたことも助けとなり、3日間で台詞や歌に踊りを叩き込み
幕を上げることが出来たという、雪村いづみ史でも有数の伝説です。

そして、この舞台が縁となり1974年、浅利慶太から「ウェスト・サイド・ストーリー」へマリア役での出演の話が持ち込まれます。
ミュージカルで使用される音域と、自分の音域の違いにボイストレーニングを行い必死で格闘し、上演中は足の指の骨折というアクシデントに見舞われながらも
演じ切ったというステージでした。

「マイ・フェア・レディ」は1976年に地方巡演というかたちで宝田明らとともに上演しました。
日本初演時、当初イライザ役は雪村いづみで行こうという話があったのですが、当時はアメリカで子育てに専念するつもりでいた雪村は辞退しました。
そしてイライザ役になったのは江利チエミでした。江利は、アメリカへ雪村のもとへ遊びに行った際も菊田一夫からのことづけを伝え出演を薦めたそうです。
そんな関係から、雪村は江利に悪いと悩みますが、既に江利が演じなくなって大分経っており、既に那智わたる、上月晃らも演じていたこともあり、引き受けます。
「踊り明かそう」は1965年にレコード吹き込みを行っており、CD化もされています。また近年もテレビ等でも歌われる機会があります。

----------------------------------------------------------

黛:「美空ひばりという人は演歌の女王であると同時に銀幕の女王でもありました。
また江利チエミさんは、ミュージカルのスターでありましたけれども、しかし、それよりもサザエさんその他で、お茶の間の人気者という色彩が強かった。
ひとり雪村いづみは歌ひとすじという感じがします。私も今、あの歌を聴いていて感じたんですけれども
たったひとつ彼女に欠点をあげるとすれば、それは歌がうますぎるということです。
あまり歌がうますぎるために、その…何ていうか…ついていけないような気持ちがする、ということが、たったひとつの欠点といえば欠点。
私、これ決して欠点ではない、最大の長所だと思うんですが、そういう感じがする」

----------------------------------------------------------

黛の、雪村への指摘はさすがです。
雪村いづみというひとは、90年代には自ら「コンビニ歌手」と称するほどに多種多彩なジャンルに挑戦し成果を上げて来ました。
ジャズ、ポピュラーソング、ミュージカルに、ニューミュージック、流行歌、シャンソンなどです。
音楽に対する人間の許容範囲は、残念ながら広い方ばかりではありませんし、好みがハッキリ出がちです。
それに加えて、日本人は何かのジャンルひと筋と絞っての活躍を好み、マルチな活躍をする人を軽んじる傾向もあります。

黛は言及していませんが、雪村は映画女優としても活躍しベルリン国際映画祭へも日本代表として参加した経験もある人です。
美空、江利の偉大さに隠れがちであることに加え、雪村の謙虚な姿勢で、なおのこと捉えにくいのですが、雪村いづみは偉大なひとなのです。

----------------------------------------------------------

黛:「リサイタルのときに、いつもお客が必ずリクエストする歌がある。それは『約束』という歌です。この歌を作ったのは当『題名のない音楽会』の構成者である藤田敏雄さんですが、藤田さんはご自分でこういうことを言っておられる。
"自分はこの歌を作るときに、ジャック・プレヴェールやポール・エリュアールのような、フランスの詩人たちがシャンソン・リテレールという歌を作った、そんな心構えでこの歌を作った"と言うんですね。
シャンソンリテレールというのは文学的なシャンソンという意味です。
そして、藤田さんはシャンソン・リテレールの精神と、さらに言うならば、たとえば『戦友』とか『孝女白菊』とか言うような日本の古い歌謡曲にある、あの物語性ですね、叙事性。日本の歌というものには叙情性はあるけれども叙事性が無いんです。物語が無い。ドラマが無い。
そういうドラマを、自分はこの歌に込めたかった。そして作ったのが『約束』という傑作の歌でした。
前田憲男さんが、まあほぼ処女作といっていいぐらいの、作曲を付けた歌です。
この歌は非常に長い歌なんです。ですから、テレビの番組ではなかなか歌ったことがない。
おそらく、あまりお聴きになった方もいらっしゃらないかもしれない。
しかし素晴らしい歌です。最後にこの歌をうたって頂いて番組を閉じたいと思います」

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昭和30年代半ばに作曲家の吉田正は歌謡組曲というかたちを試み、芸術祭参加リサイタル等ではそれが取り入れられるようになりましたが
一般的とまではいきませんでした。
それを破って登場したのが、丸山明宏(現:美輪明宏)の「ヨイトマケの唄」であり、雪村いづみの「約束」でした。
両横綱が開拓をおこなったのち、昭和40年後半に差しかかり、さだまさしが登場します。

雪村がさだまさしの唄に惚れ込み、さだ作品を唄うアルバムを出し、コンサートを行ったのは必然の流れだったのでしょう。
さだも先輩である雪村に敬意を表し、「虹 ~I'm a Singer~」という曲を書き下ろし彼女に贈りました。
これも雪村のコンサートでは欠かせない1曲です。

「約束」には多くのエピソードがあるのですが、長くなるのでここでは触れずにおきます。
歌唱力だけではなく、女優としての演技性も求められる大変難しい歌で、名曲として知れ渡っていてもカバーする人が殆どないのは、それを物語っているのではないでしょうか。
舞台で創唱した淀かほる(雪村盤が話題になった後、コロムビアからシングル盤が発売されました)、歌を広めた雪村いづみ、この両者のほかにはアルバムに岸洋子が吹きこんでいる以外に私は知りません。

今ふたたび脚光を浴びて欲しい1曲です。

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雪村いづみの歌い手としての顔はいくつもあります。
ただ、近年では三人娘のふたりの歌を歌い継ぐ面ばかりが強調されがちです。
そんな現状のなかで見たこの番組の充実ぶりは、ただただ、有難く溜飲が下がった想いに駆られました。
雪村いづみの顔でも、特に魅力的な面をクローズアップし、30分弱の時間を濃密し仕立て上げれていました。視聴していて、時代を超越した素晴らしいひとときを過ごすことが出来ました。

番組中で、黛は「彼女の歌には人生がある、豊かな人生経験がエディット・ピアフのように心の歌を歌わせた」と評し、「これから60歳になっても70歳になっても歌い続けて下さい」とエールを送りましたが、今年2013年雪村いづみは喜寿(数え年)を迎えますが、まだ唄っています。

昨2012年、雪村いづみは佐野元春プロデュースによる「トーキョー・シック」という新曲を発表し、現役ぶりを知らしめました。未発表の新曲もあるという話も聞いています。
不死鳥という名がふさわしいのは、本当には彼女なのかもしれません。

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「題名のない音楽会 雪村いづみ わが心の歌」(1987年6月21日放送)
出演:雪村いづみ
司会:黛敏郎

演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
指揮:福村芳一

企画:黛敏郎
構成:藤田敏雄
編曲:宮川泰、鈴木行一、前田憲男
美術:板垣昭次
舞台:監督平井智喜
照明:鈴木秀
音声:中島健次
技術:江原淳一
カメラ:辻井明
調整:大塚隆広
プロデューサー:中島睦夫
ディレクター:安藤仁

曲目
01:「テネシーワルツ Tennessee Waltz」
02:「リンゴ追分」
03:「想い出のワルツ Till I Waltz Again With You」
04:「スウィーテスト・サウンズ The Sweetest Sounds」
05:「メイム Mame」
06:「トゥナイト Tonight」
07:「一晩中踊り明かそう I Could Have Danced All Night」
08:「約束」

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by hakodate-no-sito | 2013-02-13 16:36 | テレビ | Comments(0)

高英男 VTRライブのおしらせ

こちらも清水康子さまからお知らせ頂きました。


【京都『巴里野郎』 30周年&閉店 特別企画】
さよならライヴ & 高英男さん映像メモワール

2013年4月20日(土)
開場 12:45
開演 13:00 高英男さんDVD上映~13:50
14:00 ライヴ Part 1    ~14:45 
15:00 ライヴ Part 2    ~15:45

【会場】巴里野郎 ☎075-361-3535(予約)
【Mチャージ】3500円
京都市下京区河原町四条下ル三筋目(信号1つ目)東入ル柳川ビル2F
【交通アクセス】阪急電車 …京都線「河原町駅」2番出口から徒歩3分
◆京阪電車「四条駅」3番出口から徒歩5分
【後援】日本ンシャンソン協会
【協賛】ロックハート城(群馬県)関越・沼田IC車で20分

出演:高 英男(VTR) ※協力:佐々木 孝子
清水 康子、椿井 亘(旧芸名:津波井 亘) 、玉田 さかえ、稲土 寿美、小室 弥須彦(ピアノ)



京都の老舗シャンソニエ・巴里野郎の30周年&閉店特別企画の「さよならライヴ」の企画で、高英男さんの往年のステージの秘蔵映像を上映するということです。

高さんも以前「巴里野郎」でライブを行った縁に、清水さまのご尽力、そして高英男さんのマネージャー・佐々木孝子さんのご協力で実現となりましたVTRライブ。老舗シャンソニエで、高さんの歌声・・・京都近郊の方はぜひ足をお運び頂ければ幸いです。

この「さよならライヴ」へは、情報提供いただきました清水さまも出演されるそうです。
こちらも併せて、ご覧くださいませ。

詳しい内容は、清水さまのサイトのページを。
http://yasuco.main.jp/20130104kiyoto-1.html
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by hakodate-no-sito | 2013-02-12 17:51 | つぶやき | Comments(2)

北海道新聞に、高英男「雪の降る街を」

シャンソン歌手で、現在高英男関連のメディア窓口のひとりとなっておられます、清水康子様よりご連絡頂きました。


2月17日(日)北海道新聞をご覧ください。
下記 記事掲載に協力させていただきました。
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日曜版「ほっかいどう 歌の風景」に、
旭川市紹介予定に、高英男さんの歌、
「雪の降る街を」を 取り上げていただきました。
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上記に関しまして
ご協力をさせていただきましたので、新聞をご覧ください・・


清水様、ありがとうございます。
北海道新聞は取っていないので、この日はコンビニへ買いに参りたいと思います。
忘れないようにしなければ・・・。

北海道以外だと、ちょっと読むのは難しいのかもしれませんが、道内の方はご覧頂ければと思います。
(後日当ブログでも内容紹介はさせて頂く予定です)


追記)
新聞記事を読みました。
高さんは「雪の降る街を」を唄い広めた歌手として紹介。
"清水康子さん提供"とクレジットされた、自宅で横になってくつろぐアングルの写真つきのプロフィール欄も。
マネージャーの佐々木孝子さんが
「高は小学校途中まで樺太で育ちましたので、子供のころ雪の中を長靴でポコポコ穴をあけながら歩いたのを思い出して歌ったそうです」
と、レコード吹き込み時のエピソードを話しておられました。

くつろぐ様子の写真なのに、目張りバッチリなところを見ますと、雑誌か何かの取材での1枚なのでしょうね。
佐々木さんがご存知な高英男エピソード、もっと知りたいです。
聞き書きでまとめて下さる人がいないものでしょうか。
佐々木さんの記憶は、日本のポピュラー音楽史・シャンソン史の大図書館です。
近くにいた人だからこそ、わかっておられることも一杯あると思います。
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by hakodate-no-sito | 2013-02-12 17:35 | 歌・唄・うた | Comments(2)

題名のない音楽会 高英男わが青春の歌

思いがけず、貴重映像を観る機会に恵まれて、未だ興奮冷めやらぬ状態にある。

私が、好きで好きで仕方ない歌い手・高英男の映像だ。
観たくて、聴きたくて、数年来の渇望していた歌を披露する高さんがそこにいた。
円熟時代の歌声と、私が実際に知っている晩年の歌声、様々なことが脳裏に浮かぶ。
あのときは見えなかったことが。今わかることが見えて来る。

以前、1995年に高英男が出演した回の「題名のない音楽会」についてブログ記事にしている。
今回、1982年放送の回を視聴する機会に恵まれたので、備忘録代わりにここに記しておきたい。

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「題名のない音楽会 高英男わが青春の歌」(1982年1月17日放送)
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司会の黛敏郎によるピアノ伴奏で、高英男が唄う「蘇州夜曲」から番組は始まる。
黛は、若かりし頃、名門ビッグバンド・ブルーコーツのピアニストでもあった。
1コーラス目は日本語(オリジナル通り、「鳥の唄」の歌詞で歌唱)、2コーラス目はフランス語で披露。

右手にマイク、左手に扇子。
紫の着物、ラメがちりばめられ、背には三日月。
西洋人が印象する日本人のイメージを体現したような姿の高英男である。

「マツケンサンバII」を唄う松平健じゃないか、とお思いの方がおいでだろう。
言うまでもなく、高が先である。それも数十年も前にやってのけている。

「暴れん坊将軍」以前、松平健はレビューの殿堂・日本劇場と縁がある。
松平の歌のステージの振付師の真島茂樹は、日劇ダンシングチームでトップダンサー。
高英男は、日劇の歴史に欠くことの出来ない大スター。

松平の扮装ひいてはステージは、高英男ら日本の華やかなレビューを作り上げた先人たちへのオマージュでもあるのだ。

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黛)
高英男さんの唄う「蘇州夜曲」でした。この曲には私、個人的な思い出があるんです。
今からちょうどもう30年前になりますが、昭和26年、パリで留学しておりました私のところに、同じパリに住んでいりました高英男さんから、ある日電話がありました。
実は、そのモンマルトルのクラブだったか劇場だったかで、そのオーディションを受けなくちゃならないんで、ピアノの伴奏をしろというわけです。
で、私は仕方なしに出掛けていきましたところ、何と唄う曲が「蘇州夜曲」なんだそうです。
で、ただいまのような次第で伴奏をさせられました。
そのときもね、高さんは、まあ、今ご覧になるようなキンキラキンの着物を着られて。

高)
これはね、おふくろがね・・・。
もうね、終戦間もないでしょう、まだ、あの当時。
無い一張羅のね、羽二重でもって作って、至急送って来て・・・縫ってくれたんですよね。

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今回、黛の要望でこの衣装を着てきた高。
あの頃はほっそりしていていたが、熟年の今は太って、着るのに大変だったという。
黛も絶賛していたが、30年前の衣装をきちんと残していることにも驚く。

衣装のキラキラとした部分は、一緒にパリ留学していた中原淳一のアイデアで、チョコレートや何かの銀紙を張ったものだという。

衣装替えの後に歌ったのは「巴里の屋根の下」「詩人の魂」。

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黛)
もともと高さんという人は武蔵野音楽学校を出られて、クラシックの声楽の素養をつけられたバリトン歌手でありました。
ところが30年ほど前、私と同じ頃にパリへ行かれて、そこでフランスの空気に触れてから、主としてシャンソンを唄われるポピュラー歌手に転向されることになったわけなんですが、御本人に直接伺ったところによりますと、なぜそんな転向が起こったか、やはりパリへ行ったということがひとつの大きな転回点になっているのだそうで。

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黛の話によると、高がパリになぜ行きたくなったかという、若かりし頃に見たルネ・クレールの名画の数々が胸に深く残っていて、それがパリ留学という選択に繋がったなのだそうだ。

「巴里の屋根の下」はそんな青春時代の思い出の1曲。
西條八十の詩もお気に入りで、ステージでも良く歌っており、レコード吹き込みも行っている。
(中原淳一の詩によるレコードも存在し、こちらは昨年発売されたCD「Romance」に収録されている)


クラシックからの転向は、戦後中原淳一のプロデュースによるリサイタルを行い、NHKなどにも出演するなどしているうちに「クラシックよりライト・ミュージックの方が良いな」と思うようになっていったのだという。

黛の紹介によると、高英男は「詩人の魂」という歌は、レコードではなく、街中のアコーディオン弾きの歌声で初めて耳にしたのだという。

別のインタビューによると、「枯葉」は、借りていた部屋に居る時、外から歌声が聞こえて来て、窓を開けてみてみると、物乞いの老婆が歌っていたのだという。
古い街並みのなかに響くしわがれた歌声が、実に良くあっていて、まさにルネクレールの映画そのもののような情景で、忘れ難い思い出になっているという話を披露している。

それらの経験から、街の歌であるシャンソンを歌いたいと思うようになり、また留学先のソルボンヌ大学で習うことは、既に武蔵野音楽学校や日本大学で習っていたことと変わらなかったこと、日本から「今、日本ではジャズブームが起きている。次は欧州の音楽が流行になるなどから、3年間の留学期間を繰り上げて帰国することにしたのだそうだ。

「徹子の部屋」への出演時、「街の歌は習うものではありません」と語った高。
50年代の巴里でたまたま遭遇した光景が、シャンソン歌手、歌い手という生業の芸人・高英男を誕生させるきっかけのひとつになっているのは間違いない。

文化とは何か、街の色とは何か、感性とは何か。
この話には、様々なものが詰まっているように思う。

ここで着用している茶のジャケットは、「ビッグショー」(NHK)でも着用しており、NHKで高が取り上げられる際には、この衣装で「雪の降る街を」を歌う映像が流れることが多い。

私も一度、この衣装を着た高を三越劇場で見たことがあり、楽屋で至近距離で目に入ったときには「この衣装は」と興奮したことを思い出す。

現在、これらの舞台衣装や資料等はシャンソン歌手の清水康子女史が保管しておられるという。
散逸の可能性を間逃れることが出来たのは本当に有難い。

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(黛)
先程もちょっと触れましたけれども、高さんにとって事実上の青春のはじまりはクラシック歌手への想いであったわけですし、夢はオペレッタに出演することであったといいます。

昭和25年といいますと、高さんが最初にフランスへ出掛ける1年前の年ですけれども、東京で上演された和製オペレッタに「ファニー」というものがありました。
このなかでの男性の主役を演じたのが、ほかならぬ高英男さんであったわけです。
で、巴里へ行きましてからも、シャンソンをいろいろ唄うようになっても、やはりオペレッタへの夢というものを高さんは捨てたわけではなくて、8年間の長いパリ滞在の間に、何回もオペレッタに、向こうで出演された経験も持っています。
そういう高さんが一番好きなオペレッタは何かという問いに答えて、それはほほ笑みの国だということでありました。

フランツ・レハール、あのメリーウィドウを作りました、有名なウィーンのオペラ作家の、もうひとつの傑作である「ほほ笑みの国」というのは、ウィーンと北京を舞台にした甘美な恋物語でありますが、この中から高さんがもっとも好きだと言われる「君こそ我が心のすべて Dein ist mein ganzes Herz」、これを歌って頂くことにします。

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1960年代、高はパリに居を構え、フランスを中心にヨーロッパで歌手活動を行っている。
日本へも年に数ヶ月間滞在し、その間に日本劇場などへの出演を行っている。
国際派としての顔が完全に確立された時期になる。

黛の指摘した、高のオペレッタ出演とは、いつ・どのようなものであったか、現段階では私にはわからない。
高英男を知る、研究していくには、このフランス滞在時代のことは欠くことが出来ないように思う。
また、歌い手としては絶頂期ではなかったか。

イギリスのBBCへ出演したという話もある。毎回歌を披露する短時間のラジオ番組を担当していたという。この時代の高の映像は日本ではいくつかの(劇場・テレビ)映画や不鮮明なキネコ映像でしか残されていないが、海外にはもしかしたら素晴らしい高の名ステージの映像や歌声が人知れず、ひっそりと眠っているのかもしれない。

それにしても、このオペレッタを歌う高英男の魅力的なこと。
私はクラシックにまったく門外漢だが、こんな歌い手を知ったらクラシックファンになってしまうかもしれない。高英男のまた違った面を見ることが出来て、本当に有難いし、嬉しい。

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「君こそ我が心のすべて Dein ist mein ganzes Herz」を
フォーマルなタキシード姿で歌いきる。乱れ髪が艶っぽい。
タイミングを見計らって、黛が舞台中央に現れる。

「オペレッタはオペレッタの雰囲気を持つ人が演らないとオペレッタにならない」
「そういった意味で、オペレッタ的雰囲気を持つ数少ない歌い手」
と讃える黛。
はにかんだ表情で高「そうですか、まだ演れますか」
黛「勿論」。会場拍手。

続いては「雪の降る街を」。
日本帰国後の活動の大きな記念碑的なもの、と紹介する黛敏郎。
中田喜直とのつながりについて訊く。

高)
「あれはちょうど帰りましたときに『詩人の魂』とか『枯葉』とか『ロマンス』をね、しょっちゅう歌っておりましてね。
そのときに放送で、中田喜直先生が聴いていて、『この歌はあいつに歌わせて下さい』というお名指しで、歌わせて頂きました」
「楽譜見ましたら、あまりにも見事な綺麗なメロディなんで。歌い手の隙間が無いんですね、要するに。
『うわー、難しくて困ったなあ』と思いまして。…もうあれも30年、この方、歌っております。」

黛)
「確かあれはNHKのラジオの『えり子とともに』ですか。内村直也さんの連続劇の…」
高)
「そうです、詩が内村直也さんのあれです」
「10回レコード吹き込みいたしました。いつも印税がわずかながら、今でも入ってまいります」
黛)
「いやいや、わずかどころか、莫大なものでしょう」
高)
「いやいや、もう…(とテレ笑い)」

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「雪の降る街を」は、高英男とは切っても切れない作品。
訃報の見出しも、『"雪の降る街を"高英男さん死去』というものがあったぐらい。

ただ、中田喜直本人は高の歌唱よりも男声合唱のダークダックスやボニージャックスが
歌うそれの方がお気に入りであったという噂もある。
中田の志向を考えると、それはデマとは思えない。

確かにあのメロディの魅力を十二分に引き立たせるのは、譜面どおりきっちり歌う合唱団の方が良いだろう。
しかし、あの完璧な譜面からは見出せない情感を引き出している高英男の力量は素晴らしいものだと思う。
歌の妙味を教えてくれるのが高英男の歌唱だ。

「雪の降る街を」と、"高英男の「雪の降る街を」"は、=(イコール)にあらず。
それは作曲家である中田にとっては、快いものではなかったとしても不思議ではない。

「雪の降る街を」のレコーディング回数は、ここでは10回と語っているが後に11回と称している。
私が確認した限りでは
・ラジオ放送盤
・初吹き込みSP盤
・ダークダックスとの共唱版
・中田喜直のピアノ伴奏版
・フランス語歌唱版
・鹿児島清志編曲版
・ライブ版
以上の7テイク。
以前、長年高英男のマネージャーを務められ最期まで看られた佐々木孝子女史に伺ったところ、
「レコーディングではなく、舞台用の譜面も含めての数ではないのか」という説を頂戴した。

果たして、真相はどこにあるのか。
キングレコードには、人知れず秘蔵された高の「雪の降る街を」がまだ眠っているのか。
それとも、海外でレコード吹き込みを行って、そのなかに「雪の降る街を」が含まれているのか。

ぜひとも知りたい。

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(黛)
高英男という人にとって青春とは、それは過ぎ去ってしまった回想の中にあるのではなくて、現在も生々しく息づいているに違いないという気が私にはします。
年齢のことは言いたくありませんけれども、高さんという方は田中角栄さんと同じ歳です。
ということは、60をもういくつか越えているということになりますが、それであの若々しさを失わないでいるということ、これは私、素晴らしいことだと思う。

それから、また、芸人魂といいますか、30年前に、あの紫色のキンキラキンの着物を着て、「蘇州夜曲」をうたった、その見上げた芸人魂というものをいつまでも失わないでいる。

私はこれもまた、皮肉でなしに素晴らしいことだと思うのです。
かつてミスタンゲットとかモーリス・シュバリエとかジョセフィン・ベーカーとかいう歌い手たちがいました。この人たちは皆ファンテジストと呼ばれて、ただ歌をうたうだけではなくて、ステージの上で歌を生きていると、歌を魅せた、歌を演じることのできる人たちでした。
そういう歌手たちが、いま日本にどれだけいるか。歌のうまいへたということは別として、そうした雰囲気を身につけている人ということで、私はやはり高英男という人の存在を無視するわけにはいかないと思うのです。

そして、先程も申し上げましたけれども、日本における、本当に不遇なオペレッタ的な雰囲気を身につけている、ま、稀有のひとりとして、高さんの存在はやはり貴重であると言わなくてはならない。

しかし、残念なことに日本ではオペレッタは今や死に絶えようとしています。レビューも駄目になりそうになりました。現に日劇は既に取り壊されてしまいました。

そういう逆境のなかにあって、やはり高さんは自分の音楽を本当にたくましく怖めず臆せず唄っておられる。これを私どもは声援したい気持ちでいっぱいになります。

最後は、そうした"青年・高英男"を満喫する演目をもって閉じたいと思いますし、それは日本から消え去ろうとしているオペレッタ、レビュー的雰囲気への挽歌となるかもしれないけれども、不死鳥のように羽ばたこうという祈りも含めてみたい気持ちが、そのなかにはあります。

日劇ダンシングチームの参加を得まして、高さんが最後に唄い演じて下さるのは、「サ・セ・パリ」です。

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両袖から日劇ダンシングチームが3名づつ、計6名が登場。
そして、舞台中央階段から、オーストリッチの羽を付けた銀色のジャケットに純白のカンカン帽、スラックス、厚底のブーツという、サヨナラ日劇のステージと同じ姿の高が颯爽と降りて来る。
ダンサーたちとともに、舞台狭しとばかりに唄い踊り、華やかなフィナーレ。

かつて、スランプに陥った高が相談した古川ロッパが「高君ね、そんな羽つけて、歌い踊って、大劇場満員に出来るパーソナリティなんて、他の人にはないんだから。僕なら一生それでやるよ」と
言ったそうだが、まったくその通り。

日本で、こんな個性を持ち得たのは高英男だけだろう。

フランスでも「コウは、ジャポンに帰ったらタカラヅカに出るのか、カブキに出るのか」と大真面目に歌手仲間から訊かれたという話もある。
フランスでも東洋の異色歌手として、独自のパーソナリティをしっかり発揮していたことが伺える。

高英男、ここにあり。
この番組での30分は、短時間であることを逆手に取り、濃密に、そして確実に高英男という歌い手を捉えて、紹介することに成功していたように感じた。

黛敏郎という、高のよき友人・理解者に、30年のときを越えて、深く感謝したい。

(そして、拝見する機会を与えて下さった方にも!)

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「題名のない音楽会 高英男わが青春の歌」(1982年1月17日放送)

曲目)
01:「蘇州夜曲」
02:「巴里の屋根の下 Sous les toits de Paris」
03:「詩人の魂 L'âme des poètes」
04:「君こそ我が心のすべて Dein ist mein ganzes Herz」(オペレッタ「微笑みの国」より)
05:「雪の降る街を」
06:「サ・セ・パリ Ça, c'est Paris」

指揮)
手塚幸紀
演奏)
黛敏郎、東京交響楽団

企画)
黛敏郎

構成)
藤田敏雄

編曲)
伊部晴美
福田一雄

美術)
板垣昭次

舞台監督)
倉田昭生
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by hakodate-no-sito | 2013-02-08 15:07 | テレビ | Comments(1)