年齢不詳な若人が唄の話を中心にアレコレと・・・


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徹子の部屋 京塚昌子さんをしのんで(1994年放送) 後編

------------------------------------
(1984年10月1日放送「徹子の部屋」から)

徹子:でも・・・そして、カムバックしてらしたときにね、「京塚さん、お痩せになったんじゃないかしら」ってちょっと皆思ったんだけど、既に、お倒れになるまえに、もう15キロぐらい痩せてらしたんですって。

京塚:そうですね・・・あの、15キロって・・・うーん、まぁ、もうそれだけ減ってたのね。だから、わりかた、細身・・・細身じゃないけど(笑)、それでも、まだ、もう5キロは減らさなきゃいけません。

徹子:一番お太りになってらしたときは一体何キロくらい・・・こんな失礼なこと伺って悪いけど(笑)

京塚:悪いです、フフ(笑)

徹子:ヒヒヒ、悪いかしら(笑)

京塚:だって(笑)
・・・だって大きな声じゃ言えないですけど、大きな声で言っちゃうわね(笑)
だって、一番太ってたのは「肝っ玉かあさん」の頃。一番太ってたときはね・・・(小声で)96キロよ。

徹子:96キロ!

京塚:声が大きい(笑)

徹子:お相撲、お相撲・・・

京塚:声が大きいじゃないの(笑)

徹子:96キロ(笑)

声が大きくちゃ聞けないって(笑)

徹子:そんなに大きかったの!

京塚:そんなに大きかったの。

徹子:じゃあ、やっぱり良くなかったでしょう。

京塚:そうですね。でも・・・

徹子:でもお倒れになる頃には何キロだったんですか。

京塚:その頃はちょうど70キロぐらいですよ。

徹子:そうですか。で、それからさらに減量・・・

京塚:ええ、5キロって。

徹子:5キロって。今は、じゃあ、65(キロ)。

京塚:うん。

徹子:で、それから・・・

京塚:さらに5キロ減らさなきゃダメって。

徹子:あっ、そう。
でも逆に京塚さんが痩せちゃっちゃつまらない、って。つまんないってさ、他の人が勝手なことを・・・

京塚:そうなの、みんな売れない売れないって言うんですよ。いや、でも、そう。これ以上痩せちゃ売れないわよってさ。フッフッフ(笑)
もうね、そう言うんだけどね・・・まぁ、楽なんですね、身体が。

徹子:でも、それにしても、お倒れになったときにね、週刊誌や何かが、もうね・・・ちょっと復帰は無理みたいなこと(書いたり)なんかしちゃったじゃありませんか。何か・・・

京塚:でも、やっぱり皆さんそうお思いになったんじゃないかしら。
もう、本当にね、倒れたときはそう思いましたね。


---------------------


徹子:どうも、本当にね、京塚さん、ありがとうございました。
そしてね、本当に、お元気でね、お出になって頂けて。

山岡:ね~ぇ。

徹子:で、この後新派にお出になったのかな、(新橋)演舞場にお出になって。・・・まぁ、新派じゃないんだけど懐かしい演舞場にお出になって、それでもう一度お倒れになって、それから8年間の、闘病生活に入るってことになったわけなんだけど・・・

山岡:でもねぇ、お話はしっかりしてらっしゃいますよね。

徹子:でもねぇ、御自分ではね・・・

山岡:気に入らないって。

徹子:気に入らないって。呂律がしっかりしてないって。

山岡:うーん、うん・・・

徹子:で、どんな風に、あの京塚さんがね。前に・・・でも、まさか96キロもあると思ってなかって?

山岡:思わない。あたし、80・・・何キロかは越えたかなと思ってたけど。

徹子:ただ、秘密にしてらしたけど、あのときは本当に、本当のことを言っちゃおうとお思いになったんだろうけど。

山岡:ああ・・・。

徹子:で、全部で4回出て頂いたって、さっき申しましたけど、18年前に出て戴いたときの写真をちょっと懐かしいのでね、うん・・・。

山岡:ああ、そう。わぁ・・・。

徹子:そうなの、とっても可愛いわね・・・

山岡:これは「肝っ玉かあさん」ごろかしら。

徹子:そうですね、18年前ですから、そうかと思います。
それから、この時続けてね、出て頂いたんですけど、17年前。

山岡:ああ・・・。

徹子:それから16年前。この16年前っていうのがお正月でね。

山岡:ええ、御一緒したとき?

徹子:うん。池内さん御一緒したときで。
みんなで、ものすごーく・・・

山岡:ワイワイワイワイ言ってね。

徹子:一番右側に池内さんがいらっしゃるんだけど

山岡:うん。

徹子:あ、じゃない、違う。山岡さんがいらっしゃるんだけど。

山岡:あなた、あの時着物着てらしたのよ、確か。

徹子:そう、着物着てたのね。そうなの。

山岡:面白かったですね。

徹子:面白かったわね。

山岡:皆でいろんな話して。

徹子:そして着物着るって話してたら、京塚さん洋服着てね。みんなビックリしてね。

山岡:ねぇ、皆着物だと思ってたら。

徹子:そうなの。でも首飾りでね、素敵にして、あの・・・来て下さったの。
(京塚単独で写ってる写真を見ながら)そう、こんな感じだったのね。
そして、最後の・・・って、さっきのが最後になったんですけど。
でも・・・あの、お菓子を盗み食いするところの現場を。

山岡:ええ。稽古場でね。あの・・・長いテーブルで、みんな本読みするでしょ。そうすると、たいてい、まぁ、席なんて決まっちゃうんですよね。
そうすると、なるべく、ママ(京塚の愛称)が糖尿だから甘いもの持って来ないようにしてるんだけど、まぁ若い子なんか、新人なんか「どうぞ。お菓子です」なんて来るじゃない。すると、なるべくそっちいって、ママの方に持ってこないようにさせるんだけど、でもやっぱり「京塚さんからどうぞ」ってなるでしょう。・・・パッと取って、ここ(テーブルの下)に潜って、口に入れて、パッと上がって来るの。

徹子:机の下、入っちゃうの。

山岡:早いの。だからこっちが止める暇もなく、「ママ」って言ったときには(と口に頬張って横を向く京塚のジェスチャーをして)、一口に入れちゃって・。

徹子:アハハ・・・

山岡:「食べちゃダメでしょ」「大丈夫よぉ、ひとつぐらい」なんて言っちゃってね。

徹子:アハハ・・・

山岡:やっぱり、もう、病気が食べたくなるのね、甘いもんっていうのは・・・

徹子:本当にね・・・でも随分我慢はしてらっしゃいましたけどねぇ。

山岡:でも、お酒なんか呑むと、後で薬飲まなきゃ、なんてね、なんか。注射するほど酷くなかった糖尿病でしたけど、お薬は飲んでましたよ。

徹子:うーん・・・

山岡:糖尿のお薬を。

徹子:・・・でも淋しくなるわぁ・・・ねぇ。

山岡:本当ね。こういう方、もう絶対出ないからね。勿体無くてしようがないの。

徹子:そうねぇ・・・。それから普段の生活のなかでも、サービスの良い方で。

山岡:うん!

徹子:皆さんを盛りたてて楽しくするってことがね、本当にもう、お好きでしたね。

山岡:うん・・・。

徹子:・・・だから、こんな風に・・・

山岡:惜しいですよね。

徹子:本当にね。皆さん、待ってらっしゃる方沢山いらっしゃると思うし、本人が一番ね・・・。
こんなはずじゃなかったってきっと思ってらっしゃるでしょう。

山岡:私が築地に居ますからね、(京塚が)明石町にもとお住まいだったから、よく「どうしてます」って聞かれたんですよ。

徹子:そうですか・・・。
本当に御冥福をお祈りいたします。今までありがとうございました、楽しませて頂いて。


------------------------------------


※番組中、「肝っ玉かあさん」の頃云々というのは両名の記憶違いです。

それにしても、京塚昌子最大のタブーともいえる体重の話をしているのは凄い。「徹子の部屋」ならでは。
山岡久乃も黒柳徹子も、通り一辺倒ではなく、心底故人を惜しんでいるのが伝わってきます。
新派と新劇が同じくくりで、というと一瞬えっと思いますが、杉村春子が花柳章太郎を尊敬して強く影響を受けていましたし、新派の井上正夫が新劇系人脈と組んで第三の新派を模索し、戦時時の新劇人の身元引受に一役買っていたなど、結びつきはあるのです。
山岡、京塚に縁深い石井ふく子は、新派の伊志井寛の継子。石井ふく子が手掛けているホームドラマも、実は新派のジャンルの中に存在していたのです。石井ふく子ドラマは新派の系統といっても過言ではないのです。
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by hakodate-no-sito | 2015-05-04 00:34 | テレビ | Comments(0)

徹子の部屋 京塚昌子さんをしのんで(1994年放送) 前編

京塚昌子という女優に関心がある。
だいぶ前にブログで京塚昌子について書いたこともあった。
資料も少しづつ集まっているのだが、亡くなって20年以上経ち、表舞台から姿を消して30年。
なかなか思うように京塚昌子に触れることは難しい。
そんな中、有難いことに、京塚昌子の追悼番組を見る機会に恵まれた。「徹子の部屋」である。
「徹子の部屋」では、定期的に行われる追悼特集のほか、故人ゆかりのゲストを呼び過去のVTRを見ながら偲ぶ追悼回、過去のVTRのみで構成された追悼回が不定期に放送される。
京塚昌子の場合は、ゆかりのゲストを招く形式で放送されていた。そのゲストとは山岡久乃だった。
山岡久乃と京塚昌子、テレビドラマや舞台における石井ふく子作品に欠かせない女優である。
ふたりは「肝っ玉かあさん」「ちょっといい姉妹」などで競演している。
山岡久乃も、私にとって欠くことのできない、大好きな女優だ。もう有難く、嬉しく拝見した。
備忘録も兼ねて、番組の様子を紹介しておきたい。


------------------------------------


徹子:皆様、こんにちは。
本当に、大きな、大きな、庶民的なお母さんと言われてらっしゃった京塚昌子さんがお亡くなりになりました。本当に芝居が好きで、新派では名女優と言われた方でいらっしゃいました。それがテレビにいらしゃって、あの笑顔と、そして、あのふくよかな御身体で、どれだけの沢山の方を楽しませて下さったか、わからないと思います。8年間に及ぶ、本当に大変な闘病、リハビリ。それをやってらして、もう一度と、再起するというお気持ちでいらしたんですけども、本当に残念でございました。 私も何回か舞台など御一緒させて頂きましたけども、・・・もういろんな思い出がございます。
 今日は、もう本当に、50年ぐらいのお付き合いだと言ってらっしゃる山岡久乃さんにおいでいただきまして、この・・・あの「肝っ玉かあさん」、64歳で亡くなったけど、あの京塚さんの追悼にさせて頂きたいと思います。
 なお、京塚さんには4回出て頂いているんです。今日のお客様と一緒に、あと池内淳子さんとみんなでお正月にワーワーしたものとか、いろいろございましたけれども、今日は一番最後の、そしてこれが京塚さんの、本当にお美しい、最後の元気なテレビになっただろうと思う、一回お倒れになった後なんですけど、とてもお元気だったんです。その、あの・・・追悼を皆さんにご覧頂きながら、と思っておりますけれど、山岡久乃さんです。

山岡:(溜息をつきながら)ねぇ・・・

徹子:あの・・・。(気を取り直すように)随分お古いお付き合いなんですって。

山岡:ええ。あの、戦後ね、千田是也さんが主宰する舞台芸術アカデミー研究所っていうところが、スポンサーがヤイデンキの社長さんかだったの。その方が新派に御懇意の方だったと思うんですけど、あたしたちのね、その道場っていうか、ところにね、新派の女優さんたちが来てね。まだ京塚さん10代でしょうけどね、一緒にチータカチータカ、ダンスのレッスンしたんですよ。

徹子:あっ、そう・・・!

山岡:その頃京塚さん痩せてて、舞妓さんとか子役とか、細い細い女優さんでしたけどね。
ある日私にはね、「ある日突然、あの・・・何か私太ったの」なんておっしゃってらしたけれど(笑)

あの、手術した後にね、何か・・盲腸か、何かした後に飲まされた薬で、ホルモンが異常になってしまって太ったって言って、お医者さんのせいだって言ってましたよ。

徹子:そう。うん。「たった一本の何かでそうなっちゃったのよ」って言ってました。

山岡:そうなんですって。

徹子:「ただ。私も非常に非科学的な人間だったからいけないのよ」って言ってらしたけど。でもお元気でずっとやってらした・・・。

山岡:ねぇ。

徹子:それから、あの・・・方角に凝ってらして、山岡さん家(チ)の御墓は、あれなの・・・

山岡:そうなの。あのね、私はもう、うーん、とにかくその時すぐ片付け魔でしょ。だから気が付いたらすぐ何かやるって思ってたら、ちょうど番組一緒だったから(話したら)、お墓なんてものはそんな勝手に作ったりするもんじゃないって、誰も・・・私は、誰も亡くなってないから、今がいいと思ったんだけど、いけないって言ってね、自分がお坊さん呼んで来て下すって、それで、いつにしなさいとか全てして下さっすたのよ。
おかげさまで、私がお墓を立てて、戦争中バラバラになってた父や母とかね・・・あ、父や母とかじゃない。お祖母ちゃんとかをね、収めさせて頂いたんです。
 そいでね、京塚さんが明治座・・・今の明治座じゃない、前の明治座はね、ホラ戦災で亡くなった方がいっぱいいるので、オバケが出るとか出ないとかということがあって。私もあるとき、金縛りみたいによくなったの、よくなったの、楽屋でね。それでお塩撒いたり、お線香立てたりしたんですけどね。そのとき、京塚さんがね、あの・・・お塩撒いたりお線香立てたりしたら抹香臭くなるでしょう、楽屋が。だから、そこにお札貼るのも良くないからって、水晶の玉をね、代わりに置きなさいってね。それでね、あたいは身体が大きいから大きいの、あんたは小ちゃいから小ちゃいの。あの人が五万円でね、私が三万円でね、何か差がつけられた水晶の玉を買いなさいって言われて。未だに私、楽屋で、それをお座布団の上に置いて、お水あげてますけどね。

徹子:そうすると、もう金縛りは無かったですか。

山岡:そうですね。何か・・・気のせいかもしれませんけどね。

徹子:でも、そういうこと本当にこまめで。

山岡:そう。

徹子:嫌じゃないのね、そういうこと。

山岡:うん。

徹子:面白い方でしたよね、そういう点・・・。

山岡:ねぇ・・・。
それで、もう、自分が気に入らないと「やっちゃダメ」ってね、本気でね。で、自分は私たちが言うと「あたいはいいの」って。言う事きかないでしょ。

徹子:そうなの。それでね、森光子さんとか越路吹雪さんとかと御一緒の舞台でね、何だかもう・・・みんな色々ゴタゴタ嫌なことがあって、皆で「嫌ァねぇ」って、「どうして、こういう・・・」って、ある女優さんのことで、私なんかいじめられちゃった、皆庇ってくれてどうしたりしてたら。
「皆、女学生みたい。ダメですよ、そんなこと女優で言ってちゃ。もう、これから先どうするの」って、森光子さんや越路吹雪さんまで皆言われちゃって。

山岡:フフフ、アハハ。

徹子:で、結構、本当はお齢はお若かったんですよ。

山岡:そうですよ。

徹子:ええ。亡くなったとき64(歳)ですから、リハビリをお始めになったときからだって、まだ50ちょっとだったわけでしょう。

山岡:ええ、そうですよ。

徹子:だから、うんと若いのに、もう本当にね・・・。あの、申し訳ない。私、親子やったことあるのよ。
そして殆ど歳違わないのに。それでね、「お若くて結構ね」って(笑)
・・・私、何と言ったらいいかってね、思ったんですが(笑)

山岡:はい、うん・・・。

徹子:ただ、このリハビリやってらっしゃる間、会いに行ったりなさらなかったんですって。

山岡:うん。会いに行きたいと言うとね、泣くから・・・来ない下さいって言われて。お電話はしたことあるのよ。だけど、電話口で泣いちゃうの。

徹子:そうなのよねぇ・・・。

山岡:それはね、懐かしいので泣くのと、それから人が元気で働いてるのが悔しいんで泣くのと・・・。やっぱり女優さんって、いろいろあると思ってね。それでご遠慮して、で、ハガキをね、誰が読んでもいいようなハガキを何回か出したことはありますけどね。

徹子:でも、あれだけ活躍してらした方が、とにかく8年間・・・その前にもさらにあるんですけど、まぁ今度、最後は8年間、やるぞやるぞとおっしゃりながら結局出来なかった。その間、1回かな、ここのテレビ朝日の「こんにちは2時」で取材したときにね、「リハビリはやってるのよ、だけどちっとも良くならないの」って泣いてらっしゃるのを見たとき、たまらなかったものね。どうしてあげようもないって思ってね。
もう随分・・・あの、糖尿病とか、いろんなとこ悪くて、随分痩せさせていらっしゃったんだけれども・・・。
でも、本当に明るくて、あの方がいらっしゃると、本当にこうね。

山岡:そうなんですよね。で、あの方はね、いつも「アタシはそんな良い人じゃないのよ」

徹子:そうそう、いっつも。

山岡:「腹黒お昌よ」って、いっつも。

徹子:そうそう、腹黒お昌っていっつも言ってらしたわね。

山岡:そう、だから私ね、腹黒お昌の役、やらしてあげたかった。
たとえばね、春日局みたいなのがね。しっかりもので、御薬湯も飲まないで・・・ね、というのがさ、もしあの人がやって、その御薬湯が不味いから飲まなかったって人物像も、京塚さんなら成り立っちゃうような気がするの。ねぇ。

徹子:本当そうです。

山岡:あの不思議な愛嬌っていうのは、役者にとって欠くべからずものなんです。

徹子:そうですね。

山岡:あの愛嬌は、あの方が神様から戴いたものねぇ。

徹子:あれだけお太りになってらっしゃるのに、着物の着付けがお上手で。新派にもいらしたから・・・

山岡:それとね、柔らかいのよ、身体が。

徹子:そう・・・!

山岡:真っ向棒みたいにペタっと(地面に足が)着くの。

徹子:あら、そうなの・・・。

山岡:身軽なんですよ。

徹子:うーん、身軽だったのね。
とにかく、最初にお倒れになったのは今から11年前。そして、あのときは脳血栓だったんですが、それからリハビリなさって7か月で、ドラマにカムバックなさって。その後に私のところ(「徹子の部屋」)に来て下さったんです。そのとき、マネージャーの方がこう仰ったんです。
「ここんとこ、ちょっとまたテレビに出て泣いちゃうので。それは病気のせいで。もし、黒柳さん、泣くようなことがあってもそれは病気がさせているんで、本人が泣いてるんじゃないってフォローして下さい」って仰ったの。
そうしたら、この日は、笑っちゃう日で、楽しい日で。
もうずっとずっと笑ってらしたのね。

山岡:よかったねぇ。

徹子:うん。だから、これを皆さまにね、ぜひ見て頂きたいんですけど、これがおそらく最後の、京塚さんの、お美しい、お母さん役者じゃなくて、本当にね、女の人としてね、出て頂いて。

山岡:今も何か、いい男の何とか・・・。

徹子:そうなの。何かおかしいの。私に会うと、男の人の話ばっかりしてたから。その話してたんですけれども。これは84年10月1日、ちょうど10年前の京塚昌子さんです。
では、追悼でございますので、御一緒に・・・。

山岡:拝見します。
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by hakodate-no-sito | 2015-05-03 23:32 | テレビ | Comments(0)