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年齢不詳な若人が唄の話を中心にアレコレと・・・


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追悼・森繁久彌 俳優以外のお仕事

2009年11月10日、森繁久彌さんがお亡くなりになりました。96歳。
死因は老衰と、見事なまでの大往生ですが、やはり残念ですし、寂しさは隠し切れません。
芝居、歌、随筆、実業家...実にさまざまな顔をお持ちでどの分野でも実績を残されております。
ここでは芝居以外の面に触れてみたいと思います。

・歌
大正浪漫を感じさせる、情感溢れる歌唱は"森繁ぶし"と呼ばれ、そのレパートリーは明治・大正の流行歌を中心に数多くある。
客前で歌うきっかけは新宿ムーランルージュでの舞台「太陽を射る者」(1949年)。
以後ラジオ「日曜娯楽版」「愉快な仲間」などでその歌声は電波に乗り日本国中に知れ渡りました。
1950年、「愉快な仲間」製作メンバーとの酒席での一コマから番組競演者の藤山一郎とのデュエット「酔っぱらいの町」でレコードデビュー。後に「銀座の雀」としてリメイク。
1957年に主演映画『雨情』で歌った「船頭小唄」が大ヒット。歌謡界のリバイバル・懐メロブームのさきがけに。1971年には加藤登紀子の歌による「知床旅情」が大ヒット、本家の森繁盤もヒット。「知床~」原作である「オホーツクの舟唄」は倍賞千恵子などにより歌われており、隠れた人気作。ほかにも映画「喜劇とんかつ一代」の主題歌「とんかつの歌」や昭和38年紅白で披露されている「フラメンコかっぽれ」などは一部の層から熱い支持を受けている。

・随筆
1962年「森繁自伝」がベストセラー入りし、日本文藝家協会から誘われ入会。
新聞連載をまとめた「わたしの自由席」や「さすらいのうた~私の履歴書~」など、エスプリの効いたエッセイにも演技同様定評があり、80年代後半から90年代末までは、自身の芸談や交流のあった俳優・芸能関係者などの想い出を綴った著書を多く出し、貴重な芸能史資料となった。
2003年に森繁・談、久世光彦・文という形の連載「大遺言書」がスタート、最期の仕事となる予定が2006年に久世が急逝する形で終了した。

・実業家
実父・菅沼達吉からの血が成せる技か、早稲田人脈の血が成せる技か、著名人の威光か、多くのことを手掛けておりました。
芸能プロ:出海企画設立(1962年、後年離れる)、まあこれは芸能人ならば割合普通のことでしょうが、実業家としては佐島マリーナ建設が一番の業績ではないでしょうか。
北野中学在学以来、海に魅せられ、ヨットに船をこよなく愛した森繁さん。
1964年に、帆船「ふじやま丸」を作り、それを繋いでおくハーバーを、と神奈川県三浦半島佐島に自腹で佐島マリーナを建設。長男・泉を社長にすえた。
海好きはそれ以後も変わらずに、1991年には御年78歳で愛船・メイキッスIII号で日本一周を行っている。ただし、各方面から道楽が過ぎるという批判や維持費等金銭面での問題で両者共に手放した。
他にもゴルフ場「賀茂カントリークラブ」を広島へ設立。これも後年長男・泉が社長となり、亡くなるまで務めました。その縁があり「屋根の上のヴァイオリン弾き」での森繁の像が建っている。
# by hakodate-no-sito | 2009-11-24 00:00 | 古今俳優ばなし

由紀さおり40周年記念コンサート"いきる~今日から始まる夢~"

由紀さおり40周年記念コンサート\"いきる~今日から始まる夢~\"_e0134486_1428285.jpg


11月11日に国際フォーラムで開催された、由紀さおり40周年記念コンサート"いきる~今日から始まる夢~"へ行って来ました。

私、由紀さおり大好きでして…熱が入ったのは中学時代。
それまでも「お江戸でござる」での達者なコメディエンヌぶりや紅白歌合戦などの安田シスターズとしての姿は目にして認識していました。
嫌いじゃない分類には既に入っていたんです。

当時、スカパーで「ドリフ大爆笑」の再放送をしていて(注:今も再放送中)、ドリフ好きだった私、ウハウハ言いながらかじりついて見たら、由紀さんも出ていて(一時期はレギュラー状態でした、当然歴代最多ゲスト出演者)、これがもう素晴らしくイイ。

百戦錬磨のドリフメンバーと比べて全く引けを取らないおかしさ。
いかりや長介や志村けんとのからみは絶品。
どれだけ笑ったことか…。

「ドリフ大爆笑」は歌手・アイドル出演者のために歌のコーナーもありました。
ビデオ録画したものの鑑賞だったので、興味が無いと早送りしちゃうのですが、由紀さんは良い歌が多くて、これもまた病みつき状態で一時期のシングル曲は流れで脳裏に焼きつくことに。

あれから一体何年経ったのか…8年目ぐらい、と思ったんですが、9年だったかも... まあ約10年です。

という訳で由紀さおり好きになったのですが、函館にはコンサートのチャンスは無く、安田シスターズとしての活動には素晴らしいとは思えど今ひとつ興味を持てず、ソロコンサートの類は全く演っておらず…まあ、もっぱらネット界の恩人に指南して頂きながらEPやEMIから出ていたCDを買い、時が少し経ち、一時の熱も収まり、定期観察アンテナは一応張っていましたが、歌での活躍は、たまさかの歌番組ソロ出演で「夜明けのスキャット」「手紙」を歌うのを楽しみにするぐらいでした。
朝ドラ「ファイト」はどうも安田シスターズ的な活動の延長...に思えましたし。
(といいつつも歌のサントラは買っていたりする)

女優・タレントとしては、ボンカレーCMやら「時空警察」ナレーション…と面白いことをちょこちょこ行い、ヒットドラマにも顔を出していて、ニンマリすることが多いのですけどね。

それが、それが、この度約20年ぶりにソロコンサート!
夢にまで見た、ひとりでのステージ。
歌謡曲が聴ける、あの歌が聴ける。
これが行かずに居られるか。
あの頃の自分が知ったらどれだけ喜ぶだろうか…。
多くの想いが胸によぎりました。

金銭・日程・体調・・・どれも万全ではありません。
いろいろ調整しなければいけない、調整できるかも不透明。
そんな面倒なことはできればしたくない。

しかし「行かなきゃ後悔する」「若さでムリをしてみよう」
最後はある人の言葉がきっかけで、重い重い私の腰あ持ち上がり、東京へと誘うことに。

「ソロコンサート、客の入りは大丈夫だろうか?」
要らぬ世話ながら、道中そんなことを考えていました。
会場入りして、それは杞憂であることを確認しました。
安田シスターズのファン、由紀さおり40年来のファン・・・ビッシリ。
観客年代は団塊世代及びその上あたりの世代が中心。20代あたりもチラホラ。
普段であれば私は浮くのですが、そんなことは今回は無かったのです。
ただ・・・30~40代あたりの世代は少なかったような…歌い手としてよりテレビタレントしてのイメージがあるからか、この世代?

ロビーでは"お姉ちゃん"こと安田祥子(やすだ・さちこ)さんがにこやかに関係者と挨拶&談笑。
本当におおらかそうでで優しさに満ち溢れた美しい方に見えました。
テレビや雑誌などで見るよりもずっと素敵。
この、お姉ちゃんもソロだとまた独特の味わいがあってイイのです。
チャンスがあれば、この"お姉ちゃん"のソロも堪能してみたいと思いましたね。

会場に入ると何とも嬉しいサプライズ、何とテレビカメラが鎮座!
そう、NHK(BS-2)で収録し、後日テレビ放送されるというのです!!!
NHKも粋なことするじゃありませんか。
そう、こういうステージはより多くの人に見せるべきなのです。

さて、ステージ。
2部構成で間に15分ほど休憩(W.C.タイム)。
休憩時間込みで約2時間半の公演でした。
1部は寸劇調。
由紀さおりというよりも安田章子(本名)としての軌跡を、そしてコメディエンヌや女優という、由紀さおりの多角的一面を魅せるという意図があったように感じました。
今回、構成・台本・演出を担当した高泉淳子との芝居、これがまた魅せる、魅せる…アクトレスとしても非凡な才能を持つことを改めて再認識。魅せて、聴かせて、泣かせて、笑わせて…。
そしてその間に入る歌の素晴らしさ…。芝居と歌とが一体化したというのか…。
今まで見たことが無いぐらいに、実に練ったステージなのです。
OPからまず引き込まれます。
昭和44年当時へタイムスリップし、そして平成21年の今へ。
このOPこそ、このコンサートの姿勢なのです。

2部は、新たに歌へ新しい息吹を、ということでヒット曲をジャンジャン披露。こういうのを待っていたのです、私は!
ビッグヒットの他にも、代表曲といって差し支えない曲を集めたヒットメドレーで10曲連続歌うシーンがあり、その選曲1曲1曲に涙が出そうに…。
「雪のワルツ」というファンの心をくすぐる選曲もございました。

第2部でも高泉淳子が登場し、ジャズだったか1曲披露。
これが、実に面白い。女優の歌、という趣。
独特の味がありました、予算の都合が付いていたら、CD買っていたのですがね…。
収入が有り次第、探してみたいな…と。

この二人のトークで驚いたのが、由紀さおりもYoutubeを見ているという発言。いや、ブログもやっている方なので見ていても不思議では無いのですが、ええ…。
そこで発見したというアメリカのバンドPINK MARTINIが自分のシングルB面曲「タヤタン」をカバーして歌っている点に触れ、本家本元がそれを披露。

コンサートでは、最新アルバムからは半分ほどの曲を披露していたのですが、過去のヒットナンバーと並べても全く遜色が無いのです。
由紀さおりの楽曲のクオリティの高さは今に始まった訳ではなく、90年代の「お江戸でござる」オリジナルソングでも、意欲的な試みを行っていたり、途切れることなく続いています。
特に中村中によって書かれた「回転木馬」、これはスタンダード化して、もっとタンゴやシャンソンを歌う人にも歌っていって欲しい。
そう思わせる1曲。

由紀さんがステージ中、何度か涙ぐんでいたようなシーンがありました。
それが本当に感極まったためか、あくまでステージにおける演出の一環か、歌の工夫のひとつか・・・それもこれもひっくるめてSHOWの構成を担っていたのです。
どう解釈してもいい。ああ、こういうのを大人のステージというのでしょうか。

これからは姉妹での活動は続けつつも、ソロの歌の活動をもっと増やしていきたいと語っていた由紀さん。ぜひ、そうして頂きたいです。
過去のヒットナンバーをただノスタルジーで聴かせる歌い手ではないし、昨日・今日・明日、すべてを魅せて聴かせることが出来る類稀な歌手が由紀さおりなのですから。

そして、そこに女優として、コメディエンヌとして、司会者として、タレントして、さらに円熟味を増した大人の女としての魅力がある。
由紀さおりという人は、まだまだ語られていい、評価されてしかるべきなのです。まだまだ何でもやれる人なのです。

好きな歌い手がみんな故人/活動停止/引退...という率が半端じゃなく多い私。ややもすれば、過去ばかりに目が行き、今を見ることを怠り、無視すらしたくなることがあるのですが、今回気付かされました。
「そうだ、由紀さんがいるじゃないか」と。



由紀さん、来年1月~3月にかけて四国各地コンサートを行うそうです。
四国在住の皆様は、ぜひ足を運ばれることをオススメ致します。
また、この東京公演がテレビ放送の暁には、視聴をオススメ致します。
上質のエンターテインメントを堪能出来るチャンスです。
# by hakodate-no-sito | 2009-11-15 14:29 | 歌・唄・うた

高英男さん、新アルバム発売

2009年11月6日にキングレコードより「決定版・高英男全曲集2010」(KICX-3767 税込3000円)なるCDアルバムが発売されます。

高英男さん、新アルバム発売_e0134486_21371265.jpg

※これは93年発売の全曲集の画像です、お間違えの無いように。

キングでは毎年1度、演歌・歌謡曲系統の歌手のベストアルバムを出すのが恒例。
高さんの場合、ジャンルがシャンソンだからなのでしょうか、3~4年おきの発売。
CD時代になってから今まで、93年、99年、03年、07年と4回(4枚)発売されています。
93年/99年のアルバムと03年/07年のアルバムはそれぞれ同一内容。

さて、今回はと申しますと03年/07年のそれにボーナストラックという内容。
選曲、記します。

1.雪の降る街を
(内村直也作詞/作曲:中田喜直・作曲/鹿児島清志・編曲)
2.セ・シ・ボン C'est si bon
(Homez・作詞/H. Betti/中原淳一・訳詞/岩崎宏康・編曲)
3.モンマルトルの丘 Complainte de la Butte
(Jean Renoir・作詩 /Georges Van Parys・作曲/中原淳一・訳詞/岩松正司・編曲 )
4.リラの花咲く頃 Quand Refleeuriront Les Lilas Blancs
(F.Potter・作詞/F.Doelle・作曲/ 中原淳一・訳詞/寺島尚彦・編曲)
5.パリの屋根の下 Sous les toits de Paris
(Rene Nazelles・作詞/R.Moretti・作曲/西条八十・訳詞/寺島尚彦・編曲)
6.詩人の魂 L'Ame des Poetes
(Charles Trenet・作詞・作曲/中原淳一・訳詞/寺島尚彦・編曲)
7.詩人が死んだ時 Quand il est mort le poete
(L.J.M.Amade・作詩 /g.Becaud・作曲/荒川基裕・訳詞/岩松正司・編曲 )
8.幸福を売る男 Le Marchand De Bonheur
(原詩:J.Broussolle・作詞/J.P.Calvet・作曲/戸田邦雄・訳詞/鹿児島清志・編曲)
9.ろくでなし Mauvais Garcon
(Salvatore Adamo・原詞・作曲/岩谷時子・訳詞/鹿児島清志・編曲)
10.オーシャンゼリゼ aux Camps-Elysees
(M.A.Deighan、M.Wilshaw・原詞・作曲/安井 かずみ・訳詞/鹿児島清志・編曲)
11.枯葉 Les Feuilles mortes
(Jacques Prevert・作詞/Joseph Kosma・作曲/訳詞:中原淳一/岩松正司・編曲)
12.パダム パダム Padam Padam
(HENRI CONTET・作詞 /Orbert Glanzber・作曲/:中原淳一・訳詞/岩崎宏康・編曲)
13.ラ・ボエーム La Boheme
(Charles Aznavour・作詞・作曲/高 英男・訳詞/岩松正司・編曲)
14.ロマンス Romance 
(H.Plante・作詞/Joseph Kosma・作曲/ 中原淳一・訳詞/寺島尚彦・編曲)
15..聞かせてよ愛の言葉を 
Parlez-moi d'Amour(J.Lenoir・作詞・作曲/中原淳一訳詞/鹿児島清志・編曲)
16.雪が降る Tombe la neige
(Salvatore Adamo・原詞・作曲/高 英男・訳詞/鹿児島清志・編曲)
17.ラ・メール La mer
(Charles Trenet・作詩 /A.Lasry,C.Trenet・作曲/中原淳一・訳詞)
18.ラ・ヴィ・アンローズ(バラ色の人生)
La Vie en Rose (Edith Piaf・作詞/P.Louiguy・作曲/中原淳一・訳詞/岩松正司・編曲)
19.夜会服と古手紙
(喜志邦三・作詞/石川皓也・作曲) ※昭和33年9月1日 ABCラジオ「ABCホームソング」放送

「夜会服と古手紙」はおそらく初復刻となる曲です。
ABCホームソング(またはクレハ・ホームソング)とは、戦後一世を風靡した「NHKラジオ歌謡」の民放版を、と呉羽紡績がスポンサーをつとめ、朝日放送(ABC)で昭和29年から49年(50年だったかも知れません)までの約20年間放送されたラジオ番組。番組オリジナルのホームソング…家族で口ずさめる健全な、文化的な歌、を作り、放送で流し続けました。

この番組から生まれた歌、思いついたものをちょっと挙げてみます。
・踊子(三浦洸一)
・ふるさとのはなしをしよう(北原謙二)
・川は流れる(仲宗根美樹)
・こいさんのラブコール(フランク永井)
・公園の手品師(フランク永井)

…などがあります。

高さんは「雪の降る街を」をはじめ、NHKラジオ歌謡を多く歌い浸透させた実績がある方。
(サトウハチローの傑作「ああプランタン無理もない」の創唱も高英男さんと女性歌手(名前不明))
そういうこともあって、お声がかかって、ホームソングも歌われたのでしょう。

レコード化されなかったのは、当時高さんの担当ディレクターであった牧野剛さん(高さんの死から3約ヵ月後の2009年8月6日没)が「あなたはシャンソンで売り出したんですから」と、(言い方が適切ではないですが)歌謡曲の吹き込みに消極的であくまでシャンソン歌手第1号高英男の看板を大事にしていたことも一因ではないかと思われます。

また、昭和33年当時高さんは過密スケジュールに加えて、フランス行きを控えていた。
ゆえに放送用の1回こっきりの仕事、と割り切っていたのかもしれません。

それにしても本放送以来それっきり、になっていた歌が半世紀の時を越えて今ふたたび蘇る…嬉しいことです。私にとって見れば新曲が聴けるようなものですから。

高さんがこのことを知ったら、何と仰るんでしょうか。
「いや~こんな拙い歌は出したくないなァ」
「よく声が出ている、この声は今は出せない」
「自信に満ちた声、意欲に燃えていたころの歌」

…残念ながら、もう本人に聴く事は叶いません。
お亡くなりになったから、この歌が復刻…になったのかもしれません。

唯一無二の大歌手、大芸人・高英男。
ゴケミドロや中原淳一を介護した話も、勿論高さんの一面です。
ですが、そればかり…では片手落ちにもほどがあります。
高英男ファンとしてはひよっ子の私ですが、少しでも高さんの素晴らしさ、遺した実績を紹介していければ…そう思っています。

ぜひとも、この「決定版・高英男全曲集2010」、ご興味ございましたら御購入下さい。
近所のレンタルショップでレンタルリクエストを出して、取り寄せて貰う。
図書館にリクエスト要望出して、ライブラリー入りして貰う。
手はございます、ぜひともひとつよろしくお願い致します。

付記)
収録曲の録音年代、推測してみました。御参考までに。
1,9,10,15,16
:1976年「歌手生活35周年記念アルバム・歌のアラカルト」より
2~6,12,14
:1965年「高英男シャンソンアルバム」より
7,13
:1967年(66年?)「高英男 巴里を歌う」より
8,17,18
:1960年(61,62年?)「高英男シャンソンアルバム・夜のシャンソン」より

※こっそりひとこと
高さんは1972年に狭心症で倒れてから歌のイメージが少し変わられ、搾り出すような絶唱が多くなります。アクが強くなったといいましょうか…勿論円熟味を増し、歌の深さ、声の強弱・ファルセット…自由自在なのですが、病前・病後では受ける印象が違うように思います。どちらも素晴らしい、結構なものですが、出来ればそのあたりも考慮してアルバム製作に当たってほしいのです。
# by hakodate-no-sito | 2009-11-04 21:33 | 歌・唄・うた

菊池章子のはなし(その13)

テイチク上層部の考えをよそに「岸壁の母」は大ヒット。
当時歌謡界はふるさと歌謡全盛。
さらに歌い手の新旧交代がハッキリしだし、戦前・戦中派の歌い手によるヒットは殆ど無くなっていたのですが、そんな中で昭和14年デビューの戦中派の章子は存在感を見事に示したのです。
そして、テイチクレコードにとっても久々のヒットとなりました。この歌に菅原都々子の「月がとっても青いから」のヒットで傾きかけていた会社は持ち直したのでした。

章子はこのレコード発売にあたって、この歌のモデルになった人に逢ってみたくなりました。早速会社の人間に頼み、モデルの端野いせへ一筆したためました。
「私、テイチクレコード専属の歌手、菊池章子と申します。実は先だって貴女様をモデルに致しました”岸壁の母”という歌を吹き込み致しまして、さる11月にレコード発売致しました。つきましてはぜひ御一聴願いたく、御宅までお持ちしたいのですが如何でしょうか」

追ってすぐにいせから手紙が来ました。達筆で丁寧な文章でした。
「お手紙拝読致しました。有難い御話ですが生憎私には貴重なレコードを頂戴しましてもそれをかける蓄音機がございません。ですので、シベリアから息子が戻って参りましたら、その時、息子に蓄音機を買ってもらい、一緒に聴かせて頂きます。それまではそちら様の方でレコードは預かって置いて頂けましたら幸いです」

章子はどうしてもいせに会いたくなりました。
「どうしても逢いたいの、逢って話がしてみたいのよ」
マネージャーに過密スケジュールを調整して貰い、いせにも承諾を得ました。
土産としてレコードと蓄音機を持ち、案内役と取材を兼ねて、当時よく出入りしていた報知新聞記者(のち音楽評論家)の八巻明彦と共に、当時住んでいた東京都大田区大森の端野いせ宅へ訪れました。
# by hakodate-no-sito | 2009-10-25 22:24 | 菊池章子

菊池章子のはなし(その12)

「岸壁の母」のレコーディングは難航しました。
章子は初見で譜面を見て、歌うのはお手の物。
そして章子の吹き込み持論は
「1時間以内で終らせる」(集中力の限界がそのぐらいの時間)
「唄に酔ったり必要以上に感情移入したりしない」(ひとりよがりの唄になりいい歌ではなくなる)
なのです。
ところが、この唄はそうはいきませんでした。
胸にこみ上げてくるものを抑えきれず、何度も涙、涙・・・でレコーディングを中断。
章子はおろか演奏者側までもらい泣きしてしまうという異例のレコーディングでした。
それでも何とか吹き込み終わったときには、普段の吹き込みの何倍もの時間が経過していたそうです。

発売は昭和29年11月。
当時は唄が出来次第、すぐ吹き込みで長くて2ヶ月でレコード発売だったのですが、この唄は吉田茂から鳩山一郎へ総理職が変わるなどし、戦後から脱却したというムードが漂う風潮に逆行するような唄だから、と販売部が最初難色を示すなど大幅に遅れ、この時期の発売になったのでした。
# by hakodate-no-sito | 2009-10-19 23:03 | 菊池章子