年齢不詳な若人が唄の話を中心にアレコレと・・・


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こころに歌を、シャンソンを

e0134486_20513220.jpg
「大好きな歌手・高英男さんの生誕百年を記念したイベントを、日本シャンソン館で催し、資料展示もします」と主催者のSさんから伺い、群馬県は渋川市へ行って参りました。

渋川市は日本列島のまん真ん中に在ることから、にほんのへそ、と言われる場所。江戸の昔は宿場町として栄えたそうです。

シャンソン歌手の芦野宏さんの奥様が渋川の旧家の一人娘(なので婿入りされています)という縁があり、この地に日本シャンソン館が出来たのだそう。

シャンソン関係では聖地といっても良い場所で、一度伺いたいと思いながら、なかなか果たせずにいたのですが、思いがけず機会が訪れました。

創設者・芦野宏さんの想いがたっぷりつまった日本シャンソン館。
もっと大きいハコモノ施設だと思っていたのですが、住宅地の中にある高級な邸宅という趣き。実際、あの周辺は羽鳥家(芦野さんの奥様の実家)の土地なのだそう。

大歌手の道楽のようで、さにあらず。
羽鳥家の身の丈に合わせ維持できるギリギリの線を狙いながら、細部に至るまでの一流のこだわり。品の良さ、趣味の良さを感じさせる、絶妙なバランス感覚。
憧れと親しみやすさを両立させているあたり、芦野宏らしさがにじみ出ているように思えました。

時期が合えば、四季折々の花がお見事なのだそうですが、足を運んだときは、盛りはちょっと過ぎていたのかもしれませんが、それでも庭のバラのアーチには見惚れました。
西洋風の庭園内に、おそらく羽鳥家伝来のものであろう、蔵や灯籠があるのですが、それがまたミスマッチの妙というのか、不思議に調和しているのです。良いものは国境を超えるのでしょうね。

カフェも、佇まいばかりではなく、食べ物も実に美味いものが出てきます。
適正な値段と、満足の行く食べ物、雰囲気の良さ。文句なしでした。あそこなら一日中居ても飽きません。

ミュージアムで常設展示されている衣装も、コラ・ヴォケール、イベット・ジロー等のあちらの歌手のものや、勿論芦野宏さん、高英男さん、深緑夏代さん、石井好子さん、岸洋子さん、淡谷のり子さん・・・今は亡きレジェンドたちのものが並んでいるのです。
日本のシャンソン歌手の草分けのひとり、菅美沙緒さんの衣装も。
シャンソンの訳詩でしか名前を知らないのですが、叶うならば歌声も聴いてものみたいです。衣装の佇まいに、タダモノではない何かを感じ取りました。
他にも、美川憲一さんや金子由香利さんの衣装もありました。あとは今は亡きシャンソニエ銀巴里やブンの看板もありました。

今回参加したイベントに関連して、特別展示されていたのが、高さんの衣装やコンサートのポスターにレコードジャケット等。博品館劇場や帝国劇場、ヤマハホールでの淡谷のり子とのジョイントコンサートのポスターには「行きたかった・・・」と思わず独り言。

今回特別展示されていた衣装は、私にとって、とりわけ思い入れの深いものでした。

12年前、「昭和歌謡大全集」(テレビ東京)という番組でVTR紹介された、浅草・国際劇場で舞台化粧も入念にラメ入りの着物姿で颯爽と現れ「雪の降る街を」を唄われる映像を見たときから、私の高英男ファン歴は始まりました。

そのときの衣装を、目の前で見ることができたのです。

晩年の中原淳一さんが作られた衣装。
街燈のアップリケ、チョコレート等の包装用の銀紙・金紙をラメ代わりにあしらった、斬新なデザインの着物。

高英男、中原淳一という、不世出の才人の煌めきが今、自分の目の前で感じられる・・・涙ぐみそうになるのを必死で抑えました。

さらには、高さんのマネージャーのSさんとも10年ぶりにお目にかかることができ、高さんの秘話を伺うことが出来ました。

イベントライブでは、高さんの幻と思っていたあの曲や、レコードで聞いたあの音源が、サプライズで流れ、興奮しきりでした。

死ぬまで私は高さんを好きで居続けるのだろうし、何らかのかたちで高さんのことを語り
継いでいくんだろう、と漠然と、でも確信的に、思えました。

イベントライブの会場。
日本シャンソン館の要といってもよいライブハウス、いやシャンソニエがまた素敵な雰囲気でした。

ここに高英男さんが出演されたときはどんなステージだったんだろう。
雪村いづみさんがここで歌ったらどれだけ映えるだろう。
芦野さん最後のステージはここだったんだよなぁ。
・・・あれやこれやと夢想していました。

そういえば、東京MXテレビで芦野さんが案内役で放送していた「シャンソンをあなたに」でしたか、そんな番組がかつてあって、その収録はここじゃなかったでしょうか。
あの番組、ちょうど上京したかしないか、だったか私が録画機を買う少し前あたりだったかに終わってしまった覚えがあります。おぼろな記憶なので間違っているかもしれませんが。

私が歌好きの道を踏み出したとき、石井好子さんも芦野宏さんも健在。メディアでよく拝見していました。

NHKホールでの「パリ祭」で、生のステージも拝見しています。
芦野さんのアルバム「私のピアノ」「コートダジュールからの風」は未だに聴きたくなるアルバムですし、自叙伝「幸福を売る男」はサイン入りで所有しております。
追悼盤となった東芝音源のアンソロジー「ラ・メール」には私の名前もクレジットの末端に加えて頂いた覚えがあります。

深緑夏代さんもそうですが、かつて私が見ていた時代に当たり前のように居た存在がどれだけ凄いひとたちだったか、年々染み入ります。

芦野さんが亡くなる10数年前から間質性肺炎との闘病を続けていたことを知ったときには驚きました。あの柔らかな歌声の影に・・・と。

石井さん、芦野さん、深緑さん、高さん・・・もう一度ステージを、と思うことは一度や二度ではないのですが・・・どなたも、もういないのですよね。
でも、シャンソン館を見て歩いて、芦野さんの息吹はここにある、と感じました。そして、そういう場がある倖せ。

会場にいらした羽鳥館長は、芦野さんの御次男。
「コメットさん」や昭和38年の紅白歌合戦の映像で見た60年代の芦野さんの面影を勝手に重ねてしまいました。
結果、話しかけてしまい、あれやこれやと語ってしまいました。

今回、ご厚意から芦野さんのお墓詣りもさせて頂きました。
思春期の多感な時代に楽しませて頂いたこと、遺された歌声で今も楽しませて頂いていること、墓前でお伝えしてきました。

本当に楽しい、嬉しいひとときをシャンソン館で過ごせました。旅先で御一緒した皆様には感謝しかありません。

機会があれば、また伺いたいです。
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by hakodate-no-sito | 2017-05-28 20:48 | 歌・唄・うた | Comments(0)

芦野宏と、石井好子と、永六輔と

久しぶりに石井好子に会えた。
たまたま読んだ本、テレビ番組に、立て続けで石井が居た。
本は、親交のあった永六輔の著書「永六輔のお話し供養」(小学館)
テレビ番組は、「あの人に会いたい」(NHK)だ。

「あの人に会いたい」は、10分のミニ番組。
既に石井好子は取り上げられているし、勿論拝見している。
今回私が見た回は芦野宏。
番組ラストで流れた映像が、かつてのパリ祭。
芦野宏と共にシャンソン「パリ祭」を歌う石井先生の姿が映った。
大木康子らの姿も画面にあった。

芦野宏と石井好子の関係は深い。
ともに戦後のシャンソンブームの立役者であり、日本シャンソン界を生涯に渡って牽引し続けた巨星。芦野は、石井音楽事務所の所属歌手でもあり、自叙伝でも石井への敬意を表している。
最晩年、体調を崩した石井が身辺整理を進めていた際、自ら手紙を認め、日本シャンソン協会の引き継ぎを頼んだ相手が芦野宏だった。「あなたの友情を信じます」と手紙に記されていたことを、石井没後の談話で芦野は明かしている。
石井からのバトンを受け取って約2年後、芦野も鬼籍に入ったが、協会は芦野の次男が代わって支えている。

健在だった頃は当たり前の光景としか思わなかったが、今このツーショットを見ると胸にこみ上げるものが隠せない。
加えて、早世した大木康子(この人も芦野と同じく石井音楽事務所所属だった)も傍にいる。
テレビの前で「ああッ」と思い切り声を上げてしまった。
喪ってわかる、その人の大きさ・・・。

「永六輔のお話し供養」は、本当の意味での人の死はその人を知るものがいなくなったとき。
それまでは知る人の心に記憶として宿っている。歳月の中で忘れがちになっている故人の話を時々しよう。それもまた供養のひとつだ。というコンセプトで編まれた1冊。
8項目のなかのひとつに石井好子の項があった。

項の題名は「お嬢様の底力」。
以下、内容を要約。
----------------------------------
石井は怖かった、よく怒られたがその理由がわからないことが大半。
石井の前で民謡を口ずさんでいたからだ、と言われたこともある。
良くも悪くも自分中心のお嬢様だった。
石井とは学生時代の頃からの付き合い。石井の父・光次郎(外相, 衆院議長)が地元出身の学生の面倒をよくみていて、家に行けば腹いっぱい旨いものが食べられるという話から、中村八大に誘われ、モグリの久留米人として、石井邸に通った。
後に、嘘が石井にバレ、以来頭が上がらなくなった。
石井が渡米し、そこからパリへ行き、名を上げて、帰国した際には迎えに行った。帰朝公演の演出もした。
石井からパリ祭の司会を依頼され、最初断ったら「私の家で何度ご飯食べたのよ」と凄まれ、引き受けざるを得なかった。作務衣姿での司会にNGを出され、ピーコを呼び、タキシードを作らせた。
高額の請求書がピーコから来た。作れと言ってピーコを差し向けたのは石井だ、彼女に払って貰おうと請求書を回したら、「自分で払わないと着こなせません」と一筆つきで戻って来た。
後年、難民問題に関心を持ち、難民救済のチャリティーコンサート開催のかたわら、デモに参加し座り込みも行っていたが、デモ参加については生前自分の前では一切口にしなかった。
一部の悪口など歯牙にもかけず、己の心に忠実に「私は私」を貫いた力強い女性だった。
----------------------------------
永六輔の話には、良く思う関係ゆえの軽口や読み手へのリップサービスがあるので、そのあたりの行間を読む必要が求められる。これは放言じゃないのかと思う箇所もあったが、六輔講談・石井好子として興味深かった。

石井晩年のライフワークのひとつが有楽町朝日ホールで開催していたチャリティコンサート。亡くなる2年前に体調を崩すまで10数年続けていた。バラエティに富んだ人選はパリ祭とはひと色もふた色も違い、本業の歌い手は勿論、普段シャンソンを歌わないような人、歌とは無縁の人たちをも、石井自ら誘い出し、ステージに上げていた。

石井の難民問題への関心は、親ぐるみの幼なじみ・緒方四十郎(緒方竹虎の三男)の妻・緒方貞子の存在がきっかけとされている。
周囲の環境に加え、長いフランス生活から国際情勢への関心は人一倍あったはずであり、デモ参加も左翼的な捉え方ではなく(石井はむしろ保守派である)、当然の流れとして行っていただろう。

石井好子は線引きのしっかりした人で、これは自分の口から話していいこと悪いことをしっかり決めて、その線を越えることは無かった。
だから知る人ぞ知る、石井の逸話は、まだまだ沢山眠っているように思う。

そのあたりの話を採録整理した上での石井好子の評伝の発表を、没後以来ずっと願っている。
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by hakodate-no-sito | 2014-01-27 13:03 | つぶやき | Comments(0)